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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第2部:乙女時代

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129/336

12:3

大陸共通暦1769年:ベルネシア王国歴252年:春。

大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム

――――――――――――――――――

 ヴィルミーナはカロルレン支援で商売する気がなかったから、物資関係についてはほとんど手を付けていない。冒険者派遣で猟団を送り出したが、こちらも利益を上げること自体は考えていなかった。あくまでPMC創設のため、将来の布石であり、未来への先行投資だ。


 この時期において、ヴィルミーナの関心は既存事業と既存の縄張り内のことへ向けられており、特に動力機関搭載試験船のオーステルガム湾内実地試験へ注意を向けていた。


 そも、カロルレン王国に大型種の竜が出たと言われても、モンスターの類に疎いヴィルミーナにはいまいち脅威度が把握できない。


 ヴィルミーナはリビングに書物を持ち込み、竜に関して調べ始める。

 ソファにもたれかかって黙々と書物を読み進めるヴィルミーナを余所に、レーヴレヒトは子犬のガブをブラッシングしていた。

 不意に書物から顔を上げ、ヴィルミーナは大きく息を吐いた。

「……途方もない生物なのね、大型種の竜って」


 ※    ※   ※

 大型種の竜は数多のモンスターの中でも別格である。

 魔導技術文明世界の生物ヒエラルキーの最上位層に位置する生物だ。


 大型種の竜、その代表種である大飛竜種の場合、その図体は二次大戦時の四発重爆撃機サイズ――全長全幅が20メートル以上、体重20トン前後に達する。


 これほどの生物が陸上に存在し、あまつ空を飛ぶという事実は地球生物学的常識に対する挑戦とさえ言えよう。

 なお、大洋の海竜種になると、それこそ原子力空母やスーパータンカー並みの奴がいて、クラーケンをオヤツにしてやがる。


 もちろん、このサイズの生物になると、ゲームみたいにチャンバラで勝つことは絶対に不可能だった。いかなる手段を持っても人間の持ちえる刀剣類で致命傷――皮膚と脂肪と筋肉と骨を抜いて主要臓器を傷つけるなど出来ようはずがない。


 魔導術がなければ。


 身体強化魔導術を施し、魔導術を付与した魔鉱合金や金剛鋼製などの武具を扱えば、人は竜を屠れる。モン〇ンみたいにチャンバラで倒せる。実例もある。


 では、その実例を挙げてみよう。

 大陸共通暦12世紀。

 時のイストリア連合王国は領土拡大のため、とある大飛竜の住処へ攻め込んだ。


 当時の高位魔導装備で身を固めた上位冒険者と精鋭騎士で2000名、一般兵と軍夫合わせて4000名。高位魔導士300名。選りすぐりの翼竜騎兵200騎。加えて大型弩(バリスタ)大型投石機(トレビュシェット)など各種攻城兵器を動員した。

 中世大陸西方においては破格の軍勢である。


 結果は、冒険者と騎士の損害1700名。一般兵と軍夫の損害800名(逃亡者が2000名以上出た)。高位魔導士の損害190名。翼竜騎兵の損害80騎。各種重装備の損失。


 それでも、彼らは竜の討伐を成し遂げた。ヤッパと魔導術だけで。

 余談ながらこの損害が元で、イストリアは後の戦争に敗北。せっかく得た土地を敵に奪われている。世知辛いね。


 銃砲が開発されてからの例も挙げておこう。

 直近の共通暦1745年。

 聖冠連合帝国軍は出没した大飛竜を要塞付近に引き寄せ、火砲の集中射を浴びせた。火砲の中には当時の最大口径に当たる22センチ要塞砲もあったし、砲弾には金剛鋼をふんだんに用いた特製砲弾も用意されていた(眼が眩むほど高価だった)。


 これらの集中砲火により、聖冠連合帝国は大飛竜を――追い払った。

 そう。火砲の集中弾幕射撃は竜を殺せなかった。


 通常の砲弾では直撃しても鱗や皮を焦がしたり、削ったりするだけで貫通できなかった。要塞砲の特製砲弾は竜を失神昏倒させることは出来たが、殺害には至らなかった。何よりも、当たらなかった。大飛竜は地に降りてもなお運動能力が高く、当時の未熟な砲撃技術では正確に命中させることが難しかったのだ。


 少なくとも現行の火砲で竜を殺すことは難しく、竜を殺すには高位魔導装備で身を固めた冒険者や騎士、各種状況に対応できる高位魔導術士を大量投入した肉弾戦術しかない。

 これが現状の竜に対する戦い方だった。


※    ※    ※

「こんなの命がいくつあっても足りないわね」

 ヴィルミーナは麗しい薄茶色の髪を弄りながらぼやく。

冒険譚(ものがたり)では、フランツ叔父様が一人で大飛竜を倒したことになっているけれど、実際には無理でしょうねえ……」


「殿下がいくら英傑でも大飛竜を単独撃破は無いよ」

 レーヴレヒトは苦笑いをこぼしながらガブのブラッシングを終えた。ブラッシングから解放された子犬のガブが早速ヴィルミーナの許へ駆け寄っていく。


 ヴィルミーナは足にじゃれ付いてきたガブを抱き上げ、膝の上に乗せて慈しむように頭から背中を撫でる。

「大飛竜を一頭仕留めれば、七都市を養えると言われるほどの富を生むそうだけれど、この損害と諸々コストを考えると、割に合わない気がする」


「それは竜に限らないよ。大型種モンスターの狩り全般に言えることだ」

 レーヴレヒトはヴィルミーナの隣に腰掛け、

「大型種モンスターは小中型種と隔絶した存在だ。戦時中にフランツ殿下が巨鬼猿(トロール)を狩ったけれど、あれだって100人以上の高位冒険者達が一緒にいたからこそだよ。殿下単独では流石に無理だったと思う」

 やや険しい面持ちで告げた。

「もしも、ヴィーナが送った猟団が竜狩りに駆り出されたなら、犠牲は免れないと思う」


「……なんですと」

 言われてみれば、その通りや。あかん。猟団に連絡して竜狩りには関わらないよう徹底させへんと。大事な人材を空飛びトカゲに食われてまう。


 顔を蒼くしながら百面相するヴィルミーナを見て、レーヴレヒトは思う。いつ見ても何度見ても飽きないなあ。子犬のガブも主の表情変化をまじまじと見つめていた。


 ヴィルミーナはガブをレーヴレヒトに預け、

「すぐに手を打たないとっ!」

 そう言うが早いか、立ち上がって玄関ホールへ向かって歩き出す。

「メリーナッ! 馬車を用意してっ!! 小街区オフィスに向かうわっ!!」


 にわかに慌ただしくなる王妹大公屋敷。

 レーヴレヒトは膝に乗せたガブと顔を見合わせ、言った。

「なんだか大変なことになっちゃったな」

 ガブが同意するように小さく鳴いた。


         〇


 ベルネシアのカロルレン義援団は、北洋沿岸航路でカロルレン入りする予定だった。事前協定の関係上、アルグシア連邦の港湾に一度立ち寄り、積み荷の臨検を受ける。武器弾薬の供給がないかの確認だ。


 なお、ベルネシア側の役人や警備員も立ち会うから、積み荷や船員の私物をちょろまかすことは出来ない。


 臨検で問題になったのは、カロルレン入りする冒険者達とその装備と物資だ。

 冒険者はパートタイムの傭兵になるし、高位魔導装備は立派な武具だし、狩猟用とはいえ対大型種用銃砲は十分な兵器だった。


 両国の役人と義援団の幹部達がやいのやいのと話し合う中、船舶内で待機を命じられた冒険者達は退屈そうに甲板からアルグシアの港町を眺める。

 アルグシアは冒険者達の下船を許さなかった。警備兵までおいてやがる。


「俺達を海賊かなんかと思ってるのかね?」

「単純に嫌がらせじゃない? そもそもアルグシアとは敵対してるしさ」

 ベルネシアと白獅子の船旗を掲げる輸送船の甲板で、『アイギス猟団』の面々は港町を眺めたり、釣り糸を垂らしたり、筋トレをしたり、盤遊びや札遊びなどをして時間を潰す。


「しっかし……ショボいな。オーステルガムと比べたら田舎の漁村みたいだ。ここがアルグシアの主要港ってホントなのか?」

 冒険者の一人がアルグシアの港町を眺めながら呟く。


 アルグシアの港町はそれなりに整備されていたが、その規模も質もオーステルガムの足元にも及ばない。まあ、大陸西方有数の大港湾都市オーステルガムと比べては、見劣りして当然だが。


 港に停泊している船舶の数と大きさ。起重機のサイズと数。倉庫の数も街の規模。全てがオーステルガムに劣っていた。しかも、起重機は人力式だった。ベルネシアでは水力式が普及し、蓄圧器さえ用いられている(ベルネシアは北部干拓事業の関係から、水力や風力の技術開発に余念がない)。


 変わらないのは海鳥の種類と商魂のたくましさくらいか。アルグシアの商人達は漁船や小舟を出してベルネシアの輸送船に近づき、水上商売を始めた。


 ベルネシア人達は喜んで新鮮な野菜や肉、酒などを買い入れた。気の早い奴は往路だというのに、土産物を購入している。


 そんな中、猟団代表者達が義援団の旗艦に集まって会議を催していた。

 議題はもちろん、本国から魔導通信で知らされた『大飛竜、出没』に関してだ。


「率直に聞くが、我々で大飛竜を狩れるか?」

 まとめ役として随行したベルネシア冒険者組合の幹部が問う。も、誰も答えない。雄弁な沈黙だった。

 しばらくの沈黙後、猟団長達が自身の見解を口にしていく。

巨鬼猿(トロール)鷲頭獅子(グリフォン)くらいは想定してきたが、大飛竜は無理だ」

「ウチは小物狙いだ。小鬼猿(ゴブリン)を山ほど仕留めるつもりで来てる。重装備は持ってきてない」


 ゴブリンファイバーの原料として小鬼猿の素材価値は上がっていた。が、これはベルネシア国内の話で、他国では相変わらず二束三文。つまり、カロルレンで安く手に入れてベルネシアに持ち帰って高く売る。商売の基本戦術。


「俺のトコは水棲モンスター用の装備しか持ってきてないぞ。やれても大亀竜(タラスク)か泥魚竜くらいだな」

 大亀竜も泥魚竜も大きな竜種だが、亜竜種。大飛竜と比べるべくもない。


 他も似たようなものだった。つまり小中型種を数こなすか、大型種を数匹仕留める目算で準備しており、大飛竜という一種の災害とやり合う用意も心構えもしていなかった。

 猟団でこの状態であるから、個人参加や少人数パーティの連中に至っては、言わずもがな。


 アイギス猟団長ブロイケレンも口を開く。

「ウチは大飛竜討伐に参加しないと明言させてもらう。もしも駆り出されたとしても、尻尾巻いて逃げ出すつもりだ。戦力として当てにしないでもらいたい」


「首輪付きは意気地がねェな。立派なのは見てくれだけか?」

 独立系猟団の団長――山賊の頭目にしか見えないおっさんが挑発するが、ブロイケレンは気にも留めない。

「ご指摘の通り、我々は首輪付きだ。飼い主の意向には逆らわない。我々は空飛びトカゲ相手に命を張らなくてもしっかり稼げるのでね」


 ちっ! と挑発に失敗した団長が舌打ちする。

 他の独立系団長が羨ましそうな、妬ましそうな目でブロイケレンを見た。独立系猟団は基本的に自転車操業だから、ブロイケレンの言う『危ない橋を渡らずとも稼げる』ということが羨ましく妬ましい。


 微妙な雰囲気の中、年若い猟団長が言った。

「カロルレンに現れたんだから、カロルレンの連中にやらせりゃ良いさ。俺達は狩猟遠征(ハンティングツアー)なんだからよ」

「現地から大飛竜狩りに参加を要請されたら? あるいは、強要されたら?」


「前者は断る。後者はずらかる。それだけさ。個人参加の連中はそれこそ自己責任だろ。冒険者たる者、手前の命は手前で守るもんさ」

 猟団長達が頷く。

 冒険者稼業は自己責任。死ぬも生きるも本人が決めること。世に冒険者商売が生まれて以来、不変の大原則だった。


 まとめ役の冒険者組合幹部も大きく首肯し、皆を見回しながら告げた。

「では、ベルネシア冒険者組合として、大飛竜狩りは前提として拒否。ただし、個人参加は自己責任で参加を認可する。以上、よろしいな?」

 再び沈黙が訪れた。賛同の沈黙だった。


 会議が終わり、ブロイケレンは白獅子の船に戻る。

 元軍人が一定数いる関係で、半ば軍隊染みた規律を持つ『アイギス猟団』は暇を持て余していても、だらけない。なんせ口やかましい先任下士官染みた役どころまでいる。


 50代の元海軍曹長ショルツは常に怒鳴り声をあげている。身だしなみを整えろ。髭を剃れ。装備の手入れを怠るな。まるで生活指導教諭だ。


 だが、彼の存在は確かにアイギス猟団の規律保持に貢献していることも確かだった。年頃の男女が狭い空間に閉じ込められていても、シモ事情のトラブルが生じていないのは、彼の口喧しさのおかげだ。


「団長。会議はいかがでしたか?」

 組織内序列こそ結束と規律の根底と考えるショルツは、元冒険者のブロイケレンに敬意を欠かさない。だから、ブロイケレンもショルツを信頼する。


「予想通りだったよ。大飛竜狩りには関わらない。ベルネシア冒険者組合の総意だ」

「ありがたい。カロルレンのために無理はしたくありませんからな」

「しかし、現地では否応なしに巻き込まれることもあり得る。その辺りのことを幹部で話し合っておこう。班長以上の者を集めてくれ」

「了解しました。すぐに」


 ショルツは敬礼し、ブロイケレンの元を離れていった。

 ブロイケレンが甲板上に視線を巡らせると、若い団員が釣竿を勢いよく上げる。

餌を取られていた。


        〇


 さながら中世の農民一揆のようだ。

 雑多な甲冑や防具で身を固め、刀剣や槍や斧や戦鎚や弩弓を握り締め、盾を担いだ冒険者達。

 統一された装備を持つマキシュトク警備隊。

 それからありあわせの武器を抱える一般人達。

 誰も彼も不安と恐怖と怯懦で顔を蒼く染めていた。


「全員、聞けぇいっ!!」

 今やマキシュトクの全責任を負っている代官代理のタチアナ・ネルコフが、城壁の上から広場に集結した“防衛隊”と人々へ向けて絶叫した。


「我らに逃げ場はないっ! 守り抜くか、死ぬかだっ! 我らの子、我らの家族、我らの街は我らが守らねばならないっ! 生き抜きたければ戦えっ! 戦って戦って親兄弟肉親のために死ねっ! 我らに神のご加護をっ!!」


 モンスターの群れがマキシュトクへ到達したのは、この日の朝だった。

 タチアナ・ネルコフはここに至り、腹を括る。

 越権を承知で難民をマキシュトクへ収容し、住民と難民から戦闘可能な男女を徴収。迎撃の準備を始める。同時に、戦闘に不適当な男女を使って市街内の後方支援体制を作らせる。

 もちろん、街のキャパシティを超える難民を収容するのだから、その応対にも苦労が尽きない。


 さらに、タチアナ・ネルコフ自身も数年振りに甲冑を着込み(体型変化で装着に難儀した。特に腰回り)、剣を掲げて皆を鼓舞して回った。絶望的状況下では精神論以外に頼れるものは存在しない。指揮官の率先垂範が不可欠だった。


 ちなみにここに至っても代官は寝室から出てこなかった。

 激怒したタチアナが部下と共にドアを蹴破ると、服毒死した代官と愛人が発見された。責任の重圧に屈した彼は肉欲に逃げたが、絶望に駆られて現実からも逃げたらしい。ご丁寧にアレの最中に服毒したようだ。『失楽園』ですな。不倫話の方の。


 タチアナは手配して代官の死体をさっさと埋めた。公式には『体調不良で動けぬことを悔いての自裁。最後の言葉は皆の生存を願っていた』と発表した。嘘も方便。


 そして、昼が過ぎた今。


 小鬼猿。猪頭鬼猿。魔狼。昆虫類や両生類や爬虫類の捕食性モンスター。空は鳥類と昆虫類の捕食性モンスター。普段は食物連鎖の闘争関係にあるモンスター達が一致団結したようにマキシュトクへ襲い掛かってきた。


 大災禍の本流がいよいよ到達したのだ。


 城壁上に展開する“防衛隊”は恐怖の光景を目にした。小型中型モンスターの大群がマキシュトクへまっすぐ押し寄せてくる。多種多様な叫び声を上げながら、目を爛々とギラつかせ、爪牙を剥いて迫ってくる。


 怪物の津波。化物の嵐。

 万に一つ、この悪夢的光景を撃退できたとしても、この化物共の亡骸が疫病とさらに恐ろしい怪物を招き寄せるだろう。


 ある意味で、マキシュトクはこの日、詰んだのだ。

 それでも、生きるための努力を放棄する理由にはならない。


 タチアナ・ネルコフは剣を掲げ、ヤケクソ気味に怒鳴り叫ぶ。

「総員、戦闘開始っ!! 神のご加護をっ!!」


     〇


「クソ、遅かったかっ!!」

 ノエミは歯噛みした。四苦八苦の悪戦苦闘の末、マキシュトクの近傍に到達した彼女が目にしたのは、夥しい量のモンスターに襲われている小城壁都市の姿だった。


「あれじゃあ、物資の搬入が出来ん」

 泥塗れのヴィルヘルムが呻くように言った。


 自分達の手勢だけではどうにもならない。軍の派遣が必要だ。それもボンボン軍団ではなく、本物の職業軍人達の軍隊が。


「モンスターは半包囲状態のようです。裏手からならまだ、物資の搬入はできるかも」

「だが、入れば出てこられなくなるぞ」

 なおもマキシュトク救援を諦めないノエミに対し、ヴィルヘルムは消極的だった。領主としての冷徹性が、マキシュトクが手遅れだと判断させていた。


「そのまま守勢に加われば良いでしょうっ!」と食い下がるノエミ。

「馬鹿を言うなっ! 奴らがマキシュトクを平らげれば、次は我らの領地ぞっ! その時、領主が居らんでどうするっ!」

 ヴィルヘルムは遠い遠い血縁者のノエミを諭すように言った。

「ワシらが責を負うはマキシュトクの民ではない。自領の民だ。そこを忘れてはいかん」


「ヴィル小父貴、あたしらは貴族だっ! 民を守る義務があるっ!」

「その民とは自領の民のことだっ! 他領の民のことまで責任を負えるかっ!」

 封建的意識の強いヴィルヘルムと、啓蒙主義的なノエミでは根っこの意識が違う。


 戦国時代の領主達が自領のことしか考えなかったように、ヴィルヘルムも自領が第一だった。当然だ。自領をおろそかにする領主に、領民はついてこない。


 近代啓蒙主義を強く持つノエミは、より大きな枠で物事を考えていた。民を救わぬ貴族の存在を、民がいつまでも許すわけがない。ここでマキシュトクを見殺しにすれば、国中に反貴族意識が伝播するかもしれない。マキシュトクの扱いこそ、カロルレン貴族制の分水嶺だと。


 ミクロかマクロか。両方取れないなら、どちらを為すべきか。正答はない。どちらを選んでもクソを被ることになる。


「後ろを振り返れ、ノエミッ! お前の身勝手な信念のために、忠良な部下達を他領のために死なせるのかっ!」

 ヴィルヘルムに一喝され、ノエミは我に返ったように身を強張らせた。

「でも、でもヴィル小父貴、ここでマキシュトクを見捨てたら……」


 傷ついた面持ちを浮かべたノエミに、ヴィルヘルムは言葉を重ねる。

「お前の言い分は理想だ、ノエミ。美しい理想だ。ワシはお前のような若者がこの国に居ることを誇らしく思う。しかし、この非常時においては美しい理想より、醜い現実に則さねばならん」


 ノエミは血が滲むほど唇を強く噛み、考え込む。ヴィルヘルムの意見が実務的に正しいことは分かる。でも――

「……ダメだ。やっぱりダメだ。ここで誰かが示さなきゃダメなんだ」

 ノエミは部下達へ告げる。声が震えていた。

「志願者を募る。家族持ちは抜きだ。私と共に戦う者は居るか」


 忠良なるノエミの騎士達は、家族持ち以外の全員が一歩前に出た。家族持ち達にしても口惜しそうだった。


「バカッタレ共め。勇気の値打ちが分かっておらん」

 ヴィルヘルムは吐き捨てた。そして、自身の輜重隊へ告げる。

「わしらは引き返すっ! だが、オルコフ女男爵の愚行に付き合える奴はおるかっ!?」


 何人かの兵士達が一歩前に出た。ヴィルヘルムの息子と甥の中からも。

「親父。ラランツェリン子爵家の名誉のためだ。行くよ」と三男坊が笑う。

「俺はどうせ穀潰しですし。ま、暴れてきますよ」と四番目の甥も笑う。


 ヴィルヘルムは舌打ちし、腰の剣を鞘ごと外して三男坊に渡し、甥には自身の槍を与えた。

「お前らの人数で運べるだけの馬車を連れていけ。残りはワシと共に引き返らせる」


 大きく溜息を吐いたのち、ヴィルヘルムはノエミへ右手を差し出した。

「幸運を祈る。お前さんに神のご加護があらんことを」

「ごめんなさい、ヴィル小父貴。でも、ありがとう」

 ノエミはヴィルヘルムの右手を握った。


 そして、彼らは分かれ、それぞれの目指すところへ向かう。

 この別れが彼らの今生の別れとなった。


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