2:5b
後半部分です。
フルツレーテン公国の某所では、公国の重臣と官僚達がベルネシア外交団と机上の戦いを繰り広げていた。
ベルネシア外交団は先の一件――公弟が起こした醜悪な襲撃事件をカードに、公国へ関税引き下げや優遇措置などを要求していた。
公国としては自国王族の馬鹿がやらかした愚行が表沙汰になれば、ベルネシアの武力制裁もあり得るわけで、突っぱねることなどできない。
が、唯々諾々と飲むこともできない。ベルネシアを一方的に優遇すれば、裏口貿易相手のクレテアが黙っていないからだ。
かといって、両国の要求通りにしてしまえば、重要な関税収入が激減するし、何より両国から流れ込む物資で国内産業に大打撃が予想される。それは、ただでさえ貧弱な公国の産業に致命的事態を招く。
であるから、交渉のテーブルについた公国の重臣や官僚達はひたすらに粘る。ベルネシアの要求を少しでも軽く少しでも減らすべく粘って粘って粘りまくっていた。凄まじいまでの重責と重圧によるストレス性の胃炎や不眠や脱毛や心身衰弱に苦しみながら。
―――あのクソ公弟め。絞め殺してやりたい。
交渉に当たっている公国重臣や官僚達の総意であった。
実際、あのドクズの首を差し出して赦免を乞うという意見も多かった。しかし、ドクズの母である現公太后と兄の現公王がその意見を撥ねのけた。
私費を投じて国内医療環境や社会福祉体制を整えたことで、国民から『フルツレーテンの慈母』と敬愛される現公太后は、遅くにできた末子の公弟を格別に寵愛していた。その寵愛振りは唾棄すべきペド趣味でさえ大目に見るほどだった。良くも悪くも、親の愛は偉大という一例。
そして、現公王はベルネシアとクレテアに挟まれたこの国の難しい舵取りを上手くこなしてきた賢君であった。が、同時に重度のマザコンであった。まさに愚弟としか言えない公弟を苦々しく思いながらも、老母を慮って周囲には『堪えよ』としか言わない。
それでも、今回の件では流石に公弟へ蟄居軟禁を命じている。本心では切り殺したかったろうが。
で、件のドクズ公弟は命じられた通り屋敷から出ず……少女奴隷達と乱交荒淫に耽っている(その事実だけでも、フルツレーテンの関係者各位は殺意を禁じ得ない)。
こうしたやるせない事情を抱えつつも、公国の重臣と官僚達は公国の存亡を懸けた交渉に全身全霊で臨んでいた。その粘り強さにはベルネシア外交団も舌を巻いていて、本国への報告書に『ただ讃嘆あるのみ』と称賛していたほどだった。
そんな艱難辛苦の任に耐えている公国の重臣と官僚達の許へ、凶報が届いた。
「は? 待て、なんだって?」
「ベルネシア側から輸入される回復剤が激減していますっ! しかも、クレテア人が品薄に便乗して回復剤を凄まじい勢いで値上げしてますっ!」
回復剤――正確には魔素添加回復促進剤は、某RPG的に言えば、ポーションのような代物で外傷治療薬品である。ちょっとした傷ならこの回復剤を塗るだけで立ちどころに治癒する。
近代魔導文明外科治療の肝といえる薬剤だ。
ただ万能薬ではないから、骨折の場合はちゃんと修復したうえで使わないと、歪んだまま接骨したりして後遺症に悩むことになるし、重度の外傷の場合は傷口の洗浄と修復を行なわないと後遺症はもちろんのこと合併症や感染症を招くことになる。
そして、高品質で高効能な回復剤は、製造に高額な製造プラントと優秀な技師と熟練の工員が必要になる。当然、小国フルツレーテンには製造プラントも生産能力も無い。しかも、公太后の医療環境改善もあって、国の回復剤需要は高く、輸入量がかなり多かった。
この外傷治療や外科施術に欠かせない回復剤が不足し、あまつ値上がりなどフルツレーテン医療行政にとって悪夢的事態に他ならない。
公国重臣が卒倒しそうな顔で叫んだ。
「べ、べ、ベルネシア外交団を呼べっ! 今すぐにっ!」
〇
「で、買い占めた回復剤はどうしたの?」
「売りましたよ。前より一割安く」
ユーフェリアの問いにヴィルミーナは『イイ笑顔』を返す。
※ ※ ※
数日前から、ベルネシア国内のフルツレーテン国境付近に武器を携えたコワモテの武装集団が出没し、フルツレーテンへ向かう商人達をひっ捕まえてこう告げていた。
『回復剤を俺達に売るか、無理矢理奪われるか。選べ』
買い取り額は常識的なものだったので、皆売る方を選んだ。王立憲兵隊に助けを求めた者もいたが、『買い取ってくれるというなら売れば良いのでは?』といわれる始末。
商人の護衛とトラブルが起きる事態も起きたが、フルツレーテンへ持ち込まれる回復剤の総量が瞬く間に激減した。
フルツレーテン側の抗議と陳情に対し、ベルネシア外交団は『王国府は関知していない。どこかで別の需要があり、皺寄せが生じているのでしょう。そのうち戻りますよ』と塩対応。
クレテア商人達はこの機会にフルツレーテンの回復市場を独占しようとし、しかも値上げした。
中世よりだいぶマシになったものの、近代初期の商売も末端の麻薬ディーラーのように一期一会的やり取りが多い。だから、平気で値上げもするし、利益を狙って相手の弱みに付け込む(地球史でもこの時代は洋の東西を問わず、こんな調子の商売をやっていたから、商人は嫌われがちだった)。
それでも、フルツレーテン側はかなり抵抗した。クレテア側と交渉して国で回復剤を買い上げ、国内各所に供給する体制を取って対応した。不足分に対応すべく行政を挙げての管理指導体制を大急ぎで構築した。
巨額の国費をクレテアに毟り取られ、莫大な労力と経費が掛かったけれども、背に腹は代えられない。
だが。
そこを狙いすましたかのように、ベルネシア側から大量の回復剤が流入した。しかも、これまでの取引額より一割安い卸値で(ベルネシア人はいけしゃあしゃあと『御迷惑をお掛けしたようなのでお安くしときますよ』とほざいた)。
結果、フルツレーテンの回復剤価格は乱れに乱れた。為替レートもこの騒ぎに釣られて荒れに荒れた。
影響はフルツレーテンの弱みに付け込んだクレテア商人達にも及び、フルツレーテンの裏口貿易市場は狂騒曲的大混乱に至った。彼らはベルネシアのやり口に腹を立てたが、それ以上にフルツレーテンの拙さに激怒した。
まさに踏んだり蹴ったり。フルツレーテンの役人達が過労と心身衰弱でバタバタ倒れた。
ちなみに、ベルネシア南部経済にも影響があったが、こちらは”予期していたように”対策を採っていたため、問題とはならなかった。
※ ※ ※
この騒動の仕掛人たるヴィルミーナに、ユーフェリアは尋ねる。
「かなりの赤字だったんじゃない?」
「大丈夫です。仕手戦で儲けました」
ヴィルミーナはにんまりと微笑んだ。
たしかに回復剤の買い占めでかなり散財した。しかし、それも荒れまくったフルツレーテンやクレテアの市場からがっつり毟り取ることで充分に補った。むしろ、収支で言えば黒字だ。
もちろん、幾重ものカバーを被って行ったから、そうそう手繰られない。
この現物の買い占めと大量放出による相場操縦は、現代ならまぎれもなく違法である(商品先物取引法違反)。
いや、この時代でもかなり際どい。法的にはダークグレーで、道義的には完全にアウトだろう。
ただし、今回の件は御上公認だった。
御国はヴィルミーナの仕掛けと足並みを揃えて経済制裁的一撃として利用した。その後の外交交渉はベルネシア側の勝利で終わっている。
まったく、どいつもこいつも実に悪辣である。
ただまあ、ヴィルミーナにしてみれば、ベルネシアの南部周辺地域や国内の製薬業界や流通業界などに配慮する必要があったから、かなり”手加減”した方だった。
精々が『留飲を下げた』その程度である。
説明を聞き終え、ユーフェリアはソファの背もたれに体を預け、苦笑した。
「ヴィーナは本当に頼もしいわぁ」