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長めですが、お付き合いください。
大陸共通暦1769年:春
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順を追って説明しよう。
カロルレン軍の希望を託した航空作戦はまったく思い通りにいかなかった。
大災禍のモンスター達は地上を這い回る種だけではない。飛行種もいた。そうした飛行種は物資搬入のために高度を下げた飛空船や、対地攻撃を試みた翼竜騎兵達へ猛然と襲い掛かった。
この攻撃により、飛空船は損傷し、乗員は死傷し、翼竜騎兵も死傷者が続出した。
これまで幾度も言ってきたように、飛空船と翼竜騎兵は非常に高価な存在である。大クレテア王国や聖冠連合帝国ですら出し惜しみする代物なのだ。損耗を恐れずに飛空船を使える国など、世界でも金満ベルネシア王国と大海上帝国イストリア連合王国ぐらいだった。
軍は飛空船と翼竜騎兵の損害を恐れて腰が引けてしまった。物資の空輸作戦も航空戦力によるモンスターの撃滅作戦もすぐに中止された。が、
マキシュトクから『ふざけんな、あたしらを見殺しにする気かっ!!』と罵声が届き、飛空船と翼竜騎兵の志願者から『ここで退いては名折れにて』と強い強い要望が出たため、大幅に規模を縮小して作戦は継続された。
とはいえ、軍は犠牲を容認しなかった。翼竜騎兵は対地攻撃を禁じられ、飛空船の援護に専念し、飛空船は高度を下げての搬入が危険なため、物資を空中投下した。
空への進出が地球史よりはるかに早い魔導技術文明世界において、落下傘の登場と実用化も早かった。ただし、落下傘の素材がリネンで非常に重くかさばり、扱いが大変だった(地球史を例にとると、化学繊維登場前の落下傘は絹布が使われていたが、御存じのように絹が安価に大量生産されるには、産業革命と大量の生糸が必要だった。つまり、カロルレンでは無理)。
投下に手間取る関係から、物資は少なからず都市外に落ち、モンスターの餌になったか泥に沈んだ。それでも、この空輸物資があったおかげでマキシュトクは持ちこたえた。飛空船と翼竜騎兵達の勇気がマキシュトクの命脈を保ったのだ。称賛に値する献身である。
しかし、大災禍の拡大で全てが変わった。
もはや一都市の救援に拘っている状態ではなくなった。大災禍の拡大を止めなければ、王国の北東部全体が危機に晒される。
マキシュトクを救うか。王国北東部を救うか。
カロルレン王国は早々に決断することが出来なかった。
大飛竜がいたからだ。
この遊弋する怪物を倒すためには、どうしたってマキシュトクの冒険者達が必要だった。マキシュトクを見捨てたらそれが叶わない。かといって、マキシュトクにかかずらわっている状況にない。放っておけば、王国北東部全域がモンスターの群れに蹂躙されかねない。
もはや軍を全力投入するしかなかった。モンスターの群れを軍が全力で蹴散らし、マキシュトクを救出。そのうえで、大飛竜を討伐する。もちろん、軍がモンスターの群れを倒している間も、マキシュトクへ空輸を続けねばならず、物資と戦力を供出せねばならなかった。
この時、完全にキレていた王立軍の上層部は、より軍事的効率を重視した冷徹な思考力を発揮した。
マキシュトクを完全に見捨て、竜討伐の戦力は高魔導装備を持つ陸軍重装甲兵と重装騎兵で行うべし。装備の質で言えば、これら兵科は高位冒険者となんら遜色ない。対モンスター戦闘の技術と経験にしても、大飛竜の討伐経験がある者などいやしないのだから、装甲兵と重装騎兵でも同じことだ。
これまで積み上げてきた戦争計画は水泡に帰した。
ならば、祖国を救うために軍はより効率的に全力を尽くすべきである。
軍将兵を犠牲にする覚悟を決めたから、マキシュトクの冒険者に拘らない。というわけだ。これほど身勝手な話もない。が、軍事的必要性はあらゆる人道的理由より優先されることは、人類史において完全に証明されている。
全軍の動員が決定した日。マキシュトク救援の打ち切りも決定した。
〇
カロルレンの政府や軍の動きは、北洋貿易商事を通じてヴィルミーナの許へ届いていたが、肝心の義援団の動向ははっきりしなかった。
ゆえに、ヴィルミーナは義援団、ひいてはアイギス猟団の置かれた状況を極めてネガティブなものとして捉えた。
それは先の戦争を経験したが故の悲観的想定だったし、前世記憶により敵中に孤立した部隊や自然災害で孤立した避難民の窮状などを知っているための推察だった。
であるからこそ、ヴィルミーナは一日でも早く義援団(とアイギス猟団)を助け出すべく、外務省をせっつき、海軍に渡りをつけ、“商事”やその他の伝手やコネを使って出来うる限りの努力を払っていた。
当然ながら、義援団に関わっているのはヴィルミーナだけではない。義援団の家族や関係者も王国府へ救出を要請/陳情し続けていた。ベルネシア聖王教会もそれなりの人と物資を投じていたから教会も積極的に国へ救助を訴えている。
なお、ベルネシア聖王教会が義援団に参加しているのは、カロルレンに開明派を布教するという目的もある。なにせアルグス系の土地はかつての宗教戦争で開明派が敗北した土地だから、思い入れがあるのだ。
こうした状況の中、ヴィルミーナは隻眼の美人飛空船長アイリス・ヴァン・ローと会っていた。
※ ※ ※
さて、少し話がズレるが、我らが美人船長の近況について記しておこう。
隻眼の美人船長アイリスはこの時期、とっても困っていた。
「仕事がねェ……」
ベルネシア戦役に勝利し、ヴィルド・ロナ条約に伴い、クレテアと通商が結ばれるようになった関係で、クレテア商船を狩れなくなってしまったからだ。
私掠船稼業は御上の免状と支援を受けられる代わりに、獲物が限られる。自国商船はもちろん同盟国商船もダメ。通商条約を結んでいる国の船舶もダメ。こうなると、ベルネシアの縄張り内で狙える外洋商船はエスパーナのみとなるわけだが、斜陽を迎えているエスパーナの船なんて数が知れていた。
こんなん食っていけるか俺は海賊に戻るぞ、と海賊稼業に戻った連中も居たが、他の私掠船連中が目の色を変え、こうした元仕事仲間達を狩っていった(友情じゃ腹は膨れねェぜ)。
それに、戦争が終わって暇を持て余している海軍も嬉々として海賊達を駆除していた(狩りに勝る楽しみ無し)。
じゃあ商船稼業に変えるか、といっても商船稼業は取引相手がいないと始まらず、信用がないと大きな取引はできない。幸いなことに、アイリスは王妹大公令嬢ヴィルミーナの紐付きだったし、白獅子との取引実績も多いから、仕事相手を探すことには困らなかったが……
「運送屋なんてヤダっ!」
好みの問題で却下。
「御褒美に“良い船”を貰ったんだぞっ! 運送屋なんてやってられっかっ!」
アイリスはベルネシア戦役でペロー将軍の攻勢を頓挫させた戦功により、武功勲章と準貴族の騎士爵に高額褒賞を得た。加えて、なぜかヴィルミーナから物凄く感謝され、“良い船”を貰った。
一世代前のグリルディⅢ型戦闘飛空艇。ゴンドウクジラの怪物みたいな船だ。
海軍の“好意”により、戦時損傷で廃船が決定したものが“格安”で払い下げられ、それを白獅子の造船所で修理&改修。性能こそ現行戦闘飛空艇グリルディⅣ型には及ばぬものの、民間私掠船としては破格の戦闘飛空艇だった。
白獅子によって改修されたこのグリルディⅢ型改は、海軍も「他のⅢ型も改修して欲しい」と言い出す性能を有していた(何隻かは実際に改修を請け負った)。
なお、飛空船を二隻も維持できないという事情から武装商船『空飛ぶ魔狼号』は売却されている。
それでも、アイリスはこの戦闘飛空艇『空飛ぶ魔狼号』を得て大いに張り切っていたのだが……世知辛いことに先述の状況へ陥っていた。
「ヴィルミーナ様から警備会社への合流を要請されているんでしょう? 条件交渉されてはいかがです?」
副長が白い髭を弄りながら提案するも、アイリスは渋面を浮かべて答えない。
先の戦争後、ヴィルミーナから白獅子隷下として海上護衛仕事に専念しないか、と誘われていたが、アイリスは契約仕事に留めていた。
私掠船乗りは基本的に海賊気質だ。強奪と略奪が好きなのだ。用心棒稼業はいまいち気が乗らない。それに、会社勤めの空賊なんて様にならない。
しかし……船を維持するためにも食っていくためにも仕事は要る。
いっそ河岸を大陸南方か東南方へ移すか。あの辺りは“競合海域”だ。狙える獲物も多い。
アイリスがそんなことを考えている時に、ヴィルミーナから御声が掛かった。
※ ※ ※
話を戻そう。
アイリスは王都飛行船区の飛空船停留場傍にある高級レストランへ赴いていた。
ワンショルダータイプのAラインドレスを着こみ、生意気な胸と小癪な尻のラインを強調している。アイリスは三十路を迎えて容貌が衰えるどころか、熟した色気が凄い。その衆目を集める存在感には、警護の装甲兵頭が気後れするほどだった。
テーブルを挟んで向かい合うヴィルミーナも、二十歳を迎えた乙女にふさわしい装いをしていた。下品さを感じさせない程度にスリットの入ったハーフマント付ドレス。長く艶やかな薄茶色の髪は編み込み入りの凝った髪型をしている。
見た目麗しい二人は美味しい食事と酒を摂りつつ、年の離れた友人のように親しげな様子で会話を弾ませた。近況に始まり、新『空飛ぶ魔狼号』の話をし、近々進水式が行われる動力機関搭載試験船の話へ移り、食後の珈琲とベリーパイのアイスクリーム添えがテーブルに並ぶ頃、本題に入った。
「義援団の救出、ですか」
「まだ確定ではないけれど、外務省がカロルレンの合意を取り付けても、おそらく海軍飛空船艇の国内進入は許されないと思う。民間武装商船でも怪しいけれど、それでも認可される可能性もある。その時、貴女の力をお借りしたいのよ、ロー女士爵」
「士爵はやめてください」とアイリスは微苦笑して「しかし、カロルレンでは大飛竜が遊弋しているんでしょう? 流石に大飛竜相手はできませんよ」
「そのリスクを押してお願いしたい。貴女と貴船の力なら、大飛竜を避けて我が社の猟団と我らの同胞を救出できると期待しています」
勝手な期待ほど迷惑な話もないが、悪い気もしない。アイリスはアイスクリームを乗せたベリーパイを口に運ぶ。冷たいアイスクリームの柔らかな甘み、ベリーパイの快い酸味、サクサクのパイ生地。良い値段を取るだけあって文句なしのデザートだった。
アイリスは言った。
「報酬とは別途に必要物資を提供していただけて、救出活動において現場判断で中止、中断をお許しいただけるなら……お受けしましょう」
つまり、仕事を任せるならごちゃごちゃ口を挟むな。
やもすれば無礼な発言だが、ヴィルミーナは満足げに首肯した。この年上の”友人”の強気で物怖じしない姿勢を好んでいるし、何よりここまで言うからには、必ずことを成し遂げる。
それに、ヴィルミーナはアイリスが義援団を直接救出することを望んでいるわけではない。目的は強力な戦闘能力を持つ航空戦力で、義援団の脱出を支援させること。それと、アイリスの船を中継点に“商事”と魔導通信による情報伝達速度を高めること。この二点だけだ。
ヴィルミーナはアイギス猟団を助け出すため、一つ一つ着実に準備を進めていた。
〇
ミョルン村防衛戦で生き残った義援団は、だいたい増強大隊規模といったところだった。
過半数は冒険者達で、残りが医療関係者などのボランティア。冒険者組合員やらなんやらが少数。あと、巻き込まれる形で一蓮托生になってしまったミョルン村の皆さん(正直、助けられたんだか、地獄へ引きずり込まれたんだか分からない)。
冒険者達は防衛戦で仕留めたモンスター達から素材を剥ぎ取り、可食モンスターの肉を加工して燻製など保存食をこさえていく。
手透きの連中は周辺地域の偵察に出て、モンスターに壊滅させられた村から残っていた麦やら野菜やら荷車やら(ついでに金品の類も)を搔き集め、封鎖線で全滅した守備隊から武器弾薬を回収していた。バイタリティ有り過ぎぃ。
なお、壊滅した各村には若干名の生き残りも居た。頑丈な食糧庫に避難していた者達や竈の奥などに隠されていた子供達などだ。もちろん、冒険者達はこうした生存者も連れて行った。
道理で言えば、人助けしている場合ではないのだが……『放っておくわけにもいくめェ』『食い物とか貰っていくんだ。助けてやるのが筋だっぺよ』
こうして、ミョルン村はマキラ大沼沢地傍で唯一残存する拠点となっていた。
「飯が出来たわよー」と女衆が叫ぶ。
ミョルン村の女衆達が飯を作り、男衆と冒険者達がミョルン村を再建&陣地化を進め、義援団の関係者が負傷者の治療や子供達の教育を行う。もちろん、手透きの連中が食料集めや医薬品原料採取、物資収集などにも奔走し、周辺偵察も欠かさない。
ベルネシア本国の懸念やヴィルミーナの心配を余所に、彼らは自給自足を成し遂げていた。なんとも締まらない話である。
グラーシュを食いながら、各猟団長と冒険者組合関係者、義援団幹部が今後の方針を話し合う。
「救援が来るまで持ちこたえるか、カロルレン軍が居るところまで脱出するか」
「前者は食い物が足りるか分からない。後者は非戦闘員が多すぎるし、そもそもどこへ行けば良いのか分からん」
「被災地救援に来たのに、助けを待つとか面目丸潰れだな」
「言うなよ。生きてこそさ」
「マキシュトクはまだ無事だろうか……」
「偵察を出してみるか? たとえ既に潰されているにしても、現地まで行くことに意味がある。このまま現地へ行けずに帰ってはベルネシア冒険者の名折れぞ」
「しかし人手を割くのは……」
あーだこーだと話し合っているところへ、運命の女神が放ったサイコロがクリティカルを出した。
被害状況を偵察に来たカロルレン王立軍の翼竜騎兵が、彼らの昇らせていた焚火の煙を発見したのだ。
翼竜騎兵は生き残りがいたことに驚き、次いで、その生き残りがやたら大人数なことに驚き、さらに、その生き残りの中核がベルネシア義援団だったことに驚いて、生き残り達が大災禍の最中に孤立しながらも生活していることに、絶句していた。
降り立った年若い騎兵は感動したような呆れたような顔を浮かべ、差し出されたハーブ茶を飲みながら状況を説明した。
平たく言えば、周辺地域はこの村以外、全滅。この村は完全に孤立状態だった。オルコフ女男爵領の住民はほぼ領都に立てこもっているそうだ。現在、大災禍を鎮圧するために軍が動員され、各地で戦闘が繰り広げられているらしい。
「飛空船で迎えか補給を寄こしたいところだが、確約できない。いや、軍の鎮圧状況を考えるなら、救援到来を待つより自力で脱出した方が良いかもしれない」
騎兵の提案に、猟団長達や義援団の幹部達、冒険者組合員達、ミョルン村の村長は顔を見合わせた。
「……脱出ってどこへ?」
「モンスター達は西から南に掛けて進んでいる。北北西へ進んで、沿岸地域まで行けば安全だろう。まぁ、そこまで行かなくても道中で軍に保護してもらえると思うが」
「食い物の余裕は多くないし、非戦闘員も多い。アシもない。脱出行軍は厳しいな」
猟団長の一人が呻く。
「カロルレン軍の支援があれば別だが……」
騎兵は申し訳なさそうに頭を振る。
「外国の有志にこんなことを打ち明けるのは情けないが、軍の支援は期待するな。大災禍の拡大に伴って、マキシュトクの救援も打ち切られてる。今や北東部全域の危機だ。君達のために戦力を割かれることは無いと思う……」
これにはベルネシア義援団もカロルレン冒険者組合員もミョルン村の村長も絶句した。
が、この事実を聞いたベルネシア人冒険者達はむしろ踏ん切りがついたような顔をした。
結局、ミョルン村を陣地強化して持ちこたえる旨を決定し、翼竜騎兵に軍への報告を依頼した。
そして――
「志願者を募ってマキシュトク遠征を行う。決定だな」
猟団長達が首肯する。義援団の幹部達も反対しない。
『カロルレンの国と軍が見捨てたというならば、被災地救援を掲げてこの国へ赴いた我々こそが行かねばならぬ』
一種の使命感と義侠心、それ以上に面目と名誉を刺激されたため、『カロルレンの国と軍が見捨てたのだから、俺達があきらめて帰っても仕方ない』とは考えない。
魔導技術文明世界のこの時代、面目や名誉は極めて重かった。地球史近代でも名誉のために命を懸けてしまう連中は日本人だけに限らない。欧米や中東など世界中で見られたことだった(今でも名誉殺人が横行している連中も居るし)。
個人参加の冒険者達と義援団から若干名、それと、ベルネシア冒険者組合の関係者も参加する。現地の冒険者や行政関係者、カロルレン軍と接触した時に冒険者組合員が必要だった。
そんな中、アイギス猟団からも若いのが参加した。
「猟団の方針としてマキシュトク行きは好ましくない」
ブロイケレンは承服しかねたが、
「アイギス猟団と白獅子の名誉が懸かっていますっ! 行かせてくださいっ!」
と言われては断れなかった。ブロイケレンもやはりこの時代の人間なのだ。
かくして、増強一個小隊規模の遠征隊がマキシュトクへ出発した。
マキシュトクで何が待っているか想像すらせずに。
〇
見捨てられた人々の話をしよう。
大災禍が広域に拡大した結果、マキシュトクへの圧力が減じていた。
水堀に展開した水棲モンスターや一部の中型モンスター達さえ何とかすれば、マキシュトク城壁外へ食料や物資を調達に出られる。あるいは、脱出も。
空輸が打ち切られた当初、タチアナ・ネルコフは落胆のあまり立ち上がれなくなってしまったし、ノエミに至っては自領が大損害を被っていることも手伝って自裁しかけたほどだった。
が、劣悪極まる大沼沢地を縄張りに生きてきたカロルレンの冒険者達は、しぶとかった。既にかなりの数が死体になるかモンスターの餌になったかしていたが、それでも彼らはまだ生きるために動き続けていた。
城壁外に落ちた物資を回収するべく、バリスタの矢にロープをつけて飛ばして釣り上げたり、あるいは、無謀にも城壁外に降りて直接取りに向かったり。
投げ縄を投げてまだ新しいモンスターの死体を釣り上げて飯にしたり。城壁内に進入した飛行種モンスターを仕留めて飯にしたり。タフな奴に至っては死体に湧いた蛆すら食ったり。
もちろん、中の死体から装備をくすねる奴は多い(遺族がいなければ、それこそ下着以外の全てを奪う)。
弱肉強食と適者生存の原則から残った者達ほど精強か狡賢かった。
こうした彼らのしぶとさを見聞きし、タチアナ・ネルコフとノエミも気力を取り戻す。というより、ヤケッパチ気味に立ち直った。
クソッタレが。意地でも生き抜いてやる。軍のクソ野郎共をぶん殴ってやる。
大人達の悲喜こもごもとは別に、小さなヨラは悲しみに打ちひしがれていた。
防衛戦で父が戦死し、臥せっていた祖母も病状が悪化して亡くなった。もう家族揃って故郷の村には帰れない。この頃、小さなヨラは泣いてばかりで笑顔を見せない。ソフィアはそんなヨラを強く抱きしめ、子犬のナルーはヨラの涙を舐めとった。
特に、子犬のナルーはヨラの父と祖母が亡くなって以来、怯える姿を見せなくなった。ヨラとソフィアが寝ている間はきっちり起きて不寝番をし、ヨラを守るように振舞うようになっていた。
ナルーは子犬だ。小さな子犬だ。しかし、ナルーは雄だった。ヌイグルミみたいに小さくても雄だった。ゆえに、戦いへ赴くヨラの父から頭を撫でられた時、臨終の時を迎えたヨラの祖母に頭を撫でられた時、ナルーは誓った。ヨラを守る。己が身命を賭してでも。ナルーは小さな子犬だった。だが、ナルーは真の雄だった。
ヨラの母は夫と義母を相次いで失くしたことに憔悴していたが、それでも幼いヨラを守る務めを放棄しなかった。
それに、ソフィアの兄がヨラの母を支え、ヨラとソフィアとナルーの面倒見ていた。
ソフィアの兄ことヨナスは“防衛隊”に参加して戦い、報酬を受け取りつつ、さらに可食モンスターの死体を回収して食料確保していた。そうした食料と報酬をヨラ達に分け与え、自身は戦死者の武器を剥ぎ取って戦い続けている。
幼くともヨナスは立派な戦士であり、既に一人前の冒険者だった。彼もまた、ソフィアとヨラ達を守るため、命を賭す覚悟を固めていた。歳幼くとも、ヨナスは男だった。勇気の意味も命を懸ける価値も知っていた。ヨナスは既に漢だった。
王国中央と軍はマキシュトクの冒険者や難民、住民達を見捨てたが、彼らは何一つ諦めてはいなかった。この辺りのタフネスこそ、峻厳な地に生きてきた冒険者と開拓民の矜持だろう。
それでも、限界は確実に近づいていた。モンスターの圧力が弱まろうと物資の不足は変わらない。人間は必要なカロリーを摂取できなければ、確実に衰弱死する(ナチスが証明した)。空輸が途絶えた今、マキシュトクは緩慢な死の最中にあった。
軍による大災禍鎮圧が先か、マキシュトクが飢え死にするのが先か。
運命の女神はそんなまだるっこしい話を望みではなかったらしい。
「嘘だろ。そんなのってないぜ」
雨雲から大粒の雨がぼたぼたと降り注ぐ早朝。城壁上で周囲を監視していた見張りが呻く。
濁水の広がる水没原野から巨人が悠然と近づいていた。
巨鬼猿だ。12メートル前後。水没原野の泥濘など物ともせずに進んでくる。
水堀と城壁に全てを委ねているマキシュトクにとって、城壁よりもデカい巨鬼猿は攻城塔と破城槌がワンセットで登場したに等しかった。
「ちきしょう……もしも神に出会ったら、ぶった切ってやる」
城壁上に駆け上ったノエミは、雨越しに巨大な影を睨みながら罵る。
「司祭に聞かれたら尻を叩かれますよ」
ハラルドは笑いながらガントレットの装着ベルトを締め直す。
「先のベルネシア戦役では、彼の蛮族公が一刀の下に切り捨てたとか。試します?」
「か弱い乙女に何させる気だ、バカ野郎」
兜を被り、ノエミは歯噛みして続ける。
「城壁を破られるな……民を退避させよう。いよいよ市街戦だ」
いよいよ終わりだ、とも聞こえる口調だったが、ハラルドは聞こえない振りをした。




