15:10b
文字数多め。御容赦ください。
大陸共通暦1770年:中秋
大陸西方メーヴラント:カロルレン王国南部。
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国境を越えたカール大公は拍子抜けしていた。
第二軍後背が手薄なことは知っていたが、それでも二線級部隊や現地領主の手勢、民兵による死に物狂いの抵抗に遭遇すると思っていた。
ベルネシア戦役でクレテア軍が味わったように、西部戦線でアルグシア軍が味わったように。カール大公は自分も同じ艱難辛苦に見舞われる覚悟を抱いていた。
ところが、国境を越えた聖冠連合帝国軍を歓迎したのは、士気が最低値の領兵団、こちらの姿を見ただけで逃げ出す民兵、正規軍は姿すら見せない。
拍子抜けしつつも、カール大公は任務を果たす。二線級部隊や民兵の貧弱な抵抗を鎧袖一触し、拠点制圧は後続部隊に任せ、カール大公の快速部隊は王国南東部へ向けて急進していく。
さて、カロルレン王国は時間を欲していた。
第一軍集団の抽出部隊を現地に送り込み、カール大公の軍勢から王国南東部を死守する時間を。
そのために、カロルレン王国中央と軍総司令部は”必要なこと”をした。
第一段階として、評判も名誉も失墜した近衛騎士団を督戦隊として現地へ送り込み、民兵や領兵団、また後送されていた負傷兵、他にも14歳以上の少年少女や60歳未満の中高年者を強制的に徴集。“肉盾”部隊を編成した。
彼らは文字通り時間稼ぎのための捨て駒だった。カール大公の進撃を一分一秒でも滞らせるため、弾薬一発包帯一枚でも消耗させるため、カロルレン王国は南部諸侯の領兵団や民兵を使い潰した。
むろん、この所業に抵抗した諸侯も居た。が、そうした者達は王命を盾に近衛騎士団に逮捕された。今や近衛騎士団は秘密警察と同義の存在に化けている。
カロルレン王国は諸侯や民衆の反発より国家存亡を重視した。それは間違いではない。彼らカロルレン諸侯が貴顕足りえるのは王国が存続してこそであるし、民もまた王国無くして平穏が無いのだから。
だが、この所業は後々高くつく。そのことをカロルレン王国はまだ知らない。
ある“肉盾”部隊と遭遇したカール大公は、その陣容を目にして嘆いた、と記録にある。
なぜなら、お粗末な野戦陣地に展開した“肉盾”部隊は、将兵の大半が少年少女だけだった。軍服ではなく平服姿の少年少女達の武器は、現行の後送式小銃が不足しているのか前装式小銃や冒険者向けの弩弓、刀剣類だった。火砲の類は無く、なけなしの大型兵器は攻城弩が二基あるだけ。
この少年少女達は近衛騎士に命じられた通りに全滅するまで戦った。カール大公麾下部隊の悲痛な降伏の呼びかけに応えることなく。最後の1人まで。
カール大公は愛妻エルフリーデへ次のような手紙を送っている。
『戦争の倫理について深く考えさせられた』
カール大公が浅ましくも壮絶な抵抗に歩みを妨げられている間に、カロルレン王国はカール大公の進撃に必要なインフラ――重要な道路、橋、切通やトンネルなどを破壊して潰した。
この民の犠牲と国土破壊によって稼いだ時間により、第一軍集団の抽出部隊が間に合った。
両軍は斥候隊による牽制を繰り返しつつ、互いに動向を探り合う。その数日後、王国南東部へ通じる要衝ペレノビリ市郊外にて、カール大公の軍勢とカロルレン第一軍集団抽出部隊の決戦が行われた。
結論から言えば、戦いはカール大公の完勝だった。
切り札であるはずの有翼重装騎兵を見せ駒として使い、抽出部隊を警戒させている間に銃兵戦列と平射砲列を鶴翼配置。銃弾と砲弾の十字砲火で抽出部隊を鮮やかに壊乱させる。そこへ、有翼重装騎兵と軽騎兵の突撃を加え、完全撃破。カール大公の軍事的才能が見事に発揮された。
しかし、戦略的にはカロルレン軍に軍配が上がった。
カール大公が抽出部隊を壊滅させた頃、侯都の第二軍が攻勢に出て街道支線を二日間に渡って寸断することに成功したのだ。
結果、カール大公の軍勢は肉盾部隊と抽出部隊との戦闘で消耗した武器弾薬を補給できず、動けなくなった。如何に精強な軍勢といえども物資が無ければ戦えない。カール大公は歯噛みしつつ、友軍と合流するべく後退した。
この好機を逃すことなく、カロルレンは南東部の防備を固めた。それこそなりふり構わず。
こうなると、今度は聖冠連合側が頭を悩ませる番だった。
カール大公が如何に有能な軍人でも、まとまった戦力と確固たる兵站線が必要だった。そのためには侯都の第二軍を完全に撃破し、後背を確保にしなければならず、かといって侯都の早期攻略を強行すれば、侵攻軍の犠牲は目を覆うばかりになるだろう。最終的勝利が確実な戦争でわざわざ犠牲を増やす必要があるのか。その犠牲の要求は正しいのか。
一気呵成にカロルレンを征服する協定主案を固持するためには、もはや“切り札”を切らざるを得ない。
ただし、現段階で“切り札”を使用すれば、今後も継続する東征の敵国達やディビアラントを巡る強敵メンテシェ・ティルク帝国に存在が露見してしまう。
聖冠連合としては“切り札”を最初に使う相手はカロルレンではなく、東征の敵やティルクにしたい。なんといっても、カロルレン征服はあくまで後背の安全保障確立のために過ぎないのだから。
宰相サージェスドルフを中心とする帝国政府中枢は喧々諤々の議論を重ね、皇帝ゲオルグ2世の御前会議を経て、その決定を侵攻軍総司令官ミュンツァー大将に通達し、同時にアルグシア連邦、大クレテア王国、ベルネシア王国へ使者を送った。
聖冠連合帝国はカロルレン征服計画の予備案移行を許容する、と。
〇
奇しくも、その使者がベルネシア王国に到着したのは、ヴィルミーナの結婚式前日であり、報せを聞いたヴィルミーナは激怒した。邪知暴虐の王に対するメロスの憤怒にも勝るとも劣らない。一昔前のアレな言い方をすれば、『激おこぷんぷん丸』だ。
「ひとが結婚式を明日に控えた状況で、なんて報せを寄こしやがるのよ……っ! あの太っちょめ、ソルニオルの件の意趣返しのつもりかっ!!」
そうした感想が出る程度には、ヴィルミーナもソルニオル事変で“やらかし”た自覚がある。
ひとしきりぷりぷりと怒った後、不意にヴィルミーナは口端を釣り上げ、犬歯を剥いた。
甘露を見つけたケモノのように。
かくてヴィルミーナは側近衆を緊急招集し、会議の場で告げる。
「大仕事になるわ。私自ら指揮棒を振るうわよ」
東メーヴラント戦争、カロルレン王国を巡るビジネスのターニングポイントが到来したことで、ヴィルミーナは自ら陣頭指揮を執ることを決断した。たとえ結婚式を明日に控えていようと関係ない。ここでの準備や用意に失敗や失策、不足があれば、利権や利益を余所の連中に掻っ攫われてしまうし、その結果、どんな損失が生じるか分からない。
何よりも、こんな大商いは自ら楽しみたい。
そう思っていたのだが―――
「私達に任せてヴィーナ様はすっこんでてくださいっ!」
“侍従長”アレックスが羅刹の如き形相で怒鳴った。
ヴィルミーナの結婚式のため、アレックス達側近衆は万難を排すべく寝食を忘れて準備に奔走し、ヴィルミーナが結婚式の準備に集中できるよう心を砕いてきた。
ところが、いざ結婚式前日になったら、ヴィルミーナが結婚式の支度を放りだして陣頭指揮を始めるという。これを世人が知ればどう思うだろう。側近衆達は物笑いの種となり、世の嘲笑を買うに違いない。とんだ赤っ恥だ。
そりゃアレックスだって辛辣な物言いにもなろう。
最も信用し、最も信頼し、最も重用する身内の中の身内アレックスからキッツい言葉を浴びせられたヴィルミーナは、目と口を真ん丸にしながら思わず仰け反った。眉目を吊り上げるアレックスから顔を背け、ぶちぶちと不満をこぼす。
「だって、組織挙げての大商いの機会だし、政治絡みだし、私の出番……」
アレックスはスンッと冷たい真顔を湛えた。
「それとも、先立って挙式まで全てを私達に委ねるという御言葉は偽りだったのですか? 私達は然様に力が不足していますか? ヴィーナ様に頼っていただくことが出来ませんか?」
「ぅ」
ここまで言われてはヴィルミーナも退かざるを得ない。それでも、タダでは退かない。
「わ、分かったわ。でも、経過は逐次教えて。これは譲らないわよ」
「成果報告をお待ちください」
が、すっかりたくましく成長したアレックスはぴしゃりと言い放つ。
「むむむむ……っ!」
こうしてヴィルミーナはヤキモキしたまま結婚式を迎える。
〇
王都旧市街西区にある聖オラニエ教会の建立は大聖堂より古い。独立戦争以前から存在している証拠に、尖塔や鐘楼に魔導術で焼かれた跡が残っていた。
その由緒正しき聖オラニエ教会へ通じる並木道は美しい紅葉に染まり、石畳みの路面が色鮮やかな黄色の落ち葉で飾られていた。
まさに黄金の秋。
ただし、吉日の空模様は生憎の雨だった。
雨天にもかかわらず、聖オラニエ教会には多くの人々が集まっていた。貴顕も平民も純粋に祝意と敬意を示すために。あるいは、内心の反感や嫌悪を抑えて。もしくはこの機会にさらなる縁を手に入れようと。
「忌々しい。ヴィーナの結婚式の日が雨なんて」
豪奢なドレスを着た母ユーフェリアは、新婦側家族控室の窓から鉛色の空を見上げ、ぷりぷりと憤慨していた。
「まあまあ。流石に天気は意のままに出来ませんよ、御義姉様」
王弟大公夫人ルシアが微苦笑と共にユーフェリアを宥める。
「天気はともかく……結婚式当日だってのに、ヴィーナのトコは忙しないな」
王弟大公フランツはどこか呆れ顔で窓の外、教会の一角を頻繁に行き交う白獅子の社員を一瞥した。
白獅子社員達は教会の裏手に停められた白獅子の馬車――強力な魔導通信器を積載した応急通信車両と側近衆達が詰める控室を何度も何度も駆け足で往来している。カロルレン征服計画の予備案変更は昨日。対応が間に合っていなかった。そのため、“侍従長”アレックスは苦肉の策として野戦指揮所さながらの態勢を整え、ギリギリまで仕事をしている。
とはいえ、アレックスとて花嫁介添人という重役を担う立場であり、このため仕事にばかり集中していられない。これは他の面々とて同じだ。
本日の主役たる花嫁ヴィルミーナに付き添う者も必要だからだ。もっとも、この役割はデルフィネとメルフィナ、“信奉者”ニーナが専属となっていたが。
その花嫁控室で式の開始に備えるヴィルミーナは、ただただ美しい。
大金を投じて女妖蜘蛛の幼糸で作られた純白の花嫁衣装は、瀟洒にして絢爛。この日に備えて磨きに磨いた肢体を美しく飾っている。ヴィルミーナの整った顔に施される化粧も寸分の隙も無い。さながら巨匠が手掛けた芸術作品、あるいは顕現した天女の如し。目にした者は息をすることを忘れるほどに麗しかった。
恍惚としたメルフィナが『このまま押し倒したい』と怖いことを呟く。
法悦としたデルフィネが『このまま連れ帰りたい』と怪しいことを呟く。
涙ぐんだニーナが『ヴィーナ様、素敵すぎますぅ』とヴィルミーナを拝んでいる。
この日のためにあらゆる準備に奔走し、万難を排すべく手を尽くしてきたメルフィナ達は、文化祭当日を迎えた実行委員みたいな顔つきで達成感を噛み締めている。
しかしながら、式の始まりまでのんべんだらりと駄弁っても居られない。
新婦ヴィルミーナは王妹大公令嬢にして白獅子総帥。放っておいてもひっきりなしに挨拶客がやってくるため、式前の挨拶は身内のみとされていた。それでもその数は決して少なくない。
王妹大公家の家人達。“卒業”した側近衆。アリシアやコレットなどの友人達。白獅子の各事業代表や重役、王家親族衆、それに、国王一家。聖冠連合帝国からはソルニオル公カスパーと大公夫人エルフリーデが皇族を連れてやってきた。もちろん、新郎側の家族――ゼーロウ男爵家とクライフ伯爵家の人々。ただしく身内だけだ。
例外として、王都小街区とクレーユベーレから招待した子供達と面会した。ヴィルミーナは精一杯おめかしした子供達一人一人と握手し、頭や頬を撫でて参列の礼を言った。
一通りの挨拶を終え、ヴィルミーナはどこかくたびれ顔を浮かべる。
「式を始める前にくったくたなんだけど……」
「ヴィーナ様の御立場を考えれば、これでも少ないくらいですよ」
ニーナが飲み物を用意しながら言った。万が一にも花嫁衣裳を汚さぬようメルフィナがヴィルミーナの首元に前掛けを付けた。
「あまりたくさん飲まないでくださいね。トイレに行くとなったら大ごとですから」
飲み物も自由に飲めない状況に、ヴィルミーナは嘆息をこぼす。気を取り直してニーナへ問う。
「アレックス達の方は?」
「つつがなく、とは言えませんが、要所要所は着実に」
ニーナは正直に答え、ただ、と続ける。
「ドラン殿の扱いで意見が割れています」
「我らが放浪息子か」
実のところ、ドランは既に退職処分にしてある(13:1b参照)。白獅子の女王たるヴィルミーナに背き、現地貴族女性との愛を優先した彼は、ある種の裏切者で背信者。仮に白獅子へ復帰しても完全な信頼と信用を取り戻すことはないだろう。
ヴィルミーナとしても、ドランの出奔には思うところがある。彼女の最も冷酷で凶悪な部分は、ドランを見せしめとして徹底的に潰してはどうかと囁いてもいる。一方で、怜悧的で冷静な部分がドランの”貢献”と”成果”に免じるべしとも告げていた。
大規模仕手戦の時、進んで憎まれ役となって自分を含めた皆の緊張や不安を和らげたこと。クレーユベーレを見出したこと。大飛竜の件を期待通りに収めたこと。等々。
それに、出奔後、現地で人脈や情報網などを構築している”利用価値”も無視できない。むろん、出奔したことで信用や信頼という点に瑕疵が付いた事実も無視しないが。
「彼は公的にはもはや身内ではない。近しいだけだ。相応の扱いをする。ただ、彼が現地で構築した人脈や情報網、流通網などを提供するならば、優遇しても良い」
「場合によっては白獅子に復帰させる、ということですか?」
“信奉者”ニーナの声色は冷たい。ニーナはドランに厳しい目を向けている人間の一人だ。もっとも、ニーナがドランに厳しいのは、女に転んだドランの在り方に自分の黒歴史を見ているからでもある。
「甘いと思う?」
ヴィルミーナはどこか楽しげにニーナへ問う。と、ニーナは苦虫を大量に嚙み潰したように仰々しく顔をしかめる。
「……かつてヴィーナ様の御寛恕を得た私がドラン殿の処遇に意見するのは、公平性に欠きます。御容赦ください」
「そこで私情を抑えられる貴女が誇らしい。あの日から貴女は全てにおいて私の期待以上に応えてくれる。ありがとうニーナ」
ヴィルミーナが慈愛に満ちた微笑みを湛えると、ニーナが歓喜のあまり感涙して身震いしていた。
誑しだなあ。とメルフィナはニーナを羨ましそうに一瞥しつつ、ヴィルミーナに問う。
「ヴィーナ様が身内に甘いのは今更ですけれど、ドラン殿は外様でしょう? そこまで御厚情を与える理由があるのですか?」
「第一に私は彼が私と組織にもたらした貢献と成果を評価している。第二に、彼には寛恕を与える価値がある」
ヴィルミーナは前髪の毛先を弄りながら、
「カロルレン北東部ベースティアラント地域は、大陸西方でも指折りのモンスター素材や天然素材、言い換えるならば魔導素材の資源地帯だ」
打って変わって冷たい顔つきで語り始める。
「我々は市場を確保している。
我が国、イストリア、クレテアの国内と外洋領土市場。東方貿易。アルグシアにも出先商館があり、ソルニオル領経済特区を拠点に地中海圏も手が届く。
これらの市場に流通させるべき商材は、我々の高性能工作機器や高精度産業資材、将来的には動力機関だ。これらを製造し、量産するために原料の安定確保が欠かせない。
鉱物資源や繊維素材などは確保した。後は魔導素材だ。カロルレンの大魔導素材資源地帯を確保し、安定供給が可能になれば、事実上、白獅子の機器や資材の精度や品質は世界屈指のものになる。
未だ共通規格や協働商業経済圏の問題は解決を見ていないけれど、もはや些末な問題と言っていい。
我々が製造し、販売する機器と資材が流通してしまえば、各国政府が如何に締め出そうとしても無駄だ。
なぜなら、工作機器と産業用資材を低品質なもので代用すれば、痛い目を見ることになる。代替の誤魔化しなど利かない。一旦流通したが最後、我々の物が自然と世界標準規格になり、世界の産業を制するのさ」
長広舌を終えたヴィルミーナは口端を大きく歪める。魔女のような、怪物のような笑み。
「私がドラン君に甘くもなるのも分かるでしょう?」
慄然とするメルフィナ達を余所に、ヴィルミーナはくすりと悪戯っぽく喉を鳴らす。
「まあ、ドラン君以前に戦争を終えて貰うことが必要なのだけれどね」
メルフィナ達が背筋を震わせていると、ドアがノックされ、キーラが姿を見せる。
「ヴィーナ様。そろそろお時間です、御支度を。デルフィネ様。演奏隊の御用意をお願いします」
「え、ええ。わかりました。ヴィーナ様。御先に」
我に返ったデルフィネが一礼し、部屋を出ていく。
ヴィルミーナは立ち上がって前掛けを外し、大きく伸びをした。次いで、先程とはまるで違う無邪気な笑みを湛えた。
「それじゃあ、結婚しますか」
〇
演奏隊が奏でる優雅で厳かな音曲。デルフィネの優麗なコーラス。
礼拝堂の正門が開かれ、純白の花嫁衣裳をまとうヴィルミーナが姿を見せると、参列者の誰もが讃嘆を漏らすか、思わず息を呑む。ヴィルミーナを嫌う者達ですら肯定せざるを得ない美貌。全ての参列者がヴィルミーナという女性の持つ美麗さを再認識した。
祭壇の前で待つ執行司祭のゴセック大主教はうんうんと頷き、軍礼装姿の新郎レーヴレヒトもヴィルミーナに見惚れていた。
母ユーフェリアや祖母マリア・ローザは既に感涙している。家人達も感無量と言った面持ち。
ヴィルミーナは悠然とバージンロードを進む(すでに処女ではないけれども)。
前世、ついに歩むことのなかった道を進みながら、ヴィルミーナは思う。思わずにいられない。
この姿を、この光景を、前世の家族にも見せてあげたかったなぁ。
同時に、ヴィルミーナは一歩一歩踏みしめるように歩きながら、考える。考える。考える。
明日から始まる夫婦生活は完全な未知だ。いずれ生まれてくるだろう我が子と共に歩む母親生活など想像すらできない。
不安はある。仕事や事業、政治との付き合い方に戦争。これらは前世で体験したが、夫婦生活も母親生活も一切経験が無いから。
王妹大公令嬢として生き始めた今生において、前世と全く違う人生を歩み始める。本当の意味で全く別の人生を“ようやく”始めるのだ。
これから多くの困難が起こるだろう。
東メーヴラント戦争はおそらくこの世界初の市民革命の基盤となるに違いない。南小大陸の独立戦争如何によっては、この魔導技術文明世界に“アメリカ”が生まれるかもしれない。独立戦争の成否はベルネシアの外洋領土にも無視できない影響をもたらすだろう。大陸東南方で競合する東方勢力――この世界における“日本”相当の国とやり合う可能性もある。進行する産業革命は産業だけでなく経済も社会も市民の生活も、価値観も変えていくはずだ。
それがどうした。
邪魔するものは蹴り飛ばし、踏み潰し、乗り越えよう。妨げるものは粉砕し、破壊し、突破すればいい。敵は蹴散らし、敵の全てを強奪し、蹂躙し、制圧してやろう。
私が幸せになるためなら、私の愛すべき人々が幸せになるためなら、有象無象が地獄に落ちようが知ったことか。いや、私達の幸せを邪魔するなら、私が地獄へ蹴落としてやる。
魔女になってやろう。どんな災難や災厄が襲ってきても私の愛すべき人々を幸せにするくらい強大な魔女に。怪物になってやろう。この世界の理不尽と不条理が束になって襲ってきても愛すべき人々を守れるくらい凶悪な怪物に。
白獅子を世界に冠たる巨獣にしてやろう。私が私の望むままに振舞えるくらいに。
資本主義の巨釜があらゆるものを食らう世界、その光と闇の中を驀進してきたヴィルミーナにとって、人間社会が不公平で不公正で不正義であることは、“当然”のことだった。強者が弱者を踏みつけ、その涙を嘲笑い、血肉を貪り、骨をしゃぶって肥え太ることは、“自然”なことだった。
ヴィルミーナは祭壇に到達し、レーヴレヒトの隣に並び立つ。
純白のヴェールを挙げた時、ヴィルミーナの技巧著しい表情筋が端麗な顔に描いたのは、花嫁らしい歓喜のはにかみ。
ではなく―――強烈な強欲と猛烈な野心と峻烈な上昇志向を抱く不敵な微笑だった。
そんな獰猛な笑顔を向けられたレーヴレヒトは、これまで幾度も湛えてきた苦笑いを浮かべる。麗しき怪物を心から愛する首狩り人は、誓いの口づけを交わす。
死が二人を分かつまで。口づけと共に誓われり。
〇
ヴィルミーナ・デア・レンデルバッハ・ディ・エスロナの結婚式は王侯諸賢や経済界では大いに話題となったが、市井ではさほど人々の関心を得なかった。
むしろ、結婚式後に王都小街区とクレーユベーレ市で催された“白獅子”財閥の祝賀振る舞いこそ、人々の記憶に長く残り、語り草となった。
大量の酒と菓子が振舞われ、便乗した露店や屋台が所狭しと並び、果てはヴィルミーナの結婚とは全く関係ないバカ騒ぎ――腕相撲大会やら美男子コンテストやらなんやらまで催された。まさしく前述の二つの街は『お祭り騒ぎ』となった。
なお、どういうわけか美男子コンテストは恒例イベントとなり、街の女性陣が『うっとこの亭主』や『うちの倅』を自慢する場となった。意味が分からないよ。
さて、結婚式と祝賀振る舞いという怒涛の日程を終えた二人に、母ユーフェリアがニコニコと微笑みながら告げた。
「次は孫ね。来年。遅くても再来年には抱きたいわ。頑張ってね」
母の要求に対し、ヴィルミーナは前世日本人的アルカイックスマイルを浮かべることしかできなかった。
まあ、ともあれ……
王妹大公令嬢ヴィルミーナは結婚しました。
15章はこれにて終わり。
間が空いてしまい、申し訳ない。




