特別閑話3a:西部戦線、異常あり。
主人公は出てきません。
大陸共通暦1770年:盛夏。
大陸西方メーヴラント:カロルレン王国
―――――――
東メーヴラント戦争が始まって以来、カロルレン王立軍航空部隊が前線の空に姿を見せることはなかった。
そのため、前線対空部隊が壊滅後、アルグシア軍や聖冠連合帝国軍の航空部隊が好き勝手に飛び回っていた。第一軍や第二軍の将兵は空を見上げ、罵る。
『予算食いのエリート様達ぁどこで遊んでやがるんだ』
前線諸部隊からは王国中央へ悲痛とも言える防空出動要請が幾重にも幾重にも連ねられたが、カロルレン王立軍は翼竜騎兵部隊を前線へ投入しなかった。
この間、カロルレン王立軍航空部隊は後方で遊んでいたわけではない。開戦以来、王国東部のプロン造山帯付近や王都周辺で猛訓練が行われていた。味方の罵詈雑言や民衆の不信の目を浴びながら、彼らはひたすらに訓練を積み重ね続けた。
そして、西部戦線でアルグシアの夏季限定攻勢が行われ、王国西南部の多くが占領された。アルグシア軍がさらなる増派を行い、占領地域内に大軍が展開する。
カロルレン王立軍航空隊の訓練が完結し、装備が充足し、諜報員や住民の情報によって、アルグシア軍占領地域内の部隊配置や各拠点の情報が確保できると、カロルレン軍は決断する。
『時は満ちたり』
徹底的に訓練された翼竜騎兵総勢約400騎。カロルレン王立軍が保有する翼竜騎兵の大半を投入した航空大攻勢『三連撃』作戦。
『三連撃』作戦は三つの段階で行われる。
最初に4騎編隊の翼竜部隊がアルグシア軍の野戦離発着場や翼竜騎兵駐留拠点を叩く。この初撃は敵航空基地の撃滅ではなく、混乱状況に追い込むことを目的としていた。
続いての二撃目。これが主攻撃で各航空拠点を密集編隊で叩く。間隔を空けるのは、初撃の混乱から立ち直りかけた瞬間こそ、各拠点の人員が掩体や防空壕から表に出ている時であり、補充が難しい軍医や衛生兵を効率的に殺傷できる。
最後に、第三軍による大反攻作戦『大鉄槌』に合わせた対地攻撃が行われる。
この『三連撃』と『大鉄槌』作戦が成功すれば、アルグシア連邦軍は第三軍と国境拠点群の第一軍の間で壊滅するだろう。この戦争からアルグシア連邦を脱落させることも可能かもしれない。
文字通り、現カロルレン王立軍が持つ全力を投じた作戦だった。この攻撃のため“切り札”も用意されていた。
もちろん、不安もある。
夜間攻撃作戦に加え、作戦スケジュールが緻密なため一度狂いだすとどうなるか、総司令部さえ分からない。完全に手探り状態だった。通信や指揮管制能力に限界がある以上、許容するしかない問題だが。
かくして―――
カロルレン王国は大反攻へ打って出た。
後世、歴史家が『全てを賭した一撃』と呼ぶ、乾坤一擲の大博打が始まる。
〇
夜霧が立ち込める新月の丑三つ時。
カロルレン王立軍翼竜騎兵約400騎が、一斉に月のない夜空へ飛翔した。彼らは定められた合流地点に集合し、『初撃』を担う先発隊と『第二撃』の本体に別れ、進入を開始。霧に紛れて薪炭林の梢をかすめるように、地形追従飛行で駆け抜けていく。
味方の頭上を越え、哨戒網が薄いところから一気に敵陣を飛び越えていった。
この時、悲劇が起きる。
情報の秘匿と不始末から、友軍対空部隊が誤認して翼竜騎兵の一部先発隊を撃墜してしまったのだ。
それでも、大部分の翼竜騎兵達は問題なくアルグシア連邦軍の前哨陣地を飛び越え、後方へ浸透していく。
これまで半年近く一切翼竜騎兵を投入してこなかったため、アルグシア連邦軍の前線防空体制は弛緩しきっていた。少なくない対空部隊が何の警戒もせず眠りこけていた。
4騎編隊ごとに別れた翼竜騎兵先発隊が、各地のアルグシア翼竜騎兵拠点や野戦離発着場に駐機している飛空船隊へ襲い掛かった。
この襲撃を受けたアルグシア軍将校の手記には、次のように記されている。
『彼らは蛇のように地表すれすれから接近し、目標上空で急上昇。そして、急降下して攻撃を始めた』
たった4騎編隊では各拠点や離発着場を破壊しきれない。だが、混乱させ、麻痺させることは出来る。事前情報でどこに何が格納されているかも分かっている。
翼竜騎兵拠点に飛び込んだ編隊は、弾薬庫や翼竜を収めた厩舎へ、炎熱系魔導術を叩きつけた。飛空船離発着場へ襲い掛かった編隊はとにかく飛空船の気嚢を破壊し、炎熱系魔導術で物資倉庫へ放火する。
襲撃の成功率は高かったが、完璧ではなかった。
先発隊の一部が友軍に撃墜されてしまったことで攻撃が不完全だった拠点もあったし、夜間飛行で位置を誤認し、無関係な村を攻撃してしまったケースもあった。
襲撃が成功した拠点や離発着場は大混乱に見舞われた。
翼竜騎兵拠点では、炎に包まれた厩舎から火達磨になったアルグシア軍翼竜達が凄惨な悲鳴を上げて狂い暴れる。乗り手である騎兵も厩務員も落ち着かせることが出来ない。それどころか、半狂乱の翼竜達に死傷させられるケースが頻発する。弾薬庫の大爆発で大勢の巻き添え被害が発生した。
離発着場でも同様の大騒ぎが起きていた。気嚢を破壊された飛空船は動かすことも出来ず、船体が延焼しないようするだけで精いっぱいだった。資材倉庫に置かれていた油や弾薬に引火し、手の施しようがない。
襲撃を終えた翼竜騎兵達が翼を返し、撤収していく。
眼下の敵兵達が慌てふためく様は、水を浴びた蟻の巣みたいだった。負傷した敵兵や翼竜達の悲痛の悲鳴、混乱する者達の怒号と罵倒。爆発音と破壊音。燃え盛る建物から黒煙が立ち昇り、火の粉が蛍のように踊る。
「ははは。まるで収穫祭の夜だ」
翼竜騎兵の一人が心底嬉しそうに笑った。
初撃の成功により、アルグシア連邦軍は大混乱に陥っていた。
通信妨害されていないことが逆に混乱を増長させる。多数の拠点が一斉に襲撃を受け、その報告と対処を求める連絡で総司令部も各師団司令部も連隊本部も通信体制がパンクしてしまった。伝令を送ろうにも新月の深夜だ。容易くない。もちろん、この機に乗じたカロルレン側のテロやサボタージュも行われている。
各拠点や各部隊が自主的に警戒態勢を取り、被害対処に動き始めたところで、『第二撃』が始まった。カロルレン翼竜騎兵の群れが各拠点や離発着場へ襲い掛かる。
ある拠点は鈴なり落としの一斉急降下爆撃で、ある離発着場は雁行隊形の降下襲撃で、散々に破壊され、焼かれた。
『第二撃』もまた充分な成功を収めた。
消火活動や救助活動を行っていたアルグシア兵達が次々と犠牲になっていく。死傷者の中には将校も多く含まれた。陣頭指揮を執っていた尉官が大勢死傷し、各部隊の親分格である佐官も兵と共に斃れた。中には将官すら犠牲になった部隊もあった。
犠牲はカロルレン翼竜騎兵にも出ている。
『第二撃』の際、アルグシアもある程度の警戒態勢を取っていたから、夜空に打ち上げられる対空攻撃を浴び、撃墜される者や負傷する者が続出した。騎兵自身は無事でも翼竜が死傷して墜ちた者も少なくない。
しかし、
「殺せ殺せ、殺せぇっ!」「アルグシアの豚共をぶっ殺せっ!」「殺せーっ!!」
カロルレン翼竜騎兵達は思う存分にアルグシア軍を叩きのめし、魔導術を叩きつけた。半年に及ぶ猛訓練で練度と士気は目いっぱい高められていた。半年に及ぶ出撃制限で溜まった鬱憤を晴らすべく意気軒高だった。味方の罵詈雑言に耐え忍び、蹂躙される祖国の様を食いしばって我慢してきた彼らは、慈悲も無く容赦もなく目いっぱい殴りつけている。
『第二撃』の翼竜騎兵達が撤退した頃、最後の『第三撃』が行われた。
真っ黒に塗られた小型飛空艇と翼竜騎兵の群れが編隊を組み、夜明け際のコバルトブルーの空を駆けていく。
第三軍の主攻面に布陣するアルグシア軍二個銃兵師団に対し、二個師団前線部隊を翼竜騎兵達が叩き、その二個師団の師団司令部へ火船戦術が実施された。
他にも占領地域内の策源地や大規模司令部、大型駐屯地、全部合わせて7か所へ火船戦術が行われた。
これら小型飛空艇に搭載されていたのは、爆薬や燃料ではない。
大災禍で討伐された西方巻角大飛竜から採取された“竜玉”(竜種から採取される魔石は超高密度で超高純度のため、竜玉と呼ばれる)を分割し、加工したものだった。
さて、ここでワーヴルベークの戦いを思い出してほしい(7:5Ⅾ参照)。
ボレル任務大隊が『最期の一撃』として超高純度魔晶石の人為活性化を試み、大型爆弾デイジーカッターに等しいエネルギー量を放出した(聖女アリシアがそれを封殺できたことがどれほどイカレているやら)。
この『第三撃』の“竜玉”を用いた魔導爆弾は、ボレル任務大隊の超高純度魔晶石よりも強力だった。TNT換算で言えば、デイジーカッターより凶悪な大型爆弾MOABに匹敵するエネルギーをぶっ放す。
そして、それら七つの小型飛空艇に搭載された魔導爆弾は、予定通りに作動した。
カロルレン西南部で七つの大輪が咲く。
鮮烈な青い励起活性反応光が払暁の薄闇を一瞬消し飛ばした。爆発地点を中心に半径数百メートル圏内のあらゆるものが高圧魔力に殺し尽くされ、焼き尽くされ、吹き飛ばされていった。魔導防壁が施されていたところもあったが、竜玉を基にした圧倒的なエネルギーの前ではあまりにも無力だった。
蒸発した大気が刹那、真っ白に染まった直後、爆風と衝撃波が何キロにも渡って駆け抜けていく。激甚な大気の揺れの後に、途方もなく巨大な音の波が続いた。
30キロ先からも確認できる巨大なキノコ雲が立ち昇り、その周りを静電気の発光と大気中魔素の励起反応光が煌めいている。大量の灰と焼かれた魔素が花吹雪のように降り注ぐ。
アルグシア連邦軍将兵は戦争を忘れ、唖然と七本のキノコ雲を見上げていた。カロルレン王立軍将兵がその破滅的な光景を慄然として凝視していた。両軍共に呆然自失状態になっていた。
緊急空中哨戒に出撃した、とあるアルグシア連邦軍翼竜騎兵は七つのキノコ雲を眺めながら恐怖していた。
「カロルレンの奴らは正気か? 自分達の国内でこんな……」
ふと壮絶な不安と戦慄が走った。
自国内でこんなおぞましい所業に走る連中が、もしもアルグシア連邦内に攻め込んで来たら……憎悪と怨恨と憤怒を抱えた復讐鬼共が何をするか、想像も及ばない。
作戦から帰還中の、とあるカロルレン王立軍翼竜騎兵は七つのキノコ雲を見つめながら、途方もない嫌悪感を抱いていた。
国を守るため、故郷を守るため、家族を、あの娘を守るためとは分かっているけれど……
燃えている祖国を見つめながら、カロルレン翼竜騎兵は帰っていく。次の戦いのために。
ようやっと衝撃的な事態から立ち直ったカロルレン王立軍司令部や指揮官達は、固まっていた第三軍将兵の尻を蹴飛ばし、大反攻作戦『大鉄槌』を発動させた。
カロルレンの大博打はまだ始まったばかり。
〇
カロルレン第三軍の攻勢は極めて順調な滑り出しだった。
なんせ前線に大穴が空き、前線司令部が消し飛んでいる。
歴史においては現場将兵の独断専行が度々こうした危機を救う例があるが、今回のアルグシア軍はその幸運に見舞われなかった。運命の女神はとことん性格が悪い。
七ヶ所同時大量破壊魔導兵器使用により、大気中魔素が大きく乱れている関係で、魔導通信が完全にマヒした状況も守勢のアルグシア軍へ不利に働いた。
突破口から進入した第三軍は目先の二個師団を初日に壊滅させ、主戦力が国境拠点群へ向かって進撃。助攻部隊がアルグシア前線諸部隊を寸断し、各個撃破に移る。
「押して押して押しまくれっ! 抵抗が強い拠点は包囲して後回しっ!! 今はひたすら推し進めっ!!」
大反攻初日だけでアルグシア軍が夏季攻勢で確保した地域の三分の一を奪回、3個師団を分断して孤立させていた。
攻勢2日目。
分断されたアルグシア3個師団が連絡線を回復させようと反撃を試みるも、これまでと打って変わって活発に行動するカロルレン翼竜騎兵部隊により、空から抑え込まれてしまった。その間、第三軍主力は攻撃の手を緩めずに押していく。
アルグシア連邦軍カロルレン侵攻軍総司令部は蜂の巣を突いたような大騒ぎだった。
「国境拠点群にこもる第一軍に動きがみられますっ! 打って出る気か陽動か、今のところ判断がつきませんっ!」
「孤立した第28銃兵師団、第32歩兵師団、第51銃兵師団は自力で主戦線へ後退できない旨を訴えていますっ!」
「航空夜襲と大量破壊魔導兵器の被害は甚大ですっ! 現在判明しているだけで死傷1万5千を超えますっ! 飛ばせる翼竜は三分の一以下、飛空船は一個船隊に足りませんっ!」
「敵民兵の活動が活発化しており、伝令や斥候の被害が増加していますっ!」
「閣下っ! 兵站状況の被害が莫大ですっ! 早急に本国から増援が必要ですっ!」
被害状況が明らかになっていくにつれ、混乱は恐慌に変わりつつあった。一夜にして前線が決壊し、航空戦力の大半が壊乱し、大量の物資と大勢の将兵が失われたのだ。
混沌とした司令部の中で、トロッケンフェルト大将は小指を立てながら濃い珈琲と煙草をひっきりなしに口へ運び、戦況地図を凝視し続けていた。
「これは入念に計画された反攻だ。明確な戦略目標があるはず。奴らの狙いは何だ?」
攻勢3日目。
カロルレン第三軍の勢いは衰えない。アルグシア軍は狼の群れに襲われた野牛のように、必死に抵抗を試みる。孤立した3個師団から悲鳴染みた救援要請が終日絶えなかった。が、第三軍の狙いが分からぬまま反撃/救援など魔狼の群れに餌を放り込むようなものだ。トロッケンフェルト大将は軍事的冷酷さを以って黙殺した。
攻勢4日目。
第三軍の進撃路から、トロッケンフェルト大将は疑問の答えを見出す。
「――そうか。奴らの狙いはコラシェウ川橋と拠点群の線だ。第三軍の主力がそこまで達すれば、第一軍のこもる拠点群が瓶の首となり、占領地域内の全部隊が後退も出来ず分断される」
「奴らの思惑通りに進んだなら、主戦線が崩壊しますぞ……っ!」
参謀長ヤンケ准将が巨体を震わせ、思わず息を呑む。
ほんの数日前まで圧倒的優勢だったというのに、文字通り一夜にして攻守が逆転してしまった。今や侵攻軍そのものが崩壊の危機にある。
「そうはさせん」
トロッケンフェルト大将は軍事的必要性に基づく犠牲を決意する。
「まずは第三軍の頭を押さえるぞ。逐次投入で構わん。中隊でも大隊でも良い。それから生き残っている航空戦力も全て突っ込め。とにかく頭を押さえろ。そのうえで孤立した3個師団に全力で反撃させ、第三軍の側背を叩く」
「閣下、3個師団は物資不足と損害多数で自力後退が出来ませんぞ」
「後退させるのではない。第三軍の側背を叩くのだ、参謀長」
侵攻軍全体を救うため、孤立した3個師団を使い捨てる。それがトロッケンフェルト大将の決断だった。
「ここで第三軍を撃滅できたならば、カロルレンの予備戦力は尽きる。これは決戦だ。3個師団の犠牲など必要経費に過ぎん。違うかね?」
ヤンケ准将は唇を噛みながら、苦しげに頷いた。どんな犠牲を払ってでも第三軍の足を止める必要があることを、彼も理解していた。
軍事的必要性はあらゆる犠牲を許容する。
戦争は残酷だ。敵にも、味方にも。
攻勢開始5日目。
トロッケンフェルトの冷酷で冷徹な対応策は当たった。五日に渡る突進により補給問題が生じたことも手伝い、カロルレン第三軍は遂に足を止めてしまう。
が、ここからが両軍の将帥が本当に知恵を絞る番だった。
カロルレン第三軍は数的に不利だ。兵力差が響く会戦は避けたい。会戦を避けつつ、アルグシア軍後背へ回り込み、なんとか目的の分断を図りたい。
逆にアルグシア軍は数的優位を活かすべく、足を止めた第三軍を会戦に引きずり込みたい。会戦で第三軍を叩き潰せたなら、この戦争自体にトドメを刺せる。
両軍の主導権を巡り、空の戦いが始まった。
魔導技術文明世界は近代といえど制空権の認識はある。敵航空戦力が縦横無尽に飛び回る状況で街道移動や会戦など出来ないことを、経験則で理解していた。
つまり、空の戦いの勝敗が会戦の成否を決める。
『三連撃』作戦により空の優位を握ったカロルレン翼竜騎兵と、大損害によって半身不随状態のアルグシア航空部隊が死闘を重ねる。
地上で読み合いが行われる間、両軍の空の騎士達が血みどろに殺し合い続けた。
そして、攻勢開始7日目。
アルグシアが第三軍と空に意識を注ぐその間隙を突くように、拠点群にこもっていた第一軍が全力出撃してきた。
虚を突くように短時間の猛烈な砲撃後、総員突撃を行った第一軍は包囲を突破、第三軍との合流を試みる。
「好機到来だ」
報告を聞いたトロッケンフェルト大将は、ダンディズム満点の微笑を湛える。
「第一軍と第三軍の間に踏み込み、数的有利を活かして二正面内戦運動戦に挑む。第一軍と第三軍、まとめて葬ってやろうじゃないか」
「決戦ですな……っ!!」
剛毅の男ヤンケ准将は子供が見たら泣きそうな笑顔を浮かべた。
攻勢10日目。
両軍はツァージェと呼ばれる地域で雌雄を決する。
東メーヴラント戦争“序盤”の天王山『ツァージェ会戦』である。
〇
カロルレン王国西南部ツァージェ。
田舎である。
いくつかの小村が散在する起伏に乏しい平野――農耕地域である。夏畑の今時分、耕作地は豆や燕麦が繁っていた。
真夏の蒼穹の下、この田舎のだだっ広い平野でカロルレン第三軍とアルグシア軍主力が対峙する。
カロルレン第三軍は約4万弱。二つ三つの農村を核として馬蹄状に部隊を配置。防御を固めていた。
一方、アルグシア軍主力は周囲より二メートル高いだけの丘陵に本営を置き、9万将兵を鶴翼陣形で展開。陣形前に三層の散兵線を敷いた。両翼端に軽騎兵を配している辺りが実にいやらしい。
数的には二倍の戦力を有すアルグシア軍が圧倒的優勢。有利不利が生じにくい平野会戦で二倍の戦力差はかなりキツい。
ただ、拠点群を脱したカロルレン第一軍約2万8千が、アルグシア軍の側面を突くべくザルジフへ急行している。たかが2万8千といえども、会戦中に横っ腹を殴りつければ、アルグシア軍9万強を壊乱可能。
この時、空の戦いは攻勢開始以来の死闘続きで、両軍の翼竜騎兵が疲労困憊に陥っていた。翼竜は生き物だ。燃料を入れて整備をすれば飛び続けられる飛行機とは違う。生物的疲労の蓄積から逃れられない。
トロッケンフェルト大将は接近してくる第一軍に対し、主力を割かなかった。戦略的安全性より戦術的速度――第三軍の迅速な壊滅を優先した。第三軍を速やかに打ちのめし、返す刀で第一軍を叩き潰す。その後は『目標、カロルレン王都。全軍前へ』と号令するだけだ。
午前9時半。
アルグシア軍の散兵線にいた貴族将校が、蹴球のボールをカロルレン軍へ向けて蹴った。
ツァージェ会戦、開始。




