3:0:別れの年は変化の年
大陸共通暦1761年:ベルネシア王国暦244年:冬。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国北部:王都オーステルガム。
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日本的に言えば、年度末間近。
王立学園初等部の卒業式が近づき、卒業を控えた初等部四回生達はそわそわしている。
というのも、卒業式後に卒業祝いの夜会が催されるのだが、この夜会は事実上のデビュタントであり、この夜会以降、少年少女達は自分の意思で茶会や夜会に赴くことが許される。婚姻話も本格化する。つまり、大人として扱われる。多くの自由が許される一方、多くの責任を担うことになる。
この日、ヴィルミーナはオーステルガムの貿易港湾部に居た。
王都オーステルガムはベルネシア最大の貿易港で、それは北洋圏有数の貿易港であることも意味する。
大小様々な商船が並ぶ港湾部には、数多くの外国人がいた。
大陸北方系に大陸西方系、大陸南方系、外洋領土から来た者もいる。そして、彼らとベルネシア人との間にできた混血児も少なからずいた。
この時代のベルネシアに人種的民族的偏見、宗教的差別が無いわけではない。
それでも、ベルネシアは奴隷制と奴隷貿易を厳格に禁じていた。
人道的見地からではない。奴隷制を認めてしまうと、その圧倒的に安価な労働力により、自国の一般労働者が失業してしまうからだ。奴隷貿易に関しては、イストリア連合王国との同盟時に結ばれた協定の関係でしかない。
道義心なき理由から人道的成果を出すブラックジョークの一例。
出資した東方貿易船の船長から報告と分配品のリストを受け取り、倉庫で現物の確認を済ませた後、ヴィルミーナは侍女と護衛を伴って港の料理店に向かった。もちろん高級店である。
現代日本のような厳正かつ厳粛な食品管理法も職業倫理も存在しない時代だ。市井の安酒場など、どんな混ぜ物がされているか分かったものではない。
その点、高級店はまだ信頼性が高い。この時代の金持ちは基本的に武闘派である。変なものを食わされたら暴力的制裁を躊躇しない。なので、店の格が高いほど客に対して誠実=安全なものを食わせる。誠実なことが最も確実な護身というわけだ。ぶっそーな時代だよ、まったく。
というわけで、ヴィルミーナは侍女や護衛達と共に高級店の安全な食事をしながら、港の様子を眺めていた。
港では、手動式クレーンでパレット積みされた貨物が船舶に積まれたり降ろされたりしている。荷物を満載した馬車や荷車や手押し車や人夫が忙しそうに行き交う。小銃や槍を抱えた港湾警備兵達が巡回し、上空を翼竜騎兵や飛空艇が飛び回っていた。
「いつ見ても混沌としてるわね。改善案を出さないのかしら」
不意にヴィルミーナが呟く。
「と言いますと?」と護衛頭。
「港は少し無秩序に過ぎる気がする。整理して効率化、機能化すべきじゃないかしら」
港の様子はこの時代の一般的光景だが、高度情報化社会のIT化された貿易港湾を知っているヴィルミーナにすれば、『無駄』が多すぎる。もちろん、近代初期の技術で現代日本の港湾部並みの管理運営体制は実現不可能だが。
とはいえ、やりようを換えれば、多少は無駄を省けそうな気がする。
「港湾関係は利権や縄張りが複雑です。手出しはヘビを出しかねませんぞ」
「そこまで野暮じゃないわ」
護衛頭の注進に微苦笑で答え、ヴィルミーナは港に並ぶ船舶を眺め、ぽつりと言った。
「いつか外国を見て回りたいな」
せっかくの異世界だ。地球では見られないものを見てみたい。
もっとも、王族の端くれたる王妹大公令嬢という肩書が、そうそう国外への移動を許さないが。
食事を済ませ、ヴィルミーナは店を出た。馬車を預けていた停留所へ向かう。
ヴィルミーナは侍女と護衛頭と共にキャビン内へ。他の護衛達は御者席や後部荷台に着く。走り出した馬車は石畳の上でもほとんど揺れない。
「苦労した甲斐がありましたな。この乗り心地を知っては、他の馬車に乗れません」
「そうでしょう、そうでしょう」
ヴィルミーナは得意満面の微笑みを浮かべる。今日も健やかに顔芸的だ。
御付き侍女メリーナは思う。うっとこの御姫様はホントに表情豊かで見ていて飽きないわぁ。
さて、この馬車はついに完成した新型馬車である。
約一年に及ぶ交渉の結果、『ゴブリンファイバー』の権利は国に毟り取られた。散々抵抗したが、ダメだった。おのれ、王国府め。覚えとけよ。
しかし、タダでは譲らなかった。条件付ながら製造販売権を確保。先行試作品ももぎ取り、こうして新型馬車を作成した。
なお、例によって製造所はクェザリン郡に建て、上がりの5パーを受け取る以外は、全てゼーロウ男爵家に押し付けた。レーヴレヒトから『クェザリンは君の領地じゃないぞ』とぼやかれた。
ともあれ、完成した新型馬車はCFRPモドキのリーフ式サスペンションとダンパー、チューブレスタイヤを装備している。その乗り心地は、『私のお尻は守られた』とヴィルミーナが満足した程度である。
ヴィルミーナは知らない。荒れ道の踏破能力と移動速度が飛躍的に上がったこの馬車が、きたる戦争において、ベルネシア軍の機動性と補給能力を馬鹿みたいに向上させたことを。
と、その新型馬車は走り出してすぐさま足を止めた。スライム由来の改良疑似ゴムを用いた大型ドラムブレーキが馬車を完璧に制動する。
「どうした?」
護衛頭が小窓から御者席の護衛へ尋ねた。
「前方で船乗り達が喧嘩して道を塞いでいます」
「御嬢様、如何なさいますか?」
ヴィルミーナはフン、と鼻息をついた。
「散らしなさい」
「は! ただちに」
護衛とのやり取りを澄ませ、ヴィルミーナはくすくすと微笑した。
「大公令嬢は横暴だと陰口を叩かれそうね」
「この程度ならば、誰も気に留めませぬよ」
護衛頭が苦笑した直後。御者席から金属的な空砲が聞こえ、護衛の大喝が轟く。そして、馬車がゆっくりと進み始めた。
乗降ドアの車窓から表の様子を眺めていたヴィルミーナ。
水を差されて不服そうにこちらを睨んでくる船乗り達。触らぬ神に祟りなしと遠巻きに様子を窺う港湾労働者達。へこへこと一礼してくる港湾警備兵達。
そして、透明な目つきでこちらを見つめる混血児達。
ヴィルミーナは前世で会社にあちこち飛ばされていた頃、悲惨な境遇の女子供を何度も見た。紛争地帯で消耗品の如く扱われる児童兵。ゴミを漁って生計を立てるスラムの子供達は汚染物質で健康を損なっていた。路地裏で体をひさぐ女達は例外なく薬物中毒でボロボロだった。
だからといって、彼らを助けようと思ったことは、“ない”。
冷酷なブラックエコノミーの原理に慣れたヴィルミーナは、飢えている人間に魚を与えない。魚の取り方も教えない。そこに利益がないならば、そのまま見殺しにできる。
とはいえ、いずれ到来するであろう市民革命に備えておく必要がある。民衆の懐柔と慰撫を欠かした結果、輪姦されてギロチン送りとか笑えない。
それに――。
良心や道義心を氷漬けにできるヴィルミーナだが、どうしても我慢できないこともあった。
憐れな子供達から透明な眼差しを向けられた時、耐え難い羞恥と自己嫌悪の感情に駆られるのだ。
私に領地があればな。ヴィルミーナは詮無いことを考える。自分に領地があれば、まとまった数の孤児を引き取り、領内で人材として育成できたけれど。
しかし、王妹大公家は領地を持たない。母ユーフェリアは王家に対する確執から無任無役を押し通しているので、領地を預けられていなかった。
あの子達を引き取る受け皿がない。やりようはあるかもしれないが、”まだ”その時期じゃない。
心の中で嘆息を吐き、ヴィルミーナは車窓から目をそらす。
耐え難い良心の痛みを誤魔化すため、ヴィルミーナは一つ決断した。
〇
「あの、ヴィルミーナ様。本当によろしいんですか?」
「よろしいですとも」
ヴィルミーナはこれまで周囲に侍り続けた少女達を学生活動棟の一室に招いていた。
前述したが(2:1参照)、ヴィルミーナは派閥を作ったりしなかった。傍に集まりたければ勝手にしろ。ただし、派閥ではないから、面倒を看てやることもしないし、便宜も図らないし、助けてやることもしない。
このつっけんどんな放任主義的なスタンスの許でも、ヴィルミーナの傍に侍り続けた者達は居た。メルフィナとその派閥と共に事業を行う時も、一枚噛ませてもらえたわけでもない。何か利益供与を受けたこともない。フルツレーテン公弟の一件もしっかり聞いていた。
それでも、傍らに数人の少女達が居続けた。『茶会のビンタ事件』で精神的に大きな成長を果たした者達だ。
この前日、ヴィルミーナは少女達へ申し渡した。
――高等部へ進学後、私の傍に侍る者は側近として扱う。泣きが入るほど扱き使うからそのつもりでいなさい。それと、貴方達も聞いていると思うけれど、私は一度変態に狙われて、友人が殺されかけた。私の傍に侍るということは、そういう危険がある。よく考えて決めて。
こうしてこの場に参じた少女達へ、ヴィルミーナはアクセサリを贈った。
高純度の青魔銀で作られた瀟洒なブレスレット。
「そのブレスレットを贈るのは貴女達だけよ」
少女達は精確に理解する。この瞬間、自分達はヴィルミーナの側近となったことを。メルフィナとその派閥が大きな利益を享受したように、今度は自分達がその利益を得られることを。その代わりにこれから強烈に多忙な生活を待っていることも。時には危険に晒されるかもしれないことを。
「我が友輩達よ。我らはこれより幸せなる憎しみと不幸なる愛情で結ばれた姉妹なり。大いに嘆き、大いに喜べ」
ヴィルミーナが悪戯っぽく微笑み、王都で流行の歌劇の台詞をもじって言った。
少女達は嬉しそうに破顔し、誇らしげにブレスレットを手首に付けた。
その後は華やかで姦しい茶会になった。
デビュタントのことや高等部進学後のこと、あれやこれや。
少女達の賑やかで騒々しく姦しく楽しい時間は下校時間まで続いた。
〇
屋敷に帰ったヴィルミーナは制服を脱ぎ捨て、下着姿になる。
この世界の近代初期における女性下着はキャミソールモドキとズロースモドキだった。
が、ヴィルミーナは14歳の夏頃、自身の胸元がブラジャーを必要とするサイズになると、現代的下着の製造開発に乗り出した。『ゴブリンファイバー』の一件以来、この手の現代的モノ作りは慎重を期していたが、こと下着に関しては妥協しなかった。だって、ねえ?
ブラジャーは『つけ方が面倒臭いけど、悪くない』と悪くない評判。ショーツの方はズロースより布面積が少ないことに『貧乏臭い』と不評だった(この理由には、ヴィルミーナも衝撃を受けた)。
しかし、これも例によって共同事業者になったメルフィナが職人を集めて刺繍入りやレース入りの下着をこさえ、高級志向と廉価品に分けることで、大当たり。
かくして、現代的女性下着はベルネシアを中心に大陸西方へ伝播中だ。
ただ、意外な方面からクレームが来た。
聖王教会である。現代的下着は煽情的すぎる、延いては、不道徳であると抗議が来たのだ。エステサロン開業の時も『退廃的である』とクレームが来たが、この時はサロン利用者の女性達が総出で反論し、聖王教会を黙らせた。
ヴィルミーナはこの一件の返礼に、各地の女子修道院に多額の寄付と下着の無料提供をした。それから間もなく、教会は女子修道士達の強い強い取り成しと要望に折れた。だって着け心地がねえ……肌に密着する物だから一度使っちゃうとねえ……
下着姿のままベッドに飛び込み、ヴィルミーナは呻くように呟く。
「話し込み過ぎてなんか疲れた……素面であんなに盛り上がれるなんて、10代ってすごい」
「御嬢様も10代でしょうに」
御付侍女メリーナが制服を丁寧に片付けながら言った。なお、メリーナは真っ赤な派手派手の下着を愛好している。見せる相手はいないけれど。悲しいね。
「さ、お着替えくださいな」
部屋着のワンピースを渡され、ヴィルミーナは体を起こして服を着込む。
「そういえば、レヴ君も私塾の卒業間近よね。士官学校入学前に挨拶できるかしら」
「予定を確認してみませんと何とも言えませんが、遠出の準備はしておきますか?」
「うん。でも、確認してからでいいわ」
ヴィルミーナはふっと小さく息を吐く。
士官学校は規律が厳しい。これまでのように頻繁な手紙のやり取りは難しいだろうし、検閲の関係から『秘密』に関することはさらに厳しい。会える機会も大幅に減ってしまう。
寂しいな、と素直に思う。
7歳の時から今の今まで物理的な距離はあっても、レーヴレヒトは身近な存在であり、最も信用し最も信頼する“仲間”だった。甘えることができる貴重な“友人”だった。
これからは計画した通り、自分一人で考え、判断することが中心になる。ビジネスパートナーであるメルフィナとの関係を深める必要があるが、ロートヴェルヒ公爵令嬢であるメルフィナもこれからは嫁行き探しが本格化する。商売に投じられる時間は減るだろう。
大公令嬢として割合好き勝手に過ごしてきたが、高等部の4年間はそうもいくまい。
今後はいろいろと……
ヴィルミーナは大きく息を吐き、思考を打ち切ってベッドへ突っ伏した。