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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第2部:乙女時代

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126/336

12:1

大陸共通暦1769年:春。

―――――――――――

 小さなヨラ達が村を脱出して三日。

 水害開始から約一週間が経過したこの時期、プロン山脈水系による大水害を被ったカロルレン北東部マキラ大沼沢地は、惨憺たる有様だった。


 ひと冬の間に積もり積もったプロン造山帯の雪や氷が、今もなおジャンジャカ溶けて流れ込んでいるため、増水が終わる気配を見せない。専門家の一部に至っては「マキラ大沼沢地は一つの(うみ)になるかもしれない」とすら言いだしていた。


 沼沢地内に住む人間以外の生物も濁水から逃れようと、空腹を満たそうと限られた“安全地帯”へ向かって移動していた。


 多くの場合、それら安全地帯は人界にあり、勢いモンスター達もまた人界へ流れ込む。孤立した開拓村や狩猟拠点がモンスターの一斉襲来で全滅する例が加速度的に増加する。モンスターの襲来に耐えても、食料や燃料の不足からじりじりと破滅に向かう村や拠点が多かった。


 また、河川の氾濫増水により橋が流され、道路が水没したことで避難したものの、行き場を失って立ち往生する避難民も数えきれないほどいた。彼らも捕食性モンスターの格好の餌となった。


 しかも、気温が上昇しているといっても、それは平均気温の話であり、大陸北方の端に属するマキラ大沼沢地の夜は骨身に染みるほど寒かった。飢餓や疲労、濡れていたことなどによって体力が低下していた者達が次々と凍死していく。他にも、泥濘や冠水に浸かって長時間過ごしていることで、凍傷や低体温症を負う者も多い。


 マキラ大沼沢地は大攻勢を受けて戦域規模で壊乱したような有様だった。水害とモンスターという自然のもたらした大軍勢によって人の領域が蹂躙されているという点においては、まさに同じことだろう。避難民は敗残兵の群れと何ら変わらない。


 そして、彼らは敗残兵より悲惨だった。

 敗残兵には敵へ降伏するという選択肢がある。捕虜として生き延びる可能性がある。避難民には選択肢も可能性もない。モンスターには降伏などできない。モンスターは捕虜など取らない。モンスターは人間を食い殺すだけだ。

 繰り返すが、モンスター相手の戦いには降伏も敗北も許されない。負けた時はモンスターの胃袋に収まることを意味する。

 倒すか、追い払うか、逃げ切るか。生き延びるにはこの三択しか許されない。



 既に魔狼の群れに捕捉されていた小さなヨラの村の集団は、絶望的な状況にあった。

 脱出ルートの橋が流されていたのだ。川幅わずか10メートル。だが、大増水している関係で水深も深まっている。流れ自体はさほど激しくないけれど、捕食性の水棲モンスターが橋の残骸傍にたむろしていた。

 こいつらは知っているのだ。ここに居れば、餌が向こうからやってくることを。


 その証拠に、澱みに溜まったゴミの間に、先行してこの場に達した避難民の残骸が浮いていた。食いちぎられた手足。腸を食い散らかされた肉体。血塗れの着衣。それらを小魚や昆虫が突いている。


 迂回路を探すことは早々に諦められた。既にかなり体力が低下した彼らは、迂回路が発見されるまで冠水した橋の傍に留まる体力も忍耐力も擦り切れていた。結果、ヨラの村の人々は引き返して放棄された村へ入った。


 増水の直撃を受けて住民が避難したらしい村へ入ったヨラ達は、ありあわせの木材で梯子などを作り、家屋の屋根に上がった。延焼しないように鍋釜やバケツの中で火を焚く。


 水浸しになった村落の屋根で人々が焚火を焚く姿のシュールさはともかくとして。

 村長や村の男衆が今後の計画を話し合う。


「この村から木材を拝借し、氾濫した河川に架橋して渡河するか?」

「待て、マキシュトクまで川は他にもあるし、地形次第では川に化けてる場所もある。いちいち橋を渡してられん。材料を持ち歩くだけでも非現実的だ」

「持ち運べるサイズの筏を作ろう。時間は掛かるが川を一つ一つ渡っていけば良い」

「問題は食料だ。食い伸ばしても一週間はもたないぞ。モンスターや魚を食うにしても、限界がある」

「決死隊を募って救援を呼ばせに行くことも考えないとダメかもしれん。いずれにせよ。御上は当てにならん。これまで翼竜騎兵を一度も見かけてない。御上はワシらを気に掛けてないんじゃ」


 そうした話し合いは、小さなヨラの知るところではない。今は塩味だけの麦粥を子犬のナルーと一緒に食べるだけだ。もちろん量は少ない。でも、ヨラは『お腹が空いたもっと食べたい』とワガママを口にしない。父と母と祖母が悲しい顔をすることを知っているから。

 ヨラは両親と祖母が悲しむことを望まない。小さくてもヨラは賢かった。

 ただし、ヨラはナルーを抱きしめ、母に抱かれながら思う。おばあちゃんのグラーシュを食べたいな。


 しかし、ヨラが祖母のグラーシュを食べるより早く、ヨラ達を食らいにモンスター達が現れる。

 村長達の話し合いは全てが無駄になった。

 マキシュトクへ向かうよりもまず生き延びねばならない。


        〇


 ヴィルミーナは母ユーフェリアと一緒にランチを摂っていた。

 春の寒気に晒されるテラス席で食事するのは、ユーフェリアが子犬のガブを連れて来たからだ。王妹大公親子はペット入店お断りの店へ子犬を連れ込むために貴族特権を振りかざしたりしない。


 ヴィルミーナとユーフェリアが卓の上で湯気を燻らせるシーフード・シチューを食べ進めていく。シチューの味が染みた魚介と根野菜が美味しい。ヴィルミーナの足元では、子犬のガブが用意された離乳食を食べている。


「それじゃ、ヴィーナはカロルレンの被災地支援には手を付けないの?」

「ええ。既に目いっぱい手を広げていますもの。国内、外洋領土、イストリア、クレテア、アルグシア。国内被災地に私個人も組織も支援物資と義援金を出しましたからね」

 ヴィルミーナは母の問いかけに控えめな微苦笑を返した。


 ※    ※    ※

 この頃、カロルレンの大災禍はおぼろげながらも大陸西方中に伝わっていた。


 このカロルレンの窮状が、ベルネシアにおいて、ある種の人々を刺激した。

A:戦後不況に喘ぐ各種産業界。

 彼らは王国府へ『“国主導”の人道的被災地支援』を行ってはどうか、と提案した。平たく言えば、国がカロルレンの被災地支援をし、その物資を国内各産業から購入してくれ、ということだった。つまり、支援を口実にした不況対策のカンフル剤を求めたのだ。

 そして、この支援を足掛かりにカロルレンの市場に参入できないかと目論んでいた。欲の皮を突っ張らせまくりである。


A+:ここには、反白獅子のグループも策動している。

 彼らは白獅子を出し抜いてカロルレンの利権を握ろうと考えた。もちろん、そこに白獅子を噛ませる気はない。ヴィルミーナはアルグシアやイストリアの出先商館に対立他社の参加を許しているのだが(もちろん、経営権と所有権は完全に白獅子が掌握している)。


B:ベルネシア王国府や軍の反アルグシア勢力。

 この被災支援を最大限に政治利用し、カロルレンとなんらかの安全保障の協定を取り交わし、アルグシアを圧迫することを上申した。でも、これまでにその構想を実現できてないってことは、先方にその気がない証拠では?


C:ベルネシア聖王教会。

 彼らは開明派として被災地支援を通じてカロルレンに布教を企図した。カロルレンは伝統派が主流派なのだが、過去の宗教戦争などで伝統派の軍隊に散々荒らされた経験があり、伝統派ながらも法王庁に反抗的だった。そこに付け入って開明派の影響を強めようというわけだ。宗教界の市場争いである。なんとまあ。


D:珍しいところでは、国内冒険者業界が動いていた。

 彼らは国にカロルレンへの渡航許可証を発給して欲しいと陳情してきた。大災禍は確かに恐ろしいが、モンスターを山ほど狩れる稼ぎ時でもあった。戦争特需が終わった今、国内冒険者達は稼ぎ場所を欲している。


 ともかく、この時期、様々な思惑が王都オーステルガムの王国府宮殿へ流れ込んでいた。


 これらの熱意ある陳情と要請に対し、議会と王国府官僚は実に冷めた反応を返した。

『えらく盛り上がってるけれど、カロルレンは支援要請も救援要請も協力要請も出してないんだけれど?』


 善意の押しつけは、場合によっては悪意よりも強い反発を招く。

 それに、関係改善が多少進んだとはいえ、アルグシアもクレテアも依然として敵性国家である。先の戦争で負った傷が癒えていない現状で、不用意にカロルレンへ接触することは、両国の猜疑心や警戒心を刺激しかねない。


 なんせベルネシアはろくに戦えない状態にあるのに対し、クレテアは戦力だけはたっぷり残っている。アルグシアも先の戦争以来、経済が好調で戦力も十分整っていた。とても危険は冒せない。


 しかしながら、現状の戦後不況は喫緊の問題であるから、議会と王国府は裁可を下し、二つの国に使節団へ送った。


 一つはもちろんカロルレン王国。

 被災地支援と被災者救援と大災禍対策協力を申し出る。


 もう一つはアルグシア連邦。

 此度の件で変に疑われては適わないので、事情説明だ。身に覚えのない浮気を弁解するようで情けないが、戦争が起きるよりマシだろう。


 して、その結果は―――


 まずは、アルグシア連邦の回答を御紹介。

『貴国が我が国と敵対的関係にあるカロルレンを支援することは容認できない。関係緩和の兆しが見えた両国関係を台無しになさるおつもりか』

 と憤慨しつつも

『貴国の支援が貴国の提唱する通り、人道目的に限定されると立証するべく物資の移送は我が国を経由するか、臨検使の立ち合いを希望する』。


 軍事援助じゃないと確認させろというわけだ。で、ついでに自国内を通行して金を落として行けと。


 居丈高に舐めたこと抜かしやがって。とベルネシア側は苛立ったが、

『臨検使の立ち合いを受諾する。当方にやましいところなし。ただし、貴国内を通行することは無い。我が国は十分な船舶を有しているので、海路で向かわせていただく。当然ながら北洋諸国貿易協定の順守を期待する』

 海運能力が低いアルグシアへ嫌味を返すだけに我慢した。


 そして、肝心のカロルレン王国の回答。

 いろいろと言葉を重ねてベルネシアの申し入れを丁重に丁重に謝辞してきた。手っ取り早く要約すると―ー

「助けなんて要らねェよ」


 ベルネシアとしては善意を無下にされて気分を害したこともあり、こうなると面目の関係から『国としてではなく民間の善意による援助ではどうだろうか』と食い下がる。もちろん、看板を挿げ替えるだけで、救援事業の実態は国主導だが。


 カロルレン側は”なぜか”頑なに固辞したものの、そこは欲深なイストリア人や道理の違う異民族異教徒と交渉劇を重ねてきたベルネシア外務弁務官。民間レベルでの支援受け入れを飲ませた。


 しかし、カロルレン側もただでは呑まない。受け入れ時期と受け入れ場所、具体的な活動は随伴員の監督に従うことをベルネシアに飲ませる。


 まあ、ベルネシアとしては構わなかった。重要なのは『カロルレン被災地支援』が実現されることであって、その中身は問題ではない。


 ※    ※    ※

 食事を済ませ、食後の珈琲が提供される。

 お腹いっぱいになったガブが足元でうとうとしていることに気付き、ヴィルミーナはガブを抱き上げて膝の上で寝かせた。


 その様子を見た母ユーフェリアは優しく微笑み、同時に、母親的嘆息を吐いた。

「ママ、はやくヴィーナの赤ちゃんに会いたいなぁ」


 ヴィルミーナの表情筋は猛烈な狼狽え顔を構築した。

「お、お母様」


「ねえ、ヴィーナ」

 ユーフェリアは真面目な顔で愛娘に懇々と説いた。

「ママがヴィーナの歳にはとっくにヴィーナを産んでたのよ? それに、ヴィーナは王妹大公家の一人娘なんだから、子供を作らないとお家が絶えちゃうわ。お仕事も良いけれど、そこは絶対に忘れないでよ?」


 ぐうの音も出ない。

 ヴィルミーナは見事なしょんぼり顔を浮かべた。まさか前世に続いて今生でも親から結婚と子供をせっつかれることになろうとは……


 同時に、鋼鉄製の根性を持つヴィルミーナは前向きに検討する。

 これを訓戒とせねば。前世と同じ轍を踏むことなかれ。今生は必ず幸せな結婚生活と家庭を手に入れたるんやっ! それと、前世みたいな地獄巡りは絶対に回避したるぞ。


 ヴィルミーナは幸せそうな寝息を立てる子犬のガブを慈しむ様に撫でつつ、母への言い訳を考える。


 同時に、ちょっとした疑問を抱いた。

 どうしてカロルレンは頑なに支援受け入れを拒んだのだろう?


       〇


 白獅子隷下の情報組織は今年の春先から以前の貿易会社の服を脱ぎ捨て、新たに『北洋貿易商事』という服を着こんでいた。


 その『北洋貿易商事』の会議室に集まった面々の絵面は汚かった。

 男女共に裏社会の顔役連中が雁首揃えているようにしか見えない。まあ、彼らの業務内容を考えれば、何らおかしくもないけれども。


“ゲタルス”は細巻を吹かしながら、書類をめくっていく。

「選抜人員はこれで構いませんが、もう幾人か加えたいですね」


「あたしが選んだ候補じゃ不足だってのかぃ?」

 山賊の女頭目みたいな女性重役が不満そうに眉根を寄せたものの、ゲタルスは顔色一つ変えない。


「いえ、探りを入れる分にはお釣りがくる人材だと思います。潜る人間を加えたいな、と」

「潜る人間を?」

「ええ。現地で情報網を整備するために」

「今はR&P社の筋が本筋だ。あまり優秀なのは出せないよ」


 ルダーティン商会と金象社が婚姻合併した件は、彼らの自尊心と矜持を酷く傷つけていた。

 大規模仕手戦における重要な裏仕事をやり遂げて大きな自信をつけたところへ、ルダーティンと金象の婚姻合併情報で出し抜かれた。

 この情報戦の敗北は彼らの慢心を払拭し、また、情報戦とは常に気の抜けない厳しいものという現実を再認識させていた。


 ただ、『北洋貿易商事』の組織限界も無視はできなかった。

 既存情報網――本国、外洋領土、イストリア、クレテア、アルグシアにおける情報収集能力の維持と、これらから上がってくる膨大な量の情報の精査と分析には、想像を絶する労力と資金を要している。


 加えて、情報戦に長けた反白獅子グループの主要勢力――ハイラム商会、コーヴレント侯爵家、青鷲ローガンスタイン財閥を相手にしている。

 はっきり言えば、カロルレンにまで手を伸ばすことは極めて難しい。人材的にも費用的にも。


「反白獅子グループの対策が優先なのは分かります。足元の脅威ですからね。ただ、カロルレンは我々に兆候も掴ませずヴィルミーナ様と白獅子を探っていた。かなり腕の立つ人材を投じている証拠です。おそらく先の一斉捜索も切り抜けたでしょう。しかし、一斉捜索で人員を失い、立て直しを図っているはず。今が好機なのも事実なんです」


「言い分は分かるけれどねえ」

 女性重役を筆頭に会議室の面々は表情が渋い。


 だが、ゲタルスはめげずにプレゼンを継続した。

「人手は少なくても構いません。今後の足掛かりさえ確保できればいいんです。その先は今回の情報収集から改めて計画すればいいんですから」


 女性重役は他の幹部達と目線を交わし、小さく頷き合う。

「分かった。でも、2人か3人がせいぜいだ。予算も期待するな。それでも良いなら、あんたの提案を容れよう」


「感謝します」

 交渉の勝利に、ゲタルスはにっこりと微笑む。

「良い考えがあるんです。お任せください」


         〇


 ヴィルミーナとマリサとヘティは白獅子の造船ドックに居た。

 目の前で建造中の動力機関搭載試験船は、その名前を『ユーフェリア』とする予定だった。


 これからの時代、数多の船が動力機関搭載船舶になるだろう。世界初の称号は技術的に先を行くイストリアに取られる公算が強いが、この試験船がベルネシアの国史に刻まれる船となることは間違いない。だから、なんとしてもヴィルミーナはこの船に母の名前を付けたかった。


 自分が今あるのは、母ユーフェリアがヴィルミーナのやりたいことを許し、認め、支え、応援してくれたからだ。もしも母が厳格な貴族主義者だったなら、商売なんて許さなかっただろうし、恋愛婚も認めなかっただろう。今頃は政略結婚で嫁がされていたはずだ。

 母ユーフェリア無くして、今のヴィルミーナも白獅子もない。


 ヴィルミーナはドックの中心に据えられた試験船を見つめる。

 変異樹製の船体は全長30メートル強、スクリュー航行式だ。防腐防水処理された塗料で白く塗られている。ちなみに擬装用にマスト(はりぼて)も張ってある。現段階でマスト不要の船の存在を知られたくない。

 あとは動力機関を搭載してもろもろの調整をするだけ(その調整が難しいのだが)。


 船体に橙色の作業つなぎを着た作業員達がまとわりついて、あれやこれやと忙しく働いていた。なんだか巨大魚の周りを小魚が泳ぎ回っているようだ。


「想定していたより大型になりそうね」

「動力機関が思っていたよりもかさばりました」

 ヘティがヴィルミーナへ言った。

「予定出力を発揮するためには、計画されていたサイズだと強度的に無理だったんです」


 動力機関――初期的蒸気機関に用いられる鋼鉄の強度が問題だった。現状の製鉄技術だと予定出力の稼働衝撃や熱圧に上手く耐えられないらしい(実際、初期の蒸気機関は高圧に耐えきれなかったボイラーの爆発が頻発した)。


「まあ、そうした問題を見つけるための試験船でもあるしね」

 ヴィルミーナは特に気にせず、マリサに尋ねる。

「例の人工魔晶油の方は?」


「研究開発は順調です。技術屋や研究者が大喜びしてあれこれやってますよ」と笑うマリサ。

 自称発明家が持ち込んできた人工魔晶油は、暗雲から差し込む一条の光だった。


 現状、動力機関を開発、製造、量産するにしても燃料が問題だった。この世界において燃焼式動力機関は従来の魔導技術と原理が根本的に違う(魔素に依存しない)ため、燃料の技術は酷く未成熟だった。


 たとえば、蒸気で歯車を回す玩具を作るとしよう。我々地球人なら、お湯を沸かすために蝋燭にするか、アルコールランプにするか、といった具合に燃料を考慮するはずだ。


 しかし、この世界の人間はお湯を沸かす魔導術理を描いてから、魔力を供給する魔石や魔晶の費用を考える。

 繰り返すが、この世界は魔導技術文明世界であるから、技術的思考は基本的に魔導を軸に考える。魔導以外の技術だってもちろんあるが、それは傍流筋の技術に過ぎない。


 では、なぜイストリアで産業革命が生じたのか。この世界の人間が石炭という燃料資源に価値を見出したのか。

 単純だ。

 魔石は高価で、魔晶は瞬発的出力に秀でていても持続的出力に適さないからだ。


 最初に石炭の有用性に気付いたのは鍛冶職人達だったらしい。木々をじゃんじゃか切り倒して燃料に困った連中が、燃える石を使い始めた。おいおい、こいつは煙がヒデェけど木炭より具合が良いぞ? 

 やがて、木炭を作るように石炭も加工してコークスにし始めた、という具合である。


 話を戻そう。

 現状、有力な石油の油田を発見できておらず、また調査も採掘も精製も技術的に全くノウハウが無い状況では、石炭に頼るしかない。しかし、石炭は内燃機関に不向き。石油が無いから代替燃料が要る。


 そこへ登場してくれたのが、人工魔晶油だった。

 この世界の石炭から抽出される魔晶油とも違う。地球には存在しない植物系モンスターの体液だかなんだか。要するに菜種油みたいな植物系油だが、これを精製すると、魔晶油っぽいものになる。


 ただし、松根油と同じで、成分的にこいつだけでは中途半端すぎてガソリン系エンジンにも軽油系エンジンにも適さないようだ。適切な添加物を加え、さらに加工精製しなくてはならない。現在はその研究中。何事も一朝一夕にはいかない。


 なお、その発明家が他所へネタを持ち込まないように、権利関係を法的にガチガチに固めて白獅子が出資率100パーセントの会社を興し、囲い込んだ。絶対に逃がさない。なお、逃げようとしたら命を奪うつもりですらある。今のところ、この油がなけりゃあ内燃機関を作っても動かないのだから、ヴィルミーナも容赦しない。


 ヴィルミーナは試験船を見つめる。

 外洋航行能力を持つにはまだ長く掛かるだろうが、潮や風を無視して突っ走れる価値は大きい。海運の世界が大きく動くな。


「順調にいけば、一月後には進水式。各種試験後、公開航行できるでしょう」

 ヘティの見解に、ヴィルミーナは満足げに頷く。そして、にやりと微笑む。

「海の歴史が変わるわね」


「その変化は私達の手で行われるのですね」マリサもにやりとして「最高です」




 予定という奴は常に狂いがちなものだ。

 動力機関搭載試験船『ユーフェリア』は、まったく予期せぬお披露目を迎えることになる。

 もちろん、それはカロルレンの大災禍絡みが原因だった。


日時揃いで朝の2時か20時に投稿したかった……

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― 新着の感想 ―
[一言] 好きな作品だけど、カルロ・ゼンみたいな書き方するのね。 最後辺りの作者の思惑的な語りがいつも好きじゃない
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