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大陸共通暦1769年末。
東メーヴラント戦争は大陸共通暦1769年の年末に始まった。
『サンローラン協定』による一方的かつ無礼千万な最後通牒を受け、
「戦じゃああああああああああああああああああああああああああああっ!」
ハインリヒ4世は脳卒中を起こしそうなほど激憤し、迷うことなく開戦を決断した。
カロルレン王国の現状と国力、戦力を敵勢と比較すれば、最後の最後まで外交努力を払うべきだろう。屈辱的な結果を迎えようとも、国家存続、国民安寧の務めを払うべきだろう。
しかし、重臣達も高官達も軍人達も王の判断に反対しなかった。浅慮とも思わなかった。
この侮辱的な最後通牒を受け入れれば、旧神聖レムス帝国領地域の西部全域を奪われる。資源しかない北東部や南東部だけでは、アフリカの小資源国家みたいに資源と食料をやりとりする経済植民地と化してしまう。
何より、こんな舐め腐った宣告を甘受すれば、カロルレン王侯貴顕は決定的に権威が失墜する。事実上の亡国である。そもそも、先刻の中身を見る限り、帝国もアルグシアも交渉する気など微塵も無い。
ハルノートを突きつけられた大日本帝国みたいなもんである。戦えば、亡国。戦わなくとも、亡国。ならば乾坤一擲の大博打に挑むしかない。
カロルレンにとって幸福だったのは、アルグシア・聖冠連合帝国が現代アメリカほど強大ではなかったこと。ベルネシア、クレテアの援助は物資に限られており、戦力を投じなかったこと。
また、災害後からの半年間、能う限り軍と国家の再建が実施されたことも大きい。
もしも、オラフ・ドランがカロルレンに留まらず、王国中央が当初のままに被災地復興やマキシュトク奪還と素材関連産業の維持を後回しにしていたら、カロルレン王国はここまで強気に戦争を決断できたか怪しい。まあ、これは少々身内贔屓な表現かもしれないが。
話を戻そう。
カロルレン王立軍総司令部はかつての戦争計画を再び持ち出し、大幅に修正して国家存亡の戦いへ臨むことにした。
まず第二軍を投じて王国南部国境を越え、ヴァンデリック侯国へ侵攻する。候都を制圧して大街道を扼しつつ、占領した候都を要塞として利用。帝国を迎え撃つ。可能な限り、ヴァンデリックが溜め込んだ正貨と物資を確保したい。
ヴァンデリックは9年戦争同様、大きく荒廃することになるだろうし、時節柄、民衆に多くの犠牲が出るだろう。だが、知ったことではない。ヴァンデリックは帝国に与した。どのような惨禍に見舞われようと、ヴァンデリック自身が招いた自業自得だ。
カロルレンのスタンスは非道とは言えない。近代の戦争では敵国市民の権利も命も考慮されないのが常だった。
たとえば、ナポレオン麾下の大陸軍は占領地内で度々劫掠や虐殺を起こしている。むろん、軍の秩序維持の観点から犯罪行為は厳しく咎められていたが、実際は……。
ともかく、だ。まず南からくる帝国軍をヴァンデリック国内で押さえる。その間に、国境を直に接しているアルグシアと戦う。
カロルレン西部は農耕に適した平野が広がるため、侵入を許せば、一気呵成に進攻されてしまう危険が大きい。むろん、これはアルグシア側にも言えることである。
よって、両国の国境背後には予備拠点や城砦が建設されており、都市も大なり小なり城塞化されている。
大災害前の戦力なら突破に挑めたのだが、現在は無理だった。大災害後の約半年間、アルグシア側は警戒動員した兵力を活かして拠点や城砦を強化している。戦力が減耗している王立軍では突破困難と断じざるを得ない。
であるから、アルグシア侵攻軍を国境防衛線まで誘引し、拠点と城塞都市でアルグシア軍の頭を押さえつつ、野戦決戦で叩く。これには精鋭の第一軍を投じ、作戦予備の第三軍を控えさせる。
国家経済が辛うじて回っている状況では、ベルネシア軍のような長期消耗戦は出来ない。持久戦が出来ず数的劣勢である以上、内線作戦による各個撃破しか勝利の目はない。危険を押して会戦に臨むしかない。
やるしかない。
手にある札で最大限の戦果を上げ、帝国とアルグシアの戦争遂行の意志を挫くしかない。
どれだけ厳しく、苦しい戦いになろうとも。やるしかない。
ハインリヒ4世は閲兵の場で激情をぶちまけた。
「王国の存亡は諸君の双肩に懸かれりっ! この地において、神聖レムス帝国が開祖帝連枝カロルレン家に勝る大義無しっ! 悪辣なる西の僭称者共を撃滅し、卑劣なる南の偽称者共を討滅せよっ!」
かくして、『サンローラン協定』による一方的な最後通牒を受けたカロルレン王国は、その返答期限最終日に、受諾拒否と宣戦布告を行い、直後に国境南部を越えてヴァンデリック侯国へ侵攻した。
〇
寒風を浴びた白雪が踊る共通暦1769年末。
東メーヴラントの冬は静寂とは遠かった。
雪の舞う中、カロルレン王立軍の第二軍が足早に大街道を南下していく。
ヴァンデリック侯国の候都を制圧して大街道を扼し、可能ならば戦略的要地も手早く抑えて防御態勢を整えたい。特に候都の東側にあるファロン山を押さえられれば、砲撃観測所となり得る。
候都を制圧し、ヴァンデリック侯家を始めとする要人達の確保……はどうでも良い。とにかくヴァンデリックの溜め込んだ正貨や資産、物資を没収して戦費に当てたかった。
カロルレンは戦時国債など発行すらしていない。ベルネシアやクレテアと違い、受け手がいないからだ。それよりも勅令の戦時徴税で国内資本から金を引っ張る方が早い(戦国時代風に言えば矢銭だ)。
もちろん、貴族達からも金を引っ張った。渋る連中には予備戦力たる第三軍をチラつかせた。国家存亡の危機にあって王命に逆らう奴には容赦しない。
国内経済はあっという間に傾いていたが、もはや将来のことなど後回しだった。
平たく言おう。現在のカロルレンは二次大戦末期のドイツや日本に等しい。すなわち――腹を括った狂犬状態。
肝心の進軍自体は順調だった。
ヴァンデリック国境警備隊(総戦力一個中隊)を容易く蹴散らして越境後、カロルレン王立軍の第二軍は戦力を二手に分けた。一つは候都と周辺の制圧、もう一つはファロン山地の確保だ。
ここからは時間の勝負だ。要地を抑え、陣地化を図る必要がある。
一方、ヴァンデリック侯都では『予定通り』、脱出と疎開が行われていた。
「急げ急げ急げっ!! 奴らはすぐにでもやってくるぞ」
“大髭”ヴィリーは自前の馬車隊だけでなく、『サンローラン国際会議』を通じてベルネシアからチャーターしておいた飛空船群に、しこたま正貨や美術品などを積み込ませる。国富をカロルレンにくれてやるつもりなど一切なかった。
「住民の避難も急がせろっ! ここに残れば、奴らの弾除けにされるぞっ! 持てるものを持てるだけ持って南へ向かわせろっ!!」
もちろん、脱出させるのは金穀だけではない。住民は大半を侯都から疎開させ、北上してくる聖冠連合帝国軍の許へ逃す。連中にはヴァンデリックの民を保護する責任がある。そのために、保護国化を申し入れ、多額の戦費を支払ったのだ。
せいぜい、宗主国としてヴァンデリックのために血を流すがいい。
侯国政府の脱出命令に従わない者達も一定数居るが、そうした連中は放置された。過酷な歴史を歩んできたヴァンデリック侯国の人間は、たとえ同胞と言えど、死にたがりに構うほど寛容ではない。
ヴァンデリック侯都が脱出で大騒ぎになっている頃、聖冠連合帝国軍もヴァンデリック侯国南部国境を越え、北上していた。
侵攻軍は“たった”6個師団程度。聖冠連合は苦労の多い冬季戦をやるつもりなど無く、ヴァンデリック南部地域に橋頭堡を構築しつつ、侯都やその周辺から流れてくる難民収容キャンプ地を確保するための兵力しか送らなかった。
帝国の大番頭サージェスドルフは、ヴァンデリックの要求通り、宗主国責任としてヴァンデリックの民を保護する義務を尽くすつもりだった。
が、国内に万単位の難民を受け入れる気など毛頭なかった。その辺り、帝国のセイウチは容赦がない。
ともかく、聖冠連合帝国は冬の間、戦争をするつもりはなかった。冬の間にカロルレン側が守りを固めてしまう可能性はあったものの、その点を差し引いても、冬季攻勢などという損得勘定の割に合わない挑戦をする気はない。そこまで無理をする必要もない。
本格的な攻勢は年明け、春を迎えてからと決めている。大国ゆえの傲慢な余裕だった。
逆に、カロルレン並みに血気盛んだったのが、アルグシア連邦だった。
先述したように(閑話14)、アルグシア連邦内には『勝利』を必要としている勢力が存在していた。近年良いところ無しの連邦軍。空回り気味の強硬派。そして、戦禍が目と鼻の先に迫った東部諸邦。彼らはこの戦争に真剣かつ本気で、しかもガチだった。
特に、連邦軍と強硬派の熱気は凄い。
『勝って当たり前の戦じゃああっ! 手柄を稼ぐぞぉっ!』とか『協定なんざ知るかぁっ! 取れるだけ分捕っちまえ。実効支配しちまえばこっちのもんじゃいっ!』とか言っていた。
『はしゃいでいる』と評しても良い精神状態だ。
これに冷水をぶっかけたのが、他の領邦だった。
西部:この穴だらけの侵攻計画のためにウチの好景気に水を差すとか冗談だよね?
南部:なんだ、このナメた侵攻計画は。ウチの兵隊を無駄死にさせる気かゴルァッ!!
北部:僕達のお金と兵士を使うなら、もっとまともな侵攻計画を作ってよっ!
というわけで、侵攻計画は見直しを余儀なくされ、侵攻開始は年明けに先送りになってしまった。アルグシア連邦らしいグダグダである。
もちろん、年明けまで何もせぬわけではない。侵攻発起線に部隊と物資を移動させ、ギリギリまで訓練と計画の詰めが行われた。
兵士達は年末年始を家族と過ごせないことに不満をこぼしつつ、年明けの侵攻に備えている。
戦争は始まった。
しかし、戦禍が燃え上がるまでには今少しの時間を必要としていた。
〇
カロルレン国王ハインリヒ4世が戦争を決意してから数日後の時点に話を戻そう。
敵性外国人となったオラフ・ドランは、監禁も拘束もされていなかった。
これは復興再建委員会やマキシュトク奪還作戦を通じて知己を得た人々が『彼は敵ではない。我らの友人だ』と要路に訴えたためだ。
が、カロルレン当局の監視はしっかり引っ付いており、オルコフ男爵家本領屋敷の離れに準軟禁されていた(離れから出ることは許されていたが、敷地外に出ることはダメ)。
ドランが身動きの取れない状況になると、方々からオルコフ男爵家本領屋敷の離れに訪問者がやってきた。
その多くはマキシュトク関係で、復興再建の助言や相談、産業筋から商談などが次々に持ち込まれた。
加えて、どういう訳かラランツェリン子爵家嫡男夫人が幼い我が子――現当主を連れてオルコフ男爵家本領屋敷に逗留し、ドランの秘書みたいなことを始めていた(曰く『子爵領を再建するために貴方の手法を学んでおくの』とのこと)。
おかげで、ドランが準軟禁されている離れは、コンサル会社みたいな有様になっていた。
もちろん、軍や当局の聴取も受けている。
特に軍関係者は熱心に、とても熱心にベルネシア戦役について聞いてきた。しかし、ドランは戦時徴兵されず、白獅子に残って働いていたため、軍事関係で語れることはほとんど無かった。
また、ドランは社外秘のことは全く喋らなかった。当局が拷問をチラつかせたが、話を聞きつけたノエミや関係者が逆に当局を脅す始末。愛されてるぅ。
訪問者は他にもいた。
オルコフ男爵家本領屋敷傍にある孤児院の子供達だ。
ノエミはドランに手透きの時は、と子供達へ勉強などを教えるよう頼んでいた。ドランもこの要請を快諾し、子供へ勉強やベルネシアのことを教えたり、ちょっとした玩具をこしらえたりしていた。
接する子供達の中に、ヨナスという向う傷持ちの少年が居た。
目元と頬に二筋の傷を持つこの少年は、大変に聡明で、ドランを驚かせた。
「ヨナスは優秀だろう? なんせ彼は幼くとも勇者だからな」
ノエミはどこか得意げに微笑み、マキシュトク籠城戦での活躍振りを語って聞かせる。
「なるほど。それは確かに勇者ですね」
たった一人で巨鬼猿を誘導したと聞き、ドランは感嘆を禁じ得なかった。そんな勇敢な真似、自分には絶対に出来ない。ヨナスの評価が大幅に加点された。
そのヨナスは勉強しながらも妹“達”――ソフィアとヨラの面倒もちゃんと見ていた。ヨラの足元には白い子犬(成長して立派になりつつある)ナルーがいつも控えている。
あの惨劇から半年以上過ぎ、ヨラは少しずつ立ち直りつつあった。幼い心に刻まれた悲しみと喪失感はきっと一生拭えないだろう。それでも時間が少しずつヨラの心の傷を癒し、ソフィアとヨナス、ナルーがヨラの心を着実に回復させていた。
心の傷に対し、愛に優る薬は存在しないのだ。
ドランはマキラの孤児達と触れ合っているうちに『ノエミのために』という心情に加え『この子供達を戦禍から守らねば』という使命感も抱きつつあった。
よって……
オラフ・ドランは自身の都合と事情と感情と信条から、ヴィルミーナの意向に逆らい、“商事”の手引きによる脱出を拒んだ。
〇
「脱出を拒否、ね。なかなか愉快なことしてくれるじゃない」
ドランについての報告を受け、ヴィルミーナはこめかみを押さえながら毒づく。表情筋が正直に憤懣の意を表現していた。
静かに怒れる主君に、侍従長アレックスも困り顔で応じる。
「きっと、何か考えがあるんでしょう」
「そうでしょうとも」
苛立たしげに鼻息をつき、ヴィルミーナはアレックスに問う。
「カロルレンの当局に拘束されていないの? 連中にしてみれば、ドラン君は敵性外国人でしょう?」
「拘束されそうになったようですが、現地で作ったコネのおかげで、監視と準軟禁で済まされているようです。“商事”の方もこれ以上、現地に留まることは困難と……」
しゃあない。ここらが引き際やな。あの坊主、どういうつもりか知らんけど、帰ってきたらきっちり躾けせなあかんな。
「ん。分かった。“商事”は撤退させていい。これ以上無理はさせられない」
小さく息を吐き、ヴィルミーナは腰を上げて執務室の窓へ近づく。
小街区オフィスの表は冬色に染まっていた。雪化粧を施された王都は寒々しいが、通りを行き交う人々からは活気が感じられた。
『サンローラン協定』に基づく戦争需要が生じたためだ。繰り返しになるが、戦争で要求される物資は武器弾薬に限らない。食料や医薬品、様々な資材や原料、雑貨などあらゆる方面に及ぶ。
このカンフル剤により、ベルネシア経済は元気を取り戻しつつある。
また、需要拡大は外洋方面でも起きていた。
南小大陸の戦が激しさを増し、イストリアと南小大陸領土への輸出が増加している。大陸南方や東南方、東方貿易でも、ベルネシア製加工資材や工業用品、産業機材の需要が増えている。特に、高精度/高品質の白獅子製品を要望する声は大きい。
この需要増に便乗する形で、ベルネシアは自国規格の普及を図った。薄利多売による各地のシェアを急速に奪いつつある。
共通規格と協働商業経済圏の交渉をしていたイストリアが不満を訴えてきたが、既に交渉開始して一年以上経過している。これ以上はベルネシアとしても待てない。イストリアが動かなければ、済し崩し的にベルネシア規格が国際規格化していくだろう。
ヴィルミーナとしても、御上のこの戦略方針を歓迎している。
地球史近代の発明/発見ラッシュを考えれば、この世界でも直に技術的、科学的な伸び盛りを迎えるはず。そういう意味でも自国規格が国際化する利点は大きい。
ただ、懸念もある。
ヴィルミーナは街並みを眺めながら、どこか物憂げな面持ちで呟く。
「東メーヴラントと南小大陸。この2ヶ所の戦火の燃え上がり方によっては、怖い変化が生じるわね」
「怖い変化、とはなんです?」とアレックスが問う。
「具体的に分かれば、怖くないわ。むしろ、投資で儲けられる」
「既にかなりの利益を出してますよ。物足りないんですか?」
アレックスはくすくすと上品に苦笑した。
インサイダー取引の規制なんて無きに等しいこの時代である。戦争が起きると分かっていれば、投資して稼ぐことなど容易い。政商は金融市場の圧倒的強者だ。
「私は欲深だからね」と憂い顔のまま口端を緩めるヴィルミーナ。
アレックスは主の強欲さを、婚約者のレーヴレヒトが出征する不安と寂しさを紛らわせるため、と好意的に解釈した。ヴィルミーナの傍に歩み寄り、務めてにこやかに語り掛けた。
「ちょっと抜け出して御茶に行きませんか? たまには私達だけで」
「そうね。うん。そうしましょうか」
ヴィルミーナは振り返り、柔らかな笑みを湛えてアレックスの肩に手を置く。
「気遣い、ありがとう。持つべきものは親友ね」
「! どういたしまして」
アレックスは花のような笑みを浮かべた。
「でも、アレックスとデートしたなんて知れたら、貴女のファンに締め上げられそう」
「そもそもはヴィーナ様の無茶振りが原因なんですよ? 分かってます?」
悪戯っぽく続けたヴィルミーナに、アレックスは唇を尖らせる。
「お詫びに奢るわ」
ヴィルミーナはくすくすと喉を鳴らし、アレックスと腕を組んで出入り口へ向かう。
流血の大陸共通暦1770年まで、あと数日。
活動報告での意見募集に御協力いただき、ありがとうございました。
今月いっぱいは御意見募集を続けるつもりですので、よろしければお願いします。




