閑話17:あの時、その時、この時、彼女達は。
もう一本。
大陸共通暦1769年:ベルネシア王国暦252年。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
――――――――――
この年の初夏、前年に続いて身体障碍者競技大会が催された。
王太子エドワードが親善訪問でイストリアに行ってしまったため、今年の台覧代表は第二王女ロザリアが代わりを務めている。可憐な姫様の激励に選手達は士気を強めたという。
第二回大会では、参加者と観客が前年より増加し、加えて、本格的に車椅子マラソンが開催された。
あの三輪型ロードバイクみたいな車椅子は高価なのだが、車体にスポンサーロゴが紋様の如く並んだところを見るに、資金調達は上手く行ったらしい。
時節、帝国から訪問していたカール大公達も大会を観戦し、吃驚と讃嘆を上げている。
大会後。カール大公が何気なく言った。
「自転車の競技大会をやってもおもしろそうだ」
地球における自転車の歴史、その黎明期の実態は定かではない。
まず19世紀初頭に木製の自転車(ただし、地面を足で蹴って進む乗り物)が開発されたらしい。
次いで、19世紀中期にペダル型自転車が生まれ(巨大な前輪と小さな後輪を持つアレだ)、その後、19世紀後半に現代主流のチェーン駆動式自転車――安全型自転車が誕生したという。
ちなみに、安全型自転車はその登場段階で、鋼線スポーク、鋼管製ボディ、加硫ゴム製エアタイヤ、ボールベアリング式軸受けなどを有していたようだ。これらは産業革命の最新技術の結晶だった。
ヴィルミーナは自転車の歴史などてんで知らなかった。つまり、現代的自転車が産業革命の技術的精華であることも知らなかった。
よって、産業革命を迎えていない聖冠連合帝国になぜ自転車があるのか、という疑問を抱くこともなく、『ほーぉ。もう自転車が存在しとるんかぁ』程度の感想を覚えただけだった。
このため、ヴィルミーナは無自覚にやらかした。やらかしたのだ。
「へえ、帝国には自転車が出回っているのね。”どんな自転車”なのかしら」
それは明らかに自転車を、それも複数種類存在することを知っている発言だった。
この発言に食いついたのが、ヴィルミーナの側近衆ヘティである。白獅子の技術畑を統括管理している彼女は、自身の知らない機器を見逃せなかった。
ヘティはそれこそヴィルミーナを質問攻めにし、根掘り葉掘り話を聞きだした。
その内容は技術開発研究所へ伝わり、大会のために王都を訪れていたクェザリン郡のマッド達にも伝わる。そう、あのマッド達に伝わったのだ。
で。時は流れて、秋の到来。
ヴィルミーナがサンローラン共和国で舌戦をしている頃。クェザリン郡から小街区オフィスに荷物が届いた。
届けられた荷物―――それは三台の自転車だった。
一台はカール大公の言った前輪ペダル駆動式。
二台目はヴィルミーナがうっかり漏らしたチェーン駆動式を採用した安全型自転車。
三台目は……安全型自転車をより発展させたいわゆるロードスター型モドキ。
安全型自転車は二台ともフリーホイールと変速機を採用していない。クランクとペダルが直結されている。まあ、それでも、自転車の歴史を早送りしたブツであることは変わらないが。
予備知識を持たない側近衆達は、ただ物珍しげに自転車を眺めただけだったので、後日、現物を見たヴィルミーナの反応を御紹介しよう。
えー……なぁにこれぇ……
目を瞬かせるヴィルミーナ。そして、まじまじと自転車を観察し……引いた。
フレームやクランクの素材は……ひょっとして、骨? 骨か、これっ!? あ、よぉ見ればチェーンも金属じゃなくて、なんかの甲殻片を繋いだもんやんけっ! またかっ! またモンスター素材を使っとんのかっ! なんなんっ!? クェザリンの連中はなんでそないに生物素材にこだわっとるんっ!?
つまり、クェザリン郡がこさえた自転車は産業革命技術の成果物ではなく、マッド達の変態的技術力の産物だった。凄いけど、これは工業製品ではなく、工芸品ではなかろうか。
それでも、要所――ボールベアリング軸受けやドラムブレーキなどはこれまでの努力で培われた技術の賜物だったけれど……まあ、何の慰めにもならない。
話をモノが届いた日に戻す。
早速届いた自転車の試乗会が行われた。試乗参加者は側近衆。と、たまたま遊びに来ていたアリシアだった。
「なにこれっ!? 新しい玩具っ!? 私も乗って良いのっ!?」
マリサは悪企みした笑みを湛え、言った。
「ああ。良いぞ……たっぷり楽しめ」
こうして冬間近の晩秋。青空の下、乗馬服に身を包んだ乙女達が自転車に挑戦し、
「いったーいっ! あははははっ!」
真っ先に自転車へ挑戦したアリシアがすっ転んでいた。
アリシアは自転車にまたがり、ニーナに後ろから押してもらうが、手を離された直後から生まれたての小鹿みたいによろよろし始め、少し進んですっ転ぶ。
この失敗を幾度も繰り返していたが、全然メゲない。自転車に乗るという未知の行為を存分に楽しんでいる。
「ニーナちゃん、もう一回っ! もう一回っ!」
「お、お前なぁ、押す方の身に、げほっ! なって、みろっ!」
汗だくのニーナが咳込みながら抗議するも、アリシアは既に新たな挑戦体勢を整えていた。
「ニーナちゃん、早くーっ!」
「あーもうっ! 今度すっ転んだら、魔導術で射出してやるからっ!」
一方、ロードスター型に跨ったリアは、いきなり乗り出さず、とりあえず自転車にまたがり、足で地面を蹴りながらバランス取りの要領を掴もうとしていた。自転車講習で教わる由緒正しいやり方だが、何の事前知識もないまま、そこに辿り着いたことが凄い。
そして、リアはすいすいと上手く漕ぎ、自転車を運転し始めた。
「まぁ! リア、凄いですよっ!!」とデルフィネも手放しで称賛した。
「やるなあ」とマリサも感嘆を漏らす。
「大したものねえ」とアレックスも讃嘆をこぼした。
自転車を軽快に走らせるリアが嬌声を上げる。
「あはっ! あはははっ! た、たのしぃい―――――っ!!」
〇
ここで話を自転車が届く少し前、秋口に遡ってみよう。
この秋、王太子エドワード夫妻の親善訪問からの帰国に合わせ、イストリア出先商館開発の責任者エリン・デア・ミューレが一時帰国している。
オーステルガム港に上陸したエリンが出迎えの側近衆達の前に現れた。
赤毛の美青年を伴って。
呆気に取られている友人達へ、エリンは左手薬指にはめた指輪をかざし、
「婚約しました♡」
と抜かした。
「え? え? え?」「はあ? はあああああっ!?」「可愛い……あんな可愛い年下婚約者を捕まえただと……?」「不正だぁっ! 絶対に何か不正だぁっ!」「ざっけんな、1人だけ美味しい思いしやがってっ!」「婚約者が出来たんなら弟紹介しろやあっ!」「おうっ! 弟紹介しろよあくしろよっ!」
側近衆達による動揺と驚愕と嫉妬と憤慨の阿鼻叫喚。
エリンは赤毛の美青年にことさら強く抱きつき、にやりと笑う。
「こわぁい。トビー、雌狼共が吠えててエリンこわぁい」
見事な煽りムーブに、側近衆達はこれまた見事に引っ掛かる。
「かっちーんっ!!」「こ、の、アマァッ!」「沈めちまえッ!」「弟紹介しろゴラァッ!」
公衆の面前で、ぎゃあぎゃあと喚き、いきり立つ側近衆達。あーもうめちゃくちゃだぁ。
側近衆達の大騒ぎに、赤毛の美青年トバイアス・ウォーケルは思う。
僕は無事に結婚できるのだろうか……
案じる年下婚約者の隣でエリンが勝者の笑みを浮かべた。
「幸せでごめんね~~っ!」
〇
似たような騒動は別所でも起きていた。
たとえば、この年の春。ようやっとベルネシア・クレテアの捕虜達が帰国の途に着いた(なお、戦犯は例外の模様)。その中にはカーレルハイト侯爵家嫡男アーベルトも含まれていた。
そして、アーベルトは1人で帰国したわけではなかった。
「嫁を連れて帰ってきた?」
ユーフェリアは目を瞬かせた。
有閑マダムなユーフェリアはこの日、ガブを連れて貴婦人愛犬家クラブ(仮)の茶会に出席していた。ユーフェリアと共に茶会へ潜り込んだロザリア姫は、子犬のガブや他の犬達と楽しそうに戯れている。
飼い主の一人ニステルロー侯爵夫人は憂い顔で嘆息をこぼす。
「ええ。それも貴族ではなく、平民の娘を」
なんでもアーベルトは捕虜暮らしの中、強制労働で従事していた復興作業先で運命の出会い(アーベルト談)をし、その娘を嫁として連れて帰ってきた。
まあ、無い話ではない。シベリア抑留の日本兵が現地の女性と結婚してロシアに留まった、なんて話もある。
相手がクレテア貴族だったなら、カーレルハイト侯爵家も不承不承受け入れたかもしれないが、平民の娘では流石に承服しかねた。
繰り返しになるが、この時代の貴族は血統主義である。血の濃度を重んじる。ましてカーレルハイト家は侯爵。上から数えた方が早い高位貴族だから、異民族の平民の娘を正妻として娶るなど、ありえない。
それでも息子の過酷な捕虜暮らしを支えた女性だから、とカーレルハイト侯爵は折衷案を出した。愛妾として囲むことは認める。だけど、正妻は貴族女性を迎えろ。
これにアーベルトは大反発。
「このアーベルト、御家の名を傷つけることは望まねど、女性に斯様な不義理は働けませんっ! どうしても彼女をカーレルハイトの妻として迎えられぬというならば、廃嫡なさっていただいて結構っ!」
戦前、ビジュアル系のなよっとした小僧は、戦争と捕虜暮らしでたくましい青年へ成長していた。中身の方もなんだか時代劇に出てきそうな感じに変化していた。
「なんかもう変な風に腹を括ってしまっていて、何が何だか」
ニステルロー侯爵夫人は弟の激変振りを思い返し、再び嘆息をこぼした。
「ヴィルミーナ様を一途に追いかけていた頃が懐かしいです。袖にされていることにも気づかない暢気な弟が可愛かったのに……」
その愛で方は如何なるものか、とユーフェリアは思ったが、口には出さない。
物憂い顔でニステルロー侯爵夫人はユーフェリアに問う。
「ユーフェリア様。何か、良いお考えはありませんか?」
「えっ」
家族仲のことであーだこーだと差し出口を叩けるほど、ユーフェリアは実家と上手くいっていないし、自身の結婚はクソだった。しかも自分の娘はアーベルトの誘いを袖にし続けた挙句に、幼馴染と恋愛婚。
だいたい、アーベルトのやっていることは愚弟フランツのやらかしたことに近い。
もうね、何も言えませんよ、これは。
ユーフェリアは返答に窮しつつ、視界の端に姪を取らえた。無邪気に犬達と戯れるロザリア姫に、強烈な嫉妬を覚える。本当なら自分もああやって暢気に犬達と遊ぶつもりだったのに。なんでこんな面倒で厄介な問答をせねばならないのか。
ユーフェリアは回答時間を稼ぐためにカップを口に運ぶ。
困ったことに名案は浮かんでこなかった。
〇
悩ましい事態に追いやられた人物は他にもいた。
ヴィルミーナがサンローラン共和国で舌戦を繰り広げている頃。
晩秋の静かな昼下がりに、
「メルッ! メールッ! メールフィーナーッ!!」
姉レイアの大声がロートヴェルヒ公爵家本領屋敷に轟く。
華奢で儚げな容姿からどうしてこんな大声が出るのか、妹のメルフィナには不思議でしょうがない。
メルフィナは小さく息を吐き、読み込んでいた報告書を卓に置いて自室を出た。足早に姉の居る公爵家当主書斎へ向かう。
「御姉様。いい加減、大声は控えてください。お腹の子に障ります」
メルフィナは大きくなった姉の胎へ目線を向けながら小言をこぼす。
懐妊が判明して数か月。姉レイアのお腹は順調に大きくなっていた。が、姉自身は妊婦の自覚が有るのか無いのか、これまで通りの生活を続けている。
なお、胤を提供する以外期待されていない婿のヨゼフは、妊娠中は外で遊んで良いと言われていたが『そんな後々恐ろしいこと、できない』と大人しく生活している。近頃は家人と共に生まれてくる子供のため、あれこれ作っている模様。
「私の子だから、このくらい気にもしないわっ! それより、急ぎの便りが届いているわよっ!!」
姉は大声で応じつつ、ぬっと封筒を寄こした。
受け取った封筒に押されている封蝋の印章が王国府だったことに、メルフィナの第六感がぞわりと反応した。
「……なんでしょう。猛烈に嫌な予感がします」
「気にしても始まらないわっ! さっさと開きなさいっ!」
姉に急かされ、嫌な予感を覚えつつもメルフィナは封筒を開き、中に収まっていた書面へ目を通す。そして、
「ああ……やっぱり……」
メルフィナは書面を床に落とし、両手で顔を覆った。
書面には『クレテア国王が貴社にクレテア王国王都ウェルサージュへ美容サロン支店の出店を所望せり』と記されていた。なお、封筒内にはベルネシア国王カレル3世の要請書も含まれていた。
退路はない様子。
「ようやくイストリア支店の件がひと段落して安堵したのに、安堵したのに……っ!!」
「何を弱腰なっ! 国際展開するチャンスじゃないっ! ガンガン攻めるのよっ!!」
無責任にカツを入れてくる姉へ、イラっとしたメルフィナが噛みつく。
「軽々しく言わないでください。私の美容サロンは基本的にハイエンド向けなんです。当然、従業員も最上級の技量と品格を身に付けさせているんです。準備に時間とお金が掛かるんですっ! そんな簡単にぽんぽん作れませんっ!」
「それはそれ、これはこれよっ! せっかくのチャンスを棒に振るのはもったいないわっ! 攻めるのよっ! 攻めて攻めて攻めるのよ、メルッ!」
メルフィナは獰猛すぎる姉に呆れ、再び顔を両手で覆った。
「あああああ……もう、どうすれば……」
〇
視点を少し動かしてみよう。
ヴィルミーナが銃器製造事業の買収を持ち掛けられていたことを覚えておられるだろうか(13:2)。
あの話は結局のところ、御断りが確定したのだが、『待った』をかけた人物がいた。
これまたヘティである。技術関連事業の統括支配人になりつつある彼女は、ヴィルミーナに言った。
『製造部門は要らないけど、兵器開発には一枚噛んでおきたい』
旧デルフィネ閥のエステルも別角度から意見を呈した。
『今後、不安定地域へ進出することも考えれば、警備会社や猟団に強力な武装が欠かせません。自社で生産能力を持たないにしても、調達能力を強めておくべきです』
戦争商売に否定的なアレックスやデルフィネは難色を示し、テレサやニーナ、リア達は不況の最中に新事業へ首を突っ込むリスクを懸念し、マリサは『面白くなるならやりましょう』と笑い、金庫番のミシェルは超然と『資金面での節度を弁えるなら』と条件提示。
将来にPMC保有を計画しているヴィルミーナとしては、武器弾薬の自弁能力まで持つことで、御上の警戒を買いたくない。
が、春先の大災禍で味わった混乱振りを思うと、エステルの意見も分かる。
最終的に、ヴィルミーナはエステルとヘティに投げた。
『白獅子として銃器製造事業を買収することはできない。その絶対条件を前提として、何かできると思うなら、ミシェルの提示する予算内でやってみなさい』
で。
色々省くが、エステルとヘティはある種のセオリー通りに動いた。
白獅子のコネクションを活かして投資や人を集め、件の銃器製造部門を買い取り、銃器製造販売会社『セヴロ』を新たに起こした。
この『セヴロ』社は白獅子の所有会社ではない、という体裁が必要なので持ち株比率は低く、経営に口出しはできない。ただし、技術開発研究所と業務提携をしており、また優遇取引先として白獅子の警備会社とつながりを持った。
本格的な始動は年明けからとなるが、まあ、悪く無い結末だろう。
めでたし、めでたし。
……そんなわけないんだよなぁ。
『セヴロ』には設計開発部門が設立されたのだが、集められた人材が一癖も二癖もあった。具体的に言えば、ベルネシア軍需企業がクレテア人銃器技師を引っこ抜いた煽りを受け、各軍需企業をクビになったベルネシア人技師達だった。
『俺をクビにしたことを後悔させてやる』『バカにしゃーがって、絶対に見返してやる』『作ってやるチョー凄い銃を絶対に作ってやる』『やるぜやるぜ俺はやるぜ』
彼らの怨念染みた熱意は、金属薬莢弾薬が開発された時に芽吹くことになる。




