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大陸共通暦1760年:ベルネシア王国暦243年:初冬。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国南部:クェザリン郡。
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「レーヴレヒト。片が付いたぞ」
父が持ってきた新聞にレーヴレヒトは目を通す。
新聞の国際面にはフルツレーテン公弟の病死が記されていた。もちろん真実は文面通りではあるまい。大方強制的に毒を呷らされたのだろう。
どうやら回復剤の供給停止はよほど堪えたらしい。
「今更、という気がしないでもありませんが、何かがあったんですかね?」
「これは推測だが、フルツレーテン公太后が見限ったんだろうな」
父曰く――変態公弟の命脈は母である公太后の庇護と寵愛が全てだった。しかし、先の『嫌がらせ』により、公太后は一つの選択を突き付けられた。
あくまでバカ息子を守るか。自身が私財を投げうって改善し続けたフルツレーテン医療環境を守るか。
公太后は後者を選んだ。老い先短い公太后はそこらの我が子を溺愛する老母ではない。小国とはいえど国母であり、歴史に名を残す人間だった。公太后は考えてしまったのだ。
自身が後世にどう記されるのか。
彼女は母親であることより、国母であることを選んだ。
たとえ我が子を切り捨ててでも、自ら作り上げた民のための医療環境と福祉体制を選んだ。そういう評価を墓石に刻む選択肢を採った。
むろん、この選択には彼女の長男である現公王や周囲の重臣などの説得、進言があったことは疑いようもない。
「親の愛に縋ってやりたい放題に生き、最後はその親に見限られてあの世行きですか。我が身を顧みて行状を改めます」
「よぉ言うわ」
しれっとのたまう次男坊を一笑し、ゼーロウ男爵は大きく息を吐いた。
「しかし、今度の件は肝が冷えた。疑似ゴムの改良法やダンパーの時もあれこれと手続きに難儀したが、今回はその比ではなかったな……」
「まだ片付いてませんよ」
レーヴレヒトが父へ釘を刺すように告げた。
そう、『ゴブリンファイバー』の件はまだ片付いていない。物はまだまだ研究室レベルであり、実用化レベルに達すれば、権利問題やら製造量産のあれやこれやで揉めるだろう。ゼーロウ男爵家は無縁でいられない。そして、ヴィルミーナは絶対、ウチへ押し付ける気だ。
「あーあーあーあーあー……」ゼーロウ男爵は慨嘆をこぼし「こんなことになるなら、お前の話に乗るんじゃなかった」
「疑似ゴムとダンパーの時は儲かると喜んだじゃないですか」
「それはそれ、これはこれだ」と息子相手に大人の狡さを発揮するゼーロウ男爵。
「しかし……お前、本当にヴィルミーナ様とは何もないのか?」
ゼーロウ男爵は往時の激高したヴィルミーナを思い返しながら尋ねた。
アレを見てレーヴレヒトとヴィルミーナが『ただの友人』などと信じる者はいない。2人は特別な絆で結ばれていることは明らかだ。
そして、この時代に限らず男女の密接な絆に対する見方は、大概決まっている。
「大公令嬢と男爵家次男では家格に差がありすぎるが、やりようはいくらでもあるぞ」
然るべき爵位の家と養子縁組させたうえで婿入りさせる。手間と金は掛かるが、将来を考えるなら悪くはない。まあ、長男のアルブレヒトは思うところがあるかもしれないけども……
気を回した父へ、レーヴレヒトは怪訝そうな顔をした。
「何か誤解があるようですが、俺はヴィーナ様に恋愛感情なんて欠片も持ってません」
「……そうなのか?」
「俺とヴィーナ様の関係は、そうですね。出身成分や性別を超越した友情がある、といったところですかね。そこに恋とか愛とかはありません」
「分からん。お前の言っていることがさっぱり分からん」
ゼーロウ男爵は次男坊の言いようを全く理解できなかった。
父であるゼーロウ男爵は次男坊の異質さを重々把握している。幼い頃から異様に頭が回ったし、その心根は幼い頃から老成されていた。我が子は異才の人物なのだろう、とゼーロウ男爵は受け止めている。
家人の中にはレーヴレヒトの方が当主に向いているのでは、と考える者もいる。しかし、ゼーロウ男爵はレーヴレヒトを嫡男に、と考えたことは一度もない。領の運営だけ、あるいは発展させていくことだけに集中できるなら、レーヴレヒトの異才振りは適しているかもしれない。新たな施策や方策に挑戦し、領民を富ませ、領を発展させられるかもしれない。
だが、直轄領代官の仕事は領の運営だけではない。周囲の代官と協力関係が欠かせないし、何より王国府や王家の意向を“決して”無視できない。代官職とは領の運営だけでなく、周囲や中央との政治的な調整や連絡、交渉などが多くを占めるのだ。
レーヴレヒトの異才はこうした政治的業務に向いているとは思えない。
……アルブレヒトが言うように、軍人より技師か研究者の方が向いているのかもしれん。
ゼーロウ男爵は次男坊の行く末を案じてしまう。妻はレーヴレヒトを士官学校に入れると言っているし、ゼーロウ男爵も妻の熱意に負けて受け入れたが、やはり不安がある。
軍とは基本的に保守的な組織だ(上層に至るほど保守派や経験主義者が増え、自身の経験した手法や戦訓に合わせた思考に拘泥しがち)。レーヴレヒトの異才は重用されるか、疎んじられるかどちらかだろう。まあ、妻の実家が軍人貴族だから、無碍にはされまいが……
自身を案じる父親を他所に、レーヴレヒトは新聞に載っている外洋領土の記事に注目していた。
ベルネシアの外洋領土は結構多い。海上帝国と名乗っても遜色ないレベルにある。
しかし、それらの外洋領土が順調に運営されているかといえば、そんなことはない。
外洋領土の周辺国相手に非公式戦争状態で、外洋領土内でも現地人の抵抗勢力と戦闘状態にあった。加えて、外洋進出した列強との抗争も絶えない。要するに、問題だらけだ。
外洋領土からのアガリは確かにデカい。しかし、そのコストは無視できないほどかさんでいる。
これぞ痛し痒し。
ベルネシアとしては外洋派遣軍を増員増強して外洋領土の問題を一気呵成に片付けたい。
だが、本国の傍にアルグシアやクレテアという敵が存在する以上、本国防衛は軽視できない。
というより、既に兵力的にも国費的にも許容限界まで外洋派遣軍に投じている。これ以上は無理だった。中堅国家の限界である。
レーヴレヒトは新聞を読みながら、未来のことを考える。
――士官学校を出たら、多分外洋派遣軍に配属されるだろう。船旅は人生初めてだ。案外、海軍が性に合うかもしれない。いや、山育ちの俺が海に合うとも考え難い。翼竜騎兵や飛空船はどうかな……空を自由に飛び回るのは楽しそうだ。でも、落ちて死ぬのは嫌だな。どうせ死ぬなら、陸の上で死にたい。無難に陸軍へ進もう。
士官学校でみっちり軍事教育を受けた後、17歳で新品少尉として前線へ送られる。任期はそこから始まる。
負傷退役か戦死しない限り、士官の最低任期は7年(ベルネシア軍制では志願兵は一期5年、徴兵は3年。軍の活力を重視していることと予算の都合上、徴兵制ではなく志願制を採っていた。有事動員法でひとたび戦争が始まれば、即座に徴兵制に移行して継戦兵力を確保する。別名『泥縄式』)。
何年前線にいるか分からないが、最短でも24まではヴィーナ様の無茶振りから解放されることになるな。
レーヴレヒトはその事実を残念に思い、寂寥感を抱いた自分に少しだけ驚いた。




