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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第2部:乙女時代

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122/336

11:9

大陸共通暦1768年:ベルネシア王国暦251年:冬。

大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。

―――――――――――

 ギイは寒気と冷気に蹴り飛ばされるように意識を取り戻した。

 冬季において、浮浪者のヤク中の最も多い死因は過剰摂取や臓器不全ではなく、ラリッたまま凍死することだから、ギイはまだ運命の女神に(玩具として)厭きられてはいないようだ。


 凍死を免れたギイは周囲を見回す。まっくらで酷く臭い。どこだ、ここは……?

 ヤク中でアル中の代償として、寝起きの酷い不快感と関節痛で頭がまともに回らない。身体を動かそうとして異変に気付く。


 !? 手足を拘束されている。


軽くパニックを起こしかけ、拘束を解くために魔導術を使おうとするも魔力が発動しない。パニックが大きくなるかと思いきや、ギイは逆に冷静さを取り戻す。右手の親指を動かして中指の根元を確認。実家を飛び出す時に唯一持ち出した魔導触媒の指輪が外されていた。


 まぁ良い。“予備”はある。

 古来より魔導術士は臆病が通り相場。常に魔導触媒の予備を持ち歩く。ギイもスラムに堕ちてから予備を調達してある。ボロブーツの舌革の内側に低品質な魔鉱製リングを縫い付けてある。触媒としては粗悪品だが、なんとか取り出して身に着けることができれば……


 しかし、思いのほか拘束が強く体を曲げることができない。縄の類ではない。なにか粘っこい……トリモチ? 泥? なんだこれは。

 四苦八苦した後、魔鉱製リングを取り出すことを一旦諦め、自身と周囲の確認に入る。

 体は――不健康の極みだが――怪我の類はないらしい。小汚い服も乱れていない。どうやら意識が無い間にケツを掘られたり、ということはないようだ。


 視野の利かない真っ暗闇の中、指先の触感や臭い、音などを頼りに思考を巡らせる。

 大きな船舶の中――おそらく船底の船倉だと理解するまで大分掛かった。潮騒と潮の香りがするが、足に揺れを感じなかったせいだ。

 手で触れた床板がぬるりとした。暗いのでコケか腐食の(ぬめ)りか分からない。潮の臭いに混じり、カビやヘドロのような臭いも強い。


 ……廃船? 

 アルコールと薬物で弱っていても、エリートであるギイの脳味噌は最低限の回転数を維持している。続いて湧いた疑問は順序をつけがたい。なぜ。どうして。どこ。がつらつらと浮かび、誰が。いつ。どうやって。と疑問が続く。


 が、思考力を維持できない。

 酒切れと薬切れと寒さと関節痛で体がぶるぶると震えて止まらない。汗腺から脂汗も噴出している。不味いことにもうじき禁断症状が襲ってくる。震顫譫妄、自殺したくなるほど強烈な鬱、発狂的苦痛、耐え難い嘔吐感……地獄の底で悪魔にケツを差し出す方がマシと思う絶望的な事態がやってくる。


 そうなれば、まともに動くことも考えることもできない。ここから逃げることもできないし、自分をここへ拉致したクソ野郎を半殺しにすることもできない。


どうにかして靴に隠した触媒を身につけないと、と考えた時。

『目覚めたか、魔導士よ』


 突然、暗闇の中から声がし、ギイは身体をびくりと震わせる。

近い。音が反響して明確な位置が分からないが、この船倉内にいることは間違いない。

 

『継承者が堕落しきったヤク中とはな。失望の極みだが、ある意味ではふさわしい。堕ちた魔導士よ。お前の魂を救済してやろう。酒と薬に縋らなければ生きていけないお前のひ弱な魂を再生してやろう』


 ギイは誰何することなく沈黙を保つ。ただ――

 舐めたこと抜かしやがって、人攫いのド腐れが。


 上から目線の物言いが、酒と薬が切れて不安定だったギイの感情を痛烈に逆撫でしていた。不安も恐怖も払拭され、殺意に近い激情がヨレていた体と心に喝を入れる。


『魔導士よ。お前のただれた魂を救済し、そのか弱き精神を啓蒙してやろう。お前に尊き使命を与えてやろう』


 ぶっ殺してやる。生きたまま腑分けしてやる。

 苛立ちが募り、ギイは体を動かして拘束を解くことを試みるが、ダメだった。手足を封じる粘質な物体はびくともしない。


『怯えるな、魔導士よ。お前に道を示してやろう。真の世界へ通じる道を』


 廃船に住み着いた負け犬野郎が伝道師気取りか? ふざけやがって。

 アル中ヤク中の時点で自身も立派な負け犬である点を棚に上げ、ギイは怒りを新たにした。


『ここは聖域(サンクチュアリ)。世界を覆い包む無知蒙昧の闇から切り離された神殿だ』


 新発見だ。ギイは思う。素面で戯言を聞かされると凄まじく気が滅入る。


『師ラコルデールは俺の蒙を啓いた。彼は俗界から抜け出すことは出来なかったが、俺に(タオ)を示し、(カルマ)を直視させ、真理の先へ至らせた。俺は覚者であり、使命者。世界を革新する使徒だ』


 ギイは舌打ちした。カスの戯言が頭に響いてウザい。クソ。刺激剤が欲しい。軍用の“速い”奴が欲しい。


 不意に、魔導励起反応を知覚した。

直後、床板に刻まれた魔導術式がいくつもの仄かな光を灯し、柔らかな明滅を繰り返す。まるで夜光虫の群れが蠢めいているようだ。床から放出される弱々しい光によって闇が薄まった。推察した通り、この場は廃船の船底にある船倉だった。規模からして、沿岸航海用の中型帆船だろう。

 そして、ギイは目にする。


 狂気、迷妄、妄念、妄想、妄執、愚劣と愚昧を見る。


 天井も壁も床も幾何学的な魔導術理で埋められ、魔導言語と紋様が幾列も幾層も書き重ねられていた。船尾壁の前には赤黒く汚れた祭壇があり、巨大な蝶羽型魔導術式が描かれている。


 そして、多彩な塗料でやはり魔導術理と紋様を描きこまれた古い遺骸が、磔刑に処されたように飾られていた。

 足元には黒い花弁が撒かれ、小鬼猿の頭蓋が積み重ねられていた。その遺骸の骨盤に鶏卵大の魔石がいくつも詰め込まれている。

 胸骨に張り付いている肉の残骸が干からびた乳房だと気づき、ギイは骨の大きさから見て骸が恐らく少女の物だと察した。


 不気味極まる光景は、ギイに何の刺激も感動ももたらさなかった。ボロアパートで目にしたような神秘的幻視など微塵も生じない。

ギイは嘲るように鼻を鳴らす。

 薄らバカの“秘密基地”かよ。最高だな。くそが。


 と、影が視野に映りこんだ。正面に回り込んできてギイを見下ろした。

ギイは噛みつくように視線を上げる。


「ようこそ、魔導術士よ。お前を啓蒙してやろう」

 中肉中背の半裸中年男が薄笑いを浮かべていた。塗料で顔から腹まで得体のしれない魔導術式を描きこんでいて、首には大粒の白い球を連ねたネックレスを掛けている。


 その怪しさ爆発の半裸男の傍らに、巨大な黒い蛭が居て、その体表面に裸の若い娘が張り付けられていた。触手が手足と体を煽情的に緊縛し、口に猿轡をかましている。


 娘の汚れた髪や肌の塩梅からスラムの人間だと当たりがつく。おそらくは娼婦だろう。娘は怯懦で顔を歪ませ、寒さと恐怖でガタガタと震えていた。次いで、自身の拘束が『シモンの泥傀儡』ということも理解する。


 絵に描いたような異常者とその犠牲者を目の当たりにしたギイが抱いた感情は、不安でも恐怖でも怯懦でも戦慄でもなかった。ギイが抱いた感情、それは――


 僕以外にも攫ってたのか。負け犬でノータリンで人攫いで時代遅れの魔導趣味で挙句に変態とか、クズの一人見本市かよ。


 胸に侮蔑と軽蔑と嘲罵が湧く。同時に、ちょっとした興味が生じた。あるいは酒切れ薬切れによる気の迷いかもしれない。

「蒙を啓くとか抜かしたけど、どんな戯言を聞かせてくれるんだ?」


 嘲られた半裸中年男は、怒るどころか口の両端が裂けそうなほど笑みを大きくする。

「教理問答か。よかろう」


 かくしてヤク中と変態の問答が始まった。囚われた娘は寒さと恐れに震えながら思う。

 誰でも良いから助けて。早く。一刻も早く。



       〇


 一斉捜索は夜明けと同時に始まった。

 筒形マフラーや目出し帽で顔を隠した完全武装の憲兵達が、隊伍を組み長靴を鳴らしてスラム内へ展開していく(顔を隠すのは報復を防ぐためでも、防寒のためでもなく、威圧効果のためだ。表情が見えないことは恐怖心を煽る)。


 そして、スラム内の全戸全室一斉捜索が開始された。全ての部屋を捜索し、必要ならベッドやテーブルをひっくり返し、棚を引き倒し、物置の荷物を全て床へぶちまける。


 抵抗せず諦めて大人しく捜索を受け入れれば、室内を荒らされるだけで済む。なまじ反抗しようものなら、女子供年寄りでも躊躇も容赦もなく警棒でぶん殴られ、拘束。着の身着のままで連行されていく。


 憲兵達は相手が武器を手に反抗しようものなら、発砲も辞さなかった。場合によっては武装憲兵の装甲兵が投入され、徹底的に潰された。鉄棍や鉄槌で頭をかち割られたり、手足を砕かれたりした者が表へ引きずり出されていく。もちろん、手当てなどされない。生きるも死ぬも運任せの本人次第だ。


 中には、戦後に下賜されたエドワード・メダルやグウェンドリン・メダルを掲げ『自分達は先の戦で国に尽くしたのだ、こんな扱いは不当だ』と訴える者達も少なからずいたが、憲兵達は一顧だにしなかった。


 スラム内の広場は拘束された者達が次々と集められ、たちまちいっぱいになった。

 まるで、ナチのユダヤ人狩り。さながらユーゴスラビアの民族浄化。いずれにせよ、自国民に対して行うには、手荒すぎる。

 今やスラム中から悲鳴と怒号と罵倒と泣き声、銃声が聞こえてくる。


「ひっでェな……ギイは無事だと良いが……」

 カイ・デア・ロイテールはスラムの一角に設置された一斉捜索作戦本部へ潜り込んでいた。

 マルク経由で宰相ペターゼン候の信任状を手に入れたおかげだ。王太子エドワードの信任状でもよかったが、ギイが犯人の可能性がある以上、この件にエドワードは関わらせられない。


 それに、とカイは思う。

 どうやら、この一斉捜索は思いのほか色々な思惑が絡んでいるらしい。作戦本部には自分と似たような立ち位置の怪しい人間――王国府の情報機関関係者がちらほらいるし、憲兵隊防諜機関の人間もいた。


 しかも、武装憲兵隊に扮した特殊猟兵達も見かけた。なぜカイに特殊猟兵を識別できたかといえば、レーヴレヒトに気付いたからだ。筒形マフラーで目元まで顔を覆っていたが、目だけでも十分分かる。あの涼やかな鋭い双眸。戦勝記念パーティで見たから間違いない。

 女遊びで鍛えた観察眼はそれなりに優秀なのだった。


「カイ。状況はどうだ?」

 陸軍の将校服に身を包んだユルゲンが姿を見せる。封鎖線を構築した陸軍の連絡員としてやってきたらしい。


 ユルゲンに問われたカイは頭を振り、

「まるで野蛮人の狩猟祭だよ」

 小さく嘆息を吐いた。

「正直、見通しが甘かった。こんなに酷いとは……無理をしてでもギイを保護しておくべきだった。もしかしたらギイが……」


 ユルゲンは不安顔を浮かべるカイの肩に手を置く。

「よせよ。ギイだって殺気立った憲兵に魔導術をぶっ放すほど馬鹿じゃ――」


 表から大きな爆発音が響き、建物の窓ガラスがびりびりと震えた。捜索本部がにわかに騒がしくなる。

「おい……今のはなんだ?」

 顔を険しくしたユルゲンを余所に、カイが窓辺に立って表を窺う。

「詳しくは分からないが……ギイじゃないことを祈るぜ……」


         〇


 教理問答は信仰の教理――キリスト教で言えば、『汝、隣人を愛せ』と言った有名な教えなどを題に説くことを目的とする。

 もちろん、入信希望者はその教理に疑問をぶつけて良く、より深い説明を求めても良い。


 有名な一例を挙げよう。日本へ布教に来たキリスト教宣教師達は日本人達に問われた。

 全知全能の神がこの世界を作ったというなら、なぜこの世界はこんなにも辛く苦しいのだ? 入信していなかったというだけで先祖が永遠に地獄で苦しみ続けるというのは、あまりに無慈悲ではないか。そのような残酷な存在が本当に全知全能の存在なのか?


 これらは、そこらの無学な農民達が発した問いである。日本における布教は万事が万事こんな調子だったという。これには宣教師達の方が参ってしまった。高名なるフランシスコ・ザビエルは日本を離れる時、友人へ次のような手紙を送っている。

『精魂尽き果てた』


 さて。廃船の中では、ヤク中でアル中の転落男と変態が問答を繰り返していた。


 変態:この世界は無知蒙昧の闇に覆われている。

 ギイ:無知と混沌は人間社会の本質だろ。いい歳して何言ってんだ。


 変態:我が啓蒙により人々は覚醒し、新たな世界を見る。

 ギイ:まずお前が蒙を啓け。鏡を見て自分を見つめなおせ。


 変態:女達の胎で精製した聖体が新たな象徴となるのだ。

 ギイ:そんな気持ち悪いもん誰がありがたがるんだよアホか。


 こんな調子の無意味かつ無価値な内容をいちいち記していたら、文字数とデータ容量が無駄に増えるだけなので割愛する。


 仮に変態男の言葉が正しいとしても、女性を拷問強姦して殺害する正当性は一切生じない。その辺をギイが指摘すると、変態男はカス共がよく口にする「幸せな犠牲」とやらで済まされた。黒蛭に張り付けられている娘はどう見ても幸せそうには見えなかったが。


 むろん、エリート教育を受けたギイはそんな戯言を受け入れたりしない。変態男の誤謬を指摘し、誤認を否定し、妄言を一蹴した。

 もっとも、正論でどれほど殴りつけても意に介さないのが狂人というもので、自らを正義と信じて疑わないアホはどれほど論理立てて批判してもまったく聞き入れない。


 かくして、実に無意味で無価値なやり取りが続く。何時間もだらだらと。気づけば夜が明けていたが、それでも駄法螺問答は止みそうにない。囚われている全裸の娘が凍死しかけ、スラムの方から一斉捜索の喧騒が届いてきたが、それでも愚にもつかないやり取りは続く。


 やがて酒と薬が切れて禁断症状が出始めたギイは、急速に思考力が低下していた。酒と薬切れに伴う鮮烈な頭痛と吐き気と寒気と末肢の痙攣、酒と薬に対する飢餓感と執着心、焦燥感に苛まれる。ついには脂汗を流しながらその場にうずくまってしまう。


 それこそが変態男の待っていた“機”だった。駄法螺を重ねて時間を無為に蕩尽したのは、ギイの心身が限界を迎える瞬間を待っていたからだ。


 変態男は薄笑いを浮かべてギイに歩み寄る。

「苦しいか、魔導士よ。お前の魂は汚濁に漬かり、穢れきっている。だが、私の啓蒙を受けいれば、お前の魂は浄化され、より素晴らしい高みへ昇華されるだろう」


「僕に必要なのはお前のくだらない戯言じゃなくて、酒だ。それと薬だ」

 窮地にあってこの反抗心は見事だが、ギイの口から出たセリフは実に情けない。


「もっと良いものがある」

 変態男は魔導術を駆使した。

「魔導術士よ。啓蒙の儀を見せてやろう」


 大きな黒蛭が器用に祭壇へ近づき、裸の娘を祭壇へ括り付ける。両手足を大の字に開かれ、娘は猿轡をつけられた口からくぐもった悲鳴を上げる。


 涙に濡れた瞳がギイに救いを求める。しかし、ギイは拘束されたままだし、娘の悲鳴が酷い頭痛を生んでいて、何もできなかった。


「まずはこの娘に祝福を授けんとな」

 変態男は口の両端を張り裂けそうなほど吊り上げ、御神体の骨盤に収まっていた鶏卵大の魔石を一つ手に取る。そして、娘の性器に押し込み始めた。

 娘が一層大きな悲鳴を上げ、痛みと恐怖から失禁して失神してしまう。


「おっと、しまった。忘れていた」

 変態男はそう呟くと小便に濡れた右手を舐めながら、左手でポケットをまさぐって包み紙を取り出す。失神を防ぐための刺激剤が詰まった包み紙を。


 運命の女神がサイコロを投げた瞬間だった。


 ギイの瞳孔が獲物を捉えたドラゴンのように絞られた。ヤク中は薬の臭いを嗅ぎ分ける。

 そして、禁断症状を起こしていたヤク中は一発キメることしか考えられない。脳味噌の全機能全思考力が薬のことだけに注がれる。それが禁断症状を起こしたヤク中という生物(クズ)である。


「それを寄こせ」

 がさりと身を揺らしながらギイは告げた。もう一度。

「それを、寄こせ。今すぐ」


「慌てるな。魔導士よ。お前にはもっと良いモノがある。だから―――」


「いいから、それを、さっさと、寄こせ……っ!」

 ギイは飢餓の極致にある狼みたいに涎を垂らしながら、血走った眼で変態男を睨み据えた。


「どうやら、予想以上にお前の魂は汚れきっているようだ」

 変態男は舌打ちした。ヤク中という存在に対する考えが甘かったことを痛感し、黒泥でギイの拘束を強化することを試みる。

 蛇の群れが襲い掛かるように、黒泥の触手の群れがギイへ迫った。


 が。

「薬を寄こせっ!!」

 名門マテルリッツ家の神童は身に触れていないブーツの舌革に隠した安物の魔鉱製リングを触媒に、薬物への凶暴な渇望を解き放つ。 


         〇


「あそこはどの辺りだ?」

 キネが建物の連なりが作る稜線の先に昇る噴煙を見ながら、ハーベイに問う。


「えっと……廃船場の方ですね」

 ハーベイが街区地図を広げ、噴煙と見比べながら答えた。


 廃船場。そこだ。そこが奴の隠れ家だ。

「現場へ急行するぞっ! ついてこいっ!!」

 キネはそう告げるや否や駆けだした。ハーベイも数人の武装憲兵隊を伴ってキネの後に続く。


 スラムの喧騒ほどではないものの、廃船場からも激しい騒音――それも戦闘騒音が聞こえていた。キネの脳裏に『あのお嬢様方が忍び込んで大捕り物してるんじゃないだろうな』と疑念が湧いた。


 流石にそれは穿った見方というものだった。

 まあ、事実としてアリシアとマリサは自分達の手で事件の決着(クローズ)を望んではいたが、一斉捜索の場に身を投じることは強く止められていた。


『一斉捜索の場は阿鼻叫喚になる。そこへ貴族令嬢がうろちょろしてみなさい。不特定多数から要らぬ恨みを買うわ。他人に憎まれるのは色々キツいわよ』

 ヴィルミーナから実感のこもった忠告を受け、これにはアリシアとマリサも自重せざるを得なかったのだ。


 キネは拳銃を握り締めてひたすら走る。白髪の目立つ50男にマラソンはキツい。

 それでも、キネは走る。犯人を逮捕するために。

 おぞましき悪を倒すために。

 事件に決着をつけるために。


        〇


 変態男はギイの暴発に対し、咄嗟に魔導防護障壁を構築したがとても防ぎきれなかった。それでも、膨大な魔力衝撃を天井へ逃がすことで“聖域”を守った。


 首に巻いたネックレスの魔導触媒――これまでの犠牲者の眼球水晶体を加工したもの――でなかったら、聖域ごと木っ端微塵に吹き飛ばされていたかもしれない。


“黒蛭”を使い、上甲板までぶち抜いた大穴から外へ脱出した変態男は、酷い魔力熱傷を負った左腕を一瞥し、薄く笑う。

「これはとんだ拾い物だ。啓蒙のし甲斐がある」


 問題は今の爆発をスラムで乱痴気騒ぎしている狗共に気取られただろうことだ。残り時間は少ない。企図していた儀式による啓蒙はもはや望めない。

 しかし、問題はない。師ラコルデールが示したやり方で啓蒙させるだけだ。


 変態男は上甲板から大穴を見下ろし、船底のギイへ告げた。

「掛かってくるが良い、魔導士よ。お前を導いてやろう」


 拘束を吹き飛ばしたギイは、安い挑発に乗った。瞬間的に大気中の水分を収斂凍結させて上甲板まで通じる階段を構築。ふらふらと体を揺らしながら登っていく。


 ギイは目を血走らせ、脂汗を流し、息を激しく荒げていた。一種の自動操縦状態になっており、直感的かつ瞬発的に魔導術を駆使するという超人的状態に至っていた。


 同時に禁断症状の震顫譫妄が始まっており、目に映る全ての物体が極彩色で彩られ、魔導術理と魔導言語で描かれていた。周りの廃船も空に浮かぶ雲も視界に映る自身の手足すらも。

 カビとコケの音色が聞こえる。寒気と冷気と焼けた魔素の味が味蕾をくすぐる。ニューロンと赤血球の悲鳴が臭う。多種多彩な光源色の刺激が触感を焦がしている。


 それでも鮮烈な飢餓感と強迫的な執着心を以って、ギイは餓狼の如く連続殺人鬼へ向かっていく。

 事件を解決するためでも、悪を倒すためでも、正義を為すためでもない。

 薬物を奪い取るために。殺してでも奪い取るために。


 なんとまあ。

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[一言] ひっどい話だなあw
[一言] はっきり告白します 今話読むまでギイが犯人だとずっと思ってました ミスリードの使い方が上手いですね
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