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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第2部:乙女時代

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123/336

11:10

長くなりましたが、御容赦ください。

 廃船の外に出たギイと変態男は廃船場内で冴えない鬼ごっこを開始した。


 高威力の魔導術戦は周囲への被害が大きい。変態男としては錯乱状態のギイによって『聖域』を破壊されてはかなわない。距離を取る必要があった。それに、既に身体がヨレているギイにとっては、ただ歩くことすらも苦行の極み。適当に振り回せば、目を回すだろう。


 変態男は余裕綽々で、左腕をハンバーグみたいに焼かれても薄笑いを崩さない。ギイを誘導するようにバトル漫画の敵キャラみたくあーだこーだと語りかけ、ギイを『聖域』から引き離す。


 もっとも、変態男の言葉はギイに一切届いていない。

 なんせ、ギイは禁断症状の錯乱状態で気力も体力も既にカラカラ、薬に対する執着心だけ動いている状態だった。今、ギイが聞いているのは幻聴だけだった。朽ちた船舶や船艇の声、コケやカビの囁き、海鳥達の哄笑、そして、内なるマントラ――『薬を寄こせ』だけだ。


『聖域』から充分に距離を取ったと判断し、変態男は足を止める。

 弓手側に廃棄された中型帆船。馬手側に積み重ねられた短艇やボートの壁。足場は潮の生臭さを含んだ黒々とした汚い砂泥。空は鈍色。戦いの舞台としては実にしみったれている。


「まずは痛みを学ばせてやろう。痛覚は体の澱みを浄化させ、神経と知覚を研ぎ澄ます」

 口端を釣り上げる変態男。背後で巨大な黒蛭がうねうねと不気味に蠢く。


 10数メートルの間を以て相対するギイは、まっすぐ立つことすらギリギリと言った有様だった。脂汗に塗れた顔は土気色をしていて、鼻水と涎が服の胸元を汚している。その一方で血走った双眸が爛々とギラついていた。もはや人というより獣だ。

 ギイは薬が欲しいという純粋に真摯に真剣に研ぎ澄まされた意志を持って、変態男へ挑む。


「魔導士よ。最初の教育だっ!」

 変態男は自らを黒蛭に取り込ませた。黒蛭が4対の脚と3対の手を生やしてギイへ襲い掛かる。


 ギイは一切思考しない。ただ反射的に瞬発的に魔導術を放つ。

 和ゲーチックな必殺技の名前を叫ぶことも、ドラマチックに雄叫びを上げることもない。ごく自然な一挙動を以って、自身に魔導防護障壁を展開しつつ、大きな黒泥の怪物へ空間爆発を叩きつけた。


 高熱爆轟圧力の塊を浴びた黒蛭はダイラタント流体らしく瞬時に硬化する。その瞬間硬度は特殊な粉粒体の混成レシピによって鋼板並みに達したものの、高熱高気圧の塊は即座に黒蛭が持つ水分を蒸発乾燥させる。さらにその強大な爆轟衝撃は黒蛭の芯まで伝播した。さながら卵の殻を割らずに黄身と白身を攪拌するように。


 高熱圧の余波は凄まじく、廃船の船体が熱波で瞬間乾燥して大きく歪み、高圧衝撃によってトタン屋根のように軽々と吹き飛んでいく。反対側では積み上げられた短艇やボートが薙ぎ払われる。水分を多分に含んだ足元の砂泥が水分を蒸発させ、もうもうと真っ白な水蒸気を燻らせた。


 魔導術を放ち終わったギイはその場にひざまずき、盛大に嘔吐した。元々空っぽの胃袋から逆流するのは喉や舌を焼く胃液だけ。ギイがゲエゲエと繰り返しえずき悶える中、潮風が水蒸気を吹き払う。


 黒泥だった砂の塊が崩壊し、“中身”が露出した。

 変態男は耳と鼻と口と涙腺から血を流し、白目を剥いて、ドッと前のめりに倒れこんだ。びくびくと痙攣する変態男の上半身は焼けた砂に炙られ、酷い火傷を負っていた。


 瞬殺。まさに瞬殺だった。


 殺人鬼なんて所詮、自分より弱い女子供を不意打ちでしか襲えない腰抜けのクズなのだ。ヤク中でヨレているとはいえ、本物の天才魔導術士に掛かれば、こんなもんである。


 セオリーなら、ここで変態男が負け口上をくっちゃべるところだが、生物学的現実は厳しい。高圧衝撃波に“シェイク”され、高熱でローストされた変態男は一言もしゃべることができない。ぶっちゃけ生きているだけでも奇跡だった。


 ギイは胃液に塗れた唾を吐き捨て、ふらつきながら変態男に近づき、ズボンのポケットをまさぐった。ぶるぶると震える手で包み紙を取り出して開く。焦燥感に駆られるように粉状の刺激剤を鼻から吸引し、浅ましくも包み紙に残った細かな残渣を指で拭い、歯茎に塗る。


 薬物の効果はすぐに表れた。

 ギイの全神経系に冷たく官能的な大電流が駆け抜け、これまでギイを苛んでいたあらゆる苦痛と負の感覚が星の彼方へ消えていく。絶頂感に似た快感が脳と神経を満たした後、ギイの知覚野が晴れた青空のように澄み渡り、名刀の如く鋭敏化し――

 そして、見る。ギイは見る。


 見上げた空いっぱいに広がる巨大な蝶羽型複層立体魔導術式を。その先にある魔導の深奥を。恋焦がれた魔導の真理を、ギイは見る。


          〇


 キネ達憲兵隊が廃船場に到着した時は全てが終わった後だった。

 半ば死にかけた半裸中年男と、一心不乱に船体へ魔導術理と魔導言語を刻む小柄な青年がいた。小柄な青年は明らかにラリッており、憲兵隊の誰何と制止を無視して作業に没頭していた。


 憲兵達が無理やり拘束しようとすると、

「邪魔をするなっ!」

 小柄な青年が魔導励起反応を見せた。憲兵達はとっさに銃を構える。まさか、こいつが連続殺人かっ!?


「待て、待てっ! 撃つなっ! 誰も撃つなっ!」

 キネが慌てて両者を制止する。犯人は30代の男であり、小柄な青年は若すぎる。二十歳かそこらだ。むしろ、脇で死にかけている男の方が条件に一致するし、何より、火傷の酷い肌に事件で確認された紋様が見られた。


 キネは慎重に歩み寄り、小柄な青年を問い質す。

「憲兵大尉のキネだ。君は誰だ。そこに倒れているのは?」

「僕は今、魔導の真理を記すことに忙しいんだ。放っておいてくれ」


「大事なことなんだ。答えてくれ。そうすれば、邪魔しない。な? それに書き物なら、ほらメモ帳がある。そんなところに書くより、こっちの方がよくないか?」

 キネが懐からメモ帳を示すと、青年は考えるように目線を泳がせて、首肯した。

「先にメモ帳をくれるなら」


「最初に一つ教えてくれ」キネは青年へメモ帳を示しながら「君は誰だ」

「ギイ」青年は名乗った。「僕はギイだ。メモ帳をくれ」


 キネはメモ帳を差し出し、ギイがひったくるようにメモ帳を手にする。次いで、万年筆を掲げた。

「もう一つ、質問だ。応えてくれればペンを渡す」


「ああ、もうなんなんだよっ!」

 喚きながら、ギイは汚い髪をがりがりと搔き乱した。憲兵達がビクッとして再び銃を構えた。よせっ! とキネが叱声を飛ばす。


「その男は誰だ?」

「知らない。どっかの負け犬だ。この世界を啓蒙するだのなんだの戯言をほざいてた。泥傀儡で襲ってきたからぶっ潰した。詳しいことが知りたければ、向こうの方にある廃船へ行けよ。甲板に穴が開いた奴が、この負け犬の巣穴だよ。知ってることは全部だ。ペンをくれよ」


 ギイが投げやりに告げた内容に、キネとハーベイと憲兵達の顔が強張る。

「……泥傀儡で襲ってきた。そうなんだな? 向こうにある船がこいつの隠れ家なのか?」


「ああ、そうだよっ! 僕を廃船に攫って継承者にするだのなんだのほざいていたっ! スラムから攫ってきた女を一緒に拷問させる気みたいだったけど、付き合いきれないから、こうなった。なあ、早くペンをくれよっ!!」


「女性が捕まってるのかっ!? 生きてるのかっ!?」

「知らないよ。僕がこの負け犬を追いかけた時はまだ死んでなかった。ペンをくれるのかくれないのかどっちなんだっ!?」


 キネは苛立ったギイに万年筆を放り、憲兵達へ怒鳴るように告げた。

「そこの三人、本部まで行って大至急殺人犯と重要証人を確保したと言えっ! 人手と封具を用意させろっ! それと、医者と衛生兵もだっ!」


「――助けるんですか?」と憲兵の一人が不満そうに言った。クズなど死ぬに任せればいいのに。


「犯人は王国法で裁いて惨めに死んでもらう必要があるんだっ! それから、甲板に穴が開いてる船を探せっ! 人質がいるっ! いそげっ!」

 キネはハーベイへ告げた。

「この二人を見張れ。ヤクが利いてるうちは暴れたりしないだろう。上手いこと話かけて情報を引っ張れ」


「ヤク中ですよ? 支離滅裂なことしか言いませんよ」と不満顔のハーベイ。

「構わない。なんでも記録しておけ」


 キネは脇目も降らずメモ帳へ書き殴り続けているギイを一瞥し、次いで、死にかけている犯人を睥睨して大きく息を吐いた。

「本当に酷い事件だな。終わり方まで最低だ」


 ふと空を見上げれば、キネ達を嘲笑するように鈍色の空から海鳥達が見下ろしていた。


        〇


 冬も盛りを過ぎて小春日和が訪れる日が増えた。

 この日も春の到来を感じさせる暖かな快晴を迎えていた。王太子夫妻――エドワードとグウェンドリンは郊外視察という体裁の下、復路休憩に聖盾修道会オーステルガム修道院へ立ち寄る。


 ベルネシア聖王教会は開明派世俗主義だから本来、俗界から切り離される修道院という施設を持たない(世俗主義は人間社会の日々の営みに福音を見出す)。

 ただ、中には人間社会から離れて静謐に神と対話を試みたい者も一定数いる。聖盾修道会はそうした開明派内宗派であり、オーステルガム郊外に煉瓦造りの大きな修道院を持っていた。


 王太子夫妻一行は修道院院長達へ急の訪問を謝し、心尽くしに礼を言い、それから近侍のカイだけを伴って修道院内を散策した。


 三人が中庭の先へ向かうと、私服姿のユルゲンとマルクがエドワード達を出迎えた。2人もまた『休日に遠乗りし、修道院へ立ち寄った』という体裁をとっている。


 一行が中庭の奥にある南棟へ足を踏み入れると、南棟玄関ホールにアリシアが居た。準職員であること示す白いヘッドレストとエプロンをつけている。


 なお、アリシアがこの修道院へ派遣が決定したのは前日のことで、白獅子から聖盾修道会に良い額の寄付が行われた(なお、この寄付金は巡り巡って王太子夫妻の個人資産やマルク達から出たものだ)。


「アリス。久し振りだな」「久しぶりね、アリス」

 王太子夫妻が屈託のない笑顔を浮かべ、挨拶を送る。


「エドさんもグウェンさんもお元気そうで―――あっ!」

 アリシアは笑顔を引きつらせ、慌てて丁寧に一礼する。

「王太子夫妻様。お元気、や、ご機嫌? ともかく麗しゅう」


「今更だ。“仲間内”だけなら今まで通りで良い」「かしこまらなくていいわよ」

 エドワードとグウェンドリンが苦笑いを湛え、アリシアの親しげに肩を叩く。グウェンドリンに至っては両手を広げ、再会のハグを要求した。

 アリシアは遠慮なくグウェンドリンと抱擁する。さながら飼い主に再会できた大型犬のように。

 そして、一行は修道院内の一室へ向かう。


 アリシアがドアをノックした。どうぞ、と中から丁寧な回答が返ってきて、アリシアがドアを開く。


 6畳間ほどの個室内には、ベッドと机、それと大量の紙束やノートが賽の河原の石塔みたくあちこちに積まれている。

 そして、机で書き物をしているギイ・ド・マテルリッツが居た。


 清潔な白い着衣に身を包んだギイは痩せて頬がこけていたが、薬物や酒による翳は見られなかった。

「これは皆さんお揃いで」

 立ち上がったギイは、小癪な笑みでエドワード達を出迎える。


「思ったよりも元気そうだな」とどこか安堵したようなエドワード。


「そりゃあここでは身体に悪いものを楽しめませんから」

 ギイはにやりと笑い、言った。

「皆を歓迎にするには、ちょっと狭すぎるな。中庭へ行こうか」


 というわけで、一行は修道院中庭にあるテラス席へ向かう。

 テラス席の各テーブルでは、ギイと同じように白い着衣を着た者達が家族らしき人々と話し込んでいる。楽しそうに、あるいは、悲しそうに。


 聖盾修道会オーステルガム修道院は、ギイのような修道士や修道女達以外の者達がいた。

 古来より世界各地の寺社は旅人の宿泊施設を兼ねていた(もちろん、利用者はお布施という名の料金を払う)。オーステルガム修道院も同様で旅人や行商人を泊めることがある。また、一般人が静修に訪れることもあった。


 ギイも建前上は期間未定の静修中だった。ちなみに、ギイと似た事情で期間未定で静修中の貴族子女が幾人かいる。皆、酒や薬、不品行で身を持ち崩した連中だ。つまり、オーステルガム修道院は『そういう役割』も担っている。


「調子はどうなんだ?」

「今でもたまに後遺症(フラッシュバック)があるけど、概ね問題なく過ごしてる」

 ユルゲンに応じつつ、ギイは薄く微笑む。

「母と下の姉がまめに差し入れをしてくれるしね」


 家族――特に父と長兄と長姉はギイを完全に見限った。次兄は距離を取っての様子見を決め込み、母と下の姉だけが会いに来る。ギイ自身は「充分にありがたいよ」と言った。


「それから、アリスに聞いて欲しいことがあるんだ」

 ギイは告白する。自分の愚かさと情けなさを、そして、正直にアリシアへ告げた。自分が何をしようとしたのか、何を考えていたのか。全てを。


 それはエドワード達にとっても黒歴史であり、かさぶたの出来ていない心の生傷だった。エドワードもマルクもカイもユルゲンも他人事とは思わず、身をつまされるような思いでギイの告白を聞く。


 アリシアはショックを受けたように顔を青ざめさせたが、それでも最後はギイの手を握って微笑んだ。

「私とギイ君はずっと友達だからね」

 アリシアは絶望的に他人の感情に無頓着だ。

 ある意味でのトドメに、ギイは苦笑いと共に『決着』の実感を抱く。


「それで、これからどうするつもりなの? 何か書き物をしているようだけど」

 場の空気を入れ替えるようにグウェンドリンが問うと、ギイはさっぱりとした面持ちで答えた。


「しばらくはここで過ごすつもりだよ。僕が見た魔導の深奥。その真理は、薬物が見せた幻覚なのか、それとも、超感覚に達した際の真実なのか、検証したいと思ってる」

 俗世から切り離されて思索に没頭できるからね、とギイは微笑み、

「そういえば、あの事件はどうなったの? なんか君らは僕が犯人だと誤解してたみたいだけどさ」

 意地悪く口端を歪めた。一同がバツの悪い顔を浮かべた。


「言い出しっぺはカイだ。カイが悪い」とユルゲン。

「状況条件が整ってたんだから仕方ないだろ」とカイ。

「まあ、たしかにね。ヴィーナも可能性を指摘してたし」とグウェンドリン。


「マルク。説明してやれ」

「分かりました」

 エドワードに水を向けられ、マルクは眼鏡の位置を修正して話し始めた。


 ※    ※    ※


 悪魔崇拝連続殺人事件は膨大な付帯損害を生じさせた重大事件であるから、その情報はできうる限り公表された。そうしなければ、民衆が納得しない。


 瀕死で捕らえられた犯人は治療が施された。ただし脳の損傷が酷く半植物状態に陥っており、医師や看護師が苦労しいしいで生かしている有様だった。

 これは裁判で犯人と断定した後に処刑するためだ。きっちりと法の裁きを処し、見せしめにする必要がある。


 さて、肝心の事件真相だが……なかなか芳しくない。

 憲兵隊は真相究明と追跡調査へかなりの力を入れたが、真犯人の本名や氏素性はついに分からず、犯人が周囲に名乗っていた偽名『ハンセン』で呼称することになった。


 この時代、戸籍制度は未熟かつ欠陥が多い。それにスラムの孤児や浮浪者が実際にどれだけいるのか誰も知らない。スラムの住人達さえ知らない。誰がどこから来て、どこへ消えても、誰も気に掛けないからだ。ハンセンは気に掛けられない存在の一人だった。


 ハンセンの正体は不明だったが、そのおぞましい所業そのものは明らかになった。

 回収した日記等の記録を解析したところ―――


 まず故ヨブ・ラコルデール自身が殺人鬼だった。再度のラコルデール家再捜索により、その証拠――犯行の記念品が書斎の隠し棚から多数発見されている。スラムで娼婦や浮浪者を攫い、拷問凌辱して殺害。死体を解体して海に遺棄していたらしい。


 ラコルデールがハンセンを拾ってからは、凶行は一層残虐に、同時に奇怪な儀式化を遂げていったようだ。この辺りは廃船祭壇の裏から回収されたハンセン自身の手帳に細かく記されており、また作りかけの『経典』も見つかっている。


 ラコルデールにとって、ハンセンは自らの欲望を満たすための手下であり、自身の狂気を伝授する弟子であり、秘密を分かち合う共犯者であり、失った家族の代替物だった。


 が、ハンセンの方は違った。ラコルデールの狂気的儀式を真に受け、たった一人の邪教信徒になったのだ。


 五年前からヨブ・ラコルデールが姿を見せなくなったのは、ハンセンが殺害したからだ。彼に言わせれば、ラコルデールは『教義』に背いたから粛清したという。また、その際、彼は師に対する敬愛の念から、儀礼的手段でラコルデールを葬った。記述によれば、“女達にしたこと”――つまり性的拷問と凌辱をラコルデールにもしたようだ。まさに因果応報(インガオホー)


 その後も、ハンセンは信仰的熱意をもってスラムで娼婦や浮浪者を攫い、殺害し、死体を海に処分していた。


 憲兵隊の捜査によれば、最終的に判明した犠牲者の数は40人に達するようだった。


 この事実が公表されると、国中が騒然となったが、憲兵隊の受けた衝撃はそれ以上だった。王都で、自分達の足元で大量連続殺人鬼がのうのうと活動していた事実に、治安当局者は戦慄した。


 そして、ハンセンが此度のような公開凶行に走った理由。

 それは先の戦争で戦時徴兵されてワーヴルベークでアリシアの超絶ブッパを目の当たりにしたこと、その直後に人々がアリシアを聖女と称えたことがハンセンの“使徒として”の使命感を刺激したらしい。より直接的に言えば、アリシアに嫉妬したのだ。


 自分も同じように注目されたい。称賛されたい。人々に認められたい。使徒として人々にあがめられたい。

 肥大化した自己と承認欲求に駆られた低次元なナルシズム。根源的な動機はそれだ。


 結局のところ、ハンセンは一線を越えたクズに過ぎなかった。

 冬が終わりに近づき、憲兵隊の裏付け捜査によってハンセンの犯罪が立証されると、被告欠席による裁判が行われ、処刑が決定した。


 公選弁護人は上告せず、刑がその場で確定。処刑は三日後に行われることになっている。


 ※     ※    ※


「あの時はただの頭がおかしい変態としか思わなかったよ」

 ギイはしれっと嘯く。


「怖いとか思わなかったの?」

 アリシアが問うと、ギイは小さく頭を振った。

「繰り返すけど、頭のおかしい変態としか思わなかった。薬でラリッてた僕がそう思うほどの変態だったんだよ、本当に」


 ははは~。


 そんな調子で一同は和やかに楽しい時間を過ごした。やがて別れの時間を迎え、修道院に残るギイは皆を見送った。


 そして、部屋に戻ったギイは自身が見た魔導の深奥について思索を再開する。

 ギイ・ド・マテルリッツが歴史の表舞台に返ってくるまで、長い時間を要した。


       〇


 運命の女神が振ったサイコロの出目は常に悪辣だった。その陰険で性悪な気質通りの出目とも言えるが。


 半植物状態だった悪魔崇拝殺人事件の犯人ハンセンは首に縄を括りつけられた時、意識を取り戻してしまった。まったく以って不幸であった。

 なんせ、ベルネシア式絞首刑は一般的な落下式ではないのだから。


 落下式絞首刑は吊るされる当人の体重と落下荷重がもたらす縄の衝撃で頸椎を破砕、気管と頸動脈の完全圧迫でほぼ即死する(この時、ロープの長さを誤ると落下衝撃で首が千切れる)。


 対して、ベルネシア式絞首刑は吊り上げ方式だった。

 首に縄をかけた状態で吊るし上げていくわけだが、落下式のような決定的な衝撃が生じないため、即死出来ない。平均約10分に渡ってゆっくりと窒息死していく。


 それでも、死に際に自身の言い分をぶちまけられれば、ハンセンの承認欲求が満たされたかもしれない。

 しかし、間の悪いことにハンセンが状況を把握する前に、巻き上げが開始され、ロープが喉に食い込んだ。おかげでハンセンは一言も発することなく宙に昇る。


 スラム付近の広場に設けられた臨時処刑場は、詰めかけたスラムの住人達の喧騒――罵詈雑言非難中傷悪罵怒号が吹き荒れていた。

 このクソッタレがスラムに逃げ込んだせいで、とんだとばっちりを受けたのだ。怒るなという方が難しい。スラムの住人達は宙に吊り上げられていくハンセンへ向けて石や馬のクソを投げつける。

「くたばれクソ野郎っ!!」「お前のせいで……地獄で朽ち果てろクズっ!」「死ねっ!! 今すぐ死ねっ!!」


 ちなみに、吊り上げ開始直前まで意識が無かったため、司祭による末期の告解は行われていない。まあ、これはさんざんコケにされて身内を殺された聖王教会の意趣返しもあったが。


 ハンセンは後ろ手に拘束されていたため、首に括られた縄を掴むことすらできない。ばたばたと足を振って宙を蹴り、身を捩るしかできない。口を開こうにも縄が顎を圧迫して口を開くことすらできない。魔導術を使おうにも封具がつけられていて発動できない。

 しかも、投げつけられた石で顔は腫れ上がり、体中が馬のクソに塗れていた。


 ――ばかな、こんな、こんな最期があっていいものかっ! 私にはこの世界を啓もうすとうしゅうこうなしゅめえば……だ、だれかだりかたスタスたスッケえエエええエッエえッ……


 約10分に及ぶ緩やかな窒息。

 酸欠で肺が焼かれ、体が痺れ、鬱血した顔は赤黒く膨れ上がっていき、全思考力が生存本能に起因する壮絶な恐怖と怯懦と絶望感に染め上げられ、やがて、意識が飛び、呼吸が止まる。全身が脱力して失禁脱糞が生じた。


 それでも、ハンセンが下ろされることは無い。このまま幾日か晒された後、死体は焼かれて北洋に捨てられた。


 ベルネシア犯罪史に刻まれた近代有数の凶悪事件はこうして幕を閉じた。



 余談ながら、憲兵隊は悪魔崇拝連続殺人事件についてほぼ全ての情報を公開していたが、一つだけ意図的に改竄した物がある。


 犯行動機だ。

 憲兵隊はハンセンの犯行動機を、悪魔崇拝を口実とした汚らわしい性癖に基づく低俗下劣な犯行と公表していた。これは公的記録として歴史に記された。


 かくして世界の啓蒙を目指した連続殺人鬼ハンセンは、『特大級のドクズ』として歴史に名を遺した。

 本望であろう。

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