特別閑話4:レンデルバッハ一家集合。
あけおめ
大陸共通暦1772年:ベルネシア王国暦255年:晩夏。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
――――――
その日の王太后マリア・ローザは極めて上機嫌だった。
先年より体調が弱り気味で、床に臥せる日が増えていたものの、この日の王太后は体調がとても良好で、なにより気分が華やいでいた。
理由は明快。
家族が揃うから。
〇
夏の終わり。
ベルネシア領空内に聖冠連合帝国の飛空船が入国した。グリルディⅣ型戦闘飛空艇がエスコートに付き、飛空船離発着場へ誘導する。
離発着場は美しく着飾った儀仗兵が居並び、近衛と王立憲兵隊による完全警備が敷かれていた。離発着場からエンテルハースト宮殿までの道程はチリ一つないほど清掃され、ベルネシアと聖冠連合帝国の旗が飾られている。
イストリア連合王国王太子夫妻の訪問時よりも盛大かつ豪勢な歓迎だった。
当然だ。
着陸した飛空船から、聖冠連合帝国女大公クリスティーナが姿を見せたのだから。
元ベルネシア第一王女クリスティーナ。20年以上振りの帰国だった。
※ ※ ※
「クリスティーナ大公を帰省させたい、と」
国王カレル3世の親書に目を通した皇太子レオポルドは片眉を挙げる。
「随分と丁寧な文言だ。しかも、便宜を図ったなら謝礼まですると書いてある」
「近年、王太后マリア・ローザの体調が芳しくないそうです。最期の親孝行をしたいのでしょう。まあ、情理としては分かりますな」
宰相サージェスドルフがいつもの悪党面を控え、真摯にいった。
サージェスドルフは大政治家として悪辣な手腕を惜しげもなく発揮する男ではあったが、人の情を介さぬわけではない。むしろ、そうした情理を理解できるからこそ、この男は抜群に優秀なのだ。
「しかし、クリスティーナ大公は、その、アレだろう?」
「ええ。アレです」
レオポルドとサージェスドルフは揃ってソルニオル事変を思い出し、嘆息をこぼす。
「まあ、話を持ち掛けるだけ持ち掛けてはどうです? 拒否するかどうかはクリスティーナ大公に任せて。ダメで元々。失敗してもこちらの懐は痛みません」
「俺の胃は痛くなりそうだがな」
サージェスドルフの提案に、レオポルトは溜息を吐いた。
ダメだろうなあ。ダメだろうなあ。上手くいかないよなぁ。
そんな後ろ向きな気持ちでレオポルトはクリスティーナを茶会に招待し、妻の皇太子妃同伴で話を持ち掛けた(一人でクリスティーナと会うのが嫌だった。なお、サージェスドルフはこの場から逃げていた模様)。
レオポルドは妻と共に、クリスティーナの娘エルフリーデが出産した話を端緒に茶会を始め、小一時間ほど和やかな会話を続けたのち、ベルネシアから届いた親書をクリスティーナへ渡して本題を切り出す。
「――というわけでな。ベルネシアから大公一家の帰国を打診されている。もちろん、是非は貴女や貴女の家族が決めることであって、帝国も帝室も口を出さない。関わるのはこの話を届けるのみだ」
説明を聞き終え、クリスティーナは別段表情を変えることなく親書に目を通し、小さく首肯した。
「かしこまりました、殿下。帰国しましょう」
予想を完全に覆すクリスティーナの快諾に、レオポルドは目を真ん丸にし、思わず真意を問う。「い、良いのかね? 本当に良いのかね? 無理強いはせんぞ?」
「レオ様」と思わず皇太子妃が窘めるほどの狼狽え振りであった。
「はい、殿下。御厚意に甘え、帰省させていただきます。ただ――」
やっぱりなんか無理難題が伴うのか、と身構えるレオポルトへ、クリスティーナは柔らかく微笑んで告げた。
「少しばかり“演出”がいただきとうございます」
「? 演出?」
怪訝そうに眉根を寄せるレオポルドへ、クリスティーナは”演出”について語った。
・
・・
・・・
女大公クリスティーナとその家族がベルネシアに帰国する際、帝国内にこんな噂が立った。
曰く――祖国への帰省を渋る女大公クリスティーナを皇太子レオポルトが家族愛を説いて帰国を承諾させた、息子のソルニオル公が母を説得して帰国を了承させた。
こんなささやかな噂が帝国に広まり、帝国の人々はレオポルトの仁君振りを快く思い(人は美談が好きだ)、ソルニオル公が智謀の母親の傀儡ではなく、きちんと物申せる人物に成長しているという印象を抱いた。
「本当に恐ろしい女だ。帰省するだけで俺に貸しを作っていったぞ……」
「ベルネシア王家も苦労しそうですなあ」
ぼやくレオポルドとは真逆に、サージェスドルフはどこか楽しげに笑った。
※ ※ ※
20数年振りの祖国に降り立ったクリスティーナは儀仗兵や出迎えの第二王子アルトゥールに柔らかな笑顔を向けた後、移動用の馬車に乗ると――
ふん、と魔王すら怯えそうな冷たい顔で鼻を鳴らした。
〇
王太后マリア・ローザと王女クリスティーナの面会について、どのような会話が交わされたのかは記録に残っていない。いや、残すことを許されなかった、というべきだろうか。
ただ、王女クリスティーナは周囲が思っている以上に、“王族”だった。
祖国と家族への憎悪と怨恨が魂の芯で激烈に燃え盛っても、氷のような理性を決して手放さない。怒りに任せて老いた母を罵倒し尽くすような程度の低い真似はしない。
その冷徹な心算を持って、怨讐の情を完璧に隠して母の手を優しく握った後、兄王から自身と息子のためソルニオル公爵領と経済特区へ多くの金穀その他を引っ張ることにした。
ソルニオル公ルートヴィヒという腐れ外道に嫁がされ、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、見事な復讐と報復を果たしたクリスティーナは、一時の感情に流されなどしない
――かに見えた。
だが、母との面会後に亡き父王の墓参りをした時、
「おまえの……おまえのせいでっ!! おまえのっ!!」
クリスティーナは突如泣き叫び、墓前に捧げるために用意した花束で墓碑を何度も殴りつけ、足蹴にした。
堪えきれなかった。
父の墓を前にした時、金剛鋼の如き精神的タフネスを誇るクリスティーナでも、憎悪と怨恨の爆発を抑えられなかった。
クリスティーナはただ怒りという感情を発露した。
泣き喚き、髪を振り乱し、礼装を汚しながら、無我夢中で父の墓を何度も何度も足蹴にする。
あまりのことに周囲が呆気にとられ、我に返った息子のソルニオル公カスパーや娘の大公夫人エルフリーデも涙しながら狂乱する母を抱きしめて押さえつけた。
ソルニオル公婚約者の年若いウージェニーと公認愛妾ユーリアも三人を抱きしめて静かに泣く。
カール大公が護衛達に人垣を作らせて“家族”を周囲の目から遮った。
この出来事が公式記録に残ることは無かった。残すことを許されなかった。
ただ記録として『女大公クリスティーナはベルネシアに帰省中、父王の墓を詣でた』と記されるのみである。
〇
エンテルハースト宮殿とその周辺に分厚い警備体制が敷かれた夏の終わり。
王妹大公家の馬車列が宮殿へ到着する。
王妹大公ユーフェリアが念を入れたため、護衛の数が凄い。王妹大公家に長く仕える古参の護衛達に加え、白獅子民間軍事会社の精鋭達が投じられていた。
この時代の最高の車両製作技術が投じられた馬車が宮殿正面操車場に停まり、まず王妹大公とその嫡女夫妻が降り、これまた恐ろしく精緻な造りの乳母車が降ろされた。
王妹大公家の家紋が入ったその乳母車は、馬車同様に当代最高の車両製作技術によって作られたもので、移動の振動がバスケット部分にほとんど伝わらないようになっている。
おかげで、バスケット部分にいる天使のような赤ちゃんはすやすやと寝息を立てたままだ。
最後に大型狩猟犬の黒いガブが乳母車の脇に付き添う。まるで母犬のようであり、まるで親衛騎士のようだ。
続いて、参内した王弟大公フランツは、その勇壮な面立ちをひどく強張らせていた。
「まさかクリス姉貴が本当に帰国するとは……」
「あらあら。私は久し振りにお会いできることが楽しみなのですけれど」
愛妻ルシアが微苦笑する。
ちなみに、フランツも警護団を連れてきたが、その人員は年若い少年少女ばかりで武器も持っていない。というのも、彼らは皆、王弟大公夫妻が運営する孤児院の子供達だった。要するに警護とは名ばかり。孤児院の子供達に王都旅行させたわけだ。そもそも蛮族公に護衛など要らぬ、剣がひと振りあればよい。
こうしてベルネシア王家レンデルバッハ宗家の面々が一堂に会した。
〇
王太后マリア・ローザの前に3人の曾孫が揃う。
王太子エドワードの子ライナール。
王妹大公嫡女ヴィルミーナの子ウィレム。
オーバー=シューレスヴェルヒ大公カールの子メルセデス。
3人とも天使のような乳幼児だ。
金髪青緑色の瞳を持つエドワードが父のライナールは、髪が明度の強い栗色の髪で瞳も仄かに緑がかった深青色。
薄茶色の髪と紺碧色の瞳を持つヴィルミーナが母のウィレムは、髪が茶味の強い栗色の髪で瞳は暗青色だ。
両親共に純メーヴラント人のメルセデスちゃんのみ、栗色の髪と深い青色の瞳をしている。
「うちの子が一番かわいい」「……あ?」「聞き捨てならんな」
「私の孫が一番かわいい」「老眼か? 私の孫が一番だ」「喧嘩売ってんの?」
若い父親達が親バカぶりを発揮し、レンデルバッハ兄妹が孫バカぶりを晒す。
バカ連中を余所に、王太后マリア・ローザは涙ぐみながら三人の曾孫を見て、慈しみと優しさに溢れた笑みを浮かべる。
「私の曾孫達は世界で一番かわいい」
ヴィルミーナが御茶を飲みながら、
「子供と一緒に内臓も引っこ抜けるかと思った」
「確かに。死ぬかと思いました」
エルフリーデが頷き、
「世の子沢山な女性達って凄いわね」
グウェンドリンがしみじみと呟く。
「1人生んだだけで何を言ってるの。もっと生みなさい」
子を4人も産んだ王妃エリザベスが若い母親達へ呆れ顔を浮かべた。
子供の話になると子を産めなかったルシアが寂しげになるが、夫のフランツがすかさず肩を抱く。出来る漢は愛する女の機微を見逃さない。
「私も早く赤ちゃんを産みたいなあ」
ソルニオル公カスパーの婚約者ウージェニーが呟く。
齢16歳の彼女は今のところカスパーとプラトニックな関係だった。敬虔な伝統派信徒であるウージェニーは婚前交渉など考えたこともない。
「アンリ16世陛下が来年、挙式の御許しを出すそうですし、すぐですよ、すぐ」
カスパーの公認愛妾ユーリアがウージェニーを慰める。
この娘っ子は立場をよく理解していて如才なく立ち回っていた。ウージェニーから『義姉様』と慕われ、ベッドの上では完全にカスパーを翻弄している。クリスティーナが『可愛げがない』と評する程度に有能だった。
「あー。私もさっさと結婚しないとなー」
重度の面食い振りを発揮してことごとく縁談を潰している第一王女クラリーナがぼやきつつ、末っ子アルトゥールを睨む。
「アーサー。私を差し置いて先に婚約したらぶっ飛ばすわよ」
「ぼ、僕とマグダはそんな関係じゃないです」
帝国皇太子レオポルドの娘――聖冠連合帝国皇女から猛烈に迫られているアルトゥールは、まんざらでもない調子で答えた。
第二王女のロザリアはいつものマイペースのまま、王太后の隣で赤ちゃん達のぷくぷくした手を突いて遊んでいる。
この日のエンテルハースト宮殿は終始、とても和やかな雰囲気に包まれていた。
〇
晩餐会後、なんとなしに先王4兄妹が集まり、酒杯を交わしていた。
が、その場の空気は最悪だった。
なんせ長兄カレル3世は3人の弟妹達から激しく嫌われている。
長女クリスティーナは重たい過去を抱えていると同時に、弟妹にとって優しく、それ以上に厳しい姉だった。
次女のユーフェリアと末っ子フランツはそもそも互いに悪口を言い合う関係。
――というわけで、4人は不機嫌顔を突き合わせて無言で酒杯を重ねていた。
不意に、クリスティーナが口を開く。氷の方がよほど暖かそうな目つきだった。
「フランツ。貴方、蛮族公とか呼ばれているそうね」
「わ、悪い意味じゃないぞ。御国を守ろうと奮闘した結果だからな」
フランツが怯み気味に言った。チビの時分にベソを掻くまで説教された時の恐怖が蘇っていた。
「言ってやって言ってやって。この愚弟はいつまで経ってもバカなままなんだから」
ユーフェリアが意地悪に口端を緩めた、直後。
「貴女は貴女で帰国以来、ろくに働かず遊び暮らしているそうね」
クリスティーナは先ほどよりもいっそう鋭い目つきで妹を睨む。
「そ、それはちょっと、語弊がある言い方、だと思うなあ」
ユーフェリアは目を逸らして冷や汗をだらだら流す。チビの時分に泣きが入るまで説教された時と同じ怯懦が沸き上がっていた。
「まあ、そう厳し――」
「“国王陛下”は黙っていてください」
ぴしゃりと遮られたカレル3世は「俺だけ国王陛下って……」と項垂れる。
クリスティーナは弟妹に柔らかく微笑みかける。目はまったく笑っていなかったが。
「この機会が今生最後の再会とも限らないし、しっかり話し合いましょうか」
ひぇっとユーフェリアの口から悲鳴が漏れ、フランツの目から光が消えた。
全員が中年後期のいい年をした大人なのだが、その光景は幼少時と大差がない。
〇
「良い1日だったわね」
エンテルハースト宮殿客室。ベッドでレーヴレヒトに膝枕されたヴィルミーナが呟いた。
「ああ。良い1日だったな」
レーヴレヒトはヴィルミーナの頭をゆっくりと撫でながら頷く。
2人の愛息ウィレムは別室で夜番の乳母と愛犬ガブが見ている。
話は逸れるが……乳母という職種の歴史は古い。
洋の東西を問わず貴顕の子育ては乳母や傅役任せだった。近世以降、欧州圏では乳母の雇用が平民にも広がった。17世紀のパリでは『乳母が不足して困っている』と記録にあるほど需要があった。
近世欧州は貧困と飢饉と疫病と戦禍が絶えない地獄であり、戦災や疫病による未亡人(乳母の職を求める人)も多かった、という背景もあるだろう。
こうした歴史的文脈は現代にも続いており、収入に余裕があれば、子供をベビーシッターに預け、自身の仕事やキャリア、夫婦の生活や時間を優先することが『普通』だった。
なので、ヴィルミーナもレーヴレヒトも愛息の育児を乳母――王妹大公家家人の御付に任せることへ異論も不安もない。そもそも貴顕の2人は家人の手で育っている。
話を戻そう。
レーヴレヒトはヴィルミーナの髪を指で梳きながら、問う。
「今回の件。かなり無理したんじゃないか?」
「こういう無理を通せるようになるため、せっせとお金を稼いで、権力を維持してるのよ」
ヴィルミーナは髪を梳くレーヴレヒトの手を握った。
王太后マリア・ローザに残された時間が長くないことを見てとったヴィルミーナは、愛すべき祖母のために何が出来るか考え、白獅子内で議論を交わし、カレル3世へ提案を持ち掛け、聖冠連合帝国へ伯母クリティーナ一家のベルネシア訪問を懇請した。
白獅子とベルネシアが許容可能な一部技術の提供と、ソルニオル領再開発とヒルデン貿易の援助を代価に。
純粋な意味での、ヴィルミーナの我儘だった。
『日頃のビジネスプランよりずっと健全な我儘ですね』と側近衆達は笑って受け入れてくれたし、親兄弟との関係にずっと思い悩んでいたカレル3世も食いついた。帝国も乗った。クリスティーナ一家の訪問も成功した。
金とコネは相応に目減りし、方々に借りを作ったことでヴィルミーナ自身の権力もかなりすり減った。
しかし、その価値はあった。
ヴィルミーナは悪戯っぽく微笑んでレーヴレヒトの顔を見上げた。
「家族の話をするついでに聞くけれど、ウィレムに弟妹をあげる気はある?」
レーヴレヒトは一瞬、目を丸くした後、にやりと口端を緩めて切り返す。
「そうだな。1個中隊くらい作ろうか」
ヴィルミーナは大きく笑った。
〇
このベルネシア王家レンデルバッハ嫡流一家の集合した催事は、集合写真と大絵画で後世に伝えられている。
イストリア製の初期銀塩写影器で撮影され、現像したフォトグラフは王太后、王家、王妹大公家、王弟大公家、聖冠連合帝国ソルニオル公家に贈呈された。
うち王弟大公家とソルニオル公家のフォトグラフは激動の後世の中で失われたが、王家と王妹大公家の物が後世に伝えられている。
後に王太后が老衰で逝去する際、遺言として棺に早逝した次男の肖像画とこのフォトグラフを共に収めるよう求め、その願いは叶えられたという。
また、大絵画は後のベルネシア国立美術館に収蔵されており、その裏には、国王カレル3世の自筆で『この幸福の日をくれた姪に感謝を込めて』と記されている。
家族や親戚が顔を合わせる時節だし、まあ、こういう話もいいかなと。
今年も拙作をよろしくお願います。




