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大陸共通暦1769年:春
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結果として、小さなヨラ達が無人の村で過ごした時間は短かった。
最初のモンスターの襲撃を撃退した後、殺したモンスターの死臭や食事の臭い、排泄物の臭い、着の身着のまま避難を続けていた彼ら自身の体臭、こうした臭いがモンスター達や獣を引き寄せてしまったからだ。
こんな所にはいられない。無人の村で木材やロープなどを失敬し、筏をこさえて氾濫した川を強引に渡河する。マキシュトクへの強行軍は想像をはるかに超える強行軍となったが、それでも、ヨラの村の避難者達はマキシュトクを目指した。
無人の村で彼らは痛感した。
大沼沢地の中に留まっていたら死ぬと。マキシュトクへ行かない限り助かることは無理だと。
強行軍に付いていけず脱落者が続いたし、渡河中に落水して命を落とした者もいる。それでも、村人達は進み続けた。飢え渇き、疲れ果て、衰弱した体に鞭打つように、ひたすら泥濘の中をもがくように進む。
小さなヨラも子犬のナルーを抱きかかえて歩く。ナルーの温もりがヨラを支えていた。
ヨラの祖母がへたり込み、息子である父へ置いて行けと涙ながらに告げる。足手まといになりたくないと。両親とヨラが説得し、ナルーが祖母の涙を舐め取り、祖母を奮い立たせようとするが、希望を失くした祖母は動けない。業を煮やした父が祖母の反対を押し切り、祖母を背負った。
余所の家族も似たようなものだった。老いた両親を担ぐ者。幼な子を担ぐ者。あるいは……歩けなくなってしまった家族と運命を共にした者……
ヨラ達の姿は遠目には幽鬼の群れが行進しているようだった。
地獄の中を彷徨する幽鬼の群れ。
そして、ついにヨラ達の視界にマキシュトクの輪郭が仄かに映る。
村人の数は既に60名強まで減っていたが、それでも村人達の顔がようやっと明るくなった。足取りも心なしか軽く速くなっていく。
―――が。運命の女神は持ち前の陰険さと性悪さを発揮する。
マキシュトクに近づき、徐々にその姿が鮮明さを持つにつれ、村人達の顔が強張っていく。足取りが勢いを失い、少しずつ再び重くなっていく。
なぜなら。
マキラ大沼沢地内にある唯一の都市マキシュトクは、大沼沢地内から押し寄せた避難者を収容しきれず、その防護城壁の外に難民キャンプが出来ているような有様だったからだ。
中近世期の大陸西方では二つの理由から都市に城壁が築かれた。
一つは人間同士の戦いに備えて。もう一つはモンスターの襲来に供えて。
マキシュトクは明らかに後者だった。
軟弱地盤の関係か、城壁の背丈は高くないが、木造の張り出し櫓や見張り櫓が大きい。城壁を囲むように幅広の水堀を巡らせてあった。
城壁内の建物は基礎と基部だけ石造りや煉瓦製で、屋根や壁は木造だった。地盤が柔いから少しでも建設時の負担を軽くしようという試行錯誤だろう。
そのマキシュトクの城壁外、特に正門付近を中心に大中小様々な天幕が並ぶ。炊事や暖を取るために焚かれた火が幾重幾層もの煙を昇らせていた。その規模から察するに、街に収容できなかった避難民は少なく見積もっても1000を超えるようだ。
小さなヨラはこれほど大勢の人間を目にしたことは初めてだった。これまでヨラの世界は開拓村と大沼沢地の光景で完結していた。村人より多い数の人間を見たことがない。
そして、城壁外に留め置かれている避難民達の顔はどいつもこいつも悄然としており、世界恐慌中の失業者より酷い不景気面だった。
ヨラの村の村長や男衆が途方に暮れた面持ちで呆然としていると、マキシュトクの警備兵らしき連中がやってきて、警備隊長と思しき疲れ顔の男が村長に問う。
「代表者は?」
「へえ。手前が村長を務めております。エベト沼の開拓村から来ました」
「そうか。大変だったな……すまんが、見ての通りだ。街の中へは入れられん。入れてやる余裕がないんだ」
「そう、ですか……」
村長の肩が力なく下がる。街の様子が見えた辺りから想像はしていたが、いざ断言されると堪えた。
「食料や水は手に入るのでしょうか?」
「食い物はこっちが欲しいくらいだ。ここまで来たなら分かるだろう。道が使えないし、橋も流された。余所から物資が届かない。水だけは朝昼晩の三回支給しているが、食い物は可食性のモンスターや動物を狩って食ってる有様だ」
「そんな……」
村長の声は力なく萎んでいく。ここに来れば、食い物が手に入ると思っていたのに……
そんな反応は見飽きているのだろう。疲れ顔の警備隊長は淡々と話を進める。
「村長、字は書けるか?」
「へえ。難しい文章は書けませんが……」
「この町まで到着した住民名簿を作ってくれ。それと、死んだ村人の分も。行政上、記録を作らないとならん。それから、村単位でまとまっていてくれ。喧嘩騒ぎが起きても俺達には収拾をつけられない」
……治安も悪いのか。村長はますます気鬱になった。
「あの赤いテントが見えるか? 城壁外難民キャンプの代表会だ。あそこに行って腰を落ち着ける場所の割り当てを受けろ。名簿が出来たら、提出してくれ」
警備隊長は言うだけ言って、兵士達共に去って行った。
村長は一層憂鬱になりながら、不安顔の村人達の許へ戻る。これから事情を説明した時の反応を思うと、膝をつきたくなった。
そんな恐るべき事情を知らない小さなヨラは、疲れ果てた祖母の隣に座って無邪気に話す。
おばあちゃん。こんな人がいっぱい居るの初めて見たよ。すごいなあ。
祖母はマキシュトクの状況を察しながらも、ヨラの頭を優しく撫でながら微笑む。そして、ヨラへ告げた。
いいかい、ヨラ。人がいっぱいいるところだと迷子になり易い。どこかへ行く時は必ずお父さんお母さんか、おばあちゃんと一緒に行くんだよ。迷子になったら二度と会えなくなっちゃうからね。それと、ナルーを絶対手放しちゃいけないよ。いつも一緒にいるんだ。約束できるかい?
祖母の真剣な眼差しに、小さなヨラは大きく頷き、子犬のナルーをぎゅっと抱きしめた。
〇
マキシュトク城壁外難民キャンプは喧嘩や諍いが絶えなかった。しかし、いずれも軽犯罪の域を出ず、重犯罪は懸念されたほど発生していない。
難民キャンプに秩序が形成されていたからだった。
マキラ大沼沢地は大陸西方有数の冒険者産業地域。この関係でマキシュトクには大きな冒険者組合があった。
マキシュトク代官は躊躇なく冒険者組合へ協力を求めた。
冒険者組合にしてみれば、城壁外難民キャンプの管理監督を押し付けられただけだったが。
それでも、冒険者組合は責任から逃げ出さなかった。組合権限を用いて冒険者達を組織化し、難民キャンプの治安維持業務と食料等物資調達業務へ振り分けた。
難民達には食料を提供する代わりに、インフラ整備や難民キャンプ内の管理機構の構築を行わせた。
大災禍対策? そんなもの不可能だ。生きるだけで精一杯。
冒険者達はこれらの業務を実質的にタダで請け負わされた。状況が状況だから仕方がないが……王や貴族がしっかり義務を果たしていればタダ働きしないで済んだのに、と不満を抱いた者は少なくない。
こうした冒険者組合の悪戦苦闘のおかげで、難民キャンプは何とか維持されている。
が……あらゆるものが不足している事実は動かなかった。
街の中も外も一日一食の状態だった。薬品関係は一部の金持ち達の許にしか行き届かなかった。もちろん、これだけの人間が一か所に集まれば、薪だってすぐに欠乏する。排泄物の処理だって大問題だし、衛生状態の悪化に伴う疫病の発生と蔓延は喫緊の課題だった。なんせ既に赤痢が発生していた。放置すれば加速度的に死者が増えていく。
これらの問題は冒険者組合はもちろん、マキシュトクの行政組織が扱える規模をはるかに超えていた。彼らがどれほど努力しようとも、対処不可能だった。
決定的な問題は、助けが来ないことだった。
マキシュトクの代官所に置かれた魔導通信器は同じやり取りを延々と繰り返している。
『救援はまだかっ!?』
『今少し待て』
「こんな通信器ブッ壊してやぁあああるっっ!!」
キレた代官が魔導通信器をぶっ壊そうとして、職員達に取り押さえられた。この後、代官は若い愛人と共に寝室へこもってしまい、出仕しなくなった。
責任の重さに潰れた者は他にもいる。役所でも冒険者組合でも難民キャンプでも、重圧に耐えきれず自殺した者が何人か出ていた。
そんな真綿で締め付けられている状況の中、小さなヨラは友達が出来た。
ソフィアという少し年上の少女で、ヨラが他所の村の子に絡まれていたところを助けてくれた。
ソフィアは余所の開拓村の貧農の子で、両親は避難の道中に命を落としており、今は兄と二人だけらしい。
その兄は幼いながらも冒険者達に荷物持ちとして同行し、食料集めに奔走している。極めて危険だったが、その分割り当て食料が増えるし、インセンティブ――ポケットに収まる分なら持ち帰って良い――があった。
ソフィアの兄はヨラの両親に「僕が仕事中、妹を預ってくれるなら食料を融通する」と交渉してきた。
なんでも、ソフィアの父親は村で評判が悪い飲んだくれだったらしく、ソフィアと兄は両親の死後も村八分の扱いを受けていた(村という社会集団は逸脱者に厳しい。これは万国共通だ)。
このため、自分が働いている間、ソフィアの面倒を見てくれる人がいないらしい。
説明を聞き、交渉に合意したヨラの両親が「しっかりした子だ」と感嘆を漏らした。
支給される食糧は大抵がモンスターの肉で、調味料も不足していたから、お世辞にも美味しくなかった。
「マメのスープよりはマシだよ。モンスターでも肉は肉だからね」とソフィア。
なお、貧農の家で食べられるマメのスープとは、豆を水で煮ただけの物で、味付けはない。美味い不味い以前の代物である。
ソフィアはややもすれば気性が激しいところもあったが、ヨラには優しかったし、子犬のナルーをすぐに気に入った。二人はあっという間に姉妹のように仲良くなり、子犬のナルーもソフィアを大好きになった。
マキシュトクの上空に翼竜騎兵が見えたのは、ヨラの祖母が体調を崩した頃だった。
この時、街も難民キャンプも歓声に包まれた。ついに助けが来たのだ、と。
しかし、翼竜騎兵は降りてこず、街中に連絡用金属筒を落として引き返していった。失望の溜息がこぼれたが、それでも皆、希望と期待を抱いた。
いよいよ助けが来る。この苦しい時間が終わる。
ところが……助けは来なかった。
冒険者達とモンスターの接敵距離は少しずつマキシュトクに近づいていた。難民キャンプでは赤痢と肺炎の罹患者が急カーブを描いて増加し、死者が増え続けている。城壁内でもやはり死者は増え始めていた。
この状況に、誰もが憤慨と憤懣と失望と絶望を覚えていた。
なぜ王は我らに助けを寄こさないのか。このままここで死ねというのか。自力で他領へ脱出するしかないのか。誰も助けてはくれないのか。我々が何をしたというのだ。何の謂れがあってこんな仕打ちを受けねばならないのだ。
難民キャンプだけでなく、マキシュトクの住民達からも王と貴族、国への非難が公然と聞こえ始めていた。
もちろん、そんなことは小さなヨラや少女のソフィアには無縁のことだ。二人はボロ天幕の中で臥せってしまった祖母の世話をしつつ遊んでいる(これが二人の仕事でもあった)。
この頃、ヨラの両親は難民キャンプ周辺の雑役に従事して食料や物資を得ていた。ソフィアの兄は荷物持ちだけでなく、狩りそのものに参加し、さながら児童歩兵紛いのことをしていた。
誰も彼もが必死だった。
それは彼らを助けようとしていた者達も同じだった。
〇
「親父っ! 停まってくれっ! またハマったっ!」
背後から届く息子の怒号を聞き、ヴィルヘルムは馬上で器用に地団太を踏む。
「クソッタレめ。これじゃいつまで経ってもマキシュトクに着けんっ!!」
ドワーフの鍛冶屋みたいなヴィルヘルム・ラランツェリン子爵は輜重隊を率いてマキシュトクを目指していたが、その道程は困難の連続で日に4キロも進めなかった。
マキシュトクへ通じる街道は冠水して深い泥濘と化し、物資を満載した荷車はすぐ泥にハマってしまう。魔導術で道路を凍結させてソリで引いた方がまだマシだった。渡河の場合はさらに困難を伴った。なんせ水中には水棲モンスターがうようよいて架橋作業が捗らない。
また、この過酷な労働条件に魔導術士達が疲労消耗してしまったことも、行程を鈍らせていた。
加えて……竜だ。
大型種の竜がマキラ大沼沢地に流れてきた。
この情報はヴィルヘルム達を大いに慄かせた。なんせ大型種の竜はモンスター・ヒエラルキーの最上位層に君臨する怪物だ。そんなのに襲われたら良くて全滅。悪くて殲滅である。
ヴィルヘルムはじりじりとした焦燥感を覚えつつ、怒鳴った。
「手透きの奴は牽引の準備を手伝え。急げっ!!」
ヴィルヘルムが物資輸送に悪戦苦闘している間、女蛮族染みたノエミ・オルコフ女男爵は手勢を率いて街道周辺のモンスター駆除に奔走していた。
ノエミの手勢は騎兵も歩兵も皆、甲冑を着込んでいて、刀剣類で武装していた。銃兵はおらず弓兵達が対モンスター用の大きな弩や弓を担いでいる。なお、騎兵は馬ではなく騎乗用烏竜にまたがっていた。なんとも中世ファンタジーゲームっぽい集団だった。
小鬼猿の群れを手早く蹴散らし、ノエミは兜のバイザーを上げ、汗を拭う。
ノエミの甲冑は翼竜の甲殻と硬皮革で作られたものだ。魔鉱合金製より防御性や魔導効果が低いが、軽くしなやかで疲労を抑え易い。それでも戦闘に次ぐ戦闘で消耗が激しい。
モンスターの襲来は日に日に激しさを増していた。竜が出没したせいだろう、とノエミは推察する。大型種の出没は生態系に影響を与え易い。竜ともなればなおさらだ。
おそらく、とノエミは水筒を口へ運びながら考える。
竜はマキラ大沼沢地の“奥”に居る。その圧力に追われた小型種がより人界の深いところまで押し寄せてきているのだろう。
『竜はモンスター禍を招く』と言われる所以だ。
「閣下っ!」
望遠鏡で周囲を窺っていた騎士の一人が緊迫した面持ちで叫んだ。
「距離1200ほど先に鶏冠尾蛇ッ! こちらに気付いていますっ!!」
ノエミは思わず舌打ちをした。
蹴散らした小鬼猿を追ってきたのだろう。こんな人界深くまで中型種がやってくるとは。竜が来るまでどれほど時間が残されているのか……
水筒を装具ベルトへ戻し、ノエミは部下達へ吠えた。
「総員、戦闘用意っ!! 次はバジリスクだっ! 毒に注意しろっ!」
ヴィルヘルムとノエミが血と汗を流して奮闘している頃、エルフのような美中年フリードリヒは彼らの後方支援を一手に担っていた。
たった一騎の翼竜騎兵を飛ばしてマキシュトクやマキラ大沼沢地の情勢を偵察させ、街道の応急整備用の資材を用意し、ヴィルヘルムとノエミに補給物資を送る。さらに、ラファエル・ナバル連絡監督官と密に連絡を取り合って、各種報告や手続きなどの処理も済ませていた。
フリードリヒは卓上に広げた大地図(測量した物ではないのでいい加減)に現地情報を書き込んでいく。
「上空偵察で掴んでいた以上にインフラの被害が酷いな。これでは避難民の移動も物資の移送もままならない。軍の工兵か土木業者が必要だ」
「軍が寄こすのは役立たずのボンボン軍団だけ。土木業者は街道の安全を確保できない限り無理だな」
フリードリヒの弟が疲労と苦渋に歪んだ顔で告げた。
「明るい話題はベルネシアから被災地支援の物資と冒険者が来ることだけか」
「それが明るい話題かどうかは分からない。中央の支援が近衛騎士団だけなんておかしいにもほどがある。それに、ベルネシアの支援は民間というじゃないか。他国への支援がなんで民間主導なんだ?」
答えを持たない弟が小さく肩を竦めた。
フリードリヒは戦争計画についても、政治的事情についても全く聞かされていない。
実のところ、こういう『外された』人間は王家親族衆にも地主貴族にもかなりいた。機密保持のため、戦争計画は王と中央、軍だけで進められており、中央と軍にしても作戦隠蔽のため幾重もの偽装が行われていたため、『外された』人間には計画を知ることが出来なかった。
フリードリヒは御茶を飲み、溜息を吐く。
「ベルネシアの支援にしても先の話だ。竜が現れたことを知ったら中止するかもしれないな。私ならそうする。他国のために竜と一戦交えるなどバカバカしすぎる」
「現状、王も国も当てにならないんだ。手を差し伸べてくれるなら、バカでも何でもいい」
弟は苦笑いを浮かべた。
「冒険譚に名高いベルネシアの王弟大公が竜討伐に来るかもしれないぞ」
「それはそれで新たな面倒になりそうだけどな」
フリードリヒは微苦笑して地図へ目線を戻す。
地図上の数センチが、現実では果てしなく遠い。




