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大陸共通暦1769年:晩春間近
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マキラ大沼沢地から拡大した大災禍はラランツェリン子爵領、オルコフ女男爵領、ペンデルスキー男爵領を襲った。
このうち、ラランツェリン子爵領とオルコフ女男爵領は早々に領内防衛を諦め、領民の領都収容と防衛戦に集中した。モンスター達はこの2領を荒らしながら踏破し、周辺地域へ進出した。
一方、ペンデルスキー男爵領は領内で迎撃戦を試みた。これが戦力の損失を招き、結果として領都の守りに失敗。モンスター達は領都を食い尽くすことに熱中し、皮肉にもペンデルスキー男爵領の後背地域が大災禍の被害を免れた。
カロルレン王立軍はペンデルスキー男爵領の後背地域に防衛線を展開し、ラランツェリン子爵領、オルコフ女男爵領の周辺地域から順次掃討を開始した。モンスターの数は膨大ではあったが、諸地域に広がっているため、密度自体は薄い。それにモンスター達は“餌”が無ければ、共食いを始める。
まずは獣共を押し留めることから始めよう。
初動こそグッダグダで後手後手だったカロルレン王立軍だったが、入念な戦争準備をしていただけにその作戦行動は着実に進んでいった。
カロルレン王立軍の銃兵隊が整然と方陣を組み、モンスターの群れへ見事な統制弾幕射撃を浴びせる。
王立軍は領民兵団のような前近代性が薄く、全兵科の軍装がベルネシア軍のように統一されていた。
クラウン部分の小さなシャコー帽。軍服は青灰色の上下。袖口やズボンの脇に黄線が走っている。カーキ色の野戦コートに黒皮革製胸甲と装具。違いはシャコー帽や袖章の部隊章くらいだろう。将校達はシャコー帽や上衣に飾りが入り、軍刀や拳銃を下げていた。
小銃はこの時代で一般的なブリーチブロックの後装式単発。弾薬も紙薬莢式だ。
地球史でいえば19世紀後半期辺りの軍装を思わせる。
対人用小銃弾は小型種を仕留められても、猪頭鬼猿から上のサイズは早々仕留めきれない。
しかし、分隊に2人の割合で配備されている対モンスター用猟銃を持った選抜射手が、そうしたタフな奴らをてきぱきと仕留めていく。
また、中隊に配備された直射砲が鶏冠尾蛇などの中型種を打ち倒す。
大亀竜のような大型種に準じる強力なモンスターの相手は、重砲部隊が対処した。徴用された冒険者や斥候兵が誘い出し、重砲部隊が直接射で殴り殺す。
カロルレン軍砲兵は後装式砲を採用しており、その点に関しては未だ前装式火砲に頼っているアルグシアや聖冠連合より先進的だ。もっとも、ベルネシア軍の火砲みたいに駐退復座器は装備していなかったが。
軍は鉄と炸薬量でモンスター達を確実に圧殺していく。作戦開始から瞬く間に被害地域を特別税制領まで押し戻すことに成功した。
万事順調。大いに順調。
――とばかりも言えなかった。
弾幕射撃を潜り抜けられ、選抜射手や直射砲の攻撃が外れ、モンスターに方陣へ突入されるケースもそれなりに生じていた。一旦、方陣に突入した猪頭鬼猿や魔狼は、銃剣でめった刺しにされるまでの間に、5人から10人ほど道連れにする。その混乱を突かれて壊乱した小隊や中隊も少なくなかった。
誘導に失敗して命を落とした兵士や冒険者も相当数に上る(酷い場合は誘導役がモンスターごと重砲で吹き飛ばされた)。また、戦闘予定地域へ向かう道中に襲われ、部隊単位で壊乱する事例も相応に起きていた。
飛行種モンスターとの航空戦は、翼竜騎兵や飛空船に見過ごせない損害をもたらし、対空部隊も全てを仕留めきれない。
連日の戦闘で魔導術士達や医療部隊、補給部隊は疲弊し、工兵達はモンスターの死体処理に難儀している。
軍が恐れていた通り、大災禍に動員された諸部隊は消耗と犠牲を避けられなかった。
重砲が発達し、近代軍制を採用してもなお、モンスターは人類にとって強大な脅威であることが証明されたのだ。
また、軍がモンスターの生態などに疎いことも被害の拡大につながった。
もちろん、軍はオブザーバーとして各地の冒険者を徴用し、大災禍鎮圧作戦に同道させていた。ただし、カロルレン王国冒険者はその多くが一大狩猟地域であるマキラに集中していた。
これを逆説的に言えば、カロルレン冒険者業界において、マキラで活動していない奴は能力的に大したことがないか、ロートルや半引退者に等しい。
重ねて言えば、軍の将校達は賎業者である冒険者達を軽んじていた。冒険者の助言や忠告を無視したり、聞き入れなかったりして、要らぬ犠牲を生じさせてしまっている。
大災禍鎮圧作戦が進んでいくにつれ、
「ああああ。鍛え上げた精兵達が溶けていく。畜生如きのために精兵達が……ッ!」
「物資が。物資が。物資がぁあああ……っ!」
軍上層部が頭を抱えて煩悶するが、既に手遅れである。
手遅れと言えば、王国西部に侵入した大飛竜の討伐は芳しくない。
大飛竜はその雄大な翼を以って気ままに遊弋し、あっちこっちへ迅速に行き来する。陸軍部隊がせっせと行軍して現地に赴いても、竜が去った後だった。
飛空船や翼竜騎兵で追跡するにしても、カロルレンの飛空船では兵員移送能力に限界があり、翼竜騎兵の戦力だけでは大飛竜に対処できない。
そうして軍が手をこまねいている間に、件の巻角大飛竜はカロルレン西部の穀倉地帯や農耕地域で大暴れしていた。
この巻角大飛竜の行動を人間風に言えば……
『グルメツアー』だ。
〇
野生動物はしばしば人里で得る食べ物に執着する。
雑食性のくせに特定の農作物や残飯だけを狙う野生生物の話は、枚挙にいとまがない。動物にも味覚がある以上、美味い不味いが分かるためだろう。怖い話をすれば、人間の味を覚えた熊は率先して人間を襲うようになるらしい。
巻角大飛竜が覚えた味は、『牛』だ。
プロン造山帯にもマキラ大沼沢地にも牛はいない。プロン造山帯には生息していないし、マキラのような難地形の土地で用いられる家畜は、農耕用の烏竜や馬、食肉用の鶏や豚、山羊などで牛は扱われていなかった。
巻角大飛竜は当初、カロルレン西部へ進出したことを後悔した。穀倉地帯として開墾開発された西部では、大型種モンスターがほとんどおらず、中型種も限られた自然地域にしかいなかった。つまり、食いでの有る餌がない。
仕方なしに農村を襲った巻角大飛竜は、そこで生まれて初めて肉牛や乳牛を食した。
『うっまぁあいっ!?』
“小動物”の中でも別格の美味さに、巻角大飛竜は衝撃を受け、たちまち虜になった。この美味な小動物を腹いっぱい食うために農村を片っ端から襲い始めたのだ。
んな馬鹿な話はないって? 高級ペットフードで育てられた犬猫は、安物の餌や残飯を決して食わないぞ。差し出しても鼻を鳴らして無視しやがる。
ともかく、牛の味に魅入られた巻角大飛竜は、農村の畜舎を片っ端から襲い、ついでとばかりに他の家畜と住民も食い荒らしていく。時折、村付き冒険者や勇敢な村民の抵抗に遭ったものの、巻角大飛竜にとっては蟻ンコに喧嘩を売られるようなものだ。相手にならない。
さて、この巻角大飛竜の穀倉地襲撃は二つの大問題を起こしていた。
A:大陸西方における麦の収穫は初夏(いわゆる麦秋)であり、春のこの時期は既に収穫期前の状態だった。そこを大飛竜に荒らされているため、収穫量が減少してしまう。
B:この時代の農業は人力と畜力で行われる。現代地球のような農機も化学肥料もない時代、牛馬の有無は作業効率や生産量に深刻な影響をもたらす。某ネット小説サイトの転生者達が大好きなノーフォーク農法にしたって、家畜がいなきゃ片手落ちも甚だしい。
改めて言っておくが、カロルレン王国の西部穀倉地帯は国内全体の食料を賄っている。このまま大飛竜の襲撃が続いて収穫量が減少し、さらに農業に大打撃を与えられた場合、国内の食料供給に深刻な事態--平たく言えば、食糧危機が起きる可能性があった。
国王ハインリヒ4世や王国中央は血相を変えて軍へがなり散らした。
『どのような犠牲を払ってでも早急に竜を討つべしっ!』
といっても、先述した通り、空を遊弋する巻角大飛竜を討つことは困難極まる。陸軍が行軍する間に大飛竜はあちこちへ好きに飛び回れるのだから。
誰も彼もが頭を抱えていて、回天の解決策を求めていた。
しかし残念ながら、陰険で性悪な運命の女神はサイコロを振る気配すらないようだ。それどころか、この右往左往振りを嬉々として見守っているに違いない。
なんせ運命の女神は陰険で性悪だから。
〇
話はマキシュトク市街戦の後で、巻角大飛竜の『グルメツアー』開始以前まで遡る。
白獅子財閥隷下の情報組織“北洋貿易商事”は、ミョルン村の義援団へ物資と長距離魔導通信器を届けるべく、カロルレン南部国境に接する緩衝国から人員を入国させていた。
これはかなりの費用と露見のリスクを負ったが、是非もなかった。
なんせ、アイギス猟団がカロルレンへ赴いた背景は、北洋貿易商事の諜報員や工作員をカロルレンへ潜り込ませるためだったから、商事は危険を冒してもアイギス猟団を助け出す義理があった。
この活動には聖王教会や王国府が横車を押している。彼らにしても独自の情報経路が欲しかったのだ。
隊商を装わせた30名ほどの派遣人員は、それなりの自衛用武装を用意していた。しかし、大災禍の真ん中へ飛び込むことはやはり大きな危険を伴う。彼らは道中にモンスターとの戦闘で被害を出し、ミョルン村へ到着した頃には20名ほどの死傷者が生じていた。
ともあれ、この冒険的挑戦の成功に伴い、ミョルン村の義援団はいくつかの中継を経てベルネシア本国と直接連絡が可能になった(かなりの手間と出費を要するが)。
こうした努力の末、ミョルン村とマキシュトクの連絡もつき、市街戦にまで至ったマキシュトクの情報もベルネシア本国へ到達した。
これらの現地情報とカロルレン側との合意条項に基に、義援団の救出計画が練られるわけだが……
意外というか予想通りというか、現地から要請が、強い強い要請が来た。
『保護した難民も共に救出してもらいたいっ!』『ここまで来てマキシュトクを助けず、どの面下げて帰れというのかっ!!』
この要請に対し、王国府や議会は頭に血を昇らせた。
『お前らを助けるためにどれだけの金と物資が掛かってると思ってんだっ! すでに犠牲も払ってんだぞっ! ごたごた言わずにさっさと帰ってこいっ!』
どちらの言い分も分からなくもない。
義援団はマキシュトク救援のために危険を冒してカロルレンまで赴いた。そのうえ、市街戦の惨状も把握した。ここでマキシュトクを見捨てて帰還することは選択肢になかった。
一方。王国府も議会も、ちょっとした不況対策のつもりで首を突っ込んだカロルレン救援が、とんでもない地雷原だったことが判明し、政治的大問題になっていた。既に『事前調査が甘かったからだ』ということで情報機関筋の人間が数名更迭されていた(もちろん詰め腹である)。
義援団は流血を厭わずマキシュトク救援を継続する姿勢を崩さない。
王国府と議会はこれ以上犠牲を出すことなど絶対に許容できない。
こんな調子で現地と本国が意見を対立させている間に、巻角大飛竜の『グルメツアー』が始まってしまった。
この状況の悪化に本国側が折れた。
王国府も議会も、義援団からこれ以上犠牲を出すことだけは、何としても避けねばならなかったのだ(救出隊の犠牲も困りものなのだが、背に腹は代えられない)。政治である。
そして、この決定の皺寄せを受けることになったのが、カロルレンへ向かう海軍主導の救出隊。特に、ミョルン村まで赴く飛空船だった。
カロルレンとの間に結ばれた救出合意条件では、ベルネシア海軍船舶はカロルレンの港湾へ入港可能だが、内陸のミョルン村まで救出へ向かう飛空船を民間船舶のみとしていた。
民間船ならともかく、他国軍の飛空船が領土内を飛んで自国の難民を救う、というのは余りにも体裁が悪い。バカバカしいと思われるかもしれないが、自主独立、独立独歩を謳うのなら格好をつけねばならないのだ。
ベルネシア側もその体面を慮って承諾した。もちろん、自衛のために飛空船の武装をカロルレンに飲ませた。ミイラ取りがミイラになっては困る。
とはいえ、急に義援団だけでなく難民まで救えと言われ、飛空船の船長達は困惑を禁じ得ない。
「マキシュトクの難民まで救え? その難民って何人いるのさ?」
「聞いた話だと、15000以上はいるらしい」
「ほぁっ!? 15000っ!? そんなに生き残ってんのかっ!?」
「現地人なんて放っておけよ。カロルレンは同盟国でもねーンだしよ」
「そうはゆうても、ここで見殺しにしちゃあ後味悪かろうが。何より七代に渡って語り継がれるぞ。ベルネシア飛空船乗りは窮地にある者を見殺しにした卑怯者とな」
「それこそ筋違いじゃねェか。恨むなら手前ンとこの御上を恨めって話だろ」
「ごちゃごちゃうるせェッ! 嫌なら貰った金を置いて帰れっ!!」
あーだこーだと話し合う船長達へ、僕らの隻眼美人船長アイリス・ヴァン・ローが怒鳴り飛ばす。
「さっさと仕事の話を始めろっ!! あたしは暇じゃないんだよっ!!」
なるほど。ヴィルミーナが気に入るはずだ。
ともかくそんなこんなの末に、救出隊はカロルレンへ向かって出発した。
その陣容は海軍艦艇3隻。大中型輸送船8隻。飛空船5隻。内訳は海軍フリゲート艦2隻とスループ1隻、海軍輸送船4隻。民間協力船が輸送船4隻。飛空船は武装商船(私掠船)3隻、大型飛空輸送船2隻。
飛空船の1隻がアイリスの戦闘飛空艇グリルディⅢ型改だ。
救出隊の先頭を進むスループの甲板上で、海軍将校達が上空を行くゴンドウクジラの怪物みたいな飛空船を見ながら、
「あの船は大丈夫ですかね? 見た目は完全にⅢ型ですけど」
「民間の船旗を掲げるんだから大丈夫だろ」
そんな会話が交わされたが、ベルネシアは特に心配はしていなかった。
仮にカロルレンが『空飛ぶ魔狼号』を拿捕したり、撃墜したりするならば、武力制裁を科すだけだ。この辺の割り切りが時代であり、列強の傲慢さとも言える。
そのグリルディⅢ型改『空飛ぶ魔狼号』のブリッジでは、隻眼の美人船長アイリス・ヴァン・ローは赤いコートを肩に羽織りながら、眼下を航行する海軍艦艇を見下ろしていた。
「戦列艦の一隻も出すかと思ったけどな」
「ドンパチ目的じゃありませんからな。沿岸航行は小回りが利く方が良い」
白髪の副長がマグカップを口へ運ぶ。
「今更ですが……まさか大飛竜と合戦とは。長生きするもんですなあ」
「堂々とぼやくなよ。アレは今、西部に居るって話だ。あたしらが向かう先は北東部。出くわすことは無いだろう。それにまあ、一応対策はしてきた。仕留めるのは無理でも逃げることくらいはできるさ」
アイリスは船長席へ戻って腰を下ろす。救出計画書を手に取り、ページをめくった。
計画では、まずミョルン村へ向かい、現地の義援団と難民を後送する。次いで、マキシュトクの難民を後送する。まるで気楽な運送仕事、とでもいうような内容だった。
事務屋が考えそうなことだな、とアイリスは計画書をサイドボードに放る。
アイリスが私掠船稼業で学んだことは一つ。
何事も計画通りには進まない、ということだ。大枠で計画通りに進んでいても、細かなところでは創意工夫や臨機応変の努力でようやく回している、なんて例も珍しくない。
はてさて、どうなることやら。
〇
マキシュトク市街戦の後始末が進む。
瓦礫が撤去され、破壊された東城壁が修復され、人間の死体を火葬場へ運び、モンスターの死体をてきぱきと解体し、素材を剥ぎ取って不要部分を処理する。
モンスターの骸は狩猟討伐ではなく殺害撃破を目的としたため、甲殻や皮、臓器系は傷だらけ。爪牙や骨なども傷みが激しい。それでも使えそうな部分を剥ぎ取っていった。塵も積もれば山となる。
というか、死体の始末をしないと疫病の元になる。城壁外で倒したモンスターのほとんどは他のモンスターに食われてしまったから、さほど問題にはならなかった(それでも、食い残された死体や排泄物が腐敗して凄まじい悪臭を発している)。
「チフスと赤痢の患者はかなりの数だよ。破傷風や感染症の発症者も結構出てる」
「コレラやペストが発生しなかっただけマシと思うしかないな」
「地獄の中で“よかった探し”か。泣けてくるな」
冒険者達はそんな会話を交わしながら、作業を進めていく。
作業を行う者達の中には、巨鬼猿との戦いを生き延びたヨナスも居た。
歳幼い彼は体中、傷だらけだった。全身に細かな擦り傷、切り傷、打ち身に打撲、右肩には熱傷痕、愛らしい童顔は右眉上から右目尻に掛けて走る傷と頬骨に沿って伸びる傷、と二つも大きな傷痕が出来ていた。
それでも泣き言一つこぼさず、ヨナスは大人達に混じって働いていた。労働した者には配給割り当てが些か増えるからだ。
夕暮れを迎えて作業が終わり、可食モンスターの肉が入った麦雑炊が配給される。
ヨナスは配給を受け取って妹ソフィアと小さなヨラの許へ戻ろうとすると、ベルネシア人冒険者がヨナスに飴玉をいくつか分けてくれた。
ヨナスは丁寧に礼を言い、飴玉を大事そうにポケットへ収め、妹ソフィアと小さなヨラの許へ向かう。
数日前まで聖堂だった廃墟の傍に作られた急造キャンプの一角、ボロ布と瓦礫で作られたテントへ入る。疲れた顔の妹ソフィアと、ソフィアにしがみついて丸くなっている小さなヨラ。二人を守るように侍る子犬のナルー。
「ヨラの様子は?」
兄に問われたソフィアは首を横に振った。
わずかな間に両親と祖母を失った小さなヨラは、重度のPTSDを患っていた。特に母親の惨い死に様が決定打になったのだろう。ヨラはほとんど感情を変えず口も利かなくなっていた。それでいて、傍にソフィアやナルーが居ないとパニックを起こし、酷い夜泣きをするようになった。無理もない。ヨラの身に起きたことは幼子には過酷すぎる。
ソフィアはそんな小さなヨラを本当の妹のように甲斐甲斐しく世話をした。一種の使命感のようなものを見出したのかもしれないし、自分を守るために命を賭したヨラの母への恩返しなのかもしれない。ただし、ソフィアもまだ年若い少女に過ぎず、ヨラの世話で疲れ切っている。
子犬のナルーもヨラの傍を決して離れない。ヨラが夜泣きをすれば、すかさず起きて泣き止むまで傍に侍り、その涙を舐めとってやった。
ヨナスはソフィアに食事を与え、ナルーにもいくつか分けてやる。
子犬にはまだ早いかもしれないが、選り好み出来る状況ではない。ナルーも分かっているのか、硬い肉を必死に咀嚼して嚥下する。
手早く自身の食事を済ませ、ヨナスはソフィアに代わってヨラを膝に置き、食事を与えた。ヨラは小鳥のように口を開けて黙々と機械的に咀嚼する。
「食べ終わったら休め。俺が面倒を見ておくから」
「分かった」
疲れ切っているソフィアは素直に頷き、食事を終えると、早々に布団代わりのボロ布にくるまって横になる。疲労が溜まっているためか、ソフィアはあっという間に寝息を立て始めた。
ヨナスは小さなヨラを抱えたまま妹の頭を撫で、指で髪を梳いてやる。不意にヨラがぐずり始めた。ナルーがすぐに寄ってきて額をヨラに擦り付け、その涙を舐めとってやる。ヨナスもヨラを優しく抱きしめ、ポケットから飴玉を一つ取り出してヨラの口に入れてやった。
ヨナスは妹ソフィアを守ることを第一としていた。だからこそヨラの両親に頼ることを選んだ。その彼らが亡くなったことで、悪し様に言えば、小さなヨラには利用価値がなく、むしろ足手まといですらある。
しかし、ヨナスにヨラを見捨てるという選択肢はなかった。ここでヨラを見捨てては、短い期間ながら自分達兄妹を助けてくれたヨラの家族に顔向けが出来ない。それに、そうした卑劣な振る舞いを、ヨナスの中にある美しい何かが絶対に許容しなかった。
体中がずきずきと痛み、酷い疲労と睡眠不足で心身共に擦り切れる寸前だったが、それでもヨナスは泣きじゃくるヨラを根気強くあやし、ソフィアとナルーの頭を撫でてやる。
そして、ヨナスはこれからのことを考えた。
大人達の話を聞いた限り、救出隊が来て、自分達を安全なところまで連れて行ってくれるらしい。その後はどうなるのだろう。自分達兄妹は身寄りが居ないから、どこかの孤児院に入れられるのだろうか。
ヨラは親族の元に送られるのか? それとも、自分達と一緒に孤児院へ入れられるのか。もしかしたら、孤児院に入れられずどこかへ放り出されるのかもしれない。
ヨナスは必死に考える。妹“達”を守るにはどうすれば良いか、必死に考える。
これからどうすれば良いか、どうするのが最善か、必死に考える。
数日後、大災禍にターニングポイントが訪れる。
救出隊がマキシュトクに到達し、カロルレン王立軍が大飛竜を捕捉したのだ。




