15:6
お待たせ候。
大陸共通暦1770年:ベルネシア王国暦253年:盛夏
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム
――――――――――
メルフィナ・デア・ロートヴェルヒは公爵令嬢であると同時に実業家である。
美容エステサロン、化粧品、衣料品、生理用品……特権階級向け高級品から大衆向け廉価品まで女性向け商材を幅広く扱っている。規格品を大量生産するための工場を持っているし、完全注文生産用の一流職人と工房をいくつか抱えている。
そんなメルフィナの持つ最高級服飾工房で、ヴィルミーナは下着姿にされ、体のあちこちを採寸されていた。胸回り、腰回り、臀部回り。首の長さと腕の長さと脚の長さ……
ちなみに巻き尺をもって採寸しているのは、職人ではなくメルフィナだった。どういうことなの……
「ほんとにこんな格好で測る必要あるの?」
ヴィルミーナが片眉を挙げて問う。
「必要です必要ですヴィーナ様の花嫁衣裳なんです万が一に間違いがあってはいけませんから最高のドレスを仕上げるためにはヴィーナ様の全てをきっちりかっちり採寸しなければならないのです」
メルフィナはどこか上気した顔で鼻息を荒くし、息継ぎ無しの早口で応じた。ヴィルミーナの表情筋がもにょっとした面持ちを描くも、メルフィナは気にした様子も見せず、嬉々として採寸を続ける。
ヴィルミーナは密やかに鼻息をついた。
……太腿とか後ろ腰とか臍の傍とかこっそり撫でとるの、バレとるよ? バレとるからね?
「ヴィーナは胸元が少し足りないのよねえ……」
「そうなんですよねえ。もう少しあれば……」
付き添った母ユーフェリアが嘆くように呟き、メルフィナが残念そうに相槌を打つ。
なんでやっ! Dカップやぞっ! なんでDカップで貧乳扱い受けなあかんねんっ!
噴飯物の採寸を終え、ヴィルミーナ一行は工房の応接室へ通された。
御付き侍女メリーナがしみじみと呟く。
「御嬢様もついに御結婚ですか……私も長くお仕えしてますねえ……」
ヴィルミーナは眉を大きく下げた。
反応に困っている主を余所に、メリーナは話のベクトルを切り替えた。
「そうそう、近頃はアイリス様と御食事を御相伴させていただく機会が度々ありまして」
ヴィルミーナは小さな驚きを覚えた。メリーナとアイリスの交流は知らなかった。
「そうなの? ロー女士爵には私もお会いしたいわ」
「申し訳ありません。御嬢様は御誘い出来かねます。大人の淑女の集まりですから」
メリーナが能面染みた怖い微笑を浮かべた。
御付き侍女メリーナさん。三十云歳。未 婚 !
+
アイリス・ヴァン・ロー女子爵さん。三十云歳。独 身 !
=
大人の淑女の集まり。
……あっ(察し)
ヴィルミーナはそれ以上、この話題に触れなかった。気まずさを誤魔化すため、頻繁にお茶を口に運ぶ。ユーフェリアは最初から一切話を聞いてない振りを通していたが。
そうこうしていると、メルフィナが数人の職人を伴ってやってきた。職人の方は何やらファイルやノートを抱えている。
「ヴィーナ様、お待たせしました。それでは早速、花嫁衣裳の打ち合わせを始めさせていただきますね」
職人の一人がファイルを開き、花嫁衣裳のデッサン画を並べていく。
どれも色は純白ながらデザインが異なり……
「これはちょっと野暮ったい」「こっちはニステルロー侯爵夫人の花嫁衣装と似通ってる」「もうちょっと気品がある作りが良いわ」「これ可愛いっ! でも、ヴィーナには可愛い系より奇麗系の方が……ああ、どうしましょっ!」
ヴィルミーナ以上に母ユーフェリアが盛り上がっていた。
3時間近くあーだこーだと(主にユーフェリアが)意見出しを続け、大まかなデザイン案が決まり、とりあえず三通りのサンプルを作ることに。
その際、ヴィルミーナが何気なく尋ねる。
「ところで、生地は何を使う予定なの?」
「最高級の東方産絹を予定しております」
職人の回答を聞き、ユーフェリアが不満顔を浮かべた。
「女妖蜘蛛の幼糸製生地は手に入らないの?」
モンスター素材の中には衣類に用いられる物も多い。多くは体毛や皮革、植物種系の繊維質だが、中でも昆虫系モンスターの繭糸や蜘蛛系モンスターの出す糸は珍重されている。
そして、蜘蛛系モンスターの最強格である女妖蜘蛛の幼体が持つ糸――幼糸は、モンスター製服飾繊維として最高級品の一つで『尊貴なる錦糸』と呼ばれるほど美しい。お値段? 聞くだけ野暮ってなもんさ。
「申し訳ありません。先のソルニオル事変と此度の東メーヴラントの戦が影響し、女妖蜘蛛の生息域である大陸中央域との交易が低調でして」
陳謝しながらメルフィナが説明する。
「あらま」
巡り巡って、という奴か。ヴィルミーナは内心で苦笑いしつつ、言った。
「御母様。私は東方産絹でも構いませんよ。東方趣味の私にはちょうど良いです」
「ダメよ」
ユーフェリアの口から放たれた端的な一言。
そこに含まれる絶対的冷気と凶悪な威圧感に、ヴィルミーナとメルフィナ、メリーナの背筋が思わず伸びて即座に居住まいを正す。職人達は凍り付き、全身の毛穴から冷や汗を噴き出していた。
目が据わったユーフェリアが静かに告げる。
「私のヴィーナが最高の花嫁衣裳を着られないなど、断じてあってはならない」
愛娘に強く自己投影をしているユーフェリアにとって、ヴィルミーナの恋愛結婚は自身が得られなかった幸福の象徴的催事。
ゆえに、ユーフェリアに妥協はない。絶対に。決して。
「なんとしてもアラクネの幼糸製生地を入手しなさい」
王妹大公の厳命。
娘のヴィルミーナさえ議を申すこと能わず。
かくして、大陸西方冒険者業界と貿易業界に高額報酬の緊急クエストが持ち込まれた。
『女妖蜘蛛の幼糸もしくは幼糸生地を入手せよ。ただし、最高品質に限る』
知人の冒険者から話を聞いた王弟大公“バーバリアン”フランツは思わず苦笑い。
「俺ぁ獲りにゃ行かねーぞ」
貿易筋から情報を得た聖冠連合帝国女大公クリスティーナは冷笑した。
「一つ貸しを作っても良いわね。ちょっと伝手を当たってみましょう」
さて、この件でちょっとした騒ぎが起きた。
「ヴィー姉様のため、僕が女妖蜘蛛を狩ってくるっ!」
中二病真っ只中のピュアピュアボーイ、王子アルトゥールはガチだった。
王家秘蔵の超高品質魔導素材に最高級強化魔導術を付与した業物を持ち出し、船に乗って南小大陸まで一狩りしに行こうとした。が、無事に港で捕獲――もとい、保護された。
父の国王カレル3世は眉間を押さえ、母の王妃エリザベスは天を仰ぎ、祖母の王太后マリア・ローザは仰々しいほどの溜息を吐き、兄のエドワードはかつての我が身を振り返って身悶えし、2人の姉クラリーナ姫とロザリア姫は末弟の冒険失敗を大いに笑った。
花嫁衣裳一つでこの騒ぎ。
王妹大公令嬢結婚式の狂騒はまだ始まったばかりだ。
〇
レーヴレヒトもヴィルミーナへ送る指輪について考えを巡らせた。
相手は大金持ちであるから、自分の財布で生半な物を購入しても見劣りするだけ。であるならば別の切り口で臨むべき。
そうだ。家族由来の指輪を贈ろう。
ここで問題が一つ。
レーヴレヒトはゼーロウ男爵家の次男坊であるが、クライフ家の養子であり……ゼーロウ男爵夫人はユーフェリアの旧友であるが、クライフ家はかつての想い人の生家である。
どっちの家の指輪を頂けばよいのか。
建前としてはクライフ家。が、感情で言えばゼーロウ家。家格で言えば、男爵家のゼーロウ家より伯爵家のクライフ家を立てるべきであるが……
悩めるレーヴレヒトは王妹大公家御用商人クライフ翁に相談した。
「――というわけで、どうしたらよいでしょう」
「ふむ」
クライフ翁はしばし考え、案を出した。
「指輪の石はクライフ伯家から、腕(輪の部分)はゼーロウ男爵家からいただきましょう。そのうえで当商会の伝手で加工いたします。如何かな?」
「素晴らしい案です。さっそくお願いしてみます」
「僭越ながら私も同道して説得のお手伝いをしましょう」
クライフ翁は好々爺そのものの笑顔で言った。
ここまでは大いに順調。しかし、このまま順調ではいかないのが、なんというかヴィルミーナとレーヴレヒト“らしい”。
「ならば、私が妻に贈った指輪にしようか。中々に良いものだぞ」
話を聞いた先代当主オットー・ヴァン・クライフは快く応じた。
曰く、大陸南方に派遣された時、現地で入手したもので、とても透明度の高い碧玉だった。光を当てるとカッティングに合わせて青い光が煌めき、大いに美しい。
「ああ。あれは良い石ですな。しかし、よろしいのですか? あれは義姉上も随分と気に入っておられたが……」
兄の判断を案じるクライフ翁。が、オットーは不敵に笑う。
「その辺りはきっちり説得する。任せておけ」
ところが、現当主クライフ伯の次女が待ったをかけた。養子入りしたレーヴレヒトの義妹に当たる18歳の彼女は、べそ掻きながら言った。
「あれは、御婆様が私にくれるって言ったのぉ! 私が結婚する時にくれるって言ったのぉ!! ずっと楽しみしてたのぉっ!! お願いだからぁ止めてぇ!」
「そういうことでしたら」とレーヴレヒトが素直に辞退する。
レーヴレヒトにしてみれば、ヴィルミーナと結婚するためにクライフ伯家を『利用している』ので、あまり迷惑はかけたくない。
「ならば、私が用立てましょう」
クライフ翁が新たな提案をする。
いやしかしそれでは伯家の面目が立たぬ、とオットーが難色を示す。
それならばその石は一度クライフ伯家に献上し、現当主の名前をもってレーヴレヒトに贈れば良い。とクライフ翁が商人らしい小細工を建策した。
そうして用意された石は、かつてクライフ翁が心から愛した女性へ送るはずの物だったが、身分違いから結婚が適わず贈ることが出来なかった。
もちろん、クライフ翁はそんな“つまらない”ことをレーヴレヒト達には言わない。ただ、我が娘のように慈しんで支えてきたユーフェリアと孫の如く見守ってきたヴィルミーナの幸せに、少しだけ関われることを一人で喜んだ。
ようやっと調達された石は、風精鬼蜂の女王蜂から採取された魔結晶だった。風精鬼蜂は見た目こそその名の通り風精のように美麗ながら、その実は肉食のおっかない昆虫系モンスターだ。
由来は物騒ながらも、風精鬼蜂の魔結晶は確かに美しかった。
血のように紅くありながら透き通っていて、どうやら変異性魔結晶らしく石の中で波打つように光が泳ぐ。これほど高純度かつ変異性を持つ魔結晶は非常に希少だ。金額にすれば高額待ったなし。
こうして見事な石を入手し、久しぶりに故郷クェザリン郡へ足を運び、生家ゼーロウ家を訪ねたところ……
「風精鬼蜂の魔結晶ねえ……ほーぉ。まあ、確かに良い石だな。ほーう」
レーヴレヒトの父ゼーロウ男爵が何やら面白くなさそうに言った。表情も態度も何やら棘が見え隠れしている。
はて、これは如何なることか。レーヴレヒトが訝っていると、母フローラが耳打ちしてきた。
「風精鬼蜂の魔結晶はこの人も持っていたのよ。ただ、貴方が持ってきた物より品質がね」
そういえば父上は鉱物集めが趣味だったか(9:3参照)。魔石や魔結晶も例外ではなかったと。
ゼーロウ男爵がどこか不機嫌顔のままおもむろに呟く。
「これほど良い石を用意されては、しっかりした腕を用意せにゃいかんな」
「え? 父上か母上がお持ちの指輪を一つ頂ければ充分――」
「そーいう訳にはいかんだろーぉ。それではこのゼーロウ家の面目がー立たんだろぉー」
どうやら父の競争心に火が点いたらしい。
そして、暴走を始めた父は至極当然のようにクェザリン郡の“アイツら”へ声を掛ける。そう前世知識持ちヴィルミーナをドン引きさせるクェザリン郡の技術狂い共だ。
「風精鬼蜂の変異魔結晶を据える指輪か。魔鉱合金では安易に過ぎるな」「うむ。発想の方向性が低い」「そうだ。硬化変異した西方妖花があった。あれから削り出すか」「面白い。指輪の石座を花弁風にあつらえるか」「おお。アラウネの腕に咲く風精鬼蜂魔結晶の花というわけだな」「細工師の腕が問われるぞい」「望むところよ」
ポンポンと勝手にデザインまで決めていく技術狂い共。もちろん、レーヴレヒトの話なんて聞きゃあしない。
「俺の時を思い出すようだ……マルガレーテと婚約した時も式を挙げる時も先方と張り合って……う、頭が」
相談を持ち掛けられた兄アルブレヒトが何やら思い出して頭を抱えて唸る。
「兄上、父上と職人達の暴走を止められませんか?」
「無駄だ。諦めろ」
アルブレヒトは弟の要請をあっさり蹴り、悪戯っぽく笑う。
「それに言ったろう? お前が結婚する時も大騒ぎにしてやると。たっぷり楽しめ」
指輪を決める段階でこの有様なんだけど……これ以上の大騒ぎとか勘弁してほしい。
レーヴレヒトは眉を大きく下げた。
〇
盛夏の昼下がり。王妹大公屋敷の中庭テラスに青い大日傘が咲いている。
その大日傘の陰で、ヴィルミーナは籐製の安楽椅子に腰かけて涼んでいた。現代地球では珍しくない裾丈の短なキャミワンピを着て、ビニールプール大の金たらいの中に両足を突っ込んでいる。
侍女長や御付き侍女メリーナが『はしたないし、だらしない』とおかんむりだったが、暑いものは暑いし、久方振りに一人の休日だった。大いにだらけたい。
ヴィルミーナは大たらいの中で両足を動かし、ちゃぷちゃぷと水音を奏でつつ、ぼやく。
「結婚の準備ってしち面倒臭いもんだったのね……」
「御嬢様が身代を大きくし過ぎたからだと思います。さすれば、この御苦労は因果応報、自業自得です」
大日傘の足元に座るメリーナは容赦なかった。
「……ねえ、メリーナ。近頃、私に対する優しさが足りないと思う」
「はて。そのようなことはございますん」
語尾に建前と本音が混じっとるやんけ。その調子やと前世の私にみたいに最期まで結婚できへんぞ。
ヴィルミーナは小さく鼻息をつき、グラスをメリーナへ差し出した。
「優しいメリーナ。レモネード、お代わり頂戴」
「かしこまりました」
メリーナはテーブルの上に置いたポットを傾け、魔導術製の氷が浮かぶグラスにレモネードを注ぐ。ちなみに、このレモネードはヴィルミーナの好みに合わせ、可能な限りはちみつレモンに近い味付けとなっている。
メリーナからグラスを受け取り、ヴィルミーナは冷たいレモネードを味わう。仄かな甘みと酸味が暑気で火照った体に染み渡る。
爽快感を覚えながら、ヴィルミーナはのんびりと中庭を眺めた。
中庭の植物は燦々と注ぐ陽光を浴び、枝葉をのびのびと茂らせている。一方、開花した夏の花々は暑気にめげたようでどこかしょぼんとしていた。単純に水が足りないのかもしれない。花々の間を蝶や蜂が飛び回り、植え込みの足元では小さなトカゲが飯を探して散歩中。
うだるような暑気に満ちた安穏な昼下がり。
と、中庭の小路に影が覗く。舌を垂らして忙しなく息をする愛犬ガブがやってきた。
ガブはヴィルミーナの許にやってきて躊躇することなく、大たらいの中へ進入。身を伏せて水に浸かる。挙句はじゃぶじゃぶと頭も水に突っ込み、満足げに大きな息を吐いた。
「……犬って濡れるのを嫌がるものじゃなかったかしら」
「ウチの実家で飼っていた番犬は水溜りを見つけては率先して飛び込んでましたよ。ガブも猟犬種ですし、濡れることを気にしないのでは? それに頻繁に洗っていますから。慣れてしまったのかも」
「そういうものかな」
メリーナと詮無いやり取りを交わした後、ヴィルミーナはグラスを傾け、ふ、と息を吐く。
結婚式の準備は依然としてやることが山積みだが、母と側近衆が大いに励んでいるから騒々しくとも予定日までには完遂するだろう。
意外な副次効果として、結婚の準備が始まって以来、側近衆達のイケイケドンドンが収まりつつあり、落ち着きを取り戻しつつある。
なーにを焦ってたんやろか? レーヌス大河の利権を掻っ攫われた件かしら。ええ教訓になった程度に思うてたけど、あの子らには深刻やったんやろか? これまでいろいろあったけれど、一方的な大負けや失敗ゆうんは無かったからなあ。この辺は私が一端でもあるか。
ヴィルミーナは滅茶苦茶に暴れているようで、大敗はしないよう心掛けている。なんせ前世でとんでもなく痛い目を見たのだから。最も冒険的だった大規模仕手戦にしても、犯罪同然の手法で可能な限り勝利条件を整えていた。
いっぺん、時間を掛けてじっくり話し合う機会を作った方がよさそうや。
グラスを傾け、ヴィルミーナはレモネードの涼を味わう。
しかし……えらい金が掛かるなあ……また稼げばええけど……。
白獅子の事業が円滑に回る限り、ヴィルミーナの財布は目減りしても肥え太るのだが、それでも結婚式と振る舞い二回はかなりの出費だ。
大たらいの中でガブが大きな欠伸をする。
ヴィルミーナも釣られて大きく欠伸をした。夏の鮮烈な蒼穹を見上げ、思う。
平和やなぁ……
〇
東メーヴラント戦争は平和とは程遠かった。
南部戦線――ファロン山攻防戦は停滞していたが、両軍の間で狙撃戦が行われていた。
要塞化された侯都周辺では来たる攻勢に備え、帝国偵察兵とカロルレン軍哨戒部隊の戦いが交わされている。教科書には載らない戦いが無数に重ねられていた。
一方、西部戦線は暴力の連鎖が始まっていた。
占領地域におけるカロルレン王国住民には、連邦軍に従順な住民も少なくなかった。
良くも悪くも封建主義的価値観による。
封建主義体制において貴族や領主にとって民は土地の付属物であった。
が、民にとっても貴族や領主は土地の飾りに過ぎなかった。自分達に有益なら税も払うし、賦役にも従う。
しかし、自分達の役に立たず、ただ搾取するだけの寄生虫なら容赦なく見限るし、場合によっては一揆だって起こす。封建体制下の民衆が領主や国家に忠誠心を持つとしたら、余程の善政を必要とするだろう。
そして、この時期のカロルレン王国は善政をしているとは言い難かった。
王国北東部ベースティアラント地域は大災禍以来、王国中央に強烈な反感を抱えているし、王国南東部ディビアラント地域も元来反骨の気質が強い。加えて、西部も大飛竜の被害地域が王国中央の姿勢や対応に不満を抱えていた。そこへコラシェウ伯領の件。
カロルレン王国住民がアルグシア連邦になびいても無理はない。アルグシア連邦にしてみれば、征服し易い環境といえた。
ただし、ここに歴史の妙が生じる。
引きこもりのカロルレンは随分と久方振りの対外戦争。しかも侵略を受ける側。
彼らは侵略者に対して実像以上の恐怖心を抱き、敗北したら奴隷にされる等の流言を真に受けた。コラス川橋の戦いで領兵団が撃滅されたこともこうした恐怖を煽った。
それに、ある程度の富農や既得権益を持つ者達は、アルグシア連邦に富や権益を奪われることを酷く恐れていた。
恐怖と金が一部の住民を抵抗運動へ駆り立て、テロやサボタージュ、情報収集を実施させる。むろん、真面目な連中は本気で愛郷精神や愛国心、忠誠心から戦った。略奪や虐殺、暴行の被害に遭った者達はその復讐と報復のために武器を取った。
こうしたカロルレン住民の抵抗に対し、アルグシア連邦軍は“経験不足”を露呈していた。
アルグシア連邦は植民地を持たず他国領土の征服統治経験が無い。彼らは同じアルグス人とはいえ、他国人が異なるアイデンティティを持つことを理解していなかった。であるから、占領地域の住民は勝利者たる自分達に服従するもの、と思い込んでいた。
また、急激に拡大した占領地域に対し、占領統治用兵力が不足していたことがこうしたテロやサボタージュを成功させ、バカ共をつけあがらせてしまった。
水が低きに流れるように、現場はイベリア半島戦争のフランス軍のように『目には目を』を始めた。占領地域内で9年戦争の如き暴力の連鎖に陥る。互いに報復を繰り返し、残忍性と残虐性が肥大化していく。
このようにアルグシア連邦軍が占領地域の安定化に四苦八苦している中――
彼らは動いた。




