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大陸共通暦1769年:ベルネシア王国暦252年:晩春。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
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はらはらと小雨の降り注ぐこの日、ベルネシア王国の王都オーステルガム港湾部にある白獅子の造船所で、進水式が催されていた。
造船ドック内に鎮座する真っ白な試験船は、ベルネシア国旗と白獅子紋旗が掲げられ、飾り立てられていた。
その白い船の傍らに雛壇と式会場が設けられていて、ヴィルミーナを始めとする財閥の中枢幹部達とその家族、また造船所職員とそれから、海軍関係者などの招待客が招かれている。
最初に音楽隊の国歌演奏が終わり、船主のヴィルミーナによって命名式が行われる。
「この動力機関搭載試験船は今後ベルネシアのみならず、大陸西方で建造される全ての動力機関搭載船の魁であり、母となる船です。まこと私情ではありますが、この記念すべき船に、愛する我が母ユーフェリアの名を授けます」
ヴィルミーナによって動力機関搭載試験船にユーフェリア号の名前が与えられ、招待席に居た母ユーフェリアが嬉しさと気恥ずかしさと誇らしさに顔を赤くして照れていた。可愛いアラフォーである。
次いで、聖王教会のゴセック大主教によってユーフェリア号へ祝福が施された。いつの時代のどこの国でも船乗りは験を担ぐから、こうした宗教的祭事は必然と言えよう。
そして、母ユーフェリアが代表して支綱切断式を行う。
現代日本では、小さな鉞でセレモニー用の紐を切り、その紐につながった先のシャンパンの瓶が勢いよく船体に叩き付けられて割れるようになっている。ここ大陸西方の場合は槌とノミを使って紐を切って行われる。
ユーフェリアが紐を切ると、その先につながっていたベルネシア産シャンパンが勢いよく船首に当たり、瓶が砕けた。パチパチパチパチと客達が拍手を行う。
そうしていよいよの進水である。
船台に乗せられた試験船ユーフェリア号がスロープを滑り、悠然と船尾から海へ進水していく。大きな波が生じた後、試験船は小雨の降り注ぐ海面へ浮かぶ。
再び盛大な拍手が上がった。
なお、進水式が完了したからといって、すぐさまオーステルガム湾を試験航行するわけではない。まずは艤装を整え、次いで進水後の各自検査(特に機関部と喫水線下部)、それらが完了してようやくの試験航行となる。
船員の半分が技師であり、もう半分が将来的に機関搭載船の操船教官となることを期待された人材だった。その彼らを率いて試験船を任されたのは――
「オットー様。沈没させない限りは思う存分色々試して構いません。『壊して直して』を繰り返すつもりでやってください。資金は惜しみません」
「それはまた剛毅な話ですな」
豪華な注文を付けられ、船長を務める先代クライフ伯オットーが笑う。元海軍大将のオットーはこの新時代の船に乗れることを純粋に嬉しく思っていた。
も、ヴィルミーナは真面目な顔で告げた。
「この船から得られる様々な情報と経験は我が白獅子の財産となり、同時にベルネシアの造船技術の礎となります。伯の知見と経験を活かし、存分に腕を振るってくださいませ」
「この老骨にベルネシアの海の未来を担えとおっしゃるか……なんたる誉。いや、失礼しました。改めて、粉骨砕身、御役目を全うしましょうぞ」
オットーは感無量と言うように大きく頷き、小雨の中、海面に佇む“未来”を見つめた。
進水式後はもちろん宴である。
お偉いさん方と招待客の面々は、用意された会場――貸し切りとなった港湾部傍の高級レストランで立食形式の懇親会へ参加する。ヴィルミーナは財閥隷下外の造船会社のお歴々に囲まれていた。彼らの要望は明快だ。
動力機関搭載試験船で得られる技術やノウハウ、または動力機関そのもの。現状、ベルネシア国内はおろか大陸西方中を探しても、船に搭載できる動力機関製造技術は白獅子しかない。
もしも、動力機関船が今後の標準船舶となった場合、ベルネシア造船業界はヴィルミーナと白獅子に征服されてしまう。さらに言えば、海事関連業界に巨大な覇権を持つようになる。
言うまでもなく現段階において、彼らの危惧はいささか被害妄想的だった。
動力機関船がまともな実用船になるまで、まだまだ時間と金と労力が要る。外洋航行に至ってはインフラも含めて10年以上掛かるだろう。
しかし、造船業界の面々にそんなことは分からない。『魔女』や『怪物』と畏敬されるヴィルミーナが、財閥を挙げて手掛けているという事実だけで、不安を抱くに十分過ぎた。
それは王国府と軍も同様だった。ゴブリンファイバーの時と同じく、技術やノウハウの接収を企図している。実際、そうした意見がヴィルミーナの許にまで漏れ聞こえていた。
もちろん、ヴィルミーナも莫大な資金と資源と労力と時間を投じて獲得した技術を、飴玉のように容易く分け与えたりしない。奪わせることなど論外だ。気の触れた狂犬の如く抗う準備を進めている。譲歩などしない。妥協などしない。屈服などしない。決して。絶対に。
“戦い”は既に始まっていた。
ひとしきりジャブの打ち合いをした後、ヴィルミーナの許へニーナが近づいてきて報告する。
「ヴィーナ様。連絡がありました。ミョルン村の義援団の救出に成功したそうです」
慶事に吉報が届くとは素晴らしい。
ヴィルミーナは首肯して「アイギス猟団は?」
「ブロイケレン猟団長以下、主要人員はマキシュトク遠征に加わった者以外、無事です」
ニーナの報告にヴィルミーナは満足そうに頷いた。
ええやん。計画通りに進んでるやんか。準備した甲斐があったわ。あとはマキシュトクの救出が上手くいって、残りの人員とロー女士爵の船が無事に帰ってくれば、言うことないなぁ。
吉報が続いてくれることを祈ろう。
〇
ベルネシアで記念すべき動力機関搭載試験船の進水式が行われていた頃、ノエミ・オルコフは久方振りにベッドから降り立つことが出来た。
巨鬼猿との戦闘で重傷を負い、危うくくたばりかけたものの、ベルネシア人が持ち込んだ回復剤と医師達の治療のおかげで生き長らえた。まあ、数日程寝込んでしまったけれども。
代官屋敷の浴室を借りて、ノエミは数日振りに行水する。
女蛮族を思わせるムチムチの筋肉質な長身へお湯を掛ける度、水滴が肌を滑るように弾けていく。
その張りのある肌は真新しい傷痕だらけだった。備え付けの鏡に映る自分の体を見つめ、ノエミは自虐的に口端を緩める。
「これじゃ嫁の行き先がないな」
タオルで髪と体を拭い、ノエミは清潔な着衣に着替えて剣を佩いた後、代官屋敷の食堂へ向かう。
「さっぱりしましたな」
湯上りのノエミにハラルドは笑いかけながら、麦酒の注がれた陶製ジョッキを差し出した。
「酒はとっておきじゃなかったっけ?」
「閣下が湯浴み中に吉報がありました」ハラルドはにやりとして「本日、救出隊のベルネシア飛空船が到着します」
「ようやくか」
ノエミはジョッキを受け取り、呷った。遠慮なく一気に飲み干す。どうやら女蛮族な外見通り、酒に強いらしい。給仕係を呼んでお代わりを求める。
「中央のクソッタレ共め」
※ ※ ※
ノエミの憤りを説明しよう。
ベルネシアの救出隊がカロルレン王国に到着し、飛空船隊がマキシュトクへ向かう直前、マキシュトクに居る冒険者達の扱いを巡って騒動が起きた。
カロルレン王立軍や王国中央は自分達が見捨てた手前、マキシュトクから救出される冒険者達を大災禍鎮圧や大飛竜討伐に駆り出す真似はしない―――なんてことは無かった。
軍も王国中央も全く悪びれることなく、それどころか謝罪一つせず、冒険者を優先的にマキシュトク外へ出し、大災禍鎮圧や大飛竜討伐へ参加させるよう求めてきた。
が、これにカロルレン王国冒険者組合が猛反発した。
「ふざけるなっ! このうえ彼らを使い潰す気かっ! 冒険者組合は総意として、マキシュトクの冒険者を大災禍鎮圧にも竜狩りにも一切関与させないっ!!」
軍と王国中央は改めて正式な命令を発した、が、冒険者組合は断固拒絶。
「おとといきやがれクソッタレっ!!」
硬骨振りを発揮した冒険者組合総代表や組合幹部達に対し、
「王国の危機になんたる不遜っ! 賎民がつけ上がりよってっ!!」
王国中央と軍が逆ギレ。なんと彼らを家族諸共逮捕してしまった。
これに徴用されていた冒険者達が憤慨。協力をボイコットする事態へ。
彼らもまた、軍での扱いに不満を抱えていたのだ。一部では冒険者達と軍部隊が互いに武器を突きつけ合う事案まで発生した。
国王ハインリヒ4世は、見捨てた事実の重さからマキシュトクの冒険者達に一定の配慮を命じた。が、それでも国難の最中であることを理由に、大災禍鎮圧と竜狩りへ参加するよう“勅命”を発した。
カロルレン王国において、勅命に背けば本人は縛り首で、家族は連座して刑務所送り。拒否出来る者などいない。
冒険者達やマキシュトクの人々がどう感じ、何を思ったか、記すまでもなかろう。
※ ※ ※
「確かに今は国難の時だ。この街で生き残っている冒険者達は貴重な戦力だろーよ。だけど、その彼らを見捨てておいて……こんな人を馬鹿にした話があるかっ!」
ノエミはお代わりの麦酒を荒々しく飲み、忌々しそうに吐き捨てる。
「陛下も陛下だ。なぜ中央と軍を諫めねーんだよっ!」
「閣下。それ以上はいくら何でも不味い。御自重を」
ハラルドはノエミをなだめるように言い、
「それにまあ、手が無いわけじゃありませんよ」
ドワーフっぽい面に人の悪い笑みを浮かべた。
「ベルネシア飛空船がどう頑張っても難民の移送に何日も掛かるらしいですから、順番待ちが生じます。当然、彼らの作業を守る戦力が必要です。その戦力の脱出は一番最後になるでしょう」
「……そういうことなら、仕方ないよな。あたしらも生き延びなきゃならねーしな」
ノエミも人の悪い笑みを湛え、大きく頷いてハラルドと合意の乾杯を交わした。
上に政策あれば、下に対策あり。
階級や立場はどうであれ、人間は常に自分達の都合を優先する。
「聞いていた以上にひっどいねえ」
舷窓から眼下の様子を窺ったアイリス・ヴァン・ローが呆れ声をこぼす。
マキシュトクは泥の海に佇む廃墟にしか見えなかった。よくまあ、あんな状態で持ち堪えられているものだ。アイリスは赤いクラッシュ帽を被り直す。
「周囲に飛行種モンスター共は無し。地上にはちらほら見えますが、様子見してますな」
白髪の副長が双眼鏡を下げて告げ、ふ、と倦んだ面持ちを浮かべた。
「しかしまあ、この国の御上は酷いですな。ベルネシアの役人にも性質の悪いのはなんぼでも居りますが、いやはや」
「だから、こんなザマになってんだろうさ」
先述した騒ぎで時間を空費したことを思い出し、アイリスは奇麗な顔を不快そうに歪めた。
「ボンクラ共のことはどうでも良い。野郎共に周辺警戒を厳にするように伝えな」
アイリスは騎士爵を持つ準貴族であり、グリルディⅢ型改という戦闘飛空艇を有する関係で、飛空船隊の指揮を執ることになっていたから、船隊にも指示を出す。
「市街上空で輪形陣を取れ。各船は予定の順番通りに降りろ」
マキシュトク市街内に設置された離発着場は狭く、大型飛空船が一隻降りるだけでぎりぎりだった。このため、順番に一隻ずつ降りて難民や住民を収容するしかない。その間、市街上空で輪形陣を組み、作業を援護する。
「お頭。マキシュトクから通信です。代官代理殿がお頭と話がしたいそうでさあ」
魔導通信士が報告してくると、アイリスは口をヘの字に曲げた。
「お頭は止めろ。格好がつかないだろうが。船長と呼べ、船長と」
ぶつくさと文句を言いつつ、アイリスは長距離魔導通信器の通話具を受け取った。
「こちらベルネシア救出隊、飛空船隊指揮官アイリス・ヴァン・ロー女士爵です」
『マキシュトク代官代理タチアナ・ネルコフです。貴船隊の到着を心待ちにしてました。感謝します』
「これより順次、物資の搬入と難民の収容を開始しますが、準備はよろしいか?」
『いつでもどうぞ。よろしく頼みます』
こうして、飛行船隊は順次着陸して物資を市街内へ降ろし、代わりに難民を詰め込んで離陸する。ついに救出が始まったのだ。
さて、カロルレン王国は冒険者を優先的に搭乗させるよう勅令を発したが、実際は大きく異なった。
この作業監督に当たった王国官僚はラファエル・ナバル。大災禍の初期対応を巡って王国中央へ罵倒を浴びせた青年官僚だった。
彼はまず、最初に市街内少数の貴顕(代官所に勤める下級貴族や聖職者など)と“防衛隊”の家族を優先的に乗せ、次いで、マキシュトク富裕層、一般住民、それから開拓民、最後に、“防衛隊”を移送することにした。
平たく言えば、“勅令”へ全く従わなかった。
ラファエルは『マキシュトクはモンスターとの攻防戦の最中にあり、防衛戦力を割くこと不可なり』と中央へ一方的に報告して通信を切った。
なお、マキシュトクの責任者たるタチアナ・ネルコフやノエミ達、ベルネシア人冒険者達は最終便を志願した。が、ベルネシア義援団の遠征隊員達だけは最初に乗せられた。誰のためにここまでの大事になったと思ってやがんだ、という話である。
小さなヨラ達は開拓民の順番が来るまでマキシュトクを離れられなかったものの、それでも飛空船隊が運び入れた物資のおかげで、特配の食事を得られた。
ヨラ達の脱出には、まだ多くの時間と幸運を要する。
〇
王立軍はマキシュトクの冒険者達を最大利用すべく、大災禍鎮圧と大飛竜討伐の計画修正を図ったが、マキシュトク側のサボタージュによって叶わなかった。
それどころか、マキシュトク冒険者達の移送を待つために時間を浪費するという、またしてもグダグダ振りを発揮する。
これには軍内、特に現場で血と汗を流している将兵から猛烈な批判と非難が起き、大飛竜に荒らされまくっている西部諸領の領主貴族達からも罵詈雑言を浴びせられた。
ただ、カロルレン王立軍は上層部がグッダグダでも、現場の将兵は長期の戦争準備で鍛えられていただけあって精強だった。被害を生じつつも着実に大災禍を鎮圧していったし、既にラランツェリン子爵領の領都救援に成功している(こうした現場の健気が無能な軍上層部を存続させてしまう皮肉)。
大飛竜討伐戦隊もまた、上の無能に翻弄されつつも、自身の役目を果たすべく献身的自己犠牲精神を発揮した。
大飛竜討伐戦隊は近隣中の家畜を集め(強制徴発)、大飛竜待ち伏せ作戦を実施。幾多の面倒の末に竜を引き寄せることに成功した。
巻角大飛竜は何の警戒心も見せずに地上へ降り立ち、疑うことなく家畜を閉じ込めた掘立小屋を襲った。
小屋を包囲するように、高魔導装備の装甲兵や重装騎兵、魔導術士達が姿を隠していた。
巻角大飛竜はその気配をうっすらと察知していたが、欲望に負けた。美味なる小動物をたくさん食べられる機会を優先してしまう。
掘立小屋内から家畜達の悲惨極まる悲鳴と断末魔が響く中、
「やれっ!」
指揮官ホーデル少将の号令の下、180名の魔導術士が集団魔導術を発動する。
掘立小屋を中心に半径400メートルの大きな魔導術式が発動した直後、巻角大飛竜の足元が一瞬で泥濘に融解し、その十数トンに及ぶ巨躯を勢いよく沈める。
待ち伏せの利点は、その場に手を加えることが出来ること。ソ連軍がクルスクの丘陵平原に広大な縦深防御陣地をこさえ、日本軍が硫黄島を堅牢な要塞に変えたように。
大飛竜討伐戦隊は掘立小屋周辺に大穴を掘り、そこを氷塊で埋め、その上に土を盛っていたのだ。魔導術で氷塊を融解させた結果、目論見通りに巻角大飛竜はその巨体を泥水に半ば沈める。
巻角大飛竜は驚き喚きながらも、即座に泥穴から抜け出そうと激しく足掻く。
「急げっ! 二の矢を放てっ!!」
大飛竜の反応は織り込み済みだ。
魔導術士達が再び集団魔導術を発動。巻角大飛竜を捕らえていた泥水を、再び一気に凍結させる。大飛竜の下半身が大量の氷に封じられてしまう。
「良いぞっ! そのまま凍結状態を維持しろっ!」
ホーデル少将は歓声とも怒号とも取れる大声を上げ、氷から抜け出そうと足掻きもがく大飛竜を睨みながら、叫ぶ。
「騎馬隊、装甲兵隊、突撃開始っ! 弩砲隊、援護射撃っ!!」
掘立小屋から大きく離れていた薪炭林から、長騎槍を抱えた重装騎兵達と対モンスター用刀剣類を担いだ装甲兵達が一斉に飛び出した。
装甲兵や重装騎兵達は皆、モンスターの甲殻や鱗殻を用いた甲冑を着込んでいて、その上に薄紫色のサーコートをまとっていた。担いでいる刀剣類や槍は対モンスター用ということでデカい。まるでファンタジー系ゲームから這い出てきたようだ。
装甲兵や騎兵達の突撃に先駆け、弩砲から半ば槍染みた大型矢弾が次々と放たれていく。矢じりが魔鉱合金製の凶悪な矢弾は巻角大飛竜の頑健な麟殻に阻まれて弾かれていく。が、数発が麟殻のない翼膜を貫き、また、麟殻の隙間に食い込んでいった。
重装騎兵達は巻角大飛竜の死角側へ展開しながら、距離を詰めていく。如何に半身を封じているとはいえ、いつ炎塊を吐くか分からないのだ。正面突撃など怖すぎて出来ない。
展開を完了し、重装騎兵達は抱えていた長騎槍を水平に構えて速度を一気に上げる。
「体当たりするつもりで掛かれっ!!」
「おぅっ!!」
騎兵隊長が叫び、その背に続く騎兵達が怒鳴るように応じた。
『ふらぁあああああああああああああああああああああああああああっ!』
重装騎兵達が巻角大飛竜に肉薄した、刹那。
巻角大飛竜は大きな顎を全開にして吠えた。
竜叫。
それは音ではない。大気中の魔素を通じて人馬の体内魔素に伝播する衝撃波だった。全ての生物の根幹を揺さぶる魔素の超高圧力波だった。生物的本能を殴りつける極大の恐怖だった。
高速で駆けていた軍馬達はパニックを起こして足並みを乱し、恐慌状態の騎兵達は手綱を捌けない。慣性の法則が彼らを次々と地面へ引きずり倒していき、後続の騎兵達が転倒した人馬を踏み潰し、撥ね飛ばし、蹴り倒し、自分達も次々と転落し、同じ運命を辿る。
装甲兵達も魔導士達もホーデル少将も原始的本能を揺さぶられた。その場にうずくまってしまい、動けなくなった。
魔導術士達の魔力供給が失われた氷塊の封印は、巻角大飛竜の圧倒的身体能力と莫大な魔力によって容易く破綻した。
巻角大飛竜はその金色の瞳をらんらんと輝かせながら、翼腕を使って氷塊から這い出る。そして、騎兵と装甲兵達の群れへ向き直り、翼腕を大きく広げて再び大咆哮を放つ。
怒れる竜の反撃が始まった。
生物として圧倒的上位存在の暴力が吹き荒れる。
人は身を捨てることが出来る。
家族のため、友のため、恋人のため、恩人のため、主君のため、部下のため、あるいは、祖国や信仰、信念、尊厳、意地……人は、生物としての自己保存本能に打ち克ち、その命を捨てて戦うことが出来る。
巻角大飛竜がその巨躯による暴力で怒りを表現していた。
破城槌の如き尾の一撃が直撃した者達は文字通り砕け散った。強力な後脚の爪を浴びた者達は千切り裂かれた。翼腕の打撃を受けた者達は圧潰した。牙と顎の餌食になった者達もいた。大地が鮮血に染まり、肉片がばらまかれ、肉塊が転がる。
それでも、竜叫の恐怖から立ち直った装甲兵は刀剣類を構え、動ける騎兵達が徒歩で槍や剣を握り締めた。
身体強化魔導術を限界まで用いた斬撃や刺突や打撃は巻角大飛竜の麟殻を貫き、皮を裂き、肉を斬る。が、骨は断てず、臓腑は抉れず。
それでも、装甲兵達はさながら蟻の群れの如く巻角大飛竜へ攻撃を続けた。十数人がかりで長大な尾を押さえ込み、後脚にまとわりついた。中には装備を外してその背中に飛び乗り、翼腕にしがみついた者さえいる。
竜の周囲や足元には破壊された人体が無数に散乱し、息が詰まるほどの血と臓腑の臭いに満ちている。竜が暴れる度、真っ赤に染まった泥水と血肉が飛散した。
それでも、勇者達はここで竜を仕留めんと刀剣を振るい、槍を突き立てる。麟殻を剥がし、皮を裂いて、肉を開き、骨を削る。
狂ったように集り続ける兵士達に苛立った巻角大飛竜は、小さな炎塊を乱れうち、さらには至近距離に叩きつけた。爆熱と衝撃波が兵士達を焼き払い、薙ぎ倒し、吹き飛ばす。この至近爆発は竜とて無傷では済まなかった。自らの強烈無比な炎熱に麟殻が痛み、皮や肉が焦げる。
炎熱の中、一人の年若い装甲兵が味方の死体から物干し竿みたいな直刀を奪い、麟殻が剥がされた部分の横っ腹に突き立てた。
巻角大飛竜は初めて悲鳴を上げ、空へ向かって緊急離脱した。巨躯を翻し、王国北東部へ向かって逃げていく。
大飛竜討伐戦隊は討伐という大目標の達成には失敗したが、西部穀倉地から大飛竜を撃退することには成功した。
損害は人的損害が7割超え。ホーデル少将以下、戦隊幕僚も炎塊の直撃を受けて戦死。その成果は次善的目標達成。
クエスト・クリア評価は甘く言っても『C』といったところか。
実際、カロルレン王立軍上層部の評価も高価な装甲兵力の代償としては、不満の大きな成果だった。
巻角大飛竜は確かに王国北東部にある故郷のプロン造山帯へ向かった。
ただし、その進路上には救出作業真っ最中のマキシュトクがあった。
 




