15:7
大変に遅くなり、申し訳ない。
大陸共通暦1770年:ベルネシア王国暦253年:初秋。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム
―――――――
白いクロスが掛かったテーブルの上に料理が並べられていく。
脂の乗った北洋魚竜のステーキ柑橘ソース掛け。魚介と秋野菜の煮込みスープ。さっぱりした小玉ナスの酢漬け。温かい白パンと新鮮なバター。炭酸の利いた果実酒。
ヴィルミーナはナイフで魚竜の肉を切り分け、口に運ぶ。大トロとチキンの良いトコ取りしたような食感と風味。濃密な肉汁と脂が甘酸っぱく爽快な柑橘ソースが良く合う。思わず口元が綻ぶ。
同席しているマリサが出汁の利いたスープを口に運んでから言った。
「東メーヴラント戦争の雲行きが怪しくなってきましたね」
「ちょっと食事時に戦争の話をする気?」
御相伴に与っているテレサが嫌そうに顔をしかめたが、ヴィルミーナは微苦笑するだけで受け止める。
「楽に勝てると思っていたところでこの大損害だからね。雲行きの一つも怪しくなるわよ」
「たしかに。我が国の戦もそうだったけれど……近年の戦は犠牲が多すぎる気がします」
テレサが千切った白パンをスープに浸しながら言うと、
「肉体を晒すような隊形戦術は性能向上した銃砲と増加する火力の前に限界を迎える。我が国の軍事ドクトリンが正しかった証左だよ」
予備将校教育を受けたマリサが説明してくれた。
「それにしても、まさか大量破壊魔導兵器とはね。ありゃ費用対効果が悪いし、後始末が面倒だってのに。しかも自国内で七発も。カロルレンの連中はとことんやる気だね」
「追い詰められ過ぎて分別が無くなってるんじゃないの?」
毒を吐きつつ、テレサは白パンを口へ運び、打って変わって幸せそうに微笑む。
「いずれにせよ、国際会議の見通しは外れつつあるわね。南部戦線の展開次第ではヴィーナ様が批准させた予備案に切り替わるかもしれない。クレテアでも戦争の積極的遂行に疑問が生じているようだし」
東メーヴラント戦争の雲行きが怪しくなるにつれ、聖冠連合帝国とアルグシア連邦を支援するベルネシア王国と大クレテア王国で、この“投資”について見方が変わりつつあった。
特に共通暦1770年の夏の戦いで、アルグシア連邦軍の被った甚大な被害を鑑みれば、両国で慎重論が出ても仕方なかろう。下手をすれば金をどぶに捨てかねないのだから。
サンローラン国際会議では主案に一気呵成な征服と、予備案の段階的征服が決議されていたから、夏の戦いの損害でアルグシアがヨレても征服戦争が継続される限り、ベルネシアとクレテアの支援/援助は続行される(13:8aも参照のこと)。
が、ここで少々風向きが変わり始めている。
事はソルニオル事変が遠因だった。
クレテアは戦争協力の対価にティロレ地方の実効支配権を得ている。そこに加え、ソルニオル事変によって地中海権益が大幅に拡大していた。相対的にカロルレン征服へ投資する意味が薄くなっている。
女好きの青年王アンリ16世やトリックスター気取りの大蔵大臣カルボーンは明言を避けているが、すだれ頭の宰相マリューは『東メーヴラント戦争より地中海に金と物を使おう』と訴えていた。この調子だと、いずれ東メーヴラント戦争から手を引きかねない。
もう一方の支援国、我らがベルネシアにしても、主案の一気呵成な征服がどうにも見込み薄な状況から、予備案への移行を求める考えが強まっていた。なんせ予備案の方がベルネシアにいろいろ好都合な点が多い。
局外でも動きがあった。
聖王教会である。
カロルレン王国は聖王教会伝統派が強い地域だが、過去の宗教戦争で伝統派軍隊に荒らされた経験から、法王庁に対して反発が強い。法王庁内には東メーヴラント戦争を仲裁し、カロルレン王国を再び法王庁の勢力圏に呼び込みたい、という一派が存在した。少なくとも、開明派の勃興を邪魔したい意向があるようだ。宗教界の市場争いに終わりはない。
こうした周辺国の動向に対し、聖冠連合帝国とアルグシア連邦は敏感に反応した。
聖冠連合帝国宰相サージェスドルフは外交官を派遣し、主案の維持に理解を求めた。この辺は大国として国力に余裕がある聖冠連合らしい。
一方、アルグシア連邦は血相を変え、クレテアとベルネシアに外交団を送り込み、主案の維持ではなく戦争協力体制そのものの継続を要請した。ここでクレテアとベルネシアに手を引かれ、投資を打ち切られたら、物資や戦費関係に恐ろしい事態が起きるからだ。
それと、法王庁にも使者を送って『余計なチャチャ入れんな』と釘差しに赴いている。
「例の御二方が近いうちに訪問してくるのでは?」
テレサがどこか苦笑い混じりに、アルグシア連邦の高等外交官シュタードラー子爵と連邦政府高官のリュッヒ伯のことを仄めかす。
「訪ねてこられても困るのだけれど」
ヴィルミーナは小さく鼻息をつき、ミニトマト大の小玉ナスをフォークで刺して口元へ運ぶ。ナスの歯触りと程よく染みた酢がヒジョーに良いカンジ。
米とみそ汁が食べたぁなってくるわぁ……くそう。どれだけ大金があっても日本料理が食えへんとか……なんて不便な世界なんや。
「どうかしました?」
百面相を始めたヴィルミーナに訝るマリサとテレサ。
「ん、予定では中秋に式を挙げるのに、政治にかかずらわっている暇なんてないと思ってね」
「たしかに」マリサがにやりと「この土壇場で延期や中止になったら泣きが入ります」
「懸念材料は殿下主導の国策事業は未だ確定していないことでしょうか」
ステーキを一口大に切り分けつつ、テレサが指摘した。
いろいろ話し合いが行われているものの、王太子主導の国策事業はまだ決まっていない。
国策事業と一言で言っても、軍事、産業、インフラ、教育、医療、社会保障、あれやこれやとある。エドワードが主導である以上、国民の関心を買える類が良いが……それはそれで中々定まらない。
「まあ、慌てて決めることでもないわ。年内に話をまとめて、来年内に実施できれば良い。税金を使う国策事業である以上、慎重に進めて不味いことはない」
ヴィルミーナはぐさりとスープ内のジャガイモをフォークで突き刺す。
「それに……戦争の推移次第では違う話も出てくるかもしれない」
冷たく微笑むその横顔に、マリサとテレサはぞくぞくと背筋が震えた。
その後、他愛ない会話を楽しみつつ、料理をあらかた平らげた娘っ子三人は、給仕に品書きを持ってこさせてデザートを選ぶ。
ヴィルミーナの目が『チョコレートタルト』という表記に留まった。
つまらない話を加えておくと、19世紀初頭から中期にかけて固形化した甘いチョコレートが開発されるまで、チョコレートは貴族向けのクッソ苦い飲み物だったり、菓子の風味付けソースだったりした。要するに現代地球で流通するチョコ菓子は近代科学文明の産物という訳だ。
こうした背景事情を知らなかったヴィルミーナは、この世界で初めてチョコレートを食べた時、強烈な苦味と酸味と油分の濃さに目を剥いたものだ。
まあ、ベルネシアでも産業革命が始まり、カカオ豆の加工が機械化されていくから、見慣れた現代チョコレートに近くなっていくだろう。
「このチョコ菓子は苦いの?」
マリサに尋ねられた給仕はニコニコ顔を崩さず、丁寧な物腰で説明する。
「いえ、そのデザートに用いられるチョコレートは新しい加工法で作られたものです。これまでの物よりも口当たりがよく食べ易くなっております」
ほう。それなら試しとこかな。
というわけで、ヴィルミーナは給仕に注文した。
「なら、私はそれを頂こうかしら。飲み物は珈琲ではなく紅茶をお願い」
マリサとテレサもヴィルミーナに倣う。
タルトに先駆けて用意された紅茶を嗜みながら、ヴィルミーナは言った。
「この先、私達が食品加工機械や調理機械を開発して普及させていけば、未知の食材や料理を食べられる日が来るかもね」
「その時はそれら機械の市場を制圧したいですね」
にやりと口端を釣り上げるテレサ。武闘派眼鏡っ娘は意気軒高だ。
「味見役はお任せを」
そう言ってマリサが笑い、ヴィルミーナも釣られて笑った。
〇
聖冠連合帝国宰相執務室。
宰相サージェスドルフは訪問客と美味なる茶請け菓子を摘まんでいた。もっとも、訪問客の方は仏頂面を浮かべていたけれど。
「卿が描いていた絵と随分違ってきたのではないか?」
「否定はできませんな。万年引きこもり国家と軽視しておりました」
皇太子レオポルドの嫌みがこもった指摘に、サージェスドルフは自嘲的な笑みを湛えて受け止める。
「いざとなれば、私が宰相職を陛下にお返しし、残りの人生を戦死した将兵の鎮魂に費やせばよいこと。さほどの問題はありません」
「気軽に言うな。卿には次代の人材が育つまで、宰相の椅子でふんぞり返っていてもらわねば困る」
レオポルドは鼻息をつき、真顔で問う。
「この戦争、勝てるのか?」
「勝てますよ。その点は変わりません」
サージェスドルフは茶菓子を摘まみながら断言した。
「問題なのは、勝利するまでの経費ですな。戦費負担と人的損失。この二点が問題です。現状の戦費負担と死傷者は開戦前の想定範囲内に収まっています。しかし、アルグシア人のように死傷10万越えとなると不味いし、戦費負担額が想定額を4割超えた場合、サンローラン協定で取り決めた利益配分ではアシが出ます」
「となると……」レオポルドは少し考えこみ「卿とアルグシアが進める完全征服の主案は厳しいか」
「外聞なく言えば、厳しいですな。アルグシアの国家規模で10万将兵の死傷と兵站の壊滅は早々立ち直れません。我が国だけでカロルレンを潰せないことも無いですが、その価値があるとは言えない」
サージェスドルフは不意に口端を嘲けるように歪めた。
「それに、我が国はヴァンデリックとヒルデンを保護国化し、国土的縦深を確保できた。おまけに、アルグシアは軍が損耗して国内の意見対立が激化。戦略的目標は達成しています」
「ならば、」
「手は引けません。大国間の協定ですから。余所が破るならともかく、主導した我々が一抜けしたら、今後20年、諸国の不信を招きます。外交的損失が大きい」
機先を制してサージェスドルフは次代の主君へ言った。
「殿下。国家間の取り決めは決して軽視してはいけません。東征で押さえた地域は常に我々へ憎悪と怨恨、猜疑を抱いています。我々が約定を守らぬ手合い、と認識したら最後、手の施しようがない事態を招きかねません」
「肝に銘じよう」とレオポルドは忠告を素直に受け止めた。
サージェスドルフは教師のように柔らかく微笑み、
「話を戻しましょうか」
すぐにいつもの不遜な顔つきになり、
「アルグシアが半身不随になった今、カロルレン征服の成否は我が軍の南部戦線次第ですな。年内の侯都攻略、その出来次第ではベルネシアの賢姫が告げた予備案に切り替えることになるでしょう」
ふと思い出したように言った。
「そういえば、件の賢姫が式を挙げると言ってましたな。祝いの使者を送りませんと。如何します?」
「そうだな……」
レオポルドは少し思案する。ベルネシアとのつながりを考えれば、クリスティーナ女大公を里帰りさせても良い。同様にクレテア公女と結婚を控えているカスパーを送り出し、帰路にクレテアを訪問させるのも悪くない。
だが、新生ソルニオル領立て直しの核であるクリスティーナを今、外に出すのは不都合。カスパーを送ることは問題ないものの、ベルネシアとのパイプがレンデルバッハ家だけというのは、これも些か不都合。
「……たしか、ベルネシア王女達はまだ婚約者が居なかったな」
「長女はイストリア筋と結ぶことを企図しているようですから、次女は国内貴族と結ばせるでしょう。縁結びを求めるならば、末っ子の第二王子の方が狙い目では?」
「第二王子か。話を聞く限り、なんというか、アホの子のようだぞ」
帝国の“短剣と外套”はベルネシア第二王子アルトゥールの冒険騒ぎを把握していて、きっちり報告していた。
「いやいや。彼の王子の話を聞いた時は懐かしさを覚えたものです。殿下が紅顔の美少年だった頃、弟妹君や歳の近い者達を集め、宮城を大冒険していたことを思い出しました。いずれ皇太子たる者が、と無粋なことを言う者もおりましたがね」
そうしたつまらんことを言う者達からレオポルド達を守り、楽しい冒険を助力した一人が宰相サージェスドルフだった。
「ああ。覚えているとも。卿が数々の仕掛けをしたこともな。おかげでしばらく暗がりが怖かった」
レオポルドは親戚の親父に昔の恥ずかしい思い出話を開陳されたような顔つきになり、大きく嘆息を吐いた。
サージェスドルフがぐふふと楽しげに喉の肉を震わせていると、ドアがノックされ、秘書であるサージェスドルフの姪が顔を見せた。
「御歓談中、失礼します。皇太子殿下、宰相閣下。侵攻軍総司令部より使者のカール大公閣下が御到着しました」
「うん。ありがとう。通してくれ」
サージェスドルフは姪に応じ、レオポルドへにやりと笑いかける。
「我らが帝国の騎士がどんな話を聞かせてくれるか、楽しみですな」
レオポルドは再び溜息を吐いた。
「卿の底意地の悪さは昔から全く変わらん」
〇
アルグシア連邦議会は紛糾していた。
たった半年で10万人死傷、兵站機構の壊滅で侵攻軍が半身不随に陥った事実は、さしもの強硬派や東部閥の血の気を引かせていた。それでも、強硬派や東部閥は戦争継続を熱心に訴えた。なんせここでカロルレンを征服して領土を獲得すれば、国土規模で大国化する。聖冠連合やクレテアに伍した存在になれる。退くわけにはいかない。
他方、物資や人員を提供する立場の西部閥や北部閥は協定予備案の移行、もしくは現確保地域の割譲で講和を要求していた。聖冠連合がヴァンデリックで“遊んでいる”ことも、彼らの不満を刺激している。南部閥はこの点を特に重視していて、今回の戦争は聖冠連合がアルグシアの軍事的消耗を狙った謀略ではないか、と言い出す始末だった。
東メーヴラント戦争はアルグシア連邦の結束と調和を乱す癌になり始めていた。
連邦議長アウグスト2世は頭を抱えて唸る。
「どうしてこうなった」
頭を抱えているのは議長だけではない。
“投資”に疑念を抱き始めたクレテアとベルネシアに派遣された外交団は、悪戦苦闘を強いられていた。
ベルネシアは粛清の関係で『担当者不在です。申し訳ありません』『前任者が粛清されたため、時間が掛かります』『出直して、どうぞ』という有様。
クレテアはクレテアでやたら尊大で傲慢、そのくせ交渉事は付け入るスキのない海千山千ばかり、とアルグシア外交官達を翻弄する。
高等外交官シュタードラー子爵がヴィルミーナへ接触を試みるも、白獅子と王妹大公ユーフェリアが『ヴィルミーナは結婚の準備で忙しい』と完全にシャットダウン。
「どうしてこうなった」
アルグシア外交団は頭を抱えていた。
〇
太陽が正午頃に達し、南部戦線では両軍の将兵達が昼飯を摂り始める。
二掴み分の小麦粉。ぱっさぱさの小さな干し肉と干し野菜。
これがカロルレン第二軍のファロン山地『高地596』守備隊の兵士達へ支給される一日分の飯だ。
聖冠連合帝国軍の砲爆撃が山地全域を射程に捉えて以来、ファロン山諸部隊の補給状況は酷い。優先されるのは武器弾薬で、飯は二の次。それでも、西部戦線で夏の戦いが行われるまで、週に二度三度はパンとまともなスープが支給されていた。
しかし、夏の戦いで膨大な物資が費やされたため、その皺寄せが第二軍に及んでいた。
兵士達は塹壕内で、支給された食材を持ち寄ってバケツに放り込み、魔導術で水を注ぐ。そうしてバケツを粗末な竈に乗せて煮る。最前線風麦粥だ。
バケツは不衛生すぎる? そもそも最前線は不衛生の極みだ。兵士達は小鬼猿すら避けるほど汚く臭い。
「何度見ても山羊の吐いたゲロみたいだな」「文句があるなら、お前の分は俺が食ってやるよ」「俺の分を取ったら、ぶっ殺すぞ」「塩味が足りないな。誰か塩を持ってないか?」「汗でも入るか?」「きったねェなあ。やめろ」
過酷な仕事は総じて飯が楽しみになりがちだったが、第二軍は今やその飯さえ楽しめない。
「この調子だと、敵に殺されるより空腹で倒れる方が先じゃねーか?」というのが、前線勤務者達の見解だった。
実際問題として、彼らの”餌”は栄養とカロリーが不足しており、栄養失調へ向けて一直線。より露骨に言えば、緩慢な飢え死に向かっていた。
それに、今はまだ夏の残滓があるものの、じきに本格的な秋に入る。夜の冷え込みが厳しくなれば、栄養不足で免疫力が弱っている兵士達は疫病でバタバタ倒れていくだろう。
と、塹壕の銃眼で小銃を構えていた狙撃手が引き金を絞って発砲した。そして、傍の壁に印を書き込む。
「今ので14匹目だ」
笑いながら次弾を装填する狙撃手の目は完全にイっていた。
「殺した人数を記録するとか、殺人鬼かよ」「飯時まで人殺しすんな。飯が不味くなるっつの」「まったくだ。昔の戦争は昼飯休戦ってのがあったんだぞ」
と、今度は仲間を殺された帝国軍から軽臼砲のお返しが飛んできて、彼らの塹壕外に着弾。巻き上がった泥やゴミが降り注ぐ。
「くそっ! 粥に泥が入ったっ!」「気にすんな。これ以上不味くはならねーよ」「違いない」「ははは~」
そうして兵士達は最前線風麦粥を食べ始める。味はともかく温かいだけマシだ。
「しかし……帝国の連中、全然攻めてこねーな」「やる気がないなら帰れって話だよな。このままじゃ干上がっちまう」「案外、それが目的か?」「かもな。連中は大国だ。贅沢な戦争が出来る」「連中はもっとマシなモン食ってんだろうなぁ……」
ぶつくさとぼやきながら粗末な飯を食う兵士達。
ちなみに、聖冠連合帝国軍の陣地では、カッチカチに焼しめられた粗悪な黒パンと萎びたイモのスープを食っていた。カロルレン兵と同じように『配給が最悪だな』『もっとマシなモン食わせろっつの』などと嘆いている。
両軍兵士が同じ気持ちを共有しながら飯を食っていると、
「なんだありゃあ……」
狙撃手が呻くように言った。
その引きつった横顔に只ならぬものを感じ取った兵士達が腰を上げ、塹壕の縁から敵陣の様子を窺う。
帝国軍の陣地でロケット花火のお化けみたいなものが用意されていた。それも数十発単位。
「今更、ロケット弾なんて用意して、どういうつもりだ?」
ロケット弾の範囲殺傷効果は高い。が、その構造上、塹壕陣地や拠点に効果は薄い。塹壕内や拠点開口部から内へ飛び込まない限りコケ脅しだった。
「撃ったっ!」
帝国軍陣地から数メートルはあろうかというデカいロケット花火の一発が甲高い風切り音を上げ、高速で飛翔した。そして、そのまま高地596とは明後日の方向へ飛んでいく。
この時代のロケット弾は命中精度がかなり悪い。というより、命中精度など期待されていない。とにかく面へ大量に投射する。そういう兵器だ。だからこそ非常に安価な構造をしている。
そして、的外れな無人の斜面に着弾したロケット花火のお化けは、その弾頭部分に詰められていた液体焼夷剤をぶちまけ、燃え盛る液体が斜面を流れていく。
これまでの焼夷弾よりはるかに強力な燃焼性とエグい燃焼持続効果。
その様子を目の当たりにした高地596の兵士達は、帝国軍が何をしようとしているのか、即座に理解し、震え上がった。
――聖冠連合帝国軍は焼夷ロケット弾を面投射し、俺達を焼き殺し、燻し殺し、皆殺しにしようとしている。
もっとも、本国から土産としてこの“玩具”を持ち帰ってきたカール大公は、そこまで悪辣ではない。『穴倉にこもっていたら助からない』と敵が判断するだけで十分だと考えていた。後退するなら楽に拠点を制圧できるし、打って出てくるなら好都合。それだけの話だ。
そもそも、ファロン山の残っている拠点全てを焼き潰すほど焼夷ロケット弾の備蓄はない。が、それでも構わない。
敵はその事実を知らないのだから。
聖冠連合帝国の秋季攻勢は着々と準備が進められていく。




