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サンローラン国際会議の裏側では、代表団に伴われた妻子達も社交という形で鎬を削り合っていた。あるいは……国外旅行や他国人との交流を気ままに楽しんでいた。
クレテア王妃マリー・ヨハンナなどは後者だった。
アルグシアとベルネシアの王妃達はもちろん、ディビアラント人の皇太子妃(義姉)も気に食わなかったし、夫のアンリ16世が愛人をこの会議に帯同させていたことも、苛立たしかった。
そうした不満があるにせよ、王宮から遠く離れた見知らぬ土地で、見知らぬ人々と触れることは心弾む体験だった。
無邪気な素直さで接してくるルクレール議長の子供など、可愛くて可愛くて『少年侍従として連れ帰ってしまおうか』と本気で検討したほどだ。
さて、会議開始から半月ほど過ぎたこの頃、マリー・ヨハンナはちょっとした無茶を言い出した。
「聞きしに名高いベルネシアの戦闘飛空艇があるのだから、遊覧飛行させていただけないかしら」
この素っ頓狂な提案にはベルネシア人達も絶句。夫のアンリ16世も苦笑い。
そんな中、話を聞いたヴィルミーナが大笑いし、
「乗せてあげましょう。機密区画さえ注意して立ち入り禁止にしておけば良い。いっそ、各国の奥様方や御子様方も参加を募っては如何です?」
「何を考えてる?」
「飛空船に乗せるだけでベルネシアへの好意が買えるなら、安い投資ですよ。もしかしたら、そのうち利子がついて返ってくるかもしれません」
訝る国王カレル3世へ悪戯っ子みたいな面で答えた。
こうして、ベルネシア軍が誇る戦争鯨は各国の御婦人方と御子様方を乗せ、サンローラン共和国の空を遊覧飛行する。もちろん、厳重な安全対策が施されたうえで。
乗組員曰く『戦場へ行くより神経を使った』とのこと。
ザトウクジラみたいなグリルディⅣ型がすいすいと晩秋の空を泳ぎ、この当時の飛空船が上昇できる限界高度3000メートルまで達した。
もこもこした防寒着を着込んだ貴顕の奥方達と子供達は甲板上で空中遊覧を楽しむ。
視界いっぱいの青空。眼下に広がるまばらな白雲と秋の大地が抽象画のように美しい。
ちょっとしたサプライズもあった。
中型種の鷲頭獅子がグリルディⅣ型の傍を通り過ぎて行ったのだ。普通の王侯貴顕は生きている捕食性モンスターを目にする機会はほとんどない。彼らはこのサプライズを心から楽しんだ。
まあ、飛空船の乗組員達や各者の侍従達は心臓に悪い思いをしたが。
王妃達を始めとする宮廷婦人達は遊覧飛行を大いに楽しみ、子供達は“空”を堪能した。子供達の一部はこの体験を生涯忘れず、それどころか空を目指すようになる。
言い出しっぺのマリー・ヨハンナも、王妃であることや一児の母であることも忘れ、年相応の感受性を発揮し、空中遊覧を満喫していた。
この様子を見ていたヴィルミーナは思う。
ハイエンド向けのサファリチックな観光地を作れば当たるんとちゃう? あー、でも野生動物と違ってモンスターはガチで危ないからな……その辺の対策にひと工夫要るな。
美しい空の光景を目の当たりにしながら、考えることがコレとは……無粋。まったく以って、無粋。
こうした接待的な行いは、ベルネシアに限らなかった。
茶会や夜会は頻繁に行われていたし、ちょっとしたスポーツ大会みたいなものも催されたりした。これらの交際費はかなりの額に及び、サンローラン共和国にちょっとした特需をもたらしている。
もちろん、こうした穏和で健全な交流ばかりではない。
毎夜、R18な交流も繰り返されている。そこここで饗される美食と美酒。飛び交う賄賂と贈答品。“商材”として寝室を行き交う美男美女。世界と時代が違っても、接待の方法論はさほど変わらない。
なお、メディアの発信力が限定的だったこの時代では珍しく、各国の記者が数多くサンローランを訪ねている。ある意味で『メディアの目に晒された最初の国際会議』と評せるだろう。
華やかな舞台の裏側では熾烈な“戦争”が繰り広げられていた。
高位魔導術を駆使する工作員、各国の滞在先や現地の各所に潜り込んだ諜報員。各国の工作指揮官に飼われた現地情報提供者達。
そうした連中に対応するカウンターパート達。真偽虚実入り混じる多種多様で大量な情報を精査する分析官達。
ベルネシアは王国府の諜報機関とは別に、ヴィルミーナの“北洋貿易商事”を始めとする民間の情報関係者がかなり居た。ベルネシア経済界の大物達はヴィルミーナの大規模仕手戦を教訓としていたからだ。ヴィルミーナのように独自の手勢を送り込んだ者もいたし、共同出資でピンカートン探偵社みたいな連中を組織して派遣した者達も居る。
まあ、そうした連中がどれほどの成果を上げたかは不明だが。
ただ一つ言えることは、国際会議開始の一月ほど前から会議終結まで、サンローラン共和国内で“行方不明”になる人間が激増していた。怖い怖い。
こうした秘密戦争においても、ヴィルミーナはプレイヤーの一人だった。
勅任特別補佐官として、工作指揮官として、ベルネシア王族として、ヴィルミーナは朝から晩までとにかく精力的に働いていた。
ベルネシア代表団が滞在している貴族屋敷。ヴィルミーナが与った居室は借りてから三日と経たないうちに、大量の資料と報告書で埋まっている。
出発前、選抜された専属秘書達は『やった! これで出世コース間違いなし! 大勝利!』と喜んでいた。半月ほど経った今、『思ってたのと違う。全然違う』と嘆いている。
「先の戦を思い出しますねぇ」と御付き侍女メリーナが笑う。
「身代を懸けなくて良いだけ気楽ね」と口端を歪めるヴィルミーナ。
2人の会話に絶句する秘書達。
そんな折、“商事”の関係者がヴィルミーナの許を訪れ、分厚い書類を届けた。
帝国の裏事情。ソルニオル公爵家の真っ黒な汚濁。帝国の大番頭サージェスドルフの資料。中にはヴァンデリック侯国の大悪党“大髭ヴィリー”へ大枚と諸々の便宜を渡して手に入れた、帝国の“痴情”も含まれた。
ヴィルミーナは部屋から人を排し、一人で淡々と分厚い書類を読み込んでいく。同時に、頭の中で“作戦計画”も組み立てていく。
帝国との秘密会議の時は近い。
〇
血の問題とは、何者であるかを認識する問題である。
王女クリスティーナの子供達――エルフリーデとカスパーはこうした血の問題を抱えて育ってきた。唾棄するソルニオルの血と嫌悪するレンデルバッハの血。帝国の血もベルネシアの血も誇りたくない2人にとって、己が何者であるかを確立することは多くの苦悩を伴った。
それでも、エルフリーデはカール大公の愛によって救われた。民族も国籍も関係ない。カールの妻であること。カールを愛すること、カールに愛されること。無条件に信じられる愛。それがエルフリーデの魂魄を成している。
しかし、年若きカスパーは己を確立するものを持たない。少年らしい狭量さと正義の希求がソルニオルの血もベルネシアの血も許せない。自身の過酷な出自が神などという傍観者の存在を許せない。
ある種、カスパーという少年を形成しているのは、憎悪と怨恨だった。
アリシアという救済者を得られなかった混血の騎兵将校ラルス。それがカスパーかもしれない。
サンローランで帝国代表団と合流する前からも、合流した後も、カスパーは鬱々としていた。ベルネシアで“やらかし”たことが尾を引いていたのだ。
そんな国際会議の残りが10日ほどになった頃。
カスパーの元へ手紙が届いた。
クレテア代表団から夜会の誘いだった。
カスパーやエルフリーデからすれば、皇太子レオポルドを始めとする帝室子女は遠縁の親戚ということになるが、実態は完全な君臣関係だ。親戚付き合いはない。
であるから、今やクレテア王妃となったマリー・ヨハンナを前にしても、別段、親愛の情は覚えない。
それはマリー・ヨハンナも同じだった。いや、マリー・ヨハンナの方が多少強い感情を抱いている。皇族の面汚しソルニオル公家に好感情など抱きようがなく、さらに言えば、そのソルニオル家の娘と『帝国の騎士』カール大公が結婚したことは酷く不愉快な話だった。
帝国に限らず、貴族界は華やかさに比例し、汚濁もどす黒く無残になる。
エルフリーデとカスパーの生まれ育ちは確かに憐れだが、悲惨な出自と境遇を持つのは“彼らだけではない”。
だから、マリー・ヨハンナは2人を特別憐れんだりしない。帝室皇女たるマリー・ヨハンナは慈愛と同量の冷淡さも備えている。
ぶっちゃけた話、マリー・ヨハンナはエルフリーデが嫌いだ。
『悲劇のヒロイン気取りで男の憐憫と同情と庇護欲に付け込む奸婦』とさえ思っている(これは帝国貴族界でも言われていること)。
もちろん、その弟のカスパーも好かない。負け犬根性に満ちた陰気な根暗野郎と見做していた。
雅な扇子を手にしながら、マリー・ヨハンナはカスパーへ嫌み混じりの微笑を向けた。
「こうして顔を合わせるのは久しいわね、カスパー。お元気そうで何より」
「王妃陛下にあられましては御機嫌麗しく、恐悦至極でございます」
軽いジャブを放つマリー・ヨハンナ。しかし、カスパーは何の感情も浮かべず、ただ機械的に挨拶を返す。
マリー・ヨハンナはつまらなそうに眉をひそめた。
「以前にも増して陰気ね」
「疎ましき境遇に翻弄される身であれば、能天気に振舞う気にもなれず。無礼は御寛恕のほどを」
さらりと慇懃無礼なことをのたまうカスパーに侍従達がムッとしたが、マリー・ヨハンナはどこか満足げに頷く。
「まあ、それくらいの悪態は返してくれないとね。嫌みや皮肉を言う張り合いが無いわ」
これまた失礼極まりないセリフをのたまいつつ、マリー・ヨハンナはカスパーにエスコートを命じる。
カスパーは仏頂面のまま右肘を差し出し、マリー・ヨハンナがカスパーの右肘を掴む。
「奥のサロンへ」
2人と侍従達は夜会会場の喧騒から離れ、滞在屋敷のサロンへ向かう。
ロココ趣味なサロンには、狸と狐と貉が集まっていた。
クレテア国王アンリ16世。ヴァンデリック侯国侯弟“大髭”ヴィリー。そして、ベルネシア王妹大公令嬢ヴィルミーナ。
ヴィルミーナの顔を見た瞬間、カスパーは猛烈に嫌な予感がした。エンテルハースト宮殿の一件以来、カスパーはどうにもヴィルミーナとレーヴレヒトの2人が苦手だった。
「メインゲストをお連れしましたよ」
「ん。御苦労だった、ヨハンナ。会場に戻って良いぞ」
小デブなアンリ16世が告げる。も、ヨハンナはアンリ16世の隣に腰を下ろした。
「お断りします。こんな“面白そう”なこと見逃せません」
「夜会主賓の国王夫妻が揃って姿を消しては問題なのだが」とぼやくアンリ16世。
「両陛下が居られなければ、それはそれで気楽に騒ぐだけでしょう」
「然り。宴席は御上が居らずとも回ります」
ヴィルミーナと“大髭”ヴィリーの毒舌とも取れる発言に、アンリ16世は諧謔的な微笑を浮かべた。
「御両人。それでは余と我が妻が厄介者のようではないかな」
これは失礼を。おっと失言でしたか。ははは~。
何とも薄ら寒いやり取りが交わされる中、
「あの、これはどういう……」
状況が見えず戸惑うカスパーが口を開いた瞬間、アンリ16世と“大髭”ヴィリー、ヴィルミーナの目がカスパーを捕捉した。
刹那。カスパーの全身の毛穴が開き、心胆が震え、背筋に冷たいものが噴き出す。
ゾッとした。
3人の瞳はまるで生贄を見るケモノのようだった。




