15:0:東メーヴラント戦争。あるいは愚行の第一歩。
遅くなった挙句に長めです。御容赦ください。
この世には『どんでん返し』が常に付きまとう。
100年戦争の終わりに自称聖女の田舎娘が現れて戦況をひっくり返す、なんて展開をお堅い時代小説でやったら、『ンなバカな話があるか、ざっけんなボケ』と散々な御叱りを受けるだろう。
我が国の史実で言えば、『本能寺の変』も良い例だろう。
仮に貴方が歴史小説を書いているとしよう。物語の佳境で主人公が突然の奇襲を受けて、嫡男諸共討ち死にし、しかも卑賎の出の家臣に御家を乗っ取られてしまう。なんて展開を書いたら、読者から『おっまえ、書くの厭きたにしても、その展開はねーだろ』と罵詈雑言を浴びるはずだ。
しかし、物語としてどれほどふざけた話であっても、現実には『ラ・ピュセル』が現れ、『本能寺の変』が起こった。現実とは創作物の比較にならないほど不条理で理不尽なのである。
どんでん返しだけでなく、この世界には『偶然』だって起こりえる。
たとえば、抗生物質の発見が偶然の産物だった逸話は有名だろう。ただ、そのペニシリン発見の前段階、リゾチームの発見までも偶然だったことは、あまり知られていない。つまり、アレクサンダー・フレミングは偶然によって二度も歴史的発見を得たのである。これを創作物で真似たら、読者から『ンな都合のいい話ねーよ』『作者無能すぎ』とか怒られるだろう。
しかし、どれだけ御都合展開的であっても、フレミングは二度も偶然に世紀の発見を成し得た事実は覆らない。
この世界は驚きと意外性と不思議に満ちている。
〇
大陸共通暦1770年、麦秋の近い春。
オラフ・ドランはオルコフ女男爵の本領屋敷の離れで、書類と格闘していた。
マキシュトク再興とオルコフ女男爵領を含めたマキラ特別税制領の復興。オルコフ女男爵領屋敷の離れに軟禁されつつ、この大仕事の事務方を担っていたドランは、頭を悩ませている。
東メーヴラント西部戦線――すなわちカロルレン王国の穀倉地帯王国西部の南西部が戦場となっているため、麦の収穫量が否応なく減ってしまう。
昨年までの備蓄量と今年の収穫量を考えると、食糧面でこの戦争に耐えられるのは、今年いっぱい。そして、今年いっぱい戦争を続ければ、来年の収穫量は今年よりもさらに減り、カロルレン王国は笑えない食糧危機に陥ってしまう。
事態を解決する方法――無益な選択肢を省いた場合、王国東部で調達できるモンスター素材などの天然資源と鉱物資源を輸出し、外部から食料を調達する以外にない。
ここで別の問題が発生する。
取引する相手がいない。
地球世界の場合、北ドイツ平原からウラル山脈までの間には長大な平野が広がっている。河川と湿地以外、自然障害は存在しない。せいぜい中央ロシア高地がある程度。だからこそ、欧州はロシアから干渉を受けてきたし、その逆も然りだった。
魔導技術文明世界の場合、大陸西方メーヴラントの東端は標高5~6000メートル級のプロン造山帯が屹立していて、ディビアラントの山岳地と合わせ、北方へつながる道に蓋をしている。
このため、メーヴラント東端のカロルレン王国は陸路で北方や中央域と交易することが極めて難しい。
では、海路で、と言いたいところだが、北洋はイストリアの庭であり、番犬ベルネシアが控えている。戦時とあってはアルグシアの貧相な海軍もカロルレンの海路交易を阻害するだろう。
となれば、造山帯を踏破するか、空路で突破するか、だが……この時代の飛空船は高度3000メートルが天井だった。標高5~6000メートルのプロン造山帯を越えられない。何より、プロン造山帯は大飛竜の生息地だ。危険が大きすぎる。
陸路が厳しく、海路も塞がれ、周辺国は全て敵。
だが、まだやりようはある。
超ド辺境のヒルデン独立自治領だ。
ヒルデンはヴァンデリックと聖冠連合帝国相手にちまちまと空路交易していた。が、空路ならば、ヒルデンを経由して『東』――大陸北方や中央勢力と取引も不可能ではない。
もちろん空運貿易で食料不足を補うには、カロルレン王国の飛空船保有量は少なすぎたし、飛空船の性能も低い。それでも、やらねばならない。必要性はあらゆる理由より優先される。
ドランはノエミにこの提案を話した。
「良いの? 今更だけれど、ここまで踏み込んだら君は―――」
ドランはノエミの唇に人差し指を当てて口を噤ませ、言った。
「貴女も言ったように、今更です。もうベルネシアには帰れないかもしれない。でも、貴女や皆の助けになれるなら、それでも構わない」
カロルレン王国を救うためではない。他国人であるドランにとってカロルレン王国の命運など知ったことではない。全ては彼が愛する人々、彼が好む人々、彼が親しんだ人々を救うためだった。
若さゆえの思いきりだろうか。守るべきものを見つけた男の覚悟だろか。
白獅子の社員としては失格かもしれない。
だが、オラフ・ドランは“漢”だった。
〇
現世はまこと世知辛く、ソルニオル事変が終わっても『めでたしめでたし』とはいかない。
ベルネシア王国は外務省の大粛清から立ち直るどころか、未だ政官界の混乱が収まらない。外務省の立て直しが急がれているものの、執拗な追及による人的資源の減少は否めない。
政界の混乱はもっと酷い。高位貴族、大身貴族、有力貴族にすら粛清の刃が振り下ろされたため、国内政治バランスが酷く揺らいでいる。
揺らいでいるのは国内だけではなかった。先の戦役、戦後不況、今回の外務省大粛清。外洋領土の現地人抵抗勢力や独立派などが動きを強めている。
ベルネシアは御世辞にも安定しているとは言い難い情勢にあった。
この日、ベルネシア陸軍少将デレク・デア・ハイスターカンプは東メーヴラント戦争の情勢報告とその解説をするため、王の許に参じていた。
国王カレル3世は統治者としての教育はゲップが出るほどたらふく受けていたが、軍事教育はあくまで学問としてしか受けておらず、何よりも自身が戦場に立ったこともない。こうした関係から、陸軍海軍から相談役と連絡武官を置いており、必要なら人を呼んで説明させていた。
さて、ハイスターカンプ少将は大テーブル上に大きな地図を広げ、そこへ錫製の兵隊人形や駒を並べ、戦況説明と解説を始めた。
「東メーヴラント戦争は現状、開戦時と大して戦況は動いておりません」
ハイスターカンプ少将はまず南部戦線を示す。
「カロルレン王国第二軍は侯都とその緊要地ファロン山を制しており、侯都を要塞化し、ファロン山の防備を固め、防御戦の構えを崩しません。対して、聖冠連合帝国のカロルレン侵攻軍は進駐先から動きを見せておりませんが、当初の6個師団から10個師団まで増強させています」
「帝国はまだ攻める気がないのか」
「はい、陛下。ソルニオル事変により、物資供給と軍用飛空船の前線配備が滞っている旨が報告されております。航空支援の不足を問題視しているのでしょう」
「先の戦で我々が証明した教訓か」とカレル3世が呟く。「今後は空の戦いがより重要になりそうだな」
「陸軍としては、海軍に飛空船部隊の絶え間ない練度向上と性能向上を期待したいところですね」
しれっと海軍に責任の圧力を加える陸軍のハイスターカンプ少将。
「そして、西部戦線の方ですが、こちらは雪解けの到来に合わせ、アルグシア連邦のカロルレン侵攻軍が冬季攻勢を終了しています」
ハイスターカンプは地図上に置かれたカロルレンの拠点を示す駒をいくつか除き、アルグシア軍の兵隊人形と入れ替える。
「アルグシア軍は拠点群のうち半数近くを攻略、後背への打通に成功しましたが、残余拠点にてカロルレン王国第一軍の主力が維持されていることと泥濘から、進軍できずにいます」
「では、雪解けの泥濘が落ち着けば、どうなると見る?」
カレル3世の諮問を受け、
「現状の主導権はアルグシア軍にありますが、優勢はカロルレンにあります。アルグシア軍は残余拠点群を押さえつつ進撃するにせよ、残る残余拠点群の包囲撃滅を図るにせよ、カロルレン第一軍主力と第三軍の連携を警戒せねばなりません。
逆に言えば、カロルレン側はアルグシアの動きを見てから作戦行動を起こす余裕が許されます」
ハイスターカンプ少将は一旦、グラスに注がれた水を口にして喉を潤し、説明を再開した。
「カロルレン軍がこのまま持久戦を続けるとは思えません。いずれ、決戦を狙うでしょう」
「ほう。理由は?」
「兵站です」
王の問いかけにハイスターカンプ少将は即答した。
「カロルレンには我が国ほど兵站能力がありません。外洋領土を持たず、援助国もおりません。現代戦の物資消耗を考えますと、国内自給だけでは限界があります。
また、戦場が穀倉地帯というのも不味い。カロルレン王国は食料供給を王国西部に依存しているにもかかわらず、昨年の大災禍とこの戦争で、荒廃を余儀なくされています。事前備蓄がどれほどか不明ですが、少なくとも来年は持ちますまい」
ふむ、とカレル3世は頷いた。
「国家経済の破綻もあり得るな」
「そこは織り込み済みでしょう。というより、経済破綻を前提としなければ、カロルレンに此度の戦は出来ません」
「仮に、カロルレンが勝つシナリオは?」
「現状を見ての意見になりますが、狙うならばアルグシア軍でしょう。第二軍が帝国を押さえている間に、アルグシアに痛打を与え、戦争から脱落させる。これが出来れば、帝国に講和を持ち込むことも不可能ではないかと。
帝国にしてみれば、ヴァンデリック侯国を属国に出来た時点で領土的縦深を確保できたわけですから、カロルレン本国に必ずしも侵攻する必要はありませんし」
そこまで語りつつ、ハイスターカンプ少将は小さく肩を竦める。
「結局のところ、戦争終結の主導権をカロルレンが握っていないことが問題ですね。両国の侵攻軍撃破できても、アルグシアと帝国が諦めなければ、戦争は終わりません。かといって、カロルレンに両国侵攻軍を撃破し、さらに逆侵攻が出来るかと問われると」
「不可能だな。9年戦争の頃とは違う」とカレル3世も首肯した。
地球史を鑑みた場合、現地徴発は21世紀現在でも行われている(先進国軍隊が行わなくなっただけだ)。もっとも、近代以降、現地徴発で賄えるのは食料くらいで(まあ、それが主目的だが)、武器弾薬の補充は補給に頼っていた。
そもそも、兵站システムを構築してもなお、補給は万全とはならない。
ナポレオンは戦史上初となる常設補給部隊を編成し、軍需物資集積所を各地に設置し、軍の統制に基づく計画的現地徴発方法まで用意していた。
特に、ロシア戦役時においては、おそらく史上最大規模の兵站システムを構築した。が、それでも補給能力が足りず、兵站線が破綻し、軍そのものが崩壊した。
大モルトケは世界で最初に鉄道網による大規模兵站線を整備したが、それでも鉄道線から先、駅から各部隊への補給は何一つ計画通りに行かなかったと記録に残している。
大物量を誇るアメリカですら、物資不足は常に起きている。
アメリカ軍の場合、物資供給能力と前線への配送能力が釣り合わなかった。ベトナム戦争では、物資集積所に物資が山と積み上がっているのに適切な物資の分配が出来ず、各前線拠点で深刻な物資不足が発生した。
今現在のアフガンでも似たような話がこぼれ聞こえてくるあたり、兵站と補給が如何に難しいことか窺えるだろう。
先のベルネシア戦役にしても、国内戦にもかかわらず、補給部隊はたちまち過労でグロッキーに陥っている。
こうした事実を鑑みれば、カロルレン軍が逆侵攻へ打って出る、というのは夢物語だ。
「しかし……」
カレル3世は卓上の地図を見下ろしながら小首を傾げる。
「アルグシア人はなぜ力攻に拘っているのだ? 帝国のように足場を固めて着実に攻めていけば良いだろうに」
「何かしら政治的な事情があるのでしょう」
ハイスターカンプ少将はどこか気の毒そうに息を吐く。
「政治的制約ほど軍の戦略的柔軟性を削ぐものはありません。味方に足を引っ張られながらの戦争は、強敵と戦うより苦しい」
不味いことを言ったと気づき、ハイスターカンプ少将は慌てて言葉に接ぎ穂を加えた。
「あ、いえ、我が国はもちろん陛下の下で意思統一が為されておりますが」
「粛清を実施したばかりだがな」
カレル3世は自嘲的に口端を緩め、再び地図を見下ろす。
「サンローランでの企て通りにカロルレンが滅べば良いが、描いた絵図と違えばどうなるか……」
〇
麗らかな春の昼。ベルネシアに魔女が帰還した。
海軍の戦闘飛空艇達に守られた王家御用飛空船が、王都オーステルガムの飛空船離発着場に着陸し、全権特使ヴィルミーナが下船する。
王都を見回しながら、ヴィルミーナは呟いた。
「やっと帰ってこられた」
ヴィルミーナに続いて下船したマルクとカイも、しみじみと呟く。
「やっと帰ってこられましたね」「疲れた……」
まだまだ仕事は終わらない。この足でエンテルハースト宮殿に赴き、国王カレル3世と宰相ペターゼン侯に事の報告をしなくてはならなかった。
馬車の車窓から街並みと往来の様子を眺め、ヴィルミーナはぽつりと呟く。
「活気が戻ってきたわね。東メーヴラント戦争のおかげかしら」
「おそらく」とマルクが頷き「資材や軍需品関係が好調のようです」
「他人の戦争が一番のカンフル剤か」
「カンフル剤?」聞き慣れぬ言葉に片眉を上げるカイ。
「なんでもない」
ヴィルミーナは窓枠に肘を置き、頬杖を突く。
他人の戦争を利用した経済は確かに儲かるけど、構造としては不健全や。安定的な成長を望むなら、戦争抜きの方がええ。やっぱ協働商業経済圏の成立を目指したい。
イストリアが今年中に首を縦に振らんなら、工業共通規格を無理やり通すか。今ならイストリアが納得せんでもクレテアを巻き込めるし、戦争の援助にかこつけてアルグシアと聖冠連合帝国にも普及させられる。地中海圏にもいけるかもしれへんな。
それと、大陸南方領土と北洋の資源調査も進めな。ディビアラントの資源は安全保障面で不安があり過ぎる。ベルネシア外洋領土圏で代替供給源を見つけんと。できれば、その採掘権も欲しいけど……そこまでやれるかしらん。
まぁええ。ディビアラントで石油が見つかったことは大きい。この世界が地球の地勢条件とある程度被るならば、色々と当たりを付け易い。
氷の刃みたいな目で車窓の外を見ているヴィルミーナに、マルクは密やかに息を呑んだ。
またぞろ怖いこと考えてるな……
そうしてエンテルハースト宮殿に到着。ヴィルミーナは国王執務室へ案内された。執務室には国王その人だけでなく、宰相ペターゼン侯と王太子エドワードもいた。
「臣ヴィルミーナ・デア・レンデルバッハ・ディ・エスロナ、全権特使の任を終えて帰国しました」
ヴィルミーナは丁寧なカーテシーを行い、カレル3世に一礼する。
「御苦労だった。では、仔細の報告を頼む」
「はい、陛下」
ヴィルミーナが同席しているマルクへ目配せすると、マルクは足元に置いていた鞄を開け、数枚の報告書をまとめたレジュメを各人へ渡す。
「では、用紙をご覧ください」
・・・・
・・・
・・
・
昼飯時を迎えた頃に、ようやっと長い報告が終わる。
うーむ、と唸った後、王太子エドワードは父王と宰相へ顔を向け、問う。
「クリスティーナ叔母様は謀に長けた方だったのですか?」
エドワードが生まれた時には、クリスティーナは既に帝国へ嫁いでおり、両者に直接の面識はない。
水を向けられたカレル3世はとても、とっても、とぉ~っても渋い顔をしてそっぽを向き、何も答えない。代わりにペターゼンが口を開く。
「私が覚えている限り、クリスティーナ様は謀を帷幄の内に巡らせる方ではありませんでした。聡明で辛抱強く、揉め事あらば両者の間に立って誠実に話を聞き、論を以って双方を収める。そんな方でしたね」
エドワードは内心で思う。それはつまり元々謀略家の気質を持っていたということでは?
室内に漂うなんとも言えない雰囲気を察し、ヴィルミーナは懐から封蝋された手紙を取り出す。
「クリスティーナ伯母様から、伯父様と御婆様に御手紙をお預かりしてまいりました」
カレル3世は祟りを恐れるかのように丁重な手つきで手紙を受け取った。
「正直、怖くて見られん。どんな罵詈雑言と呪詛で埋め尽くされていることやら……母なんぞ発作を起こすかもしれんな」
「それは流石に……」
ヴィルミーナは言いかけ、口を噤む。相手は20年掛かりで報復と復讐を果たした鬼だ。無いとは言えない。
「御婆様にお渡しする前、伯父様が内容を改めておいた方がよろしいかも」
「……えぇ」
カレル3世は肝試しを命じられた幼子のようにくしゃりと顔を歪め、大きく溜息を吐いた。
「まあ、ともかく、うん。なんだ、ひとまずカタがついてよかった。この先、クリスティーナと折衝を重ねることもあろうが、うん、まあ、皆、よろしく頼みおくぞ」
あ、誤魔化した。とカレル3世以外の全員が思ったが、口に出すような奴はいない。偉くなる人間は沈黙の価値を良く知っている。
「それより、だ。ヴィーナ。帝国で色々購入してきたようだが、何をする気だ?」
強引に話の筋を変えるカレル3世に、ヴィルミーナは微苦笑と共に応じる。
「我が社の技術向上と推進を図るためです。ひいてはベルネシアの発展にもつながるでしょう」
「つまり、また騒ぎを起こすわけか。ヴィーナの頑張りにケチをつける気はないが、一人勝ちは良くない。妬み嫉みを買う。多少はパイを切り分けてやれ」
「白獅子は半ば国策会社でもあります。国益に適う配慮を求めます」
国王と宰相から釘を刺され、ヴィルミーナはふんぞり返るように椅子の背もたれに体を預け、これ見よがしに脚を組み直す。戯画的ですらある尊大さを演じた後、言った。
「私の財閥を国策会社と仰るなら、私の提案を国家政策として検討し、また、受け入れて頂ける、と考えてよろしいか」
意訳:国がこっちを利用するなら、当然、私に国を利用させてくれるんだよな?
「既にいろいろ受け入れているでしょう。この上まだお望みか」
宰相ペターゼンが眉間を押さえて溜息をこぼし、
「剥き出しの刃みたいな気配を出すな。お前はもう少し丸くなれんのか」
伯父として慨嘆をこぼし、カレル3世は息子に顔を向けた。
「エドワード。この件はお前に差配する。そうだな……ヴィーナと組んで何か国策事業をやってみろ」
「それは障碍者競技大会のように名義貸しをしろということですか?」
エドワードはどこか不満顔を浮かべる。
若者らしく、エドワードは自身の手で何かを成したい気持ちが強い。ましてや王太子という重い肩書を背負っているのだ。いとこから手柄を与えてもらうことには内心で忸怩たる思いがあった。
「ヴィーナの手綱を握れと言っている」
カレル3世は嘆息を吐いてヴィルミーナを横目にした。
「いいか。エドワード。ヴィーナは怪物だ。放っておけば何をしでかすか分からん。お前が王としてこの国を背負って立つ際、最大の役目はこの怪物をしっかり御すことだ。今の内から手管を学んでおけ」
「伯父様。怪物怪物と酷いです。あんまりです」
ヴィルミーナが唇を尖らせるも、カレル3世は鼻息をつくだけだった。
「少なくとも経済界でヴィーナを年相応に見ている奴は居らんぞ」
「怪物でなくとも魔女呼ばわりしている者はかなりいますな」とペターゼン。
「それは俺の耳にも届いているな……」とエドワード。
「帝国宰相もそう見ている節がありました」とマルク。
野郎共の返しに、ヴィルミーナは銃声のような舌打ちをした。
〇
そんなこんなで自宅へ到着すると、先に帰国していたレーヴレヒトが母や家人と共にヴィルミーナを出迎える。
「お帰り、ヴィーナ」
ヴィルミーナが「レヴ! 御母様!」といって駆け寄ろうとしたところへ、成長してさらに大きくなったガブが砲弾のような勢いで駆けてきた。
「ほあっ!」
既に一度ガブの”歓迎”を受けたことがあるヴィルミーナは、闘牛士のように身を捻ってガブの体当たりをかわす。
も、ガブが酷く傷ついた顔でヴィルミーナを見つめ、くぅーん、と寂しげに鳴く。
「ヴィーナ。ガブが可哀そうだよ」「ヴィーナ。それではガブが可哀そうよ」「そうですよ、御嬢様。ガブだって御嬢様の帰りをずっと待っていたのに」「ガブがかわいそーですよー」「そーだそーだ」
婚約者と母と御付き侍女、家人達からやいのやいのと責められ、ガブが「くぅーん」と哀れっぽく鳴く。
ヴィルミーナは腑に落ちない物を覚えつつ、ガブへ向かって両手を広げる。
「ええい……っ! よし、来いやーっ!」
ガブは目を輝かせ、ヴィルミーナに向かって突撃した。
・
・・
・・・
ガブの熱烈な歓迎を受けたヴィルミーナは、手籠めにされた娘っ子のような有様になっていた。涎塗れにされた顔に張り付く髪を退けつつ、ヴィルミーナはジトっとした目で婚約者と母と家人達を見る。
「……よし。全員、私と『お帰り』の抱擁しろ」
「ヴィーナがお風呂に入ってからな」とレーヴレヒト。
「いやねえ、ヴィーナ。私達に今更抱擁なんて要らないわよー」とユーフェリア。
「私共にそのような御厚情は過ぎたるもの」「御心遣いだけで恐悦至極にございます」「然り然り」と一斉に訴える家人達。
ヴィルミーナは眉目を悪鬼羅刹のように吊り上げ、
「そうは問屋が卸すかぁ! おら、私と抱擁しろっ! 強く抱きしめろっ! ぎゅっとだっ!!」
逃げ惑う婚約者と母と家人達を追い回した。




