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大陸共通暦1771年:ベルネシア王国暦254年:晩春
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国―アルグシア連邦
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ベルネシア巡航飛空艦コーニギン・ベルサリアが晩春の蒼穹を進んでいく。
その図体の大きさときたら、護衛のグリルディⅣ型戦闘飛空艇が飛空短艇に誤認しそうなほどだ。
飛空艦コーニギン・ベルサリアは海竜を模した姿をしている。複層式の長大な気嚢は5区画からなり、区画を3つ損傷しても航行可能。四枚の大形マストと船尾舵翼によりその巨体とは裏腹に機動力も高い。船体は気嚢懸架式ではなく気嚢結合型で、浮揚機関は特製の大型機関を二基も搭載している。大小様々な火砲を搭載しており、直衛/偵察観測用に8騎の翼竜騎兵も備えていた。金満国家ベルネシアをして、製造用資材の量と建艦費用に維持費、諸々目を回しそうになる代物だ。
そんな贅沢極まる巨龍は戦争鯨を従え、傲慢なほど堂々とアルグシア国境を目指していた。
国境を前に護衛のグリルディⅣ型2艇とレブルディⅢ型が引き返す。代わりに、国境上空でアルグシア海軍飛空船が合流した。近年は改善したといっても、本質は仮想敵国同士。いやーな緊張感と緊迫感が漂う。
「……やれやれ」
ブリッジの一角でやりとりを見聞きしていたヴィルミーナは鼻息をつき、数日前のことを思い出す。
※ ※ ※
「ベルサリアを使う?」
「このまま遊ばせておくよりはよかろう、ということになってな」
国王カレル3世が訝る姪へ言った。
王国府産業戦略部が造船業界の再編を目論み、飛空艦の新造艦計画に『待った』をかけたことで、飛空艦ベルサリアの処遇がややこしくなっていた。
改装するのか解体して資材取りするのか、話がまとまらんのである。
大冥洋群島帯方面軍団は飛空艦の代替戦力が来ずにカンカン。海軍も大事な飛空艦を本国で遊ばせている状況にカンカン。造船業界も軍需業界も話をワチャワチャにされてカンカン。王国府の財務も商工筋も国家予算計画や産業計画がワヤになってカンカン。
結果、方々から突き上げを食らった産業戦略部の幹部達が年次人事で左遷される事態になり、これがまた混乱を深めている。
おかげでベルネシアの空の女王は暇を持て余していた。このままではよろしくない、ということになり、『せっかくだから』とヴィルミーナのアルグシア行きに用いられることとなった。
「私は砲艦外交なんて無粋だと思いますけれど」
ヴィルミーナは不満顔を隠さなかった。砲艦外交や棍棒外交の男根主義的な幼稚性とチンピラ的頭の悪さが趣味に合わない。
カレル3世は苦笑いをこぼし、言った。
「それは否定せんが、こちらの実力を分からせる上では単純明快だ。分かり易いということは大事だぞ」
「確かに」それもまた真理。
「海軍の練度維持航行に付き合う程度に思っておけ。飛空艦に乗る機会なんて早々ないぞ。俺ですら就航記念式典で一度乗っただけだ」
嬉しいだろ、と言いたげな伯父にヴィルミーナはモニョッとした顔で首肯した。
「まぁ……はい。そうですね」
※ ※ ※
アルグシア連邦の首都は、正確には連邦政府設置都市という。この辺りは長野県の県庁所在地を巡るひと悶着と似たような事情があった。アルグシアの場合は『俺のところが首都にならないのは我慢できるが、オメーのとこが首都になるのは気に入らない』という理屈だが。
その連邦政府設置都市――アルグシア連邦首都ボーヘンヴュッセルは北部地域南端の領邦カレンハイム侯国の首都でもある。はっきり言えば『ちょっと栄えた地方都市』程度の街だ。ここに連邦議会が設置された理由は『交通の便がそこそこよくて、方々の石頭共が渋々納得したから』。しょーもないと思った貴方。正しい。
そんな小都市にベルネシアの誇る飛空艦がやってきたのだから、そりゃあもう、街を挙げての大騒ぎだ。郊外飛空船離発着場は飛空艦ベルサリア受け入れのため、事実上の貸し切り状態。離発着場の周囲には見物客が押し寄せ、出店まで現れる始末。離発着場内の施設も見物にやってきた連邦貴顕とその家族で満席状態。黒船見物は貴賤を問わぬ、と言った具合。
そうして着陸した巨龍の足元に、連邦軍儀仗兵が整列した。各領邦から選抜された見目麗しき男女がそれぞれの出身領邦の礼装をまとい、剣と槍を掲げる。
数多の注視を浴びる飛空艦コーニギン・ベルサリアの乗降ハッチが開き、ベルネシア王国特使が姿を見せた。
ベルネシア特使は美麗な乙女だった。紺碧色の瞳に色調の濃い白肌。精緻な造作の細面で薄茶色の長髪を三つ編みに結い、一つにまとめている。すらりと均整の取れた肢体を軍礼装に似た黒いスリムドレスで包み、もさもさした純白のファーコートを肩に羽織っていた。
現代日本のアニメ好きが見たら、『新世界の闇を仕切る男』みたい。と思ったかもしれない。
黒い礼装を着た美青年と並び立つ様はあまりにも絵画的で、事実、翌日の現地新聞に掲載されたスケッチはこの時の光景だった。
ベルネシア特使ヴィルミーナ・デア・レンデルバッハ=クライフ・ディ・エスロナは乗降階段上からボーヘンヴュッセルの街並みを一望し、密やかに呟く。
「クレーユベーレはこの”田舎町”より発展させたいわ」
「空から見た時は奇麗な街とか言ってたのに」と隣に立つレーヴレヒトが微苦笑。
ヴィルミーナは小さく肩を竦め、レーヴレヒトのエスコートの下で階段を降りていく。送迎担当であるカレンハイム侯夫妻――代替わりしたばかりで30絡みの夫婦と礼儀正しく挨拶。豪華な馬車に乗せられて連邦議会ではなくカレンハイム侯国宮城へ送られた。
後続の馬車に乗る御供――アルグシア技術や学術の詳細を現地で聞きたいと言ってガンガン押してきたヘティと、アルグシアに血縁があるテレサ。それと、宰相ペターゼン侯夫人の要請で派遣が決定したマルク。
三人は車窓からボーヘンヴュッセルの街並みを眺め、
「……首都という割にはショボくない?」「ヴィルド・ロナの方が凄かったな」「聖冠連合の帝都と比べちゃ可哀そうよ」
失礼な評価を交わしていた。
「このつまらなそうな街はともかく、間違いないの?」
テレサが黒縁眼鏡の縁を弄りつつ、酷い言い草で話の向きを変えた。
「カロルレン側の密使が来てるって」
「王国府の外交筋と情報筋、白獅子の“商事”、いずれも同じ報告を寄こした。間違いないよ」
マルクは眼鏡の意思を修正しつつ、テレサに答えた。
「ドラン殿も来ている」
〇
ここで話を少しばかり遡らせていただこう。
連邦高等外務官シュタードラー子爵のスタンドプレーは方々の強烈な批判を買う一方で、ヴィルミーナと白獅子に厚意的な西部閥有力者や連邦穏健派からは大きな賛同を得ていた。
ヴィルミーナ・デア・レンデルバッハ=クライフ・ディ・エスロナの勇名、悪名、高名はアルグシアにもしっかりと広まっている。
ベルネシア王家の黒い羊。ベルネシア経済界の麗しき怪物。ベルネシア産業革命の推進者。傷痍軍人や戦死者遺族の救済者。巨大資産を持つ白獅子の女王。
何より、少なくともベルネシア中枢においては親アルグシア派(と思われている)。
そんな歩く大型台風みたいなヴィルミーナの訪問条件は、
『非公式で構わないから、訪問に合わせてカロルレンの外交特使を呼んで来い』
とんでもない難題を突き付けられた。
この難問の解決に、アルグシア連邦はまったく予期しない手法に出る。
カロルレン王国西部戦線の最前線にて、それは起きた。
「―――敵陣より人影っ!」
カロルレン王立軍の歩哨が叫び、前哨塹壕線の兵士達が慌てて銃を構える。
緊迫した空気の中、白旗を掲げる兵士と美しい軍服を着こんだ将校がこちらへ堂々と歩いてくる様に、
「待て、撃つなっ! ありゃ軍使だ。急いで小隊長を御呼びしてこいっ!」
下士官が兵士達に射撃を禁じ、部下に将校を呼んでくるように言った。
そして、カロルレン王立軍陣地にやってきたアルグシア軍少佐が、年若い即席少尉へ告げた。
「講和交渉を求める正式な外交文書を貴国政府にお渡ししたい。貴官の上級司令部に連絡してくれたまえ」
まさか外交連絡をするために最前線から渡りを付けようなんて、普通は考えない。外交窓口が無いとしても、聖王教会経由とかソープミュンデ経由とかいろいろあるじゃんね。
報告を聞いた聖冠連合帝国宰相サージェスドルフは周囲にこう語ったという。
「コレがカロルレン軍の士気を削る策謀だとしたら、まぁ恐ろしく馬鹿馬鹿しいが納得できる。もしもコレを”素で”やったなら、はっきり言って連中を敵国として扱うことが情けなくなってくる」
サージェスドルフのボヤキはともかく、最前線からとんでもない連絡が届いたカロルレン王国中央はビックリ仰天した。
そりゃそうだ。普通は最前線から外交連絡が届くなんてありえない。引きこもりボッチで外交下手のカロルレン王国だってそんな話、聞いたこともなかった。まさに青天の霹靂である。
しかも、もたらされた外交連絡の内容がこれまた酷かった。
意訳すれば――『この戦争を終わらせてーからよぉ、その話し合いのための準備にぃ人を出してくれや』。
念のために言っておくと、“戦争を吹っかけた方の”言い草である。これはひどい。
この驕慢に満ちた侮辱極まる文言の羅列に対し、国王ハインリヒ4世は面貌を悪鬼羅刹の如く歪め、怒りで髪を逆立たせたという。
それでも、戦争継続どころか国体維持に四苦八苦するほど追い詰められていたカロルレン側に、この要請を無視する贅沢は許されなかった。
激昂したハインリヒ4世や強硬派は回答代わりに大反攻を始めろと喚き散らしたが、最前線の小競り合いですら苦しい有様で反攻など不可能だった。心底悔しく業腹ながら、この密使の派遣要請に乗るしかなかった。
その晩、ハインリヒ4世を筆頭に王国中央の重鎮達が痛飲したのも、無理は無かろう。
そして、文書には『ベルネシア特使がオメーの国に居るベルネシア人に用があるってよ』とも記されていた。
先の第二軍救援作戦に関与した者達はすぐさまピンときた。
大災禍救援の混乱期にやってきた中背小太りの若いベルネシア人青年。ノエミ・オルコフ女男爵の公認愛人で、カロルレン王国北東部経済の実質的総支配人。
オラフ・ドランだ。
話を伝えられたドランは、ベルネシア特使がヴィルミーナと知り、死刑執行日を告げられた囚人のような気分を覚えた。聡明な彼はすぐさま理解する。
僕をお召しということは、戦争終結後にベルネシアもカロルレンの利権に食い込むわけだ。それで僕が構築した組織や流通網、伝手や人脈が欲しい、ということだな。問題は”それらをどう手に入れる気か”だ。
思い詰めた面持ちのドランに、ノエミは尋ねる。
「ベルネシア特使はかつての主だったそうだが、どういう人物なんだ?」
「しいて言えば、怖い善人です。あるいは、心ある悪人というべきか」
ドランは忘れていない。戦役直後、ヴィルミーナが友人を亡くしたばかりの側近衆に示した慈しみの愛情を。小街区を散策する時の優しさに満ちた面差しを。視察で各事業部や取引先を回る時、現場の者達に見せる敬意と労わりを。
ドランは忘れていない。ヴィルミーナはクレテア国債の仕手戦で経済の背骨をへし折ると同時に、先物取引で麦と綿を買い叩いて飢餓と凍死被害を推進していた。戦後はベルネシア資本の一翼としてクレテア国内市場や民間資本を食い荒らした。クレテアの悲惨な状況が知らされた時、ヴィルミーナは平然と言い放った。まだ搾り取る、と。
ヴィルミーナ相手の交渉で下手を打てば、カロルレンもクレテアの二の舞になるだろう。いや、現状を加味すればもっと酷いことになる。ノエミを始めとする愛すべき人々や敬うべき人々、素晴らしい人々が絶望という大津波に押し潰されてしまう。
出奔した経緯を思えば、知己による便宜は一切期待出来まい。純粋に交渉戦で勝ち取らねばならない。彼らの未来を。
責任の重圧に押し潰されそうなドランを、ノエミは抱きしめて言った。
「一人で抱え込むな。どれだけ力不足でもあたしが傍にいるぞ」
「ありがとう、ノエミ。心から愛しています」
「あたしもだよ。大好きだ、オラフ」
2人のあつぅいロマンスは省略するとして、ドランの密使随行員入りは確定した。
ドランが留守の間、北東部経済の差配を担うのはノエミ……では無理だったので、ラランツェリン子爵夫人やルータ・ハーガスコフ=カロルレン嬢などが協力して当たることに。
「……私も随行員になりたかったのに」とルータ嬢は大いに不満を訴えた。
ドランが鞄持ちとして連れて行ったのは、聡明なるヨナス少年だ。
ヨナス少年自身は「妹“達”の世話があるので」と辞退したが、「ヨラの世話ならあたしとナルーで大丈夫だよ」「ワン!」と妹ソフィアとナルーに背中を押され、そういうことになった。
で、だ。
カロルレン王国密使達はソープミュンデ自治領経由でアルグシア入りし、空路で一直線にボーヘンヴュッセルに到着。
そして――
〇
近代外交史を紐解いた時、誰もが認める天才外交官はタレイラン以外ありえない。
敗戦国のくせに戦勝国の要求を撥ね退けた挙句、自分の要求を飲ませるという驚異的ウルトラCを成し遂げた男だ(彼が披露したという二匹の大ヒラメの逸話は、様々な物語に引用されている)。
もちろん、地球史など知らないオラフ・ドランにとり、タレイランなど知る由もない。それに、彼が臨む相手は付け入る隙だらけの反ナポレオン連合軍ではない。相手は白獅子の女王ヴィルミーナだ。
カレンハイム侯国宮城の小サロンは、調度品も装飾品も“控えめ”だった。コルヴォラント製調度品や美術品で彩られた王妹大公家応接室の方が、よほど豪奢で華美だろう。
小サロンの出入り口や外はベルネシア軍人ではなく、民間軍事会社の護衛が守りを固めていた。黒きアイギスが誇る精鋭チームだ。全員が黒い礼装に口元を覆うフェイスマスクを着けている。
出入り口前で、ドランと鞄持ちのヨナス少年が身体検査を受ける。ヨナスを調べた護衛が童顔に走る向こう傷に「その年で“勲章”持ちか」と呟く。経験豊富な荒事師は傷跡が戦傷か否か分かる。
室内に通されたドランは礼儀正しく一礼した。ヨナスも丁寧に頭を垂れる。
「御無沙汰しております、ヴィルミーナ様」
「実に二年振りよ、ドラン君。とんだ放浪息子だわ」
ヴィルミーナは椅子から腰を挙げずに応じ、微苦笑をこぼしてヨナス少年を一瞥する。
「ドラン君。そちらの小さな紳士を紹介してもらえるかしら」
「はい、ヴィルミーナ様」とドランはヨナスに目で自己紹介を促す。
「御許しを得て名乗ります。ヨナス・エルベリと申します。御尊顔を拝謁賜り、恐悦至極」
ヨナス少年が教わった通りの礼儀作法で挨拶した。ヴィルミーナは優しげな眼差しを返して頷く。
「私はヴィルミーナ・デア・レンデルバッハ=クライフ・ディ・エスロナ。王妹大公ユーフェリアが嫡女にして白獅子財閥総帥であり、ベルネシア特使。よろしくね、エルベリ君」
ヴィルミーナは手振りで2人へ着席を促す。
「本来なら旧交を温めるべく、私の夫や他の者も同席させたかったのだけれど、君としても、まずは懸念事項を片付けたかろうと思ってね」
「御配慮、ありがたく」
ドランは素直に礼を言った。たしかに交渉を控えた状態では再会を喜ぶことも出来ない。
ヴィルミーナは控えていた御付き侍女メリーナに首肯を送る。
メリーナが手早くお茶の用意を始めた。三人分のお茶と茶請けのビスケットを並べた。ヨナス少年の手元は2人より茶菓子が多い。困惑したヨナスにメリーナが悪戯っぽくウィンクを送る。ヴィルミーナも柔らかく微笑み、遠慮はいらない。と告げた。
「さてと、本題に入る前に一つ確認しておこう」
ヴィルミーナは言った。これまでと打って変わり、魂まで凍てつかせそうな声音。
「君はどうしたい?」
これまで生きていた中で最も難しい口頭試問だ、とドランは思う。
馬鹿正直にカロルレンでノエミと添い遂げたいと言えば、ヴィルミーナのこと。もはや身内とは見なすまい。
かといって、口先だけで復帰を申し出れば、その瞬間にヴィルミーナは心根を見抜き、復帰の条件に何もかも差し出すよう告げるだろう。さらにはマキラ周辺を食い荒らす尖兵にされかねない。
ドランは即答できない。時間を稼ぐ意味でも、緊張からの渇きを癒す意味でも、カップを口に運ぶ。既に脇の下や背中が冷や汗で濡れていた。
隣のヨナス少年もハラハラしている。たった一人で巨鬼猿に挑んだ勇敢な少年も勝手の違う緊張感と緊迫感、ヴィルミーナの冷厳な威容に気おされていた。
ドランはノエミとの愛を遂げ、マキラの人々を守り、なおかつヴィルミーナを敵に回さぬ回答を必死に模索する。カップを手にしながら、たっぷり3分近く考えた後、そろそろと息を吐いた。
「可能であれば、ヴィルミーナ様」ドランはまっすぐヴィルミーナを見つめ「白獅子に復帰し、エリン様のように現地総支配人の立場を頂きたくあります」
出奔しておいて酷くムシのいい回答に聞こえるが、ヴィルミーナは違う受け止め方をした。
「ほう? 復帰するだけでなく現地の最高責任者になりたいと。それはまた大きく張ったものだ。面白いな。君はその要請が通ると思う根拠と“ウリ”があるわけだ」
背もたれに体を預け、ヴィルミーナは肘置きを使って控えめな頬杖を突く。少々沈思黙考に時間を費やした後、
「ドラン君。君は私の人材登用の“基準”を知っているな。私が重んじるのは才能の有無でも能力の優劣でもない。そんなものは教育と経験、それと配属先の調整でいくらでも対処できるからだ。では、私が何を基準に人材を登用するか」
答えろ、というようにドランを睥睨した。
「信用と信頼です、ヴィルミーナ様」
ドランは“逃げずに”答えた。
その姿勢にヴィルミーナは口端を微かに緩め、
「人間だろうと道具だろうと、信用できないものでは安心して使えない。どれだけ優秀だろうと信頼できないものは無能にも劣る。何一つ信じて任せられない」
氷よりもはるかに冷たい紺碧色の瞳をドランへ向ける。
「翻って、君は私の信用を裏切った。私の信頼を損ねた。私の信任に背いた。君は私の“身内”だったにも関わらず、だ。本来ならば決して許さないし、許されない。私の姉妹達や組織の教訓となるよう、厳粛な罰を与えてしかるべきだな」
ヴィルミーナの冷徹で冷淡な威容に、ヨナス少年が本気で怖がり始めた。巨鬼猿や大飛竜を前にしても逃げず、大災禍の地獄でも勇気を失わなかった少年が、ヴィルミーナという怪物を恐れ、怯えていた。
とはいえ、と怪物は目を細めて口端を吊り上げ、
「聡明な君のことだ。私が怒りを堪えて復帰を許し、現地最高責任者の要職を与えるに足る“理由”があるのだろう? 私が了承する根拠があるのだろう? 私を承諾させる”ウリ”があるのだろう? 良いぞ。拝聴しようじゃないか」
薄く微笑む。まるで冥界の女王のように。
「私を納得させてみろ、オラフ・ドラン。出来なければ、君の愛する人々も君の守りたい場所も何もかも一切合財食らい尽くすぞ」
「分かりました」
オラフ・ドランは人生最難関の“営業”に挑むことになった




