14:9
お待たせ申した。
分量が少々多め。御容赦いただきたく。
大陸共通暦1770年:初春。
大陸西方メーヴラント:聖冠連合帝国:帝都ヴィルド・ロナ
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聖冠連合帝国を訪問したヴィルミーナは、“本題”に入る前、あれやこれやのやり取りと交流を済ませる必要があった。皇帝ゲオルグ2世との接見に始まり、関係者と面談などなど。
特に、伯母クリスティーナの件で帝国と折衝が必要だった。
なんせ伯母は秘密結社を作り、対ソルニオルで残虐非道な大量殺人を実施した。これは帝国司法の内乱罪が適用されかねない。
よろしくない。大変によろしくない。
というわけで、ヴィルミーナは帝国宰相サージェスドルフと昼飯を共にした。
帝都宮殿の賓客応接室の一つ。
真っ青なクロスが敷かれた丸テーブルの上に、料理の盛られた白い皿が並ぶ。老齢の給仕役が洗練された所作で赤ワインをグラスに注ぐ。
「ディビアラント産のワインは如何かな?」
サージェスドルフが試すように問う。
ヴィルミーナはワインを一口含んでしっかり味わってから、告げた。
「ベルネシアやクレテアとは趣が違いますね。ブドウが育った風土の違いを感じます」
「左様。我々も同じメーヴラント人だが、文化も風俗も価値観も異なる」
含蓄のある回答を寄こしたサージェスドルフに、ヴィルミーナはこれから交わされる“商談”が厄介なものだと当たりを付けた。
とりあえずは切っ先をいなそう。
「私の流儀では、難しい話は食事を楽しんでから、としていますが、どうでしょう?」
「その素晴らしき流儀を断る理由がありませんな」
サージェスドルフはセイウチのように笑い、ヴィルミーナへ昼食を勧めた。
聖冠連合の食文化は非常に豊かだ。東メーヴラントとディビアラント北西部の地産品に加え、交易で得られる大陸中央域や南方の食材と食文化。加えて、各地の文化や民俗が流入し、混じり合い、より洗練された料理を生み出している。
まあ、外洋進出して久しいこの時代、列強の文化は少なからず古典的伝統から変化を余儀なくされていたが。
当たり障りのない談笑しながら帝国の美食を平らげ、デザートの珈琲とクレープ風ケーキを堪能した後、ヴィルミーナはナプキンで口元を拭う。満腹感にやや集中力が削がれているきらいもあったが、本題に入る。
「クリスティーナ様の処遇について、私共の要望と帝国側の見解を擦り合わせしたく」
サージェスドルフは答える代わりに懐から銀製の煙草入れを取り出した。老給仕がすかさず陶器製灰皿を卓に置く。
ヴィルミーナにも一本勧めたが、丁重に謝絶される。サージェスドルフは小さく肩を竦め、燐棒で火を点け、美味そうに紫煙を吐く。
サージェスドルフは黙って煙草を半分ほど灰にした後、
「シューレスヴェルヒ=ソルニオル公爵家は此度の件で御家取り潰し。係累も爵位剥奪か婚家預かり、ないし国外追放。そのうえで、クリスティーナ公爵夫人を女大公に叙爵し、嫡男公子カスパーをレンデルバッハ=ソルニオル公爵とする」
仰々しい溜息を吐き、
「これが司法省を焼かれた後の方針だった。クリスティーナ様が秘密結社を結成して、首狩り祭りをしていたと発覚するまではな」
じろりとヴィルミーナを睨み据えた。
「言うまでもなく内乱罪すら視野に入る暴挙だ。無視できん」
ヴィルミーナは眉間に微かな皴を刻み、すぐさま反論した。
「クリスティーナ様の名誉回復と復権、カスパー公子の公爵位相続は絶対です。これは決して妥協できません。免責を求めます」
それに、と続ける。
「クレテアとヴァンデリックも、クリスティーナ様の断罪は認められないでしょう。公子カスパーの家督と所領の相続に瑕疵がつけば、両国とて心穏やかにはいられない。特に、ソルニオル潰しで金と血を注いだヴァンデリックが納得しない。是非とも、御配慮願いたい」
「奴らには別途の利権配分で対応する用意がある」
宰相サージェスドルフはヴィルミーナの言を軽くいなし、そのうえで告げた。
「もちろん、貴国の要望に応じる用意もな」
免責を与える代価、いや、御題目が欲しい訳か。
ヴィルミーナは少し考えた“振り”をしていった。
「ソルニオルの閻魔帳ですか」
サージェスドルフは大きく首肯し、紫煙を吐きながら煙草を灰皿に押し付けて揉み消した。
「閻魔帳の確保と返却。もしくは確実な廃棄。これを確実に処してくれたならば、我が名誉に掛けてクリスティーナ様の恩赦を勝ち取ろう」
「閣下。言質を取らせて頂きますよ。よろしいか」
ヴィルミーナが紺碧色の瞳を冷たくギラつかせて念を押す。
「むろんだ」
「子ネズミの方は?」
「“そんなもの”は今更どうなろうと知ったことではない。これも明言しておこう。貴国が捕らえているドブネズミに関しても、煮るなり焼くなり好きにすればよろしい」
「アレに顔を合わせずとも良い、と」
「誤解の無いよう断っておくが、“俺”があのドブネズミと長きに渡る暗闘を続けたのは、ひとえに俺が帝国に仕える公僕であり、奴が排除すべき帝国の汚濁そのものだったからだ。個人的な怨讐など持っていない。暗闘の過程で幾人も失ったが、それも“経費”のうちだ」
サージェスドルフは自身の言葉へ自己嫌悪を抱きつつ、
「とはいえ、私以外はアレにまだ値打ちを見出すかもしれん。まだ生かしておくが良かろう」
「御忠告に従いましょう」
ヴィルミーナの了承に大きく息を吐き、珈琲を飲んだ。
「今度はこちらから問いたい。クリスティーナ様のたくらみについてだ」
「クリスティーナ様のたくらみ?」
怪訝顔を浮かべたヴィルミーナへ、サージェスドルフは帝室別荘でクリスティーナから聞いた『経済特区案』を語って聞かせる。
話を聞き終えたヴィルミーナは思わず唖然となった。
経済特区という概念はこの時代では先進的に過ぎる。経済特区の原形たる租借地ですら、帝国主義時代の到来を待たねばならない。ましてや、経済学、金融学、産業論、自由経済思想などが未成熟なこの時代において、経済特区というアイデアを生み出す事実に、ちょっとした恐怖を覚える。
制限貿易ならともかく、経済特区て。萩原重秀じゃあるまいし、時代を先取りしすぎやろ。
萩原重秀とは、おそらく江戸時代全期間を通して只一人、経済というものを正しく理解していた武士である(江戸幕府が経済の理解が足りないボンクラ揃いだったことも大きい)。
彼の罪はその見識や発想を人に教示せず、記録として残さなかったことだ。おかげで後々、江戸幕府は財政と経済政策で途方もない失敗を重ねていく。
ま、仮に記録などを残していても、萩原の才気に嫉妬していた新井白石により、処分されてしまっただろうが。
ヴィルミーナの胸中に到来した感情は、恐怖以上に嫉妬心だった。
羨ましぃいいい。“私の”クレーユベーレは所詮、企業城下町の域を出えへん。上海や香港みたいな経済特区を自由に差配するとか、そんなん、そんなん……絶対楽しいやんかぁっ! 私もやりたぃっ!!
突然百面相を始めたヴィルミーナに、帝国宰相は体を揺らして、ぎょっとした。
〇
緊急クエスト『ソルニオルの閻魔帳を確保せよ』
共通暦1770年:初春。コルヴォラント:法王国。
任務部隊135:パサージュ108。
―――――
金と女を辿ることは捜索追跡の基本であり、この基本通りに捜索した結果、三バカ息子は見つかっていた。が、手出しが難しかった。
三バカ息子が法王国に居たからだ。
この法王国というのは、地球史で言うところの教皇領みたいなものだ。
宗教的権威が落ちぶれて久しいこの時代でも、聖王教伝統派の総本山たる法王国は政治的難物だった。
特に、聖王教伝統派からしたら“異端”である開明派世俗主義国ベルネシアが、法王国に特殊部隊を送り込んで不正規作戦を行うことは、政治的に激ヤバだった。
なので、どうしたもんかと検討していたところへ、帝国へ派遣された全権大使から『能う限り迅速に閻魔帳を確保せよ』と要請が出され、本国の司令部――人魚広場2丁目17番地:MP217も追認して、法王国での作戦実行を命じてきた。
「気軽に言いやがる」「いつも他人のケツ拭きか無茶振り仕事だな」「しかし、これは本当に無茶だぞ。直接支援一切無しで新鋭装備も不可。厳しすぎる」「捕まったら火炙りだな」「その前に異端審問で拷問されるな」「改宗しようかな」
ブリーフィング中、レーヴレヒトの隣に座っていたニコが言った。
「賭けても良い。絶対に上手くいかない」
そして、その賭けは――
沿岸部からコルヴォラント法王国に密入国し、クレテア人修道士に偽装して三バカ息子のいる都市に潜り込むまでは順調だった。
事は三バカが滞在している高級宿を襲撃した時に起きた。
間が悪いというべきか、レーヴレヒト達が三バカの逗留しているスイートに突入した時、ホテルの表へ警官が巡回に来てしまった。当然、警官達は事態を察知。すぐに増援を呼ぶ。
しかも、室内に居たのは、次男坊一家だけ。三男と長男はいなかった。ともかく、スイートを確保して女房子供を押さえつけ、伍長が次男坊の頭に回転拳銃を突きつけて詰問した。
「閻魔帳はどこだっ!」
「おおおおおまえおまえらおおおれれれれ、おれをだだだれだとおもおもおもって」
覆面姿の黒づくめ集団に襲われたアントニオとその妻子は完全にパニックを起こしていた。
怯えすぎてクソを漏らしそうな次男坊アントニオが激しくドモリながら吠える。
も、時間が無いため、伍長は即座に左膝を銃で撃った。女房子供達が悲鳴を上げる。
ケツを蹴り飛ばされた雄鶏みたいな悲鳴を上げるアントニオに、伍長は鼻血が出るほど強烈なビンタを浴びせ、怒鳴り飛ばした。
「次はポコチンを吹っ飛ばすぞこの野郎っ! 閻魔帳はどこだっ!」
「なかなっかあああっ! きき、きんこ、きんこ、きんこのなっかぁっ!」
顔を脂汗と涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしたアントニオが、備え付けの貴重品収納金庫を指差す。
「警官が集まってきてる、急げっ!」窓から表を窺っていたレーヴレヒトが吠える。
アントニオに無理やり金庫を開けさせ、中に収まっていた厚手の黒い帳面を回収。いつもならばインセンティブとして、一緒に保管されていた金貨袋や貴金属も掻っ攫っていくところだが、今回はそんな余裕すらない。
レーヴレヒトが閻魔帳を金属ケースに仕舞い、背中に担ぐ。
「閻魔帳はこれだけかっ! 他には無いのかっ!」伍長がアントニオに怒鳴る。
「そそそ、そうだ、そうだよっ!! それだけだよっ!」
アントニオがやけっぱちに怒鳴り返した。
伍長がレーヴレヒトに顔を向け、目で問う。
警官達が集まってきている。脱出は突破戦になる。捕虜を抱えていく余裕はない。
レーヴレヒトは即座に首肯する。
次の瞬間、伍長がアントニオの胸――心臓に2発撃ち込んだ。悲鳴を上げることさえできない。即死して仰向けに倒れたアントニオから、真っ赤な血が広がっていく。女房子供の悲鳴が通りにまでつんざいた。
レーヴレヒトがアントニオの骸を足蹴にしてうつ伏せに転がし、ナイフと片手斧を抜いた。
死後痙攣するアントニオの頸椎の隙間にナイフを突き立て、斧頭を槌代わりにナイフの柄頭を引っ叩き、深々と埋めていく。幾度か柄頭を叩いて頸椎の頑健な靭帯を切断後、ナイフで首の肉を素早く切り裂く。最後に顔を一周させるようにぐりっと捻ると、アントニオの首が簡単にもげた。
その様を見ていた子供達が卒倒し、女房は発狂したように泣き喚く。
次いで、結婚指輪をはめた左手の薬指と、印章指輪をはめた右手人差し指を切り取り、アントニオの生首と共に革袋へ放り込む。
革袋を曹長に持たされた軍曹がぼやく「なんて嫌な荷物だ」
斧とナイフを鞘に戻しながら、レーヴレヒトは全員へ告げた。
「撤収するっ! 女房子供はほっとけっ! 行くぞっ!!」
一人だけ正気を保っていた男の子が悪魔のような双眸で睨みつけてくる中、レーヴレヒト達は閻魔帳と生首を抱えてホテルを脱出する。
逃走劇はさながらテレビゲームのようだった。
法王国の警官や市井の冒険者などと銃撃戦をやりながら街の外を目指した。怒声と罵倒と悲鳴と銃声が通りに響き、路上で銃弾と魔導術と煉瓦と花瓶が乱れ舞う。最初の馬車は馬をやられて横転。レーヴレヒト達は配送馬車を奪い、強引に都市外へ突破。
追手を何とか振り切った時には全員が負傷していた。覆面を脱ぎ捨てた特殊猟兵達は疲れ切った顔をしながら、傷の手当てを始める。
レーヴレヒトは顔や体のあちこちに刺さった小さな木片を抜いていく。軍曹が自身の左脇腹の銃創へ丸めた包帯を突っ込み、無理やり止血する。別の軍曹は千切れかけた左耳を押さえながら包帯を巻いた。他の者達も当座の応急措置に勤しむ。
特技曹長が言った。
「レヴ。ダメだ。ミヒェルとニコは死んじまった。それと……ルークも助からない」
「ルークに鎮静剤を与えてやれ。痛みから解放されるまで」
特殊猟兵達は戦友の死体を前にしても泣いたりしない。死にゆく戦友に最後の慈悲を与える時も取り乱したりしない。どんな時も自身を律せられるよう、徹底的に訓練されているから。
それに、イカレた逃走劇と激しい戦闘による興奮と脱出できた安堵感で、皆、情動と神経がマヒしていた。泣きたくても泣けない。
任務に成功しても作戦に失敗した場合では特に。
レーヴレヒトは頬に刺さっていた小さな木片を抜きつつ、閻魔帳を収めたバッグを見つめて思う。
ヴィーナ。これは本当に俺達が命を懸ける価値があるものなのか?
〇
法王国での大騒ぎから3日。
緊急外交機密貨物という体裁で在帝国総領事館に荷物が届く。ヴィルミーナはカイとマルク、武官と文化広報官を伴って中身を改めた。
1つは求めていた“閻魔帳”。
もう1つは樽の中で氷漬けになった生首と指2本。
マルクが速攻でゴミ箱へ嘔吐。文化広報官とカイは眉一つ動かさず、懐から取り出した数枚の人相書きと生首を見比べ、「間違いなく次男坊アントニオです」と告げた。
ヴィルミーナは双眸が半開きの生首を平然と見下ろしながら、思う。
まさかこないなもんを再び目にしゆう日が来るとは……私、御嬢様やぞ。それも王族の御姫様やぞ。なのに、なんでこないなもんを検分せにゃならんねや。おかしいやろ。絶対におかしいやろ。
詮無いことを考えながら、ヴィルミーナは付随報告書に目を通す。
「任務部隊135は全員死傷、か」
愛しいレーヴレヒトの顔が脳裏をよぎり、ヴィルミーナの胸中にじわりと“恐怖”が湧く。
他ならぬ私が要請した緊急任務で、戦友を喪い、自身も負傷したレヴはどう思っただろう。彼に嫌われたくない。彼を失いたくない。彼に捨てられたくない……
「閣下?」
意識が内向きしていたヴィルミーナは、武官の声で我に返る。
「大至急、閻魔帳の複製を作れ。私に与えられた時間は残り少ない。急げよ」
「すぐに取り掛かります」
閻魔帳を抱え、文化広報官が部屋を出ていく。
「もう一つの荷物はどうします?」と武官が問う。
「そこらに捨てるわけにもいかない。始末が決まるまで氷漬けのまま保管しておけ」
武官に答えつつ、ヴィルミーナは部屋を出ていく。カイとマルクを伴い、廊下をカツカツと歩きながら、ぽつりと呟いた。
「手札は揃った。伯母様と顔合わせといくか」
〇
初春の午前中。ヴィルミーナはマルクとカイを伴い、カール大公の帝都屋敷を参じた。
中年侍女にサロンへ案内される。
「地味というか、飾り気がないな」「だが、造りと物は確かだ。僕は好きだな」
廊下を歩きながら、屋敷内を観察していたカイとマルクがそんなことを語り合う。
サロンへ到着すると、既に人が集まっていた。
ホスト役のドロテア前大公夫人。“プレイヤー”の宰相サージェスドルフ。“立ち合い”のエルフリーデとカスパー。それに、“大髭”ヴィリーと孫娘ユーリアもいる。ただし、皇太子レオポルドは居なかった。
まあ、問題ではない。最も大事な“プレイヤー”はしっかりと居るから。
元ベルネシア第一王女にして、現ソルニオル公爵夫人クリスティーナ。
今回の“ゲーム”における最凶のトリックスター。
ヴィルミーナは初顔合わせの伯母に恭しく丁重に一礼する。
「王妹大公ユーフェリアの娘にして、国王カレル3世陛下より全権大使の任を預かるヴィルミーナ・デア・レンデルバッハ・ディ・エスロナと申します。ソルニオル公爵夫人にして、ベルネシア第一王女クリスティーナ様にお会いできたこと、恐悦至極にございます」
「御丁寧な挨拶、ありがたく。ソルニオル公爵夫人クリスティーナです」
クリスティーナは初顔合わせの姪へ柔和に、だが、完璧な所作と礼法で応じた。
「会えてとても嬉しいわ、ヴィルミーナ。私のことは伯母と呼んでちょうだい」
「御心遣いに甘えさせていただきます、伯母様。私のことはどうかヴィーナと」
ヴィルミーナとクリスティーナは終始にこやかに言葉を交わし、笑顔を絶やさなかった。が、双方の目はまったく笑っておらず、互いにいつ尻尾を掴んでやろうか、と機を窺っている。わぁ怖い。
サロンのテーブルに各々方がつく。ごく自然とヴィルミーナとクリスティーナが相対する場所に座る。
卓上にイストリア製品の紅茶と帝国伝統の菓子が並べられ、テーブルマナーに則り、最初は当たり障りのない話題が饗された。
そうして、時計の長針が一周した折、ようやく本題に入る。
「前大公夫人様。御家人の退室をお願いできますか?」
ヴィルミーナは現当主夫人のエルフリーデではなく、実質的な当主たるドロテアの顔を立てた。
ドロテアは嬉しそうに頷きつつも、嫁に配慮する。
「エルフリーデ」
「はい、御義母様」とエルフリーデは首肯し、家人達へ目配せした。
家人達が一礼して退室し、サロンの扉が固く閉ざされる。
ヴィルミーナは腰を上げ、懐からベルネシア王家の印章で封蝋された手紙を二通取り出し、クリスティーナへ差し出した。
「国王カレル3世陛下、及び王太后マリア・ローザ陛下より、私的な御手紙を預かってまいりました。どうかお受け取りいただけますようお願い申し上げます」
クリスティーナは端正な顔に微笑を湛えたまま手紙を受け取り、
「両陛下の御手紙、確かに受け取りました。後ほど目を通させていただきましょう。その後、返信を記し、ヴィーナへ預けさせていただくわ」
開封することなく懐へ納めた。その表情、所作、言葉の抑揚など全ての要素から内心を窺うことが適わない。
「ありがとうございます、伯母様。両陛下も大変喜ばれるでしょう」
頭を下げながら、ヴィルミーナは密やかに息を吐く。
眉一つ動かさへん。こういう強烈な自制心を持つタイプは怖いんだよなぁ。
「私としては、兄の気遣いより実務的な話がしたいと思っているわ、ヴィーナ」
滴るような優艶さを放つクリスティーナに、ヴィルミーナは背筋を伸ばしつつ、頷く。主導権を握られては適わない。一旦、間を取るべく帝国宰相へ水を向けた。
「閣下。これから交わされる会話は、あくまで私事であり、法的問題を追求されないことを帝国宰相に是認していただきたい」
「分かった。これからの会話は法的拘束力を持たないと帝国宰相たる私が確約する。これでよろしいかな、ヴィルミーナ嬢」
帝国宰相が面倒くさそうに応じると、ヴィルミーナは首肯し、告げた。
「ルートヴィヒの身柄は我々の手で押さえてあります。加えて、次男アントニオ殿の首級も預かっています」
既に内々に通知されていたことだったが、こうして明確に宣言されると、心象が全く違ってくる。
エルフリーデとカスパーは、法的には父に当たる男がいよいよ最期を迎え、忌々しい“兄”の一人がくたばったと知り、不思議な感動を覚えていた。2人にとってルートヴィヒは抑圧と屈辱の象徴であり、同時に絶対的恐怖の怪物だった。
その怪物がたった数ヶ月で……。
帝国の“ルール”から外れた国家暴力の残虐ファイトに晒されれば、一領主などひとたまりもない。帝国宰相の用いた禁じ手――内輪の恥を外の手で排除するが見事に成功したカタチだ。
姉弟が20年余に渡って苦しめられてきた母の様子を窺う、も、クリスティーナはさしたる感情を示さず、紅茶を上品に啜っていた。
「ルートヴィヒと次男殿の首級はいつでも引き渡せます」
ヴィルミーナの申し出に、
「無用よ。私はもうあのドブネズミ共に一分一秒たりとも人生を浪費したくない」
クリスティーナは言下に拒絶し、さらっと告げた。
「ただ、我が同志達のために骸を晒し、その死を明示してちょうだい」
「閣下は如何しますか?」
水を向けられたサージェスドルフは小さく首肯し、告げた。
「クリスティーナ様に倣おう。アレらの扱いは貴国に委ねる」
「分かりました。ルートヴィヒには苦と惨を味合わせた後、晒しましょう」
ヴィルミーナもまた、さらりと一人の人間の生死を決定した。つまるところ、ルートヴィヒの命などその程度の価値しかない。
「残る長男と三男については現在捜索中です。法王国から逃亡した後、足取りが掴めません」
「こちらも情報を得次第、そちらに提供しよう」とサージェスドルフが頷く。
「よろしく願います」
ヴィルミーナは頷き、そして、全員を見回していった。
「それでは、我々の”これから”について話し合いましょう」
刹那。クリスティーナの深い青色の瞳が鋭敏さを増した。
まるで魔狼のように。
 




