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戦闘描写に伴い、流血表現がございます。ご注意くださいませ。
夕闇と宵闇の狭間。
王都郊外から外縁部へ通じる道路上に二頭曳き馬車が横転していた。
横転した馬車の中でレーヴレヒトは全身の状態を確認。体中が痛むが、骨は折れてない。細かな傷はあるものの、大きな出血もない。意識は鮮明。呼吸も問題なし。脈は早い。ふむ。動揺してるな。
レーヴレヒトは鼻血を拭い、ペンダントを触媒に自身へ母仕込みの身体強化魔導術を掛ける。筋力の底上げ。視覚と聴覚と嗅覚の強化。痛覚制御。体内魔素反応により深い青色の瞳の縁が鬼灯色に染まった。
動かない侍女の呼吸と脈を確認。気を失っているだけのようだ。座席の背後に据えてあった単発ブリーチブロック式短銃身小銃を取り外す。弾薬パウチをズボンのベルトに差し込み、パウチから紙薬莢製の弾を一発取った。撃鉄を半起こしにし、機関部の爆栓のつまみを左に回して薬室を開放。弾を薬室に装填。つまみを右に回して薬室閉鎖。撃鉄を完全に起こす。
横転した馬車を出るべく天井を蹴破ろうとしてやめる。レーヴレヒトは銃を抱え、御者席へ通じる小窓を静かにこじ開けて車外へ這い出た。
馬車を曳いていた二頭のうち、一頭は頭に太い矢弾が刺さって絶命していた。
もう一頭は馬車が横転した際に足を折ったのか、地面に伏せたまま悲痛な悲鳴を上げている。
御者席は空っぽだ。手綱を握っていた御者は離れたところに転がっていた。身体が不可解に捻じれ、割れ裂けた頭部から脳漿が流出している。
御者席に同席していた護衛は、半身が馬車の下敷きになって死んでいた。
レーヴレヒトは良く知る家人の死を目の当たりにし、怒りと悲しみと不安と恐れが湧き上がる。しかし、その感情に浸る贅沢は許されない。馬車の下敷きになった護衛の骸からナイフと拳銃を外してベルトに差し込む。
強化された知覚が馬車に接近してくる賊を捕捉した。
レーヴレヒトは馬車の陰に身を隠したまま、聴覚と嗅覚を頼りに賊を探る。
後方から半円状に接近中。距離は150から120。数は4人。足音からして男3人、女1人。歳は20~40代。歩き方は軍人ではない。冒険者か元冒険者だ。着衣と装備がすれる音と錆と磨き粉の臭いから察するに金属製胸甲。全員が腰に幅広片手剣を差しているようだ。
魔晶炸薬とガンオイルの臭いがしないから、銃は持っていない。だが、弩の手入れに使うワックスの臭いがする。弩持ちは両翼の2人。馬の頭に刺さった矢を見る限り、高威力だ。弦を引くために身体強化系魔導術を使っているかもしれない。
敵は4人。こっちは1人。
心の奥で焦燥感が恐怖と怯懦と不安を掻きたてる。心の奥で危機感が憤怒と戦意と闘志を駆り立てる。それら深層の感情を強力な理性が捻じ伏せ、レーヴレヒトは病的な集中力と非人間的な冷静さを発揮する。
13歳のレーヴレヒトはうじうじと悩むことも逡巡することも躊躇することもなく、昼飯を決めるような軽快さであっさりと決意した。
奴らを殺す。
魔晶炸薬特有の甲高く金属的な銃声が轟き、青い発砲光が淡い宵闇を引き裂く。
12ミリ椎の実弾を浴びた左翼の弩持ちが悲鳴を上げる間もなく転げ飛ばされていく。地面に横たわった弩持ちの頭蓋は深々と抉られていた。
剣使い達が弾かれたように馬車へ向かって猛進する。
この時代の小銃は基本的に前装式でも後装式でも単発銃だ。次弾装填を終える前に肉薄して潰すことは、戦術判断として間違っていない。場慣れしているのか、対銃兵戦闘の経験が豊富なのか、両方か。しかも、身体強化魔導術を施しているらしく、動きがかなり早い。
右翼の弩持ちが援護射撃の姿勢を取り、即座に放った。馬車のフレームが弾け砕ける。さながら砲弾のような威力だった。
直後、馬車の陰から小さな影がにゅっと伸び、握られていた拳銃が速射を繰り返す。
小銃より小さな発砲音と控えめな発砲光が連続する。この予期せぬ速射に突撃中の剣使いの一人が右膝と右肩に弾を浴びてひっくり返った。
もう一人は胸元に弾を浴びるが、魔鉱合金製胸甲は拳銃弾如きでは抜けない。火花を散らして拳銃弾を跳ね飛ばし、剣使いは馬車に到達。跳躍して馬車の陰へ飛び込む。
刹那、狙いすましたように小さな爆発が剣使いを襲った。
顔面近くで発生する魔晶炸薬の金属的な炸裂音と炎熱と衝撃波。右目と右耳と鼻と右頬が吹き飛ばされ、剣使いが絶叫を上げながらのたうち回る。
そこへ、穴ぼこより非人間的な目つきをした少年が、短銃身小銃の床尾板で苦悶する剣使いの頭を殴り飛ばす。身体強化魔導術で強化された打擲は容易く剣使いの頭蓋を破砕した。小銃を通じて頭蓋が砕ける感触を味わっても、少年は眉一つ動かさず二度三度と床尾板を剣使いの頭に叩きつけ、確実に息の根を止める。
自分よりずっと大きな成人男性を撲殺したレーヴレヒトは、息を整えながら、小銃の撃鉄を半起こしし、機関部の爆栓つまみを左に回して薬室を開放。魔晶炸薬の励起残渣の青い粒子が舞った。パウチに残る弾はあと2発だけ。残りは先ほどの即席手榴弾にしてしまった。
足元で殴り殺した剣使いが死後痙攣を起こしていたが、気にも留めない。
弾薬パウチから紙薬莢製弾薬を一つ取り出し、薬室へ装填。爆栓つまみを右へ回して薬室を閉鎖。撃鉄を完全に起こしてから、馬車の陰を出た。
レーヴレヒトは床尾が鮮血に塗れた小銃を構える。頭皮の切れ端と毛髪が張りついた床尾に躊躇なく頬付けし、膝射姿勢を取った。銃口を数十メートル先にいる弩持ちの賊へ向ける。
右翼の弩持ちが先んじて矢弾を放った。太く長い矢弾が頭の傍を抜けて馬車を貫く。
質量の大きな矢弾が駆け抜けた衝撃を浴び、本能と脳内麻薬物質が煽り立てる恐怖や戦意などがうねる。が、理性が全てを捻じ伏せ、レーヴレヒトはまったく射撃姿勢を崩さず、
引き金を絞る。
撃鉄が爆栓のケツを痛烈に引っ叩く。
撃鉄先端の魔石が爆栓の魔導術理を起動、薬室に詰められた紙薬莢へ魔力を伝える。
紙薬莢内に詰められた魔晶炸薬が励起反応を起こし、エネルギー化。
強い反動がレーヴレヒトの肩を殴った。が、強化魔導術で補正された筋力が暴れる小銃を完全に抑え込む。
魔晶炸薬が生み出したエネルギーは紙薬莢の先端にある椎の実型弾頭を銃身へ射出。
弾頭は銃身内に刻まれた旋条と魔導術理によって螺旋運動を与えられ、青い発砲光と共に銃口から羽ばたく。
口径12ミリ椎の実弾は安定した弾道を描き、吸い込まれるように弩持ちに命中。
金属が衝突する激しい衝撃音がつんざく。短銃身とはいえども、200メートルを切る近距離では、12ミリ椎の実弾の打撃力はいささかも衰えない。
胸甲を撃ち抜かれた右翼の弩持ちは殴り飛ばされたように転がった。ピクリとも動かず、大地へ赤い血を広げていく。
レーヴレヒトの心は凪いだ海みたいな平静さを保っており、氷のような冷徹さと冷静さと共に滑らかな手つきで銃の再装填作業を開始。薬室に最後の一発を詰め、ゆっくりと立ち上がった。そして、生き残っている賊へ向かって歩き出す。
残った剣使いの賊は右膝と右肩を撃たれたため、走れなかった。それでも、片手剣を捨てて一秒でも早く一センチでも遠くへ逃げようと、苦痛に顔を歪めながら必死に這って行く。
彼は悪夢の世界に引きずり込まれたような気分だった。標的は13のガキだと聞いていた。
が、蓋を開けてみれば、このざまだ。彼が『ふざけんな、あんなガキがいてたまるかっ!』と毒づくのは正当な権利と言えよう。
短銃身小銃を構えた少年が悠然と近づいてくる。仄かな月光が照らす宵闇の中、鬼火色を湛える双眸の少年は物の怪にしか見えない。
剣使いの賊は恐怖が臨界に達する。
「く、くるなあぁっ! こっちにくるなあっ! なんなんだよぉおまえぇっ!?」
剣使いの賊は半べそを掻きながら手近な石ころを拾って投げつける。
レーヴレヒトは投石を避けて賊へ肉薄し、顎先を容赦なく蹴り抜いて失神させた。賊の装備を全て外し、ズボンからベルトを引っこ抜いて両手を背中できつく縛り上げる。
身体強化魔導術を解くと反動が襲ってきた。レーヴレヒトは強烈な倦怠感と疲労感に立ち眩みを覚える。その場にへたり込みたい誘惑を堪えつつ、ぽつりと呟く。
「面倒なことになったな」
〇
レーヴレヒトが賊に襲われたと聞いた時、一瞬、頭が真っ白になった。
動揺したヴィルミーナへ御付侍女が報告を続ける。
賊には襲われたが、レーヴレヒトは無事に賊を返り討ちにして難を逃れた、と。
全然安堵できなかった。焦燥感に駆り立てられ、ヴィルミーナは夜が明けると、すぐさまゼーロウ男爵家の王都屋敷(賃貸)へ押しかけ、レーヴレヒトを見舞った。
「これはヴィルミーナ様。朝早くからどうしました?」
レーヴレヒトがしれっと応対に出てきた時、ヴィルミーナは張り飛ばそうか本気で迷った。
で。
応接室で熱いお茶が出された後、ゼーロウ男爵が嘆息混じりに告げた。
「ヴィーナ様の御耳汚しをせぬよう、これまでお伝えすることは控えておりましたが、レーヴレヒトは荒事になれております。なんせチビの頃から一人で屋敷を抜け出しては、山林原野で遊んでおりますから」
「―――は?」
レーヴレヒトが森林や川で散策したり、採取したり、狩猟釣魚を好むことは知っていた。手紙に記されていたし、モンスターの牙から削り出した根付っぽい小物などをいくつか貰った。
しかし、一人で危険な獣やモンスターのうろつく大自然に飛び込んでいたなどは初耳だった。てっきり、家族や家人、地元の友人知人などと出かけているのだとばかり思っていた。あの理知的なレーヴレヒトに野生児染みた一面があったことに驚愕を禁じ得ない。
「全然知らなかった……」
ヴィルミーナからじろりと見据えられたレーヴレヒトはさっと目線をそらした。
「当家も隠しておりましたので。王妹大公殿下とその御息女から御友誼を賜っている倅が、冒険者も呆れるような野生児、というのは醜聞と変わりませぬ故」
ゼーロウ男爵は非常にビミョーな苦悩顔で言った。どうやらゼーロウ家ではレーヴレヒトの野生児行動は割と真剣な問題らしい。
ヴィルミーナは小さく微苦笑し、
「母も私もさようなこと気にしませんでしたのに、いえ、ゼーロウ家の方々の細かなお心遣い、ありがたく」
「いたみいります」
小さく一礼したゼーロウ男爵から視線を移す。視線の先に居たレーヴレヒトは知らん顔して澄まし顔を浮かべていた。
こいつは~。とヴィルミーナは密かに憤懣する。
理知的で涼しげな美少年が実は家族が悩むほどの野生児趣味とか、おっまえ、意外性にもほどがあるやろ。そこは小物作りとかお菓子作りが得意とかぐらいにしとけや。なんやねん、一人で狩りって。危ない目に遭ぅたらどーすんねや。あー、これは『お話し』確定案件ですわ。
同時に、大事な盟友を気遣う心も強く生じていた。
「レーヴレヒト様はお怪我をされてないようですが、大事な家人を失い、賊とはいえ人を殺められたのでしょう? 大変な御心痛のはず。私で良ければいくらでも話を伺いますよ」
「御気遣い有難く。ですが、家人の仇は取ってやりましたし、殺しの方は……まあ、小鬼猿を相手にするようなもんです。どうってことありません」
しれっと語るレーヴレヒトの目はマジだった。強がりでも虚勢でもない。本心から殺人を気にも留めていないらしい。実際、面持ちもケロッとしている。
これだよ。社会適応型サイコパスめ。ヴィルミーナは嘆息を吐いた。
「して、これからどうなさるのですか?」
「しばらくは王都に留まります。憲兵隊の調べもありますからな」とゼーロウ男爵。
この時代のベルネシア王国に警察という組織は存在しない。が、軍から派生した王立憲兵隊が治安業務についている。
「ヴィーナ様。我々は此度の襲撃を『ゴブリンファイバー』絡みとみております。背後関係はまだ不明ですが、ヴィーナ様もくれぐれもご注意ください」
「はい、男爵様。御注進、ありがたく心に留めておきます。皆様もお気をつけて」
ゼーロウ男爵家王都屋敷を辞し、ヴィルミーナは考え込む。
『ゴブリンファイバー』関連の情報を狙って、男爵子息を襲撃? 随分とまあ直接的な手に出てきたものだ。そこを狙うか? 開発関係者には平民の職人もいた。狙うならそっちの身内だろ。なんでわざわざリスクの高い方を狙うのさ? メッセージか? いや、ならもう少し明確性があるはず。あるいは、私が知らされていないだけで、そういうネタがあるのかも。
ヴィルミーナはかつかつとテンポの速い靴音を奏でながら馬車へ向かう。
情報の確認と収集が要る。それと、迅速な対抗手段も。もちろん国も動くだろうが、国任せにはしていられない。
……13歳の子供を狙った? しかも私の友達を? 私の大事な友達を狙った?
ヴィルミーナは怒っていた。血が沸騰するかと思うほどに。