表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第2部:乙女時代

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

168/336

14:7

遅くなり申した。


誤字報告で手直し版がアップできていないことに気付きました。ストーリーに変更はありませんが、細かいところは変わっています(6/12)

 辻で射殺体が発見され、港に刺殺体が浮かび、裏通りに撲殺体が転がり、街頭に絞殺体が吊るされる。家屋の中には惨殺された男達が倒れ、寝室には凌辱された末に殺害された女子供が横たわる。乗員が皆殺しにされた商船が沈み、虐殺と劫掠に遭った村が灰燼に帰す。


 治安出動部隊の戒厳令下にあっても、ソルニオル領内、あるいは、帝国内や地中海での殺戮は続いていた。


 治安出動部隊は平民達に被害が及ばぬ限り、何もする気が無かった。彼らに言わせれば、

『悪党共が殺し合って数を減らす分には誰も困らない』『なんで俺達がワル共のために命を張らなきゃならねえんだよ』『ドブネズミの共食いなんかほっとけ』。


 司直に関しても、意図的に暴力を放置していた。殺されるという恐怖に駆られた悪党どもが保護を求めて自首、投降してくるからだ。

『ああ。情報を出すなら保護してやろう……三食昼寝付きだぞ(終身独居房)』


 とはいえ、初春を迎えた頃、これらの暴力は徐々に勢いを落としつつあった。各勢力が暴力に飽いたからでも、調停に向かったからでもない。


 ソルニオル一統が限界を迎えていたからだ。


 ルートヴィヒ・フォン・シューレスヴェルヒ=ソルニオルが築き上げた“王国”は、外敵によってズタズタに切り刻まれ、身内は腰抜けが逃げ出し、卑怯者が裏切っている。外の圧力と内の崩壊により、ビジネスは表裏共に機能不全へ陥り、“王国”は亡びの時を迎える寸前だった。


 この現実を無視するほど、ルートヴィヒは愚かではなかった。

 だから、かもしれない。


 老い先短く滅びの迫った老人が気に掛けるものは多くない。自身の名誉や残される家族など、その程度だ。

 そして、病的なエゴの持ち主であるルートヴィヒが気にかけることは、自分自身だけだった。


 一代の大悪漢として名を成した自分が牢獄で腐り果てる? 論外だ。斬首台で頭を切り飛ばされる? 論外だ。御上や敵に屈服して情けを請う? 論外だ。何もかも放り出して逃亡する? 論外だ。論外。論外だ。


 惨めな負け犬として死ぬなど、ありえない。見事な死に花を咲かせ、悪漢たる我が人生の完結を図るのみ。最期の最後まで悪鬼羅刹の如き奸雄たるべし。


 ルートヴィヒは最後の“攻勢”を試みた。

 これまで蓄えた裏側の情報を基に方々を脅迫し、周到に情報を集めていく。


 ルートヴィヒは知る。


 帝国宰相サージェスドルフ、あの醜悪なクソデブが自分の妻であるクリスティーナと密やかに渡りをつけようとしていることを。


 クリスティーナと連絡を取ること自体はさほどおかしくはない。あのセイウチ野郎が自分と先妻の倅達を抹殺し、カスパーにソルニオル家を継がせる気だと知っていたから、当初はその段取り合わせと思った。


 だが、その『密やか』のレベルが諜報戦レベルとなると話が違う。


 その時、ルートヴィヒに電流走る。

 

 ――クリスティーナ。あの女か。あの女が、そうなのか。あの女郎。あの雌犬。あの雌犬めが。雌犬如きが私の王国を。


 女性憎悪主義者(ミソジニスト)であるルートヴィヒは、骨の髄まで、細胞の一つ一つまで、魂の深奥まで女性に対する憎悪的差別と侮辱的蔑視に満ちていた。そんな彼にとって、手籠めにした雌犬が牙を剥いて自分を食い殺さんとしていることは、精神の根幹を揺さぶるほどの屈辱であり、血が沸騰し、神経系がショートしそうなほどの激憤を引き起こした。


 許さん。

 許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん

 許さん。

 絶対に許さん。

 ルートヴィヒは両眼が血走り、こめかみに青筋が浮かび、約20年振りに勃起した。

「クリスティーナアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


       〇


「親父は最後の大暴れを企んでる」

 ソルニオル嫡男エーリッヒが吐き捨てる。精悍な顔立ちにがっしりとした体躯の偉丈夫。強姦趣味の人妻好き。つまり、そういう所業を繰り返しているクズだ。


「流石は親父。歳を食っても剛毅だな」

 へっと鼻で笑うのは三男坊のトーマス。こちらは腹の出た小男。乱交好きで精力剤と媚薬を常に持ち歩く性欲過剰野郎だ。


「笑っている場合か。大幹部すら俺達を見限って逃げ出し、逃げ出しても殺されるんだぞ。このうえ、大暴れだと? 本当に滅んじまうぞ」

 次男坊アントニオが青い顔を浮かべてぼやく。ひょろっこい痩せぎすの小心者で、女を殴らないと勃起できないカスだ。


 三人ともメーヴラント人とコルヴォラント人の混血のため、ヴィルミーナと同じく薄茶色の髪と紺碧色の瞳をしていた。しかし、その瞳に宿る魂の色彩は酷く卑しい。


「国は俺達を消して、ソルニオルをカスパーに継がせる気だ」

 エーリッヒがつまらなそうに言った。

「兄貴の子か」とトーマスが薄笑い。

「お前の子だろ」と吐き捨てるエーリッヒ。


「誰の子供だってかまうか、どうだっていいだろっ!」アントニオが喚く。「どうするんだよっ!? どうすればいいんだっ!? 俺は死にたくないぞっ!」


「国内に留まれば、助からんだろうな。かといって、国外に逃げてもな。下手なところだと俺達を捕らえて送り返しかねん」

 エーリッヒは取り乱し気味の次弟を無視し、逃亡先の候補を挙げていく。

「ティルクは論外。メーヴラント諸国も無駄だな。コルヴォラントはどうだ?」


「鼻薬を利かせばいけるかもしれないが、どうだか。あいつらは意地汚ねェからな」

 トーマスが冷笑し、提案した。

「ロージナかエスパーナは?」


「ロージナに伝手は全くないし、エスパーナは先行きが不安だ」

 エーリッヒは顎先を撫でながら言った。

「いっそ南小大陸まで行くか」


「南小大陸?」と訝るアントニオ。「戦争中だろう?」

「それは北部の話だ。エスパーナ植民地は安定しているし、外国人も受け入れている。それに、南小大陸まで追手を出すまい」

「蛮族女のハーレムでも作るか」トーマスは股間を掻きながら笑う。


「蛮地まで逃げなきゃならないのか」

 アントニオは項垂れて呻く。

「ちくしょう。なんだってこんなことに。俺達が何をしたって言うんだ」


 いずれにせよ、ルートヴィヒの先妻の息子達は方針を決定した。

 親父の意地に付き合って滅ぶ気はない。もちろん、家人やら部下やらのことなんて気にしない。


 エーリッヒ、アントニオ、トーマス。三人はそれぞれどうやってソルニオル領から南小大陸へ脱出するか、話し合い始めた。


      〇


 聖冠連合帝国バートイフェル。

 帝都ヴィルド・ロナから馬車で二日ほどの場所にあるこの山稜温泉地は、帝室保養地に指定されており、優美な自然と洗練された街並みが美しい帝国屈指の観光地だ。


 春間近のこの頃、皇帝ゲオルグ2世がサンローラン国際会議の活躍を労い、皇太子レオポルドと帝国宰相サージェスドルフに保養を下賜した。


 また、ベルネシア訪問で大きな役割を担ったカール大公夫妻と、その義弟にも同じく保養を下賜した。ただし、カール大公は既に東メーヴラント戦争に従事しているため、代わりに御母堂と細君の母――ソルニオル公爵夫人の同道を許可している。


 皇帝はバートイフェルに関係者を集め、『ソルニオル事変』の落としどころを決めて来い、と命じたのである。同時に、この保養下賜は皇帝がいよいよソルニオル公爵とその倅達に対する『最終解決』を是認したに等しい。


 帝国近衛騎士達と保安庁警護員の表裏両面からなる警備体制が施されたバートイフェルに、皇太子一行が訪れる。

 彼らの滞在先は帝室別荘“グリフォン・ガルテン”。

 バートイフェルの麗しい自然を一望できる高台にあり、攻めるに難く、守りに易い要害に置かれた小砦でもある。


 春の息吹が聞こえてきそうな麗らかな景色を見下ろす二階テラス。侍従達がチェック柄のパラソルを立て、檜製丸テーブルの上に純白のクロスを敷く。瀟洒な椅子が四脚並べられ、東方製白磁のティーセットが一つ一つ置かれていく。手の込んだ見た目美しい菓子が盛られた大皿がテーブルの中心に鎮座する。


 そうして、帝国大番頭のサージェスドルフがやってきて、続いて大髭ヴィリーが姿を現す。次に皇太子レオポルドが席について、最後に青いドレスと白いショールをまとったクリスティーナが姿を見せた。

『最終解決』を話し合う面子が揃う。

 侍女が魔導術でお湯を作り、御茶を淹れる。個々人のカップに紅茶を注いで回り、一礼してテラスを去った。


 テラスには四人だけが残った。

 口火を切ったのは、サージェスドルフだった。クリスティーナを見据え、問う。

「まずクリスティーナ様にお尋ねしたい」


 掛かる口調で詰問されたクリスティーナは優雅にカップを口に運び、唇と喉を潤してから、応じた。

「報復の刃を振るっている者達は、私の“同志”達よ」


 問いの御題を提示される前にあっさりと。クリスティーナはなんの演出もなく、つまらないほど簡単に。

 しかし、回答したクリスティーナ自身は強烈な存在感を放っていた。優艶な威厳はさながら女王のようであり、深い青色の奥に潜む酷薄さは女妖のようだった。


 野郎共は思わず絶句する。

 大髭“ヴィリー”などは唖然としてマヌケ面を晒し、レオポルドは瞬く間に気圧された。


 サージェスドルフは瞬間的に自身の想定が完全に正しかったことを悟り、内心で毒づく。

 この御婦人といい、あの賢姫といい、まったくベルネシア王家の女達はどうなっている。どういう教育しているのか。


 クリスティーナは悠然とカップを置き、

「我らは理不尽な暴力を受け、心を深く傷つけられた犠牲者達。同時に憎悪と怨恨に心を焼かれ、悲哀と絶望に心を蝕まれた者達でもあります。怒れる者達もいます。法の不備、司直の不正義、政府の不誠実、国家の腐敗に失望し、強い義憤を抱いていた者達です」

 氷糖を一粒手に取って口に運び、がりっと音を立てて氷糖を噛み砕く。


 鮮やかな紅が塗られた唇の隙間からこぼれる剣呑な音色に、レオポルドが思わず背筋を伸ばした。


「御分かりか、宰相殿。御理解されておられますか、皇太子殿下」

 深い青色の瞳で両者を見据え、クリスティーナは言った。

「我らの罪は貴殿らの罪でもある」

 冷たい、酷く冷たい声だった。


「貴殿らがもっと早く、もっと正しく、すべきことをしていれば、我らが手を汚す必要などなかった。我らがこれほどまでに苦しみ続けることもなかった。貴殿らがふがいなく、だらしなく、無能で怠惰で不公正だったから、我らがあの邪悪共を誅し、帝国の治教を正さねばならなかった。貴殿らが我らに罪を犯させたのです」


 情動の熱が一切含まれていない糾弾。

 サージェスドルフは眉間に深い皴を刻み、レオポルドも端正な顔を大きく歪めた。


 帝国の大番頭はゆっくりと深呼吸した後、

「……たとえ、貴女の道理が全面的に正しかろうとも、法は法だ。貴女と同志達は法を犯した咎人だ。貴女こそ理解しているのか。如何に道義的に大義名分が整おうとも、貴女のやったことは内乱罪すら視野に入るほどの凶行だぞ」

 クリスティーナを真っ直ぐ睨みながら言った。

「貴方達には同情もするし憐憫もする。帝国政府の要職筆頭たる者として、法の不備や体制の不誠実も真摯に受け止めよう。だが、女子供まで残忍に戮殺する貴方達の所業は一切理解しないし、許容しない」


「その怒りは既に我らが通り過ぎたところですよ、宰相殿。我らの悲憤を理解していただけて幸いです」

 薄く微笑み、クリスティーナは大皿へ手を伸ばす。

 白砂糖で飾られた一口大のパイを小皿に分け、フォークでざくり、と半分に切り分ける。

「互いに理解が及んだところで、取引をしましょう。こちらの要求は皇帝陛下の恩赦です。我々を罪に問うことは構わないし、有罪の判決も受け入れましょう。そのうえで、皇帝陛下の恩赦を以って罰を収めていただきたい」


「随分と都合のいい要求だな。その要求を満たすには余程の代価がいるぞ」

 そんなものがあるなら言ってみろ、と言いたげなサージェスドルフに、クリスティーナは事も無げに応じる。

「ソルニオル一族がこれまで蓄積した情報。帝国内外の要人達が抱える数々の秘密を記した閻魔帳を差し出しましょう」


 思わず呆気にとられるサージェスドルフ。「そんなものがあるのか」と吃驚を上げるレオポルド。


「本気か? それこそがソルニオル公爵家最大の財産だぞ」

 ぎょっと目を剥いた“大髭”ヴィリーが、クリスティーナを問い質す。どうやら、ヴィリーはその存在を知っていたらしい。蛇の道は蛇と言ったところか。


 クリスティーナは鷹揚に口端を吊り上げ、

「あれの閻魔帳を利用すれば、結局はあれに成り代わるだけ。私はあの汚らわしいドブネズミの巣を乗っ取りたいのではありません。あのドブネズミの巣を焼き払い、そこに新たな種を植え、新たな庭園を造りたいのです」

 にたりと口端を釣り上げる。


「新たな庭園? 具体的には何をされるつもりか?」

 すっかり気後れしたヴァンデリック侯弟がおずおずと尋ねた。


「私は新生ソルニオル領に帝室直轄の特別経済特区を設けるつもりです」

 経済特区。

 聞き慣れない単語に帝国宰相と帝国皇太子とヴァンデリック侯弟が目を瞬かせる。


 クリスティーナは幼児に物を教えるように説明した。

 税制優遇や規制緩和を以って国内外資本を誘致、産業振興と経済発展を図る経済特別地区を置く。


 ちなみに、地球史における経済特区の発生は20世紀後半、文革の傷痕にもがく共産中国が打ち出した改革開放策が原点だ。おそらく、その発想の根っこは清の頃に味わった屈辱――列強租界だろう。


「この経済特区は帝室直轄領とし、カスパーが継ぐ新生ソルニオル公爵家は地方領主であると同時に、経済特区総督も務める。この経済特区のアガリはその大半を帝室直轄収益としたうえで、帝室の恩賜金として各地方の開発に直接注入すれば、帝室の権限も高まるでしょう」


「それだけの事業を貴女達母子だけで行えるとでも? 人材はどうする気だ」

「人材は我が同志達を引き入れることで解決します。皇帝陛下の恩赦を受けるとはいえ、有罪判決を受ければ、現職を失うでしょう。カスパーの周りに配すつもりです」

 レオポルドの問いに、これまたあっさりとクリスティーナは応じた。


「全て絵図を描いたうえで、か」と呻くサージェスドルフ。


「機会を寄こしたのは宰相殿です。その意味では感謝しています。偽りなくね」

 クリスティーナは嬲るように目を細め、次いで、どこか冗談めかしてくすくすと微笑む。


 その少女のような無邪気な笑い方に、薄ら恐ろしいものを覚えた大髭ヴィリーとレオポルドが冷や汗を浮かべ、着衣の襟元を弄った。


「ヴィルミーナ嬢といい、貴女といい、ベルネシア王族婦人は皆政経に通暁しているのかね?」

 しかめ面のサージェスドルフが皮肉っぽく問う。


 クリスティーナは無言で肩を竦めるに留める。


 復讐計画を練る過程で、クリスティーナは本国の情報も集めた。そうした情報収集の中で、ヴィルミーナの小街区開発やクレーユベーレ開発を知る。

 その時、ヴィルミーナに覚えた感情は身を焦がさんばかりの嫉妬だった。自由に己が才覚を振るって社会で活躍し、世界に挑む。なんと妬ましいことか。なんと羨ましいことか。


 ソルニオルへの憎悪と怨恨が復讐計画とソルニオル潰しの原動力となったように、ヴィルミーナへ対する嫉妬と羨望は、新生ソルニオルのデザインを描く発奮を促した。


 王女として受けた高等教育。ベルネシアを始めとする諸国の外洋政策。ヴィルミーナの小街区とクレーユベーレ開発。地中海経済の現状。ソルニオル領の地政学的価値。そうしたものを踏まえ、自身の知識と教養と知性から、経済特区というアイデアを導き出したのだ。


 クリスティーナは小さく息を吐いて話を再開させ、

「とはいえ、現状は絵に描いた菓子。私もまだ閻魔帳は手に入れていない。あれは侯弟殿が指摘した通り、ソルニオル家の至宝です。あのドブネズミが後生大事に抱えている」

 ヴァンデリック侯弟に水を向けた。

「どうです、侯弟殿。私の同志達に先駆け、奪取を図ってみますか? 私の描いた絵図をひっくり返せるし、手に入れれば帝国を裏から牛耳れますよ」


「その冗談は余りにお人が悪い。斯様な話をされたうえで手出しが出来ましょうか。某は一族や同胞の生命財産の責を担う身。御寛恕下され」

 大髭ヴィリーは冷や汗を拭いながら首を横に振った。

 同時に内心で『あぶねええええええっ!!』と若い頃のような勢いで絶叫していた。


 惨憺たる歴史を生き延びてきたヴァンデリック侯家は、嗅覚が利く。その嗅覚を受け継ぐ侯弟“大髭”ヴィリーは確信していた。もしもソルニオルの閻魔帳に手を出していたら、クリスティーナはきっと自分を手勢ごと消していただろう。この女傑は流血を恐れない。


「その閻魔帳とやらを得るのは難しいのではないか? 飛空船突入事件以降、ルートヴィヒは屋敷の守りを頑強に固めている。治安出動部隊も流石に屋敷周辺は真面目に警護しているし、手出しは難しいぞ」

 レオポルドが告げると、クリスティーナは言った。

「御心配なく。アレはいつまでも守りを固めてはいませんよ」


「どういう意味だ?」怪訝そうに問うレオポルド。

「アレはこうして私が貴殿らと会談の場を持ったことを把握しているはず。アレの手は帝国内に限れば、かなり長いですから」


「諜報戦並みの保秘を図ったつもりなのだが」とサージェスドルフが苦々しく呻く。


「宰相殿が諜報戦並みの保秘を図って私と接触を試みている、その事実と状況証拠を合わせて考えれば、生じる推測は限られます。ソルニオル潰しの陰で私が暗躍していたことも推して導き出すでしょう。となれば、動かずにいられない。あれの女性憎悪は病気ですから」

 どこか冷ややかに微笑み、クリスティーナは紅茶を口に運ぶ。

「まあ、せいぜい悪あがきを見せてもらいましょう」


     〇


 夕食が済み、各人は娯楽室や談話室で思い思いに過ごしているが、エルフリーデは他者と交わる気分にならず、早々に宛がわれた客室へ戻っていた。


 どうしてこんなことになってしまったのか。


 帝室別荘の客室で、エルフリーデは額を押さえる。自然と口から大きな溜息がこぼれた。

 もう訳が分からない。なんでこんなことになってしまったのだろう。カール様の御傍で母とカスパーと静かに暮らせて良ければ、十分だったのに……


 ベルネシア訪問でカスパーが“やらかし”て以来、エルフリーデは気苦労が絶えない。年明けからは、母クリスティーナが人の変わったように暗躍し始めた。そして、まるで別人のように精気に満ちてあれやこれやと動いている。


 具体的に何をしているのか、決して口にしないが……ソルニオルを中心に帝国内で起きている凄惨な暴力に関与していることは間違いなかった。


 カスパーはそんな母に侍り、一挙手一投足を見逃すまいとしている。さながら、謀略の手法を学んでいるかのように。


 カール様に会いたい。痛切にそう思う。カール様に抱きしめられたい。哀切にそう願う。


 再び大きな溜息を吐き、エルフリーデは机の許へ向かう。

 愛する夫に手紙を書くためだ。紙と万年筆を用意したその矢先。


 別荘衛門の方から、甲高い金属的な音色が響いた。

 それも、一つではなく幾つも。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] >ルートヴィヒは両眼が血走り、こめかみに青筋が浮かび、約20年振りに勃起した。  ……心臓大丈夫かな(笑)バイアグラ。   [気になる点] カール大公夫妻=カール大公&エルフリーデ 義弟=…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ