閑話15:春の終わり。ある日の午後。
大陸共通暦1769年:ベルネシア王国暦252年:晩春。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
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夏の息吹が近い晩春。真っ青な空を真っ白な雲の群れが悠然と泳いでいく。
この日、エンテルハースト宮殿の庭園で私的な茶会が催されていた。
時期的に言えば、カロルレン王国で大災禍の後始末がようやっと始まった頃だが、遠いベルネシアでは対岸の火事に過ぎない。
この茶会の主旨は――初夏の訪れと共に、王太子夫妻が返礼の親善訪問と第一王女クラリーナが留学のため、イストリア連合王国へ向かう。その前に親しい人達で集まりましょう――というもの。
王太子エドワードの弟妹達のお願いがあったので、ヴィルミーナは子犬のガブを同道させている。前日、レーヴレヒトが入念にブラッシングしていたから、黒い毛並みが陽光を浴びて輝いていた。
その子犬のガブは第二王女ロザリアにたっぷりと可愛がられていた。ロザリア姫はガブのことを物凄く気に入っており、近頃ではお忍びで王妹大公家へ遊びに来て、ユーフェリアと一緒にガブを愛でている。
「私もガブみたいな子犬が飼いたいなあ」
「……ローズ。猫も可愛いわよ? 猫も可愛いわよ?」
母親である王妃エリザベスが二度言った。王妃陛下は猫派らしい。
まあ、こんな調子の気楽な茶会である。
ヴィルミーナはひと通り挨拶を済ませた後、久方振りに祖母の王太后マリア・ローザと触れ合う。
「御婆様。ご機嫌麗しく」
非の打ち所がないカーテシー。王太后は微笑みながら自身の隣の席を示す。
「最近はあまり顔を見せてくれないから、寂しかったわ」
「不肖の孫をお許しください」
ヴィルミーナは眉を下げつつ、祖母の隣へ腰を下ろす。今日はお婆ちゃん孝行の日になりそうだ。離れたところで母ユーフェリアが不満顔を浮かべているが、我慢してくださいお母様。
今年で17歳を迎える第一王女クラリーナは“お気に入り”のアレックスを傍らに侍らせていた。そ、とアレックスの太腿に手を置き、上目遣いと共に囁く。
「アレックス御姉様にお会いできなくなってしまうのは、とても寂しいです。御姉様もそうでしょう?」
「そ、それはもう。はい」
さわさわと太腿を撫でられる“侍従長”アレックスは、かすかに慄きながら頷く。
「御心配なく、ですわ。リーナ様っ! 御姉様には私が御傍に付いておりますからっ!」
イストリア大使御令嬢リンゼイがおーっほっほっと勝ち誇ったように笑う。金髪翠眼、と北方ノーザンラント人の特徴を備えたこのお嬢様の髪型は、ドリルだ。
「何を言っているのかしら。御姉様には私が御傍にいるわ。リンもリーナ様と一緒にイストリアに行けよ。さっむい北方の田舎へ里帰りして来いや」
王国府大蔵大臣の孫娘ナタリアが大使御令嬢を強烈に煽る。
「あ?」「お?」
リンゼイ嬢とナタリア嬢がバッチバチにメンチを切り合う傍らで、
「まぁ怖い。御姉様。こんな野蛮な連中は放っておいて向こうへ行きましょう。二人だけで♡」
すかさず王立憲兵隊長官の孫娘ラウラが油揚げを掻っ攫いに来る。
麗しい少女達に囲まれ、景品のように扱われるアレックスは、側近衆の親友達へ目線で助けを求める。
誰でも良いから助けて。今すぐ。今すぐに。
「王女殿下達、目がマジだよ。ガチでアレックス狙ってるよ」
「年下美少女達に組み伏せられて泣かされちゃうアレックス……ごくり」
「お前なぁ……分かるわー」
側近衆の親友達は平常運転でした。
アレックスがいつものように“モテて”いる間、この年代の三巨頭――王太子妃グウェンドリンと公爵令嬢メルフィナと侯爵令嬢デルフィネが雁首を揃えていた。
グウェンドリンが切り出す。
「貴女達、婚約者を見つけなさいよ。近頃は私のところにまで来るのよ。貴女達の結婚はどうなってるんだって」
「王太子妃殿下。私はどこかの誰かが寄こした美容サロンのイストリア支店関係でとても、とても忙しいのです。どこかの誰かが寄こしたこの仕事のせいで、旦那様を探す暇などありません。苦情はどこかの誰かに言ってください」
メルフィナは澄まし顔でしれっと切り返した。
「お兄様に御嫡男がお生まれになったのですから、私が結婚しようとしまいとホーレンダイム家は安泰です。おとといきやがれ、でございます」
デルフィネはそっぽを向いて鼻を鳴らす。
こいつらは。とグウェンドリンはこめかみを撫でる。おチビの頃から対等に付き合える貴重な友人だが、本当に……食えない。食えない奴らである。
グウェンドリンが溜息を吐きかけた直前。
「あら、デルフィは近頃、素敵なバイオリニストと交際されていると聞きましたけれど?」
メルフィナが爆弾を放り込む。
「!? な、あ、貴女、どどど、どこで、そ、それをっ!? ヴぃ、ヴィーナ様も知らないのに!?」
激しく狼狽するデルフィネ。
親友に彼氏がいたことを知って唖然とするグウェンドリン。
陶然と微笑むメルフィナ。わぁ怖い。
「私がどういう事業を手掛けているかお忘れですか?」
美容サロン、美容品、女性用日用品に服飾、つまるところそうした業界に強く広い情報網を持つ。そして……女は生まれながらに情報収集能力を持つ。そういうことだ。
「ちょっと、デルフィ。相手はどこの男なの? まさか平民とか言わないでしょうね?」
グウェンドリンが身を乗り出してデルフィネを問い詰める。
この時期、ベルネシア貴族界の婚姻事情にはちょっとした緊張感があった。王妹大公令嬢ヴィルミーナが政略結婚をせず恋愛婚をしたことで『王族が恋愛結婚して良いなら僕達私達も恋愛結婚したぁい』という強い強い意見が若手貴族子女の間で広まっている。
しかし、ベルネシア貴族が如何に官僚化/行政要員化していても、お家大事の貴族主義が失われているわけではない。
代官貴族なら預っている領地へ利益をもたらさねばならないし、行政官貴族なら自らの仕事や派閥に利をもたらす結婚が求められる。
軍人貴族なら派閥のつながりを考慮する必要がある。政府高官や大派閥領袖の貴族なら特にだ。
このため、当代の親世代から上の世代は若い貴族達の『恋愛婚したい』という風潮を非常に危惧、懸念していた。また、自分達が出来なかった恋愛婚をしたヴィルミーナに、嫉妬やひがみに近い苦々しさを抱いている。
もちろん、ヴィルミーナは王妹大公家の財産を使わず、10代のうちに新興財閥を立ち上げるような規格外の怪物であり、国内各方面を黙らすだけの権勢と影響力を持っているからこそ、恋愛婚という『わがまま』が許された。周囲とは別格なのだ。
しかし、若者にはその背景事情は見えないし、見る気もない。
王族で同じ年頃のヴィルミーナが良いなら自分達だって、という権利意識だけだ。
「あ、相手がどこの誰だろうと、どうでも良いことでしょう。私はほとんど実家から独立した状態なんですから、とやかく言われる筋合いはございません」
デルフィネが顔を真っ赤にしながら回答を拒否した。
デルフィネ、メルフィナの二人もまた、恋愛婚に憧れる若人達と隔絶した立ち位置にある。
デルフィネは既に独立して生活可能な社会人だ。白獅子の広報活動担当であり、慈善事業を担っている。事実、年々デルフィネに音曲歌曲の披露を要請する公的行事も増えていた。今やベルネシアを代表する歌姫になりつつある。
メルフィナにしても、ヴィルミーナほどではないにしろ、独自の事業網を有する実業家であり、王国経済と公爵領経済、派閥権益に貢献する立派な貴族婦人だ。他人からごちゃごちゃ言われても、立ち向かえる力がある。それに、剛毅な姉が公爵家を切り盛りしている。彼女が慌てて結婚する必要は全くない。
「正直な話、胤を貰いたいような殿方が居ないんですよね。なんと言って良いか、“こんなの”の胤で作った子供がヴィーナ様のようになるかなあって考えてしまうと、中々」
メルフィナが真顔でさらりと言う。未婚の処女でスーパーベビー願望はけっこう怖いぞ。
世継ぎを産むことを求められているグウェンドリンとしては、メルフィナの意見に身をつまされる。
いずれ自分の産む子供がこの国の未来を左右する。
もしも自分の子供が――将来の王が暴君や暗君となって、この国を災禍に落としてしまったら……。
不意に、グウェンドリンはとても強い不安を覚え、怖くなった。
なんせグウェンドリンはまだエドワードに体を許していない。
エドワードが真摯に関係を再構築しているのが嬉しくて、楽しくて、小学生向け少女マンガみたいなプラトニックな恋愛関係を続けていた。エドワードもそれを許してくれた。
そうして、二人で話し合って決めていた。
今度の親善訪問で関係を進めようと。
だけど、急に怖くなってきた。自分の産む子供がこの国の未来をどう変えるのか考えると、その責任の重さに不安と恐れを抱いてしまう。
「なんか小難しいこと考えてやがりますね」とデルフィネが鼻で笑う。
「立場上、いろいろ考えるのよ」と苛立ったグウェンドリンが切り返す。
「考えたって無駄です。どのみち、貴女は子供を産むしかないのですから。それに、」
デルフィネは見透かした面持ちで言った。
「貴方が産む子供はヴィーナ様の親戚です。酷いことになんてなりません」
「確かに」メルフィナは蛇のような目つきで「グウェン。貴方の産む子供は成功が約束されてますよ。妬ましい」
2人の露骨な言い草に、グウェンドリンは屈託なく破顔した。
三巨頭が中々に怖い会話を進めている中、
「そ、“それ”すれば、本当に悦ぶのか?」
「間違いないです。俺の経験上、“それ”で悦ばなかった女は居ません。なあ、ユルゲン」
エドワードは女性経験豊富なカイから、親善訪問中の件でちょっとした助言を受けていた。
水を向けられたユルゲンは気恥ずかしそうに頷く。
「……まあ、だーり、げふん! 妻も“それ”を求めてきますね」
「リザンヌ夫人でも、ですよ? 殿下。間違いありませんとも」
「ううむ……分かった。来たる時にやってみよう……っ!」
ごくりと生唾を飲み込み、エドワードは意を決した。
男はバカな生き物である。が、いつだってマジだ。
一方、バカな生き物の一人、王妹大公令嬢の婚約者レーヴレヒトは男の子に絡まれていた。
「ヴィー姉様を泣かしたら許さないぞっ!」
「そのようなことは決してございません。アルトゥール殿下」
今生陛下の末子にして第二王子アルトゥールはレーヴレヒトに噛みついており、噛みつかれているレーヴレヒトは眉を大きく下げながら、応じた。
大好きな“お姉ちゃん”を盗られたアルトゥールは、レーヴレヒトが大嫌いである。
先ほどからこの調子で王子殿下に絡まれ続けているレーヴレヒトは、困り果てていた。
庭園内で催されている気楽で穏和な茶会を見回して、国王カレル3世は思う。
こんな日がずっと続くようにしたいものだ。
〇
同じ頃、オーステルガム湾を一望する豪奢な別荘。そのテラスで三人の男が酒杯を交わしていた。
肥え太った大柄な初老男性はハイラム商会のドン、マルティン・“大熊”・ハイラム。“会合”の中で反白獅子派の筆頭格。
40半ばの穏和な顔つきをした男性は、ルダーティン&プロドーム社の会長であるエルンスト・プロドーム。元は金象社の社長だったが、ルダーティン商会と婚姻合併後は会長職に就いている。
そして、最後に凄みのある双眸を持った爺様。“青鷲”ローガンスタイン財閥の当主アドルフ・ローガンスタイン。若い頃は自ら武装商船に乗って外洋貿易を行っていたという剛の者だ。
熊と象と鷲はオーステルガム湾内を航行する白い船を見つめていた。
マストはあるが帆はなく、やや後部よりの船体中央から伸びる煙突から“青白い”煙を昇らせ、波を裂くように水面を快走している。
白獅子製の動力機関搭載試験船ユーフェリア号だ。
「何度見ても薄気味悪い船だ。帆が無いのに進んでおる」
アドルフ・ローガンスタインは嫌そうに吐き捨て、蒸留酒を注いだグラスを口へ運ぶ。
かつて船乗りだったローガンスタイン翁にしてみれば、船とは帆いっぱいに風を受け、潮に乗って進むものだ。煙を吐き出しながらあっちゃこっちゃ好き放題に走り回るものではない。
「私は大したもんだと思いますよ。あの船を見たイストリア人達は卒倒しそうになったというじゃないですか。小気味良い話です」
この場では最年少のエルンスト・プロドームはにやりと笑う。
「故障ばかりと聞いてるがな。随分と無茶で動かしてるという話だ」
“大熊”ハイラムの言葉は正しい。
※ ※ ※
ユーフェリア号の初航行を見たヴィルミーナは、こう思った。
よう動いとるな。これ。
地球史における黎明期蒸気船の動力機関は複動式ビームエンジンから始まった。それから少しずつ改良、発展させてレシプロ式蒸気機関が主流となっていく。
が、19世紀末にタービン式蒸気機関が開発されると、船舶動力は蒸気タービンに取って代わられてしまう。ディーゼルエンジンが主機に採用されるのは、さらに後だ。
ベルネシアでは、水運や干拓事業で水力/風力機器のノウハウが蓄積されていた。白獅子の研究所も水力/風力機器の経験と成果を基に、いくつかの蒸気機関構造を試作した。そうした試作と実験の末、レシプロ式よりタービン式の方が船舶機関に適していると分かった。
そう、ユーフェリア号は地球史1800年代前中期の過程をすっ飛ばして、19世紀末の蒸気タービンを搭載しているのだ。段階をすっ飛ばしている以上、レシプロ段階で判明する不備が分からない。そりゃあもう無茶だらけで、滅茶苦茶である。
幾度か触れたが、鉄や鋼と一口で言っても、その用途によって求められる特性が大きく異なる。
たとえば、蒸気タービンに用いられる鋼材には、高い耐熱性と耐圧性が必要だった。それに、タービン構造の効率性が未熟だと出力や燃費が悪化したりする。
はっきり言えば、ユーフェリア号に搭載されている蒸気タービンは、その図体の割に出力が低く、燃費も悪い。信頼性も高くない。
オマケにノウハウの不足から補機も多く複雑で、現代地球の主機などと比べた場合、糸くずの塊みたいにゴチャゴチャワチャワチャしている。
トドメに言っておけば、ユーフェリア号は外輪船ではなくスクリュー船だ。船体構造そのものが既存の帆船と異なる。その辺りも無茶と無理がスクラムを組んでいた。
幕末日本へやってきたペリーの黒船が外輪式機帆船だったことを考えれば、ユーフェリア号が如何に技術的冒険へ挑んだ船か分かろう。この無謀と無理と無茶の塊が動いているのは、ひとえに技術者や船員達による不断の努力と悪戦苦闘の賜物だった。
余談ながら、ヴィルミーナは初航行後、開発陣を絶賛した後、こう言った。
もっと単純でもっと扱い易くて、もっと量産性に富んだ構造を考え出せ。社会が求めるのは芸術品や工芸品ではない。学も教養もない連中が適当に扱っても動く、そういう大量生産品だ。そのうえで、他社に追従できない高性能を叩き出せ。
開発陣が唖然としたのは言うまでもない。
※ ※ ※
「噂じゃあ、アレをカロルレンまで沿岸航行させるつもりらしい」
「正気の沙汰とは思えんな」
“大熊”ハイラムの言葉に、ローガンスタイン翁は腹立たしげに毒づく。
「しかし、成功すれば大したものだ。海運事情が激変しますよ」
エルンスト・プロドームは楽しげに笑う。穏和な顔に一種の狂気を滲ませていた。彼は元々技術系趣味人の一面が強かった。経営者より技術者になりたかった男である。
「良いなあ。あの技術力は欲しいなあ」
深い青色の瞳をギラつかせるエルンスト・プロドーム。
「絶対に面白い」
道楽者め、と熊と鷲から睨まれても、エルンスト・プロドームは気にもしない。“象”だけあって面の皮も厚い。
「実用性云々はともかく、革新的なのは確かだ」
大熊ハイラムはグラスを口に運び、酒精臭い息を吐く。
「国で接収せんのかな。ゴブリンファイバーの時はやっただろう?」
「コーヴレントの坊主はそう息巻いとるが、完全に空回りしとる」
ローガンスタイン翁は、この場に居ないコーヴレント侯爵を小馬鹿にする。
「ゴブリンファイバーの時に囲い過ぎた。あれ以来、あの小娘は技術権利の保持に一切妥協しない。仮に強制接収などしてみろ、狂犬のように暴れるぞ。何をするか分からん」
先の戦争でヴィルミーナは国債の38パーセントを握った。この事実は決して無視できない。捨て身や自棄になられたら、不況で弱っているこの国にトドメを刺すことも可能なのだ。
実際、伝え聞くところによると、動力機関絡みの権利と利益保持のために爪牙を研いでいるらしい。文字通り、獅子の尾を踏みかねない。
それに――
「白獅子に仕掛けるにはまだ早いです。現段階で攻勢に出た場合、我が社が切り崩されても、私は責任を持てません」
エルンスト・プロドームは他人事のように言った。
コーヴレント侯爵の音頭取りとローガンスタイン翁の後押しによって、金象社はルダーティン商会と婚姻合併した。が、社内のルダーティン閥と金象閥の対立はゾッとするものがあった。そもそもこの婚姻合併自体、社内からも親族からも反対が強かった。
「そんなに酷いのか」と顔をしかめる“大熊”ハイラム。
「酷いですね」エルンスト・プロドームはどうでもよさそうに「婿殿は露骨にルダーティン閥を優遇してる。私はともかく下の連中が不満を強めています」
「儂の方から釘を刺しても良いが……」
「それをやられたら私の面目が立ちませんし、婿殿が一層反発します。勘弁してください」
渋面のローガンスタイン翁へエルンスト・プロドームが嘆息混じりに言った。
いつぞやと同じだな、と“大熊”ハイラムは内心でぼやく。
ヴィルミーナ嬢は相手の弱いところを抉るように突く。実際、以前は手紙だけで“会合”を切り崩した。迂闊に手を出せば二の舞になるだろう。そして、おそらくだが……今度は切り崩すだけでは済まさない。潰しに掛かるはずだ。
「……どうも侯爵は宰相の椅子に気を取られて、ヴィルミーナ様を軽く見ておられる」
大きな図体に似合わぬ憂慮顔を浮かべ、“大熊”ハイラムは嘆息をこぼす。
ローガンスタイン翁がフンと鼻を鳴らす。
「だから“良い”のだ。その程度の器なら我々で如何様にも扱える。ペターゼン侯は優秀で付け入る隙がない」
ペターゼン侯は伊達に30そこらで宰相になっていなかった。
北海の獅子王を支えたオクセンシェルナは20代終わりで宰相に就き、数十年に渡ってスウェーデンを切り盛りし続けた。ペターゼン侯もまさに同様の道を歩んでいる。生半可な政敵や陰謀など物ともしない。
その点、コーヴレント侯爵は脳味噌のリソースを野心と名誉欲に注ぎ込みすぎている。能力的にもペターゼン侯より劣る。
こういう人間は扱い易い。適当にヨイショすれば勝手に苦労を背負い込み、成功すればおだてるだけで利益を掠め取れるし、失敗しても上手く褒めればいくらでも誤魔化せる。
だが、手綱を外れた時、こういう人間が取り返しのつかないヘマをやらかす。
そして、ヴィルミーナはその間隙を絶対に見逃すまい。クレテアの背骨をへし折ったように、こちらを完膚なきまでに叩き潰すだろう。
不安な想像が脳裏をよぎり、”大熊”ハイラムは密かに身震いした。
晩春の好天、ぽかぽか陽気の下に身を置いているのに、酷く寒く感じる。
湾内ではユーフェリア号が水面を快走していて、その頭上を海鳥達が飛んでいた。
春の終わり、穏やかな昼下がり。
ベルネシア王国は平和だった。今のところは。




