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大変遅くなり、申し訳ござらん。
大陸共通暦1770年:王国暦253年:春
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム
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「西部戦線は小康状態を迎えたようだ」
春の昼下がり。エンテルハースト宮殿のサロン。その豪華なソファの上に寝そべった王太子エドワードは、報告書に目を通しながらぽつりと呟く。
彼の頭は王太子妃グウェンドリンの膝の上に置かれ、グウェンドリンのたおやかな指がエドワードの金髪を梳いている。
サロンには王太子夫妻の2人だけで、侍従も侍女も護衛もいない(もちろん、室外で万全の警備体制が取られているが)。夫婦関係を“一段階”進めて以来、エドワードはグウェンドリンと共に過ごす時間を増やしていた。
というか、時間を捻出し、こうして日が高いうちからイチャコラしていた。まあ、生真面目な彼はクレテアの好色な少年王のように気の赴くまま腰振り運動を始めたりしなかったが。
膝を貸すグウェンドリンは超絶美少女から超絶美女へ順当にクラスチェンジしており、しかも“一段階”進めてからは完全に少女から脱却していた。美貌に加えて大人のオンナとして、あるいは人妻特有の色香を滴るほど発している。ベルネシア随一の美女と謳われるほどだった。
「冬季戦の無理が祟ったのでしょうか?」
グウェンドリンは王妃教育の一環として軍事についても教育を受けていた(あくまで概要程度だが)。そのため、戦争に対して多少の意見を開陳するくらいはできる。
「そのようだ」
エドワードは若妻の見解を素直に認めた。
アルグシア連邦カロルレン侵攻軍は冬から春の雪解けまでカロルレンの拠点群攻略へ挑み続けた。拠点群の半数を陥落させ、拠点群後背への道を啓いたが、その無理に見合った犠牲と物資消費を招いていた。流石にこの状態で雪解け後にすぐさま攻勢再開とはいかない。再編成を含めた兵力の回復と物資の再備蓄が居る。部隊配置も見直しがいるだろう。
カロルレンにしても血みどろの防衛戦を終えたばかりではすぐさま行動することは難しい。あるいは、作戦予備だった第三軍を投じる機会を狙っているかもしれないが。
ともかく、両者の『ちょっと一服入れたい』という思惑が一致したらしく、西部戦線は小康状態を迎えていた。
「ただ、冬季戦の消耗だけが理由ではないようだ」
「アルグシアお決まりの内輪揉めですか?」
グウェンドリンのキツい指摘に、エドワードは控えめに微笑む。
アルグシア連邦は神聖レムス帝国の後継国を自任しているが、神聖レムス帝国の悪癖も引き継いでいた。つまり、一枚岩になれない。連邦構成諸邦は良くも悪くも常に自国の事情と損得を最優先していた。封建的連合体制の構造的欠陥と言えよう。
グウェンドリンの辛辣な指摘はまさにこの点を指摘したものだが、エドワードは首を小さく横に振る。
「いや、どうやら冬季戦終了後から侵攻軍内に疫病が流行っているらしい」
「疫病ですか。先の戦のクレテア兵達のようですね」
幾度か記してきたが、戦争における死者の多くは戦闘そのものではなく、傷病死である。軍記物語の主役を張るような猛将や名将達ですら、出征中に罹患して寝込んだり命を落としたりしている。
医者もおらず、不衛生で医薬品もろくすっぽない環境で風邪を引けば、容易く悪化して合併症を生じる。いわゆる『ちょっとした風邪』が致命的な高熱や肺炎、チフスなどの重篤な疾患を招きかねない。
「ああ。かなりの兵士が罹患しているそうだ。参謀長のベンカー中将も熱に倒れて後送されたとある」
エドワードがグウェンドリンに告げると、グウェンドリンは目を瞬かせた。
「侵攻軍の参謀長が倒れた? それは、不味いのでは?」
「ああ。大問題だな。今頃は代わりの人員が派遣されているだろうが、方針や軍の活動に影響は避けられないだろう」
エドワードは意地悪な顔をして、笑う。
「今頃、アルグシアはさぞかし激しい内輪揉めをしているだろうな」
「エド様はアルグシアが御嫌いなので?」
「関係改善が続いているが心を許していい相手とは思っていないよ。まあ、クレテアほどではないけれどな」
エドワードは自分より年下のクレテア少年王を思い浮かべる。
直接的な面識はないが、美少女妻がいるにもかかわらず愛人を堂々と侍らせているという話だけでも、実に気に入らない野郎だった(自身の10代青春を思い出すと余計に腹が立つ)。
挙句、父カレル3世が『あれは手強いぞ』と“讃えた”ことも気に入らない。ヴィルミーナも『明敏で聡明。危険なガキ』と”褒めた”ことも、まったくもって気に入らない。
少なくとも、自分が父カレル3世やヴィルミーナから”王太子として”然様に褒められたことはないから。
エドワードは自身の髪を撫でるグウェンドリンの手を握り、その端正な顔を見上げて、
「俺がクレテアを嫌う理由は、クレテア王が父上やヴィーナから高評価を受けているからさ。つまりは嫉妬だな」
自身の心情を素直に吐露する。
真にグウェンドリンへ心を許しているがゆえに、エドワードは自身の弱さを隠さず、偽らない。結婚して以来、真摯にグウェンドリンと向き合ってきた時間は無駄ではないのだ。
グウェンドリンは慈しむようにエドワードの金髪を撫でる。
「報告書には他に何と?」
「ヒルデン独立自治領が愉快なことになっているようだ」
エドワードは再び意地悪に口端を釣り上げた。
※ ※ ※
カロルレン王国経済は既に限界を迎えていた。
近代戦は金銭、物資、人命、あらゆるものをバカ食いする。
カロルレン王国中央は長年に渡って戦争計画を練っていたから、“経費”もきっちり概算を出していた。
ところが、実際に『全力戦争』をしたところ……ひと季節だけで莫大な戦費が発生し、想定をはるかに上回る量の物資が消費された。ここに戦火による生産力低下の影響とヴァンデリック侯国の保有正貨奪取が失敗した問題も加わる。
この戦争による経済破綻は覚悟していたものの、経済どころか物質的に国が干上がってしまいそうな有様に、カロルレン王国中央は戦慄していた。
そこへヒルデン独立自治領を経由して『東』と交易する提案が持ち込まれた。
中央は飛びついた。というより選り好みできる状況ではない。貴重な飛空船や戦力を投じることに軍は難色を示したが、軍が怯むほど殺気立った民生や商工、大蔵の官僚達により、かつてない迅速さで実現へ向けられた。
さて、聡明なる諸賢は記憶に留めていらっしゃるだろうか。
聖冠連合帝国のカール大公がヒルデン独立自治領を経由した空挺強襲作戦を計画し、帝国総司令部にお伺いを立てていたことを。
総司令部はカール大公の提案を認めなかった。国内保有飛空船の全力投入を要求された時、宰相サージェスドルフは『あの若き名将には国家経済の講義が必要だな』と苦笑いした。
しかし、帝国軍は一つの可能性を危惧した。カロルレン軍がヒルデン独立自治領を経由して帝国領内を攻撃する可能性を。
スノワブージュ爆撃やワーヴルベーク強襲、ソルニオル公爵家飛空船突入事件。カロルレンがヒルデン特別自治領から、片道切符の航空攻撃をしてくる可能性を否定できない。連中にしてみれば、祖国の存亡がかかっているのだ。なりふり構わずなんだってやってくるだろう。
ヴァンデリック侯国を属国化する際、聖冠連合帝国は済し崩し的にヒルデン独立自治領も帝国属領に取り込んでいた(もちろん、自活能力に乏しいヒルデン側の意志など確認していない)。よって、ヒルデン独立自治領に軍を進駐させ、カロルレンの動きを抑え込むことが計画された。
が、ここで問題となるのは、ヒルデン独立自治領のビンボー振りだ。
辺境中の辺境ヒルデン独立自治領である。控えめに言ってもド田舎という表現しか思いつかない土地だ。簡単にたとえるなら、日本の山奥にある落人の隠れ里みたいな国である(詳しくは閑話14)。ヴァンデリックや聖冠連合と細々とした交易で食いつないでいる有様。進駐軍を養う余裕などありはしない。
それに、ド田舎で土地が限られるため、そもそも駐屯させられる戦力が限られる。下手をすると、軍を駐屯させるために帝国の人と金と資材でヒルデンを開墾する羽目になるかもしれない。
聖冠連合帝国は非常に鬱陶しい問題を抱える羽目になっていた。
もっとも、とばっちりで戦争に巻き込まれるヒルデン独立自治領の方が頭を抱えたい気分だろう。
※ ※ ※
「しかし、見方を変えると、これは我が国の外洋領土でも起きそうな話だな。傍に敵を抱えている地域は少なくない。情勢の変化次第で予防的進攻を要求されることもあるだろう」
我が国ならどうすべきか、とエドワードが難しい顔で考え込む。
「あまり根を詰め過ぎては体に毒ですよ」
グウェンドリンが膝の上に乗せたエドワードの頭を撫でる。も、エドワードの表情は晴れない。
「根を詰めたくはないが、暢気でいられる情勢でもない。それに……ヴィーナと国策事業をやれ、と言われている」
エドワードの悩みは深い。
父の指示は大雑把にもほどがあった。『ヴィーナと組んで何かやってみろ』。これだけだ。具体的なことは何一つない。
そして、『ヴィーナと組んで』と言っているが、その実は『エドワードが手綱を握って』という意味である以上、事業の主体はエドワードが差配すべきなのだが……
「国策事業と言われても何をしていいのやら」
エドワードは次期国王として経済や流通、産業なども学ばされていた。ベルネシアが商業国家であり、貿易国であり、産業国であるから、国家統治者として知識は欠かせない。しかし、所詮は知識である。
一応、書類上の決裁などは行ったことがあったが、自ら音頭取りをしたことはない。
そんなエドワードにヴィルミーナを――チビの時分から投資や投機を行い、王立学園に入る頃には商会や工房を買収して組織化を始め、二十歳を迎える頃には財閥を起こしていたという経済界の伝説的怪物を――御して事業を行えという。
無理難題である。エドワードが御神輿にされて、ヴィルミーナが実権を掌握する未来しか見えてこない。
不安顔のエドワードの頬を愛おしそうに撫で、グウェンドリンが言った。
「そう御一人で抱え込まず、まずはヴィーナと話し合われては如何です? ヴィーナはこと仕事に関しては重装騎兵のような女ですけれど、話を聞かないということはありません。基本的に身内に甘い女ですし」
「確かに俺はヴィーナと親戚ではあるが、仕事の上ではどうかな。厄介な目の上のたん瘤と見做すのでは?」
「かもしれません。ですけれど、目の上のたん瘤にも留意するべきと理解すれば、いきなり切除手術を検討したりしませんよ」
グウェンドリンはそこで少々自己嫌悪的な憂い顔を浮かべた。
「それに、王太后陛下のこともあります。御体調を崩しがちな今、ヴィーナがエド様と揉めるようなことをして、王太后陛下の御宸襟を騒がせるような真似は避けるはずです」
カスパーの“告発”以来、王太后マリア・ローザは体調を崩しがちだった。
そのためか、猛烈に不仲な王妹大公ユーフェリアと王弟大公フランツが週に一度くらいの割合で様子見に顔を出すようになっていた。両者共に母へのわだかまりが解けておらず、ユーフェリアは母の傍に座って無言で本を読むだけだし、フランツは愛妻同伴でやってきて、もっぱら王太后と会話するのはルシアだけ、という有様だったけれども。
それでも、カレル3世は弟妹の行動を深く感謝していた。なんせソルニオル事変以来、カレル3世の白髪は急増していたから。これは先の戦役以来であるが。
「それは……最終手段だな」
妻の示した鬼札に、エドワードは苦い顔で言った。
その鬼札は確かに怪物も従わせるだろうが、心優しく繊細な祖母を利用するような真似をすれば、矜持や自尊心が大きく損なわれる。それに、ヴィルミーナもエドワードに対する評価をマイナス方向へ改めるだろう。ヴィルミーナも祖母を心から敬愛しているから。
「その札を切らぬよう努力しよう。うん。切ってはいけない」
反面的な方向性を得られたエドワードは多少表情を明るくした。そうだ。まずは祖母を悲しませず両親を失望させず、だ。国のための事業なんて大それたことは無理だ。傍にいる愛すべき人達を喜ばせることから始めよう。
「なんとか上手くやり遂げ、御婆様達を喜ばせたいな」
「そのことですけれど」
グウェンドリンがぐいっと身を屈め、エドワードの目を覗き込んだ。
「御義母様から御義祖母様に曾孫を見せてあげて欲しい、とせっつかれております」
「むぅ」とエドワードは唸った。
2人が“段階を進めて”約一年。相応に、いや、かなり夫婦の営みを重ねているが、グウェンドリンはまだ懐妊していなかった。
時代が時代であるから、子の出来ぬ妻に対し、周囲の目は厳しくなることはあれども、和らぐことはない。決して軽視できない重要かつ大きな問題である。
グウェンドリンは微かに頬を桜色に染め、言った。
「御胤を頂く回数を増やしてくださいまし」
「むう」とエドワードも仄かに顔を赤くして再び唸った。
夫婦生活を営むほどに関係を深めていても、この2人は相も変わらずどこか初々しい。
と、サロンのドアがノックされた。
エドワードは壁の置時計に目線を走らせ、眉を下げた。昼下がりの逢瀬は小一時間ほどを予定していたが、既に残り時間が過ぎていた。楽しい時間は過ぎるのが早い。
「仕事に戻る時間が来たようだ」
エドワードは体を起こした。膝枕をされている姿を余人へ見せるわけにはいかない。
「入れ」
入室を許可された侍従が恭しく頭を垂れ、言った。
「大切な時間をお邪魔して申し訳ありません、両殿下。王太子殿下、午後の執務を始めるお時間です」
「分かった。執務室へ戻る」
エドワードは腰上げて立ち上がり、グウェンドリンの頬にキスをした。
「では、また夕食でな」
「はい、エド様。行ってらっしゃいませ」
グウェンドリンは夫を見送る。
エドワードが侍従と共にサロンを出ていくと、入れ替わりにグウェンドリンの侍女達が入室した。半数以上は元から王宮勤めの者達だが、一部は王立学園入学以前からの側近衆だ。
「ヘレン」
王太子妃の顔つきになったグウェンドリンは最も信頼を置く側近衆を呼び、小声で告げる。
「ヴィーナの下に遣いをやって私の許へ顔を出すように伝えて」
グウェンドリンは当然のように夫の内助を試みていた。
〇
国内はあれやこれやと騒がしい中、ヴィルミーナはメルフィナの経営する美容エステサロンで命の洗濯をしていた。帝国派遣で頑張った自分への御褒美だ。
施術師に均整の取れた肢体を揉み解されながら、ヴィルミーナは昨日のことを思い出していた。
※ ※ ※
愛犬ガブの熱烈な歓迎後、ヴィルミーナは入浴して着替えてからレーヴレヒトの許へ向かう。
話すべきことがあった。
ソルニオル事変における次男坊アントニオ襲撃。これは全権特使を担ったヴィルミーナが要請し、強引に実施させたものだった。そして、その作戦に従事したレーヴレヒトは負傷し、戦友を亡くした。
話さなければならない。でも、何を話せばいいのか分からない。
言い訳すれば良いのだろうか。アレはどうしても必要だったと。仕方なかったのだと。
ただ謝罪すべきなのだろうか。強引に危険な任務を実施させてすまなかったと。
それとも、お礼を言うべきなのだろうか。献身と犠牲に心から感謝すると。
何が正しいのか分からない。レーヴレヒトの反応が怖い。彼を失いたくない。彼に捨てられたくない……
考えがまとまらないまま、一歩進む度大きくなる不安を抱え、ヴィルミーナは部屋に到着してしまう。
レーヴレヒトはヴィルミーナの私室で待っていた。彼には主不在の私室に入る資格があると見做されていたし、それだけの信用と信頼を勝ち得ている。
応接椅子に腰かけたまま何も言わず、柔らかな面持ちでヴィルミーナを見つめる。回復剤と適切な処置のためか端正な顔に傷痕は残っていない。
ヴィルミーナは体を抱きしめるように両腕を組んで、目を泳がせながら、口を開く。
「あのね、レヴ。私、その、どう言って良いのか」
レーヴレヒトは目を瞬かせ、訝るように眉根を寄せた後、納得したように小さく首肯した。
そして、ゆっくりと腰を上げ、ヴィルミーナの許へ歩み寄り優しく抱きしめる。ヴィルミーナの身体が微かに震えた。
「愛してるよ、ヴィーナ。これまでも、これからも」
その柔らかな、だが、とても真摯で誠実な言葉にヴィルミーナの不安が瓦解し、融解していく。
「……うん。うん。私も。私もレヴを愛してる。これからもずっと」
ヴィルミーナはただレーヴレヒトの胸に顔を埋め、全てを包容してくれたことに感謝と幸福を噛み締め、ただただ嬉しくて、嬉しくて、泣きそうだった。
湯上りで仄かに湿るヴィルミーナの薄茶色の長髪に顔を埋めていたレーヴレヒトは、おもむろに顔を上げると、ヴィルミーナを抱きあげた。
突然、御姫様抱っこされたヴィルミーナは驚きと気恥ずかしさとその意図に困惑し、
「れ、レヴ? 何、どうする気?」
まさかこのまま窓から放り捨てられるオチやあらへんやろなっ!? と狼狽する。なんでそんな心配が生じるのか、謎である。
レーヴレヒトはじっとヴィルミーナを見つめた。
「今夜はちょっと自制が利かないかもしれない」
「は?」
目を点にしたヴィルミーナを無視し、レーヴレヒトはベッドへ真っ直ぐ向かう。
・
・・
・・・
・・・・
この日の“営み”は、濃密で、濃厚で、激しく、長かった。
※ ※ ※
いくら体が若いとはいえ……若造の掌で転がされて、腰が抜けるほどの盛りっぷりは流石に……前世でもあそこまで盛ったこと無い……あかん。あかんな。これはあかんわ。式挙げる前に”出来て”まうわ。この時代にそんなんやらかしたら物笑いの種やぞ。
反省。圧倒的反省。ヴィルミーナ、猛省。
……でもまあ、体はたしかに若いんやし? 愛されるうちが華やし? 結婚して生活化してもうたら、今みたいな楽しみはもう味わえへんかもしれへんし? うん。楽しめるうちは楽しんどこ。そーしとこ。
反省は速やかに終了された。
施術師に体を按摩されながら、ヴィルミーナがウトウトしていると、
「失礼します」
サロンの制服を着た女性が姿を見せ、ヴィルミーナへ声を掛けた。
「ヴィルミーナ様。王宮より使者がお見えです。大事な御用向きとのことですが……」
ヴィルミーナは仰々しくげんなり顔を浮かべた後、施術台の上でじたばたじたばたと手足を振った。
で。
施術室を出たヴィルミーナはエステガウン姿で用意されたエステサロンの応接室へ赴く。中途半端に施術を受けたせいか、肌艶の磨き具合が半端で切ない。
応接室に入ると、見覚えのある淑女がいた。グウェンドリンの側近衆のヘレン。今は王宮で王太子妃傍仕えだ。
王太子妃殿下の御用向きというわけか。
「御くつろぎのところをお邪魔して大変申し訳なく」
「まったくよ、ヘレン。命の洗濯くらいさせて」
恭しく首を垂れるヘレンに、ヴィルミーナは不満をこぼしつつ、雑談を抜きにして用向きを問う。顔つきは不機嫌面のままだ。
「グウェンドリン王太子妃殿下の御用は何?」
「王太子妃殿下がヴィルミーナ様との面会を御所望です。詳細は殿下から直接お伺いくださいませ」
ヘレンの事務的な回答にヴィルミーナは片眉を上げた。
王宮に顔を出せ、だけか。面倒事やな。おおかた、伯父様の言うたエドと共に当たる事業のことやろ。何も決まってへんうちから釘差しかな。気苦労の多いこっちゃ。
「分かった。帰宅してすぐに支度を整えて参内するわ」
「素早く御了承頂き、ありがとうございます」
再び恭しく頭を下げるヘレンに、ヴィルミーナは機嫌を直して微苦笑を讃える。
「そう畏まらなくても良い。私達しかいないのだから。お互い、王立学園入学以前からの付き合いでしょう?」
「付き合いがあるだけ、とも言えます」
ヘレンは事務的な面持ちを崩さずに突き放すように言った。
「私は今でも貴女がグウェン様に提案したアレに怒ってますから」
かつてグウェンドリンが『アリシア問題』を持ち込んできた時、ヴィルミーナはあえてアリシアと友達になれと提案し、結果として乙女ゲームのような人間関係が回避された。
もっとも、これはグウェンドリンの側近衆達には決して愉快な話ではなかった。なぜ“被害者”の側であるグウェン様が泥棒猫に譲歩せにゃならんのだ、筋が通らんじゃろがぃ。これが彼女達の総意だった。
加えて言えば、ヘレン個人がヴィルミーナを『なんて嫌な女』だと見做していることも大きい。
「結果として八方上手く丸く収まったじゃないの」
「いやいやいやいや、問題だらけだったではありませんか。秋の御機嫌伺でのやらかしなど最たる例でしょう。グウェン様や私達がどれほどの迷惑を被ったと御思いか」
「あー、あったわねー。あの時は思わず目を覆ったわ」ははは~と笑うヴィルミーナ。
「笑い事ではありませんっ!」
楽しげに思い出し笑いするヴィルミーナに噛みつき、ヘレンは大きく嘆息を吐いた。
「……もう子供の頃とは違うのです。ささやかなことでも大きな問題に発展しますし、追及されます。どうか御自重と御配慮を」
「そう心配しなくても、グウェンに不都合なことなんてしないわよ。今やいとこの嫁で親戚なんだから」
ヴィルミーナは半端に肌を磨かれた頬を撫でつつ、
「そだ。私が赴く前にグウェンへ言付けしておいてもらえるかしら」
にこやかにヘレンへ告げた。
「仕事に関しては王太子殿下相手とはいえ、手を抜かないわよ、とね」
一礼したヘレンは思う。
用向きの本命に察しがつくことはおかしくない。だけど、気づいた素振りを一切見せず、関係のない雑談で目先を逸らしてから、この不意打ち。
本当に嫌な女だ。




