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この日、ヨナス少年は拳骨以外の『戦い』があることを知った。
年若いヨナス少年にとって、『戦い』とは大災禍のマキシュトク防衛線のような、生死を賭した暴力の行使だった。力の弱い方が負けるという明快な原則を持つ暴力の衝突より、ずっと困難な戦いがあることを学んだ。
オラフ・ドランは卓上に資料を並べ、真剣な面持ちで丹念に言葉を紡いで重ねていく。
自身が構築した北東部経済機構を。
その人脈、情報網、流通網、資金力を。
その構造における自分とオルコフ女男爵家の役割と重要性を。
また、先の第二軍救援作戦時に作った王国中央との伝手やコネを。
自分が如何に現地の人々の信頼と信用を得ているかを。
あらん限りの利得を必死に語って聞かせる。
ヴィルミーナは左手で頬杖を突きながらドランの説明を聞き、時折、右手でメモを取るだけで、質問も意見も口にしない。
「――以上となります。御清聴ありがとうございました」
ヴィルミーナの放つ静かな、しかし水銀みたいな重圧に晒されながら、ドランは北東部経済と自身の重要性をきっちりと売り込んだ。ヨナス少年が不安顔でヴィルミーナの反応を窺う。
話を聞き終え、ヴィルミーナは万年筆の先でメモ帳を二、三度ほど突く。
「見事な仕事ね」
「頑張りました。僕も皆も」
ドランは胸を張ってヴィルミーナの純粋な称賛を受け止めた。
ヴィルミーナは誇らしげなドランの様子に、若干表情を緩めつつ、内心で舌を巻く。
たったの2年ちょいで、見ず知らずの土地にこれだけの組織とシステムを作るとかなんやねん。まったく楽しそうな仕事しよってからに。
こういうずば抜けて優秀な奴は追い詰めすぎると牙を剥く。後々『ざまぁ』されちゃかなわへん。ゆうて、甘ければ周囲に示しがつかへんしなぁ。組織内に不和と不満の種を撒くのも御免被る。さてさて。
ヴィルミーナは唇を弄りながらドランを見つめた。
「いくつか質問させてもらおうか」
ドランは“営業”が第一段階を越え、第二段階に進めたことを確信した。隣のヨナス少年が、この緊張はまだ終わらないのか、と眉を大きく下げていた
営業の第二段階、質疑応答。
第一段階が橋頭堡確保の戦いなら、第二段階こそまさに主力同士がぶつかる攻防戦。ここで負ければ、終わりだ。
「僕にお応えできることならば、何なりと」
自信をもって答えるドランへ首肯を返し、ヴィルミーナは口火を切る。
「君の組織構造と機構はいわば、白獅子と同種だ。であるからこそ、同根の欠点を有する。そうだな?」
「――はい」ドランは是と認める。「僕を排除することで、組織は機能不全に陥り、北東部からカロルレン王国全体の経済が混乱します」
白獅子財閥はヴィルミーナを絶対君主とするライン重視組織で、伝統的マフィアのような家父長制ファシズム的ですらある。側近衆というスタッフ組織がある点が柔軟性をもたらしているものの、彼女達の権能がヴィルミーナの保証によって成立している点を見るに、やはりラインの比重が重い。
仮に今ヴィルミーナが斃れたなら、アレクサンダー大王の死後のように側近衆や各事業部代表達の熾烈な“内戦”が始まるだろう。
個人に依存する組織構造の宿命的脆弱性だ。
ヴィルミーナはドランの回答に首肯し、自身の見解を語る。
「これまで君が無事だったのは、君を排除することで生じるリスクの大きさを鑑みた事情と安定した北東部経済の必要性、君自身の有用性と必要性だ。しかし、戦争が終結した場合、事情は異なってくる」
停戦講和が実現する際、その条件にカロルレン市場の開放と自由貿易事項が必ず盛り込まれる。そうしなければ、ベルネシアやクレテアが利権を獲得できないし、ヒルデンを押さえる聖冠連合帝国に利がない。アルグシアとしても、カロルレンを食い散らかしたくて仕方ない。
こういう餓狼共の目に、安定した北東部経済はどう映るだろうか。北東部経済の利権をベルネシアが貪る様を諸国はどう見るか。ドランが掌握する北東部利権を食らう白獅子の姿を他のベルネシア企業がどう思うか。
賭けても良いが、必ずこう考える者が出てくる。
――ドランを消して混乱を作り、その隙に利権と富を強奪しよう。
まず外資にとってカロルレン王国の事情など知ったことではない。飢えようが渇こうがどうでもよい。むしろドランを消して生まれる混乱と加速する困窮を利用し、カロルレンの富も土地も何もかも奪い取っていくだろう。宗主国が植民地を搾取するように。
また、停戦講和後のカロルレン王国内では必ず諸侯の激しい権力闘争と利権争奪戦が生じる。その時、間違いなくドランは狙われる。なりふり構わない貴族の争いは民衆の窮状など考慮しない。ポスト・コロニアル国家における内戦や内部抗争のように。
まあ、そこまでせずとも、ノエミ・オルコフ女男爵は公式には独身なのだから、政略婚してドランを追い出すだけで良い。正当配偶者の権利で全てを掌握できる。
滔々と見解を語った後、ヴィルミーナはドランを問い質す。
「白獅子が君の築き上げた“資産”を利用するなら、現地組織構造の改造が不可欠だ。そして、現地組織を改めるなら、私には組織内の不満を招いてまで君を現地総支配人に就ける理由がない。その点に対して、君の考えを聞かせて貰おうか」
ドランはすぐには答えられなかった。カップを手にしていたが、いつの間にか空になっていた。御付き侍女メリーナが手早く新たなお茶を注ぐ。砂糖とミルクが多めなのは、彼女のなりの善意だろう。
御礼の言葉を返して熱く甘いお茶を飲み、ドランは体に熱量を巡らせ、糖分がもたらすエネルギーを脳細胞に回す。
そして、腹に力を入れて回答する。
「僕は彼らと共に荒廃した北東部を再建し、廃墟と化したマキラを復興させてきました。
大災禍と戦争で混乱し、機能不全に陥った素材資源産業を再編し、流通網と経済を組み直しました。
これらの活動で生じた資本を北東部全域に巡らせるべく組織を作りました。
全てを現地の人達と話し合い、手を携えて成し遂げてきました。
彼らとの間に確固たる信用と信頼、信義を築き上げました。
言い換えるならば、僕は北東部経済における最大の情報知悉者です。その情報は表裏を問いません。
また、立場の貴賤や上下を問わずに構築した人脈の信用と信頼、真偽は極めて有益です」
ドランは胸を張ってまっすぐにヴィルミーナを見つめた。
「現地で僕の代わりが勤まる者はおりません。また、現地で僕以上に上手くやれるベルネシア人はおりません。僕より貴女と白獅子、ベルネシアに利益をもたらせる者はおりません」
「大きく売り込んできたな」
ヴィルミーナは楽しげに目を細め、指摘する。
「君の自己評価は否定しないが、その回答では先立って指摘した懸念事項の問題を払拭できていないぞ」
「簡単です、ヴィルミーナ様。最大受益者となる貴女が僕とオルコフ女男爵閣下を御守りください」
あっけらかんと言い放つドランに、隣のヨナス少年が目を瞬かせていた。可愛い反応。
小さく頭を振り、ヴィルミーナもどこか呆れ気味に眉を下げた。
「君ね。どれほど図々しい要求をしているか、分かってる?」
ドランは大きく大きく深呼吸し、
「僕を排除することで白獅子が被る悪評を鑑みれば、決して図々しいものではありませんとも。現地の人々が信用し、信頼し、信義を寄せる僕を追い出し、その利権や権益を強奪した。そういう悪評がどれほど事業の足を引っ張るか、貴女は御理解しているはずです。それに、彼らが大災禍でどれほどの不義理を味わったか、王国中央の不誠実にどれほど憤っていたか、ヴィルミーナ様も御存じではありませんか」
さらに勢いを緩めることなく話を続ける。
「加えて申し上げれば、僕を排除して北東部に混乱を招けば、有象無象の進出と暴挙を許します。
貴女はそんな事態を許されるのですか? “貴女の”利権が方々の慮外者に荒らされることを。
彼らはモンスターを狩れるだけ狩り、天然素材を採れるだけ採るでしょう。将来的に収穫量が減少し、滅んでしまうとしても構わず、麦畑を食い荒らす蝗虫の如く。
そんな無様で愚かしい未来を、貴女は甘受なさると仰るのですか?
挙句、貴女御自身が斯様な愚行に及ぶと? 貴方と白獅子が築き上げてきた全ての名声を喪いますよ」
数カ月前、カロルレンの冬は困苦と貧苦の吹雪が吹き荒れた。安定しているとされる北東部だけでも、どれほどの家族が路頭に迷い、飢えと寒さに喘いだことだろう。いったい何人の子供達が命を落としたことだろう。自身の無力と無能をどれほど思い知らされたことか。
もしもヴィルミーナがカロルレンに、北東部に、マキラに牙を剥いたら……。
ドランは隣のヨナス少年を一瞥した。
否。そうはさせない。ノエミやこの子達を守ると誓ったのだ。自分自身に誓ったのだ。
心に喝を入れ、ドランはラストスパートを掛ける。
「僕を御信用いただけないなら、いくらでも監察や監視を送り込んでいただいて構いません。ですが、ヴィルミーナ様と白獅子、ベルネシアに最大利益をもたらし、現地の人々に反発と反感を生じさせない円満な事業をお求めならば、僕に現地総支配人を任せていただくことが最善です」
長広舌を終えて息を吐き、ドランは背筋をまっすぐ伸ばしてヴィルミーナを真正面から見据えた。隣のヨナス少年もドランに倣い、居住まいを正してヴィルミーナへ真剣で真摯な眼差しを向けた。
2人の“漢”から射抜くような眼差しを浴びたヴィルミーナは小さく鼻息をつき、御付き侍女メリーナを一瞥する。
メリーナが控えめに肩を竦めた。
鷹揚に体を背もたれへ、ヴィルミーナは威容を解く。ついで、大きく眉を下げた。
「まったく小癪な男だな、君は。太々しく図々しいが、その言葉はどうにも聞き捨て難い」
「お褒めいただき感謝の極み」ぬけぬけと言い放つドラン。
口端を緩め、ヴィルミーナは少しの沈思黙考の末、ドランに告げる。
「君の決意も君の語る利も良く分かった。そのうえで、より深く踏み込んだ話をしよう」
「? どういう意味でしょう?」
訝るドランに応えず、ヴィルミーナはヨナス少年へ視線を向けた。
「エルベリ君。ここからは少し込み入った話になる。部屋の外で待っていてくれ」
「――僕はドラン様の従者です。たとえ特使様の御命令であろうとも、ドラン様の御許可無しに御傍を離れることは出来ません」
ヨナス少年はヴィルミーナの要求を礼儀正しく拒絶した。
ヴィルミーナが満足げに微笑み、ドランに視線を移す。その紺碧色の瞳に宿る慈しみと哀れみを察し、ドランは了承した。
「ヨナス君。ヴィルミーナ様の御言葉に従って部屋の前で待っていてください」
「でも……」ヨナスはぺこりと一礼し、腰を上げる「わかりました」
ヨナス少年が退室すると、ヴィルミーナは大きく息を吐く。
その安堵と良心の呵責が混じった吐息に、ドランは悟る。これからとてつもなく残酷で恐ろしい話を聞かされるのだと。
「--停戦後のこと、ですね?」
「明察の通りだ」
ドランの指摘に、ヴィルミーナはどこか厭世的な面持ちで続けた。
「君はサンローラン協定についてどこまで把握している?」
「大まかな認識ですと、アルグシア連邦と聖冠連合帝国によるカロルレン王国の分割征服。ただし、現状の戦況を見るに、帝国の本当の狙いはアルグシア連邦に対する領土的縦深を確保するための予防侵攻。アルグシア連邦は東部地域の領土拡大が目的です。停戦の条件としては現在占領中の地域を割譲、賠償金請求でしょうか」
ドランの回答は『公開情報』から得られる正しい認識だった。
ヴィルミーナは首肯し、そのうえで、ドランの回答を否定する。
「君の認識は正しい。だが、サンローラン協定には予備案というものがある」
「予備案」
ドランの聡明な頭脳がこれまでの情報――東メーヴラント戦争の推移や公開されている国際情報、ヴィルミーナの言動や態度などから、推論を組み上げてしまう。推察してしまう。推理してしまう。
「停戦が成立しても、周辺国のカロルレン侵略は止まらないのですね?」
「そうだ」
ヴィルミーナは残酷な現実を突きつけ、そのまま説明を始めた。
「“連合軍”の最終目的はカロルレンを完全に滅ぼしたうえでのメーヴラント再編だ。停戦が成立してもカロルレンに対する“侵攻”は止まらない。むしろ、政経両面の表裏から謀略が駆使され、カロルレンを苛み、苦しめ、追い込む。ベルネシアの北東部利権確保もその一環だ。君なら何が起こるか分かるだろう」
ドランの優れた頭脳が次々と悲観的な予測を生み出していく。急激な貧富の格差の発生、地域単位の対立、権益や利権を巡る抗争、アルグス系と少数民族系の対立――
「君の想像に加え、“我々”はカロルレン征服を進めるべく、カロルレンの国内不和を恣意的に煽り、不安定化を謀る」
ヴィルミーナはどこか他人事のように淡々と語った。
「その末に貧苦と困窮に耐えかねた民衆による王侯貴顕の打倒が始まる。なぜなら、絶望的生活苦に追い詰められた民衆は、外患以上に事態を打開できない国家体制と指導層、その拡大対象として既得権益層を憎悪し、怨恨するからだ」
ドランはヴィルミーナの見ている未来を垣間見て、顔が一瞬で蒼白になった。
「まさか――革命が起きる、と?」
大陸共通暦18世紀後半現在、魔導技術文明世界は市民革命を経験していない。
しかし、歴史を振り返れば、旧王朝を打倒して新王朝を起こした例は世界中にある。南小大陸では現在進行形で入植者達が本国からの分離独立を求めて戦っているし、各国外洋領土や植民地では、現地人達が侵略者から祖国や故郷を取り戻そうと戦い続けている。
市民革命を知らなくとも、革命という事態の想像は易い。
もっとも……ドランには想像もつかない。市民主体の暴力革命は王侯貴顕や軍閥の国体簒奪より、はるかにおぞましく無惨極まることを。
愕然としているドランを余所に、ヴィルミーナは手付かずだった茶菓子に手を伸ばした。一切れのドライフルーツタルトに小さなフォークを刺し込む。
「カロルレン王国の情勢はまさに革命発生の諸条件を満たしつつある。カロルレンが経済を立て直し、民衆の不満と憤懣を解消できれば、事態を改善できるだろうが……奇跡は起こりえない。破滅の時は必ず訪れる。それもそう遠い未来の話でもなかろう」
額やこめかみから脂汗を流し始めたドランが、狼狽えながら問う。問わずにいられない。
「そこまで読んでおられるなら、なぜカロルレンに手を伸ばすのです? 投資が無駄になる可能性が高いではありませんか」
ヴィルミーナは小さなフォークでタルトを一口大に切り分けていく。名外科医が患者の腹を開くような手つきが、ドランの不安を一層強く刺激する。
「国体が崩壊するほどの混乱こそ、外患が跳梁跋扈する最良の好機だ。
たとえば、現王制が打倒される際、我が国の援助でカロルレン少数民族のベースティアラント人に北東部を実効支配させ、新体制政府に北東部ベースティアラント地域を少数民族独立自治区とするよう要求したりできる」
「――っ!?」
今度こそドランは体の芯から震え上がる。
「我が国の援助無しに存続不可能な独立自治区の建設。言い換えるなら、現地独立自治の恣意的統制と経済支配による間接統治だ。従来の植民地統治方法論とは違う植民地統治手法だ。ま、あくまで案の一つに過ぎないがね」
ヴィルミーナは腕の良い食肉解体業者が家畜を解体するように切り分けたフルーツタルトに、ぐさりとフォークを突き刺して口に運ぶ。優美さや高貴さすら感じられる所作は、人間味を一切感じられないほど冷たい。
一口分のタルトを嚥下した後、ヴィルミーナは言った。
「私としてはこのカロルレンでパッケージング・ビジネスの統括的実践を試みたい。民間軍事会社による地域確保から各事業部を投入した現地開発、次いで現地利権の確保と経済の掌握。そして……現地人の暴動やテロへの対処、現地政府の崩壊に伴う撤収まで。カロルレン北東部はよい教材になるだろう」
あまりにも淡白に語られた内容は、ドランを慄然と凍りつかせた。
これまでヴィルミーナが繰り返し語ってきた『パッケージング・ビジネス』を、ドランは局地的植民地化と理解していて、それは正しかった。本来、開発型パッケージング・ビジネスとはドランの理解通りの行為だからだ。
ところが、ヴィルミーナは植民地的な持続的経営を無視し、現地の破壊を前提とした侵略的収奪と搾取を示唆した。さながら蝗の群れの如く、組織としての経験とノウハウを得るためだけに、ドランの愛する人々と守りたい場所を凌辱し、蹂躙し尽くすと。
皮肉にも彼の聡明さはヴィルミーナの言葉が実現された時の『地獄』を精緻に想像させ、理解させてしまった。
その刹那、ドランの心理が生み出した感情はヴィルミーナへの嫌悪でも侮蔑でも憤慨でも憎悪でもなく、恐怖だった。途方もなく巨大な恐怖。口腔内も舌も喉もカラカラに干上がっていたが、カップに手を伸ばせられない。それっぱかしの力すら振るい出せない。
それでも、ドランはヴィルミーナを凝視しながら言葉を絞り出す。
「ヴィル……ミーナ様……貴女は本気で、本気でそんな……“おぞましい”ことをなさるというのですか」
ヴィルミーナは小さなフォークで切り分けたタルトを突き刺した。ぐさり、と。
「いずれ彼ら自身が破壊し尽くすものを私が少々利用したからと言って何が問題だ? それどころか現地の人々は一抹とはいえ、自由と独立の夢が見られる。充分に有情ではないかな?」
愕然としたドランは二の句を告げられない。眼前の美女が、根源的恐怖が顕現した存在のように思えてきた。
ドランは腰を上げてヴィルミーナの許へ歩み寄り、跪いて首を垂れる。さながら怪物に慈悲を乞う生贄のように。
「……ヴィルミーナ様。大災禍の際、ベルネシア義援団が彼の地を守るために血を流したことを思い出してください。
カロルレン北東部やマキラ大沼沢地は単なる資源地帯ではありません。ベルネシア人の信義が刻まれた土地なのです。彼の地を踏みにじることはカロルレン王国民のベルネシアに対する信義を損ねるだけでなく、義援団に参加した全ベルネシア人の失望を招きます。
それは白獅子とヴィルミーナ様の名誉に不可逆的な瑕疵を与えるでしょう。どうか、彼の地に対して御厚情を賜りたく」
ドランの魂から絞り出された言葉に対し、
「そうじゃない。そうじゃないだろう、ドラン君」
ヴィルミーナは失望を滲ませ、蹴り飛ばすように言った。
「君がすべきなのは私の慈悲に縋りつくことでも、私の情理に訴えることでもない。私の胸ぐらを掴み、ふざけるな、と面罵することだ。あるいは、私に何一つ奪わせない起死回生の代替案を出すことだ。違うか?」
ドランは深く俯き、大きく肩を落とし、悄然としたまま言葉を紡ぐ。
「ヴィルミーナ様の見立て通りに世が動いたなら、カロルレンで起きる革命は多大な流血を伴う暴力的な物でしょう。その時、僕の愛する人々を惨劇から救うためには、ヴィルミーナ様と白獅子の御力と慈悲が必要不可欠です。ゆえに、こうして慈悲を乞わさせて頂きました」
その通り。破滅を迎えた時、損得抜きで君の愛する人々を救い出せるのは“私だけ”や。どうやら完全に“理解”したようやな。
結構。これで“安心して使える”。
「ふむ。どうやら私は君の先見性を見損なっていたようね。謝罪するわ、ドラン君」
密やかに息を吐き、
「顔を挙げなさい」
ヴィルミーナは憔悴しきったドランへ、語りかけた。
「正式に停戦講和が結ばれ、ベルネシアが北東部権益を確保して現地へ乗り出すまでに、我々がつつがなく現地経済の主導権を確保できるよう地均しをしておきなさい。
それを成し得たなら、カロルレン総支配人に君を抜擢し、現地の経営は君に委ねる。私の示す大方針以外は好きなようにやってよろしい。
そのうえで将来、最悪の事態が生じた時、必ず君と君の愛する人々を救うため、能う限りの努力を払うと誓うわ」
ドランは深々と一礼し、
「非才の身ではありますが、魂魄を賭して必ず御意に尽くすと誓います」
そして、と顔を挙げた。深い青色の瞳がヴィルミーナを一直線に射抜く。
「万が一に貴女が誓いを違えたなら、僕は全身全霊を以て貴女の敵になることも、誓います」
無礼千万の極みたる言い草だったが、
「その言や大いに良し」
ヴィルミーナは“身内”にしか見せない柔らかな笑みを返す。
「私の許にいた頃、君がそこまで必死になる様はついぞ見たことがない。まったく……ノエミ・オルコフ女男爵殿はよほど素晴らしい女性のようだ」
「貴女の許を出奔するほどに」疲れ顔に得意げな微笑を湛えるドラン。
「抜かしよる」
ヴィルミーナはからからと笑い、満足げに頷いた。
「だが、それでこそ”私の”放浪息子だ」
一連のやり取りを最初から仕舞いまで見守っていた御付き侍女メリーナは、思う。
もっと素直で可愛げがあるよう、ヴィーナ様を御教育しておいたなら、歴史が変わったかもしれないなぁ。




