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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第3部:淑女時代

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217/336

17:0:白き巨獣は解き放たれり。

お待たせ候。

 地球史近代は欧米を中心とした文明の伸張発展の時代だった。


 伝統的な技術発展の原則――戦争による必要性を起因とした発展、安定した社会で利便性や文化性を追求した発展。これらに加え、征服した土地から莫大な富を吸い上げたことで、列強の社会は貴賤を問わず日々の生活に余裕を持った。この生活の余裕が人材を育成し、文化の勃興と成長を生み、技術や学術を発展させた。


 ゲーテ、グリム兄弟、ユーゴー、スタンダール、ディケンズ、ドストエフスキーにトルストイ。マネにモネ、ルノワール、ゴッホ、ベートーヴェン、ショパン、シューベルト、チャイコフスキー。


 この錚々たる文化人達は全て18世紀末から19世紀にかけて登場した。産業革命によって科学技術が花開いた時、同じく哲学や数学、経済/社会思想なども大きく花咲いた。


 ファラデー、マイヤー、レントゲン、ダーウィン、メンデル、モールスとベルとマルコーニ、ダイムラー、カント、ヘーゲル、ニーチェ、アダム=スミス、おぞましきマルクスとクソッタレのエンゲルス。死の商人ノーベル。


 来たる20世紀の爆発的発展と進歩は彼らのような賢人の功績無くしてありえない。地球規模で見た場合、近代の白人は間違いなく文明発展の担い手だった。善悪は別にして。


 また、近代欧州は学術的成果を産業利用へ活用することが出来た。たとえ天才達が先進的な発明を成し遂げていようと、産業利用されて社会に普及していなければ、平賀源内の“玩具”やダ・ヴィンチの“落書き”と同じだ。社会と経済には何の意味も価値もない。


 そして、新発見や新発明の産業化は既存産業や既得権益との衝突を余儀なくされた。

 飛び杼や織機の発明家が織物組合にボコられたように、だ。エジソンが電灯を開発して売り出そうとした時、ガス灯業者や蝋燭業者から凄まじい抵抗を受けた。自動車や鉄道の普及は馬車組合の激烈な反発を招いた。各種工作機械の登場と工場制機械化工業の到来は伝統的産業体制との戦いでもあった。


 近代とはあらゆる分野で新旧の激突した時代だった。

 魔導技術文明世界でも、それは変わらない。


 むしろ魔導技術を根幹としてきたため、科学的技術の背景が薄い分、新興の科学技術文明と旧来の魔導技術の衝突は文明のパラダイムシフトに近かったかもしれない。


       〇


 大陸共通暦1776年:ベルネシア王国暦259年:晩春。

 大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。

 ――――――――

 3列強が協働商業経済圏創設の正式宣言を出し、巨大な自由競争市場が誕生した。南小大陸(パラディスカ)の独立戦争が終結し、前年の第二次メーヴラント戦争の後始末もひと段落ついた。大陸西方ガルムラントのエスパーナ帝国内乱はより激しさを増している。


 そんな時節の白獅子財閥について記そう。

 財閥の持ち株会社と金融銀行事業は概ね平常運転。まあ、ここは財閥内資金と資産の管理が基本で、どっかのハゲタカファンドみたいに本業と身の丈を忘れたマネーゲームに勤しんでいない(というか、ヴィルミーナが許さない)。


 運輸流通事業は――後に回そう。


 ゼネコン事業はクレーユベーレ開発が港湾施設や工業地域、主要道路などの根幹部分が完了。

 各種製造事業は伸びたところもあれば衰えたところもある。これから協働商業経済圏の影響をより強く受けるだろう。


 技術開発研究所は拡大した。かなりの額をぶっ込んでいるため、施設や人員の陣容は大陸西方圏でも有数の水準である。


 福祉や教育事業は私学の創設と相成って今のところは赤字。ま、元々が採算度外視だ。

 通信事業と財閥マスメディアにも手を付けた。そろそろ本格的に必要だろう。


 財閥外の製鋼合資会社の割り当て分を増加交渉。一次生産された鉄鋼を自社で再精錬することは無駄が多いが、こうでもしないと添加製鉄技術が漏れてしまう。飯の種は明かさんぞ。


 資源事業は概ね三方向で進んでいる。

甲)ベルネシア戦役頃から続けている外洋領土資源の調達――自社採掘ではなく買い付け。

乙)聖冠連合帝国のディビアラント産資源の調達。

丙)カロルレン北東部で展開中のパッケージング・ビジネス。


 甲は価格交渉やら投資分割り当てやらいろいろあるが、大筋問題なし。

 乙も甲と同様。クリスティーナ伯母様に泣かされることもあるが、本筋は順調。

 丙に関して言えば“今のところは”問題ない。オラフ・ドランが死に物狂いで頑張っている。


 イストリア出先商館――もはや白獅子のイストリア支社である――は側近衆のエリンが大過なく経営しており、時折『総支配人は大変だわー責任が大きくてほんとに大変だわー』と他の側近衆達を煽る手紙を寄こす。


 民間軍事会社はカロルレン北東部と地中海方面で稼いでいる。グリルディⅢ型に加え、船齢が嵩んだ初期ロットのグリルディⅣ型も払い下げられ、保有戦闘飛空艇を増やしている。まあ、維持費や経費が掛かるので稼ぎとトントン。


 順調。

 大枠として白獅子財閥は順調である。ベルネシア国債は未だ30パーセント以上保有しており、半官半民の発言力と影響力を保持している。


 それでも白獅子はベルネシア国内で“筆頭財閥ではない”。上には上がいる。

 外洋進出初期に海外領土で莫大な利権を握った財閥や、砂糖と香辛料の巨大プランテーションを持つアグリビジネス系大財閥や大陸南方資源地帯を握る財閥が上に控えている。後発の白獅子はこの辺りにまだ勝てない。

 青鷲ローガンスタインなどのように敵対しているわけではないから、問題ないけれども。


 長々と記してきたが、これが白獅子財閥の現況かつ現状だ。


「まあ、予想はしていたけれど、予想外な状況ではあるわね」

 王都小街区の新社屋、その総帥執務室でヴィルミーナは白磁のカップを手に呟いた。正式に第一線へ復帰したヴィルミーナは何やら凄まじくやる気に満ちている。


「イストリアがここまで強力に攻めてくるとは思いませんでした」

“侍従長”アレックスが眉を大きく下げて応じた。


 アラサーに入ったアレックスは、少女だった頃の中性的な美貌が抜け、宝塚劇団を卒業した女優を思わせる淑やかな美貌をまとっている。もう男装の麗人にはなれないだろう。


 ヴィルミーナは背もたれに体を預け、天井を仰ぐ。

「彼らは海洋覇権国家だからね。ベルネシアも海上帝国だけれど、イストリア相手は流石に分が悪い。でもまあ、ここまで差が出るとも思ってなかった」


 ベルネシア・イストリア・クレテアの列強三国による協働商業経済圏が正式に始まり、各国の各種産業や貿易、流通など各方面に早くも影響が出始めている。

 雑に言えば、それぞれの得意分野は伸び、それぞれの不得意分野は押されている。儲けた業界は喝采と歓声を上げ、損した業界が怒号と悲鳴を上げていた。


 競争経済は万人が幸せになれない。


 目下、いくつかの業界で熾烈な激戦が繰り広げられているが、その最激戦地が海運業界だ。


 イストリア海運業界は海洋覇権国家の面目に掛けてベルネシアとクレテアの海運市場を食い尽くさんばかりに攻勢をかけており、その攻勢は成功しつつある。イストリアの平均的な海上貨物船はベルネシア海上船舶より性能が良く、特に積載能力と船足が優れている。加えて、外輪式蒸気船を北洋貿易に投入し始めていた(これは割合、無茶をしているようだが)。


 白獅子の海運部門を含めたベルネシア海運業界もまた、海上帝国の面子を賭してイストリアに戦いを挑んでいる。こちらは船舶の快速性をより向上させ、海運の回転数を上げて対抗していた。死に物狂いで運航船舶の性能向上と発展に勤しんでいた。


 で、海運戦争を始めた両国に対し、大陸国家クレテアはさっさと抵抗を諦め、戦略物資に限り自国海運業界に任せるという保護政策で慈悲を乞うた。うーん。この開き直り振りよ。


白獅子(ウチ)の海運部門も売り上げを落としてます。リアが数年以内に業界再編が起きるのでは、と予想してます」

「あり得るわね。イストリアとの競争で淘汰が始まるもの。こうなると、またぞろ王国府が横槍入れてくるわよ」

 アレックスの言葉にしかめ面を浮かべるヴィルミーナ。


「ウチも何かしら対策をしないと油断できないな。ガルムラント沿岸地域に海賊被害が出始めてることも気になるし」

 貧乏農村が副業で群盗山賊を行うように、貧乏漁村が副業で海賊を行うことは、万国共通である。エスパーナ帝国の沿岸漁村民や脱走海軍船舶が海賊商売を始めてもおかしくない。


「イストリア人がゲリュオン半島租借を条件に介入するらしいですから、すぐに改善されるのでは?」

 北洋権益が絡んだ時のイストリア人はヤバい。身勝手なほどの独善性と度し難いまでの凶暴性を発揮する。


「エスパーナか……私は手を出したくないんだけど、エステルが乗り気なのよね……」

「グリルディⅣ型を改修しましたからね。実戦試験したくてウズウズしてます」


 ベルネシア海軍が誇る高速戦闘飛空艇グリルディⅣ型も開発就航してから10年以上経つ船が増えた。Ⅲ型同様に性能向上改修が図られ、白獅子は海軍から改修を請け負う過程で数隻のグリルディⅣ型を払い下げられ、独自改造を許されていた。

 当然ながら、穏健的タカ派の白獅子民間軍会社(デ・ズワルト・アイギス)支配人エステルは大喜び。白獅子仕様のグリルディⅣ型を実戦で試したくて仕方ない御様子。


「まあ、例の件がケリを見るまでは下手に動かないと思いますけれどね」

「アレはアレでまいっちゃうのよね」

 ヴィルミーナは髪を弄りながらぼやく。


 ※   ※   ※

 アレ、とは何か。

 話は長くなるが、順を追って説明しよう。


 1770年代はベルネシア軍事業界で規格戦争が起きた時代だった。

 第一次メーヴラント戦争終結後の1773年。イストリア連合王国軍は新型兵器の先行量産品を配備し、独立戦争へ投入した。


 真鍮製金属薬莢弾薬を用いたレバー作動方式の単発小銃である。加えて、将校用に金属薬莢弾薬を用いた回転式拳銃も配備した。


 新型小銃の弾薬は従来の椎の実弾に準じて11ミリと大きかったが、金属薬莢と完全薬室閉鎖機構による高い気密性が装薬のエネルギーをより高効率で弾頭に伝え、高い銃口初速と殺傷力を発揮し、分間12発という従来の倍近い速射性を示した。


 もちろん、先行量産品とは欠陥を炙り出すための実戦テスト品であるから、運用の現場で数々の問題点が発覚した。それでも、産業革命の先駆者イストリア連合王国が機械化工業製品として次世代兵器を戦場へ投入した事実は大きい。


 だが、真の衝撃は2年後、共通暦1775年の第二次メーヴラント戦争で発生した。


 第二次メーヴラント戦争はたった1週間で終わった戦争で、俗にいう『短くも激しい戦い』そのものだった。


 これはカロルレン王国もアルグシア連邦も外交努力という名の戦争準備期間を獲得し、戦力を新国境へ集結させていたからだ。


 カロルレンは第一次メーヴラント戦争後に南小大陸へ義勇兵派遣されていた部隊から、選りすぐりの一個旅団を呼び戻していた。また、伝説的活躍を果たした翼竜騎兵“リボン”を含めた最精鋭翼竜騎兵部隊も惜しみなく投入している。

 そして、第一次メーヴラント戦争後に開発された“新兵器”も隠さず前線へ配備していた。

 限定戦争ながら、第一次メーヴラント戦争の復仇を図るカロルレン軍は本気だったのだ。


 一方、アルグシア連邦もまた負けられない戦いだった。カロルレン王国の段階的征服案を実現させるためには、ここでカロルレン王国に更なる敗北を味合わせることが肝要だからだ。

 消極的な南部閥西部閥を余所に、東部閥はブローレン王国を筆頭に全力動員していた。意外なことに、この戦いにおいては北部閥もかなり乗り気でメイファーバー王国の精鋭部隊、白騎士団(エーデルリッター)を投入していた。これは占領地域の開発に北部閥が相当の資本を投下していて、その資産を守るためだった。


 この第二次メーヴラント戦争では、ベルネシア王国は本国軍第6機動打撃戦闘団強行偵察隊から分遣隊が送り込まれ、秘密裏の浸透潜入偵察が行われている。


 分遣隊指揮官のレーヴレヒト・デア・レンデルバッハ=クライフ大尉は派遣時こそ不機嫌だったが、一度出征してしまえば、持ち前の病的なプロ意識を発揮し、任務へ臨んだ。第二次メーヴラント戦争を交戦区域内外から偵察し、観測し、場合によっては戦場へ潜り込みさえした。


 そして、レーヴレヒトは見た。


 カロルレン軍の新兵器――近代的な手動式機関銃を。

 アルグシア軍の新兵器――遊底駆動式(ボルトアクション)単発銃を。


 レーヴレヒトは即座に理解する。

 ――アレは危険だ。

 ヴィルミーナから与えられた地球世界の予備知識があったし、その英邁な頭脳が両軍の新兵器が持つ凶悪さを見抜いた。

 レーヴレヒトの理解は正しかった。


 彼らは見た。カロルレン機関銃部隊が弾幕を展開し、アルグシア軍銃兵部隊を瞬く間に薙ぎ払う様を。


 彼らは見た。アルグシア銃兵部隊の速射弾幕がカロルレン銃兵の群れを瞬く間に打ち崩していく様を。


 第一次メーヴラント戦争で最も熾烈な殺し合いを経験した両国は、この五年の間に戦訓を基にした新兵器の開発に勤しみ、その成果を互いに叩きつけたのだ。

 レーヴレヒトは眼前の光景に唖然とした部下達に告げる。

「両軍の新兵器を奪取するぞ。もちろん、秘密裏にな」


 そして、ベルネシア軍屈指の首狩り人が率いる『森の悪霊』達は成し遂げた。


 カロルレン軍の手動式機関銃とアルグシア軍の新型小銃を弾薬や整備部品など込みで奪取し、ベルネシアに持ち帰り―――少佐に昇進した。

 レーヴレヒトの“土産”は昇進の価値があるものだった。



 かくて奪取されたカロルレン軍の機関銃とアルグシア軍の遊底駆動式単発銃の説明は後に回すとして、両国の新型銃器に用いられている弾薬は、樹脂補強式紙薬莢弾薬だった。


 平たく言えば、従来の紙薬莢式弾薬を樹脂で被膜し、プラスチックに近い強度と防水性を実現させていた。地球世界では発明されなかった魔導技術文明世界独自の発展である。


 つまり……ベルネシア軍の前には各国の次世代兵器が並び、次世代弾薬が2つ置かれた。

 金属薬莢弾薬と樹脂補強式紙薬莢弾薬。


 難問発生、であった。


 なんせ弾薬の選定はその後の兵器開発に重大な影響をもたらす。

 日本軍の6・5ミリ小銃弾しかり、ロシアの7・62×54R小銃弾しかり、アメ公の308NATO弾しかり。ド・ゴール主義な独自規格を突っ走って痛い目を見たフランスしかり。


 また弾薬は運用環境で少なからず問題が発生する。現行の紙薬莢弾薬は様々な対策を取ってなお、雨天や湿気に弱い。


 ベルネシアは大陸西方の本国に加え、高温で乾燥した大陸南方領土、高温湿潤な大冥洋群島帯領土と大陸東南方領土、四季のある南小大陸領土を有しており、次世代弾薬はこれらの運用環境に適応する弾薬でなければ話にならない。


 その観点で言えば、ベルネシア軍が採るべきは金属薬莢弾薬一択だ。熱や湿気で歪みやなんやが生じるかもしれないが、現行の紙薬莢弾薬よりはるかにマシだろう。


 が、経済性で言えば、樹脂補強式紙薬莢弾薬の方が安い。樹脂補強加工の手間と費用を考えても、金属薬莢弾薬よりずっと安い。近代戦の弾薬消費量とその調達費用を考えれば、樹脂補強式紙薬莢弾薬はかなり魅力的だろう。


 と、いうわけで。

 現在、ベルネシア軍政と軍需業界は次世代弾薬を巡って金属薬莢弾薬派と樹脂補強式紙薬莢弾薬派の激しい激しい対立が生じていた。


 ヴィルミーナ個人は金属薬莢弾薬を支持している。地球世界の前世記憶がある以上、当然であろう。一方で、自身の見識が乏しい魔導技術文明世界の独自技術、樹脂補強式紙薬莢弾薬にも相応の関心を寄せている。将来に渡ってどんな発展性を見せるか分からないから、一概に否定できない。

 前世記憶(インチキ)持ちの者さえ、答えを出せない。まさに難問であろう。


 ※  ※  ※


「まあ、下請けのウチは定められた規格の品を扱えば良いわよね」

 ヴィルミーナのその認識は激アマなのだが……その認識の過誤と直面するのはもう少し先のことだ。


 白磁のカップを口に運び、ふぅ、とヴィルミーナは大きく息を吐いた。

「財閥の状況を見ると、“ひと勝負”をしたい時期ではあるのだけれど」


 何気なく発せられた言葉に、アレックスが怪訝そうに問う。

「パッケージング・ビジネスが進行中です。そちらに注力されるのでは?」

「もちろん。パッケージング・ビジネスは白獅子の根幹事業。カロルレン北東部の案件は最優先かつ最重要事項よ」


 白獅子は余所の特定根幹事業を持つ財閥とは違う。財閥内各種事業の総合力で勝負する器用貧乏な組織だ。財閥全体で勝負するパッケージング・ビジネスこそ白獅子の本懐。今後のためにもカロルレンで進行中の案件はおろそかにできない。


 ただし、とヴィルミーナは言った。どこか悪戯っぽく微笑んで。

「財閥の余力をただ通常経営に注ぐのも、緊張感に欠ける話だと思わない?」


 あ、何か企んでる。しかももう具体的に。

 即座に悟ったアレックスは演技的にわざとらしく肩を落とし、ヴィルミーナを上目遣いに見る。

「復帰早々にまったく……ヴィーナ様は子供を三人も産んだ母親なんですよ? なのに、いつまで経ってもギラギラ尖って。少しは丸くなったらどうです?」


「侍女長達と同じこと言わないで」

 小言を浴びたヴィルミーナはふっと小さく息を漏らし、表情を引き締めた。

「“私達”が求めることは稼ぎの大小じゃない。そうでしょう?」


 ヴィルミーナの紺碧色の瞳が凶暴に輝く。


 ある種の経済人は事業を手掛けることそのものを目的とする。

 大金と大量の人間と物資を費やす事業が楽しい。そこで得られる金穀や成果物はオマケに過ぎない。仕事そのものが生き甲斐の人間。


「ヴィーナ様と一緒にいると楽しいことばかりですね」

 アレックスは整った顔を和らげ、にやりと口端を吊り上げた。

「今度は何をしますか?」


      〇


 ヴィルミーナは前世でついぞ経験しなかった結婚と妊娠と出産をし、育児をしている。

 それは確かに素晴らしい経験で女の幸せを大いに体験した。


 しかし、同時にそれはヴィルミーナの度し難い宿痾を酷く拗らせていた。

 東メーヴラント戦争の停戦講和で大きく動いたメーヴラント情勢。エスパーナ大乱による国際情勢の変化。協働商業経済圏の開始による世界経済の激動と激変。

 このとてもとても、とっても“楽しそうな”時期に、ヴィルミーナは第一線を離れ、後方からの指示出しに留まっていた。


 それはさながら、怪物を鎖で縛りつけ、狭く窮屈な檻に閉じ込めていたに等しい。


 前世から抱えている強烈な強欲と苛烈な野心と猛烈な上昇志向が、猛獣の魂をじりじりと焼き続けた。

 最高の夫と幾夜愛し合っても、可愛い我が子達を幾度抱きしめても、家族や友人達と幾日楽しく過ごしても、決して解消されない欲求不満が巨獣の魂を延々と焦がし続けた。

 怪物の魂と精神の深奥に澱が幾重にも溜まり続けていた。


 共通暦1775年。ヴィルミーナ・デア・レンデルバッハ・ディ・エスロナが第一線に正式復帰した。

 言い換えよう。


 怪物は放たれた。

淑女(アラサー)編スタート。

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[気になる点] この世界は火薬ではなく魔力なので湿気とは無縁だったのでは
[良い点]  イストリアは大砲を載せたロマン溢れた巨大戦艦とか造るのか? [気になる点]  現在の主流は石炭(コークス)を使った蒸気式エンジン?(エジソンが居ないのに[エンジン]は変なのだが) ソルニ…
[一言] 待ってました!
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