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大陸共通暦1760年:ベルネシア王国暦243年:初夏。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国北部:王都オーステルガム。
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「兄上がお付き合いしている御令嬢をご紹介いただけないので?」
「時期が来たらな」
「婚約するまで待てということですか。了解です」
「生意気な奴め」
「弟は生意気なくらいが良いとか」
レーヴレヒトは久しぶりに再会した兄と詮無い会話をしつつ、窓の外を眺める。
自然豊かな故郷と違い、王都は視界いっぱいに人工物が並ぶ。空には飛空船や翼竜騎兵が飛んでいた。ここでは天も地も海も混雑していて落ち着かない。
「海はもう見てきたか? 随分と久し振りだろう?」
「ええ。思い出と違って生臭かったです。がっかりしました」
率直な回答に兄が笑う。
レーヴレヒトが最後に王都を訪れたのは、母の家族と会った6歳の時だ。その時、生まれて初めて海を見た。当時はその広大さに圧倒されたものだ。
「しかし、水平線を見られたのは良かった。あの先に広がる世界へ赴けると思えば、軍に入ることも悪い気がしません」
母の強い勧めでレーヴレヒトは再来年――基礎教育修了と共に軍士官学校へ入校する予定だった。そして、この時代のベルネシア王国において、士官学校卒の新品少尉は半分が外洋へ送られ、抵抗勢力や武装勢力、敵国植民地勢力と実際に戦う。その『半分』の新品少尉達は大抵が下位貴族の次男坊以下や平民将校達であり、少なからず死傷する。
この時代、既に下級将校は兵と同じ”消耗品”だったのだ。
兄は眉を下げ、言った。
「本当に良いのか? 母上の言う通りにしないでも良いんだぞ。お前は頭がよく回るし、手先も器用だ。軍人以外でも身を立てられるだろう」
「兄上。母上なりに俺の将来を考えてのことでしょう。無碍には出来ません」
レーヴレヒトは静かに首を横に振り、強引に話を変える。
「それで、王妹大公殿下の御屋敷には俺一人で訪ねて良いのですか?」
「うむ。父上は王国府へ参内で忙しいし、俺も予定が合わん。粗相のないようにな。親しくして頂いてはいるが、先方は王族。こちらは木っ端男爵家だ。分を弁え、礼節を尽くす必要がある」
「承知しております」
しれっと気安く応じるレーヴレヒトに、
「頼むぞ、ほんとに……」
兄は心配そうに嘆息をこぼした。
で。
「でっかーい……これは立派な御屋敷……御屋敷? お城?」
同道した侍女が呆気にとられる。
王都郊外にある王妹大公の屋敷は本当にデカかった。ゼーロウ男爵家の代官屋敷も大きいがそれは代官所施設も含めてのこと。王妹大公の屋敷は純然たる個人住宅でありながら、クェザリン代官所よりデカい。
豪華な大邸宅に瀟洒で広大な庭。維持費だけでいくらかかるのか、レーヴレヒトには想像もつかない。
「ようこそ、ゼーロウ男爵御次男殿」
王妹大公ユーフェリアが大豪邸の女主人として相応しく、悠然とレーヴレヒトを歓迎した。
「お久しぶりです。ユーフェリア様におかれましては御機嫌麗しく恐悦至極にございます。此度は訪問のお許しを賜り、御礼申し上げます」
「固い挨拶はここまでにしましょう。よく来たわね、レヴ君」
ユーフェリアは態度を親しげに崩し、レーヴレヒトを屋敷に招じ入れた。
「ゆっくりしていって。後で一緒にお茶をしましょうね」
レーヴレヒトは応接室へ通され、ヴィルミーナの登場を待つ。
応接室にはコルヴォラント様式の絢爛な調度品が並ぶ。クルミの変異樹材で作られたテーブルとイス。飾り棚には美術品。壁には大陸西南方の地中海を描いた風景画。豪華絢爛ながら色彩豊かで柔らかな印象を与える部屋だ。
「華やかだな」と初めて王妹大公屋敷へ足を踏み入れたレーヴレヒトが呟く。
大陸西方メーヴラントのベルネシア人にとって、大陸西方コルヴォラント文化は馴染みが薄い。『豪華さ』という価値観一つとっても、メーヴラント人とコルヴォラント人は違う。
部屋を眺めながら、レーヴレヒトはヴィルミーナから聞いた話を思い出す。
ヴィルミーナの亡き父はコルヴォラント・ベルモンテ公国の第三王子だった。
この第三王子は領地を持っていなかったし、玉座に就く可能性もまずなかった。が、私掠船8隻と交易船12隻の所有者で、私掠船のアガリと交易船の利益で大儲けしていた。ユーフェリアが嫁ぐ前から愛人を11人も囲い、既に8人も子供がいたというから恐れ入る。ついたあだ名が『ベルモンテの海賊王子』『ベルモンテ公王家の種馬野郎』だ。
そんな第三王子はヴィルミーナが生まれて間もなく、愛人とクルージング中に海難事故で逝去。
元より夫を愛しておらず、舅姑や愛人達とは対立していて、コルヴォラントの水が性に合わなかったユーフェリアは母国へ戻ることを即断した。その際、正妻の権限を最大まで(時には過剰に)行使し、遺産をごっそりと掻っ攫い、形見として本屋敷にあった美術品から調度品まで持ち出せるだけ持ち出した。さながら夜逃げである。
帰国の道中、遺品遺産を取り返そう奪い取ろうという愛人達の手勢と激しいドンパチやチャンバラを繰り広げた一件は、後世、冒険譚として広く知られることになる。
レーヴレヒトが部屋の調度品をしげしげと眺めていると、ドアが開く。
王立学園の学生服をまとったヴィルミーナが入室し、レーヴレヒトは安堵に似た面持ちを浮かべた。
一年振り近い再会。ヴィルミーナはますます美しくなっていた。ユーフェリアに似た美貌は一層磨きが掛かっている。平均的な13歳女子より少し背が高いが、中肉中背の範疇だろう。
「久しぶりね、レヴ君。背が伸びたんじゃない?」
「君の方がまだ少し高いようだけどね」
レーヴレヒトは微苦笑を湛えた。じきに成長期を迎え、タケノコの如く背が伸び、筋肉がついていくだろうが、今のところはまだまだ。
無事の再会をひとしきり喜んだあと、ヴィルミーナに勧められ、レーヴレヒトはテーブルに着く。ヴィルミーナの御付侍女がテーブルの上にティーポットとカップ、茶請けを置いて辞していった。
「今日の用向きはアレの件?」
「『ゴブリンファイバー』の件でクェザリン郡自体が耳目を集めてる。今まで密やかにやっていたことが露見するかもしれない。その場合のことを確認に来た」
「あー……そうね。色々やってるもんね……」
ヴィルミーナは整った顔をげんなりと歪めた。
前世覚醒をして以来、ヴィルミーナは注目を集める危険性を考慮し、大々的な開発や製造はしてこなかった。強いて言えば、投資出資を中心とした金稼ぎをメインにしていた。
が、実家の御用商会を通じて物の調達や調査はさせていたし、レーヴレヒトに実験や試作に基礎研究を任せてきた。その成果を掻っ攫われるのは面白くない。
「これまでに蓄積した資料は?」
「もちろん保管してある。まずバレないし、見つけられないさ」
「ちなみに、どこに隠したか聞いても?」
ヴィルミーナが好奇心から尋ねる。も、レーヴレヒトは首を横に振った。
「君はまだ知らなくていい。それよりも、だ」
レーヴレヒトは固い面持ちで告げた。
「ここいらではっきり計画を立てておこう」
「計画?」と不審そうに訝るヴィルミーナ。
「今回の件で思い知らされた。君の前世知識とこの世界の魔導文明技術が合わさると、予期せぬ発明が起きるってことだ」
「それを言われると反論できない。ゴブリンの皮を加工したら、カーボンファイバーモドキが出来るなんて、想像の範囲外だったわ……」
ぼやくヴィルミーナを一瞥し、レーヴレヒトは尋ねた。
「君のデビュタントは、来年、初等部の卒業パーティだったな?」
「ええ」とヴィルミーナは首肯した。
「おそらく婚約申し込みが殺到するだろう。婚姻予定はあるのか? 目ぼしい相手は?」
「ないない」と苦笑するヴィルミーナ。「私は政略結婚しない。お母様の絶対方針よ。王家や王国府が何か言って来ても、そこは絶対に譲らない」
「なら王立学園高等部の四年を使って下地を作ろう。各種工房を買収し、複合的な開発工房を立ち上げる。それなら、君が“やらかし”ても体裁は整う」
「ふむ」とヴィルミーナは考え込んだ。
コングロマリットか。あれは相乗効果が薄いのよね。そもそも上に座る人間が技術的に無教養なパターンばかりで結果、現場を圧迫疲弊させて終わり、という例が殆どだったし。
それならいっそ、商業目的の技術研究開発会社を起ち上げた方が良いかもしれない。
在野の学者、研究者、技術者、職人、技師を搔き集める。とはいえ、資金設備の観点から高等部の四年程度では時間が足りない。十年二十年はかかるだろう。何より、今のままだと資金が足りない。まあ、将来的に半官半民を目指すことも考えれば、国から銭を引っ張れば良いかも。
あるいは、コンツェルン型組織を作るか。純粋持ち株会社を筆頭にして、傘下に各種企業を揃える。一次産業から三次産業辺りまで組織内で仕事を回せれば、一個のパッケージとして商売できるな。既得権益の連中が敵に回るだろうけど、組織経済力で踏み潰してやればいい。
PMCも抱えれば、個人で東インド会社の真似事をやれるやん……イイ。凄くイイ。
ヴィルミーナの中で悪魔が蠢く。
……せや。いまさら何も憚ることなんかあらへん。ここは異世界で近代初期。文明人面した野蛮人共か未開の野蛮人共しかおらん。現代地球の常識も倫理も無価値や。私が欲しいもんを手に入れたかて非難される道理なんないわ。
そや。なんも悪いことあらへん。
スローライフなん冗談やない。ンな萎びた生活ゴメンやわ。私は金も権力も素敵な旦那様も幸せな家庭も全部手に入れたる。
前世覚醒してからウン年め。野心家で上昇志向が強くて強欲な前世人格のままに、ヴィルミーナは自らの目指す道を定めた。
そんな思案中のヴィルミーナを眺めていたレーヴレヒトは思う。
分かり易く悪い顔してんなあ……非の打ちどころのない美少女なのにこの顏芸振りはどうなんだろう……
「その様子だと、考えはあるようだな」
「ま、何とかしてみましょう。資金が絶対数足りないから資金調達が必要だけれど……今、ちょっと動けないのよね」
「何かあるのか?」
「税務局に目を付けられたっぽい」
「稼ぎ過ぎだよ。税金はちゃんと納めてるんだろう?」
「そりゃもちろん。でもまあ、引っ張れそうなら引っ張るのが税務局だからね」
ヴィルミーナは得意げな冷笑を湛えた。
「それでも、やりようはいくらでもあるけれど」
「悪い顔してるなあ」
レーヴレヒトは小さく笑い、持ち込んだ革鞄を開けて革張りの紐綴じノートを取り出した。
ヴィルミーナの無茶振りを受けるようになって以来、レーヴレヒトはいつもノートを持ち歩き、あれこれと記録したり、スケッチしたり、気づいたこと考えたことなどを書き残すようになっていた。
その中身はある意味でパラノイアチックだ。整然かつみっちりと書き込まれた記述。詳細なスケッチ。地形概略図に景観図に簡易地図。図画付百科事典でも自作する気かという有様。
内容は多岐に渡る。森や川の散策、狩猟釣魚に採取の記録。菜園での栽培や農法について。代官所や陣屋町について。ヴィルミーナ関連の試作や実験等々……ある意味で無秩序な内容が、秩序だって記述されている。
なお、ヴィルミーナはこのノートの閲覧を楽しみにしていて、『将来、ゼーロウ手記とか呼ばれる歴史資料になったりしてね』と笑っていた。
レーヴレヒトはノートとスマートな万年筆を取り出す。
「それじゃ、色々細かいところを詰めていこうか」
「あ、まだその万年筆、使ってたんだ」
「君からの贈り物だからな。それに使い勝手も良い」
イケメンめ。小憎いことさらっと言いよる。
万年筆は王妹大公家御用商人を通じて開発させたもので、地球史で言えば19世紀初頭の産物である。その誕生にはインクとペン先の開発製造の下積みがあり、一朝一夕で発明されたものではない。万物の開発には蓄積された歴史がある。
「そうね、始めましょうか」
ヴィルミーナは澄まし顔で御茶を口元に運んだ。
〇
茶室でユーフェリアとヴィルミーナとレーヴレヒトの三人で御茶を飲む。
他愛ない会話を続け、にこにことしていたユーフェリアだったが、ヴィルミーナがメルフィナを紹介するという話へ及ぶに至り、目を瞬かせた。
「え? ヴィーナはそれで良いの?」
「え? 友達を紹介するだけですよ? 問題ないでしょう?」
「「え?」」
顔を見合わせる母娘を他所に、レーヴレヒトは小首を傾げた。
「そのメルフィナ様という方は?」
「ロートヴェルヒ公爵家三姉妹の二番目よ」とヴィルミーナ。
「ああ、聞いたことがあります。大変な美人揃いとか」
「レヴ君。ウチのヴィーナも負けてないからね?」とユーフェリア。
「ヴィーナ様が可憐でらっしゃることは幼少の頃から存じていますとも」
レーヴレヒトがさらりと歯の浮くセリフを言った。が、ヴィルミーナは照れもしない。お世辞と割り切っている。
その様子にユーフェリアは眉を大きく下げた。ウチの娘はちゃんと婿を取れるのかしら……
もっとも、ヴィルミーナがレーヴレヒトをメルフィナに紹介する機会は、少しばかり先へ延びることになった。
この日の帰り、レーヴレヒトが襲撃されたからだ。