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大陸共通暦1760年:ベルネシア王国暦243年:晩春。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国北部:王都オーステルガム。
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まさかゴブリンの皮からカーボンファイバーモドキが生まれるとは……つくづくファンタジーの世界やな。意味分からんわ。
放課後を迎え、ヴィルミーナはすぐに帰らず、学生食堂に寄り一服入れていた。迎えに来た家人達は申し訳ないが少し待たせている。
御茶ではなく珈琲を口にし、ふっと一息。
外洋進出に伴い、大陸南方の嗜好品である珈琲も大陸西方に出回っていた。当初は真っ黒な見た目と、宗教的経緯(大陸南方は聖王教の仇敵クナーハ教の縄張りである)から異教徒の飲み物として忌避されたが、今ではそれなりに普及していた。むしろ、平民には御茶より受けが良いかもしれない。
「はー、くたびれるわぁ……」
事の発端は数日前。
クェザリン郡より早馬の急報が届けられた。
曰く―――『ヤベェ物こさえてもうた』
※ ※ ※
『ヤベェ物』を語るには『茶会のビンタ事件』があった年まで遡る。
ヴィルミーナがレーヴレヒトに新型馬車の開発を押し付け――もとい、委託した件だ。
レーヴレヒトはいつもの如く密やかに事を勧めようとしたが、やはり無理だった。
馬車というモノは9歳児が密かに作るにはやはりデカすぎた。しかも、ヴィルミーナの要望は技術的水準が高すぎた。もうどうあってもレーヴレヒト個人では隠しようがない。
仕方なくレーヴレヒトは父へ話を持ち込んだ。
「ヴィルミーナ様が諸外国の技術や知識をいろいろ学んだところ、それらを総合的にまとめれば、こういうものが作れるのでは、と仰っています」
ヴィルミーナ自身の発想ではないよ、既存の知識と技術だよ、と嘘っぱちを並べて誤魔化す辺りにレーヴレヒトの苦心と配慮が窺える。
「実現できれば、既存の馬車よりずっと高性能な物となります。軍用、商用、民用、あらゆる場に需要があります」
「しかし、これはかなり複雑な構造だし、用いられる素材も多岐に渡る。郡の馬車工房ではとても扱え切れないのではないか?」
「この際、クェザリン郡を上げて実行しませんか? 新型馬車の各部品は基礎研究物に近いですから、応用性も多様性も高いです。成功すれば、領内にいくつも生産、製造拠点を建てられます」
「たしかに、上手くいけば雇用と領民の収入が増すが……先行投資分だけでもバカにならんぞ。その金はどこから調達する気だ?」
「ヴィルミーナ様に出資していただきます」
「ん? ユーフェリア様ではなく、ヴィルミーナ様か?」
「父上は御存じなかったようですが、ヴィルミーナ様は既に投資などで財を成した一廉の資産家ですよ。多分、当家よりもずっと御金持ちです」
「えぇ……」と困惑する父のゼーロウ男爵。
ともあれ、ヴィルミーナの『私のお尻のためよっ!』から始まった新型馬車開発は、クェザリン郡を挙げてのビッグプロジェクトとなった。
が、御存じのように開発は難航していた(1:5参照)。
そもそも近代初期のこの時代に地球現代の水準を求める方が間違っている。技術とは蓄積である。仕組みが分かっていても、すぐには実現できない。幕末や明治初期の四苦八苦振りを見れば良い。ポンポン上手くいくのは創作物の中だけだ。
事実、三年経っても、新型馬車の完成は遠かった。
ただし、諸々の基礎研究開発は一部が成功している。
スライム由来の改良疑似ゴムは成功し、ゼーロウ男爵家は新しい加工法として既存の疑似ゴム製造会社に提供、パテント料を受け取っている。
なお、ヴィルミーナはこの情報を使って事前に疑似ゴム製造業やスライム養殖業者に投資して大儲けした。インサイダー取引、美味しいです。
この後に、馬車用チューブレスタイヤとドラムブレーキの製造会社がクェザリン郡に設立した。ヴィルミーナとゼーロウ男爵家と与力衆が出資して起ち上げた会社である。
玉軸受けは結局、鋼鉄の品質問題を解決できなかったので、魔鉱合金を用いて伝統的なコロ軸受けに変更。高価な魔鉱合金を均一なボールベアリングに加工するのは難しかったし、高くつきすぎたからだ。
サスペンションとダンパーは悪戦苦闘の連続だった。
幾度もの試作の末、複筒式ダンパーは金属加工の職人芸によってなんとか実現した。剛性の問題から当初の予定より大きく重くなったが、仕方ない。
充填するオイルも実用に耐える物が完成した。なお、開発されたダンパーが後に火砲の駐退機の元となり、火砲の性能向上に寄与するが、この時はまだヴィルミーナすら想像していない。
そして、サスペンションはコイル式バネを断念した。
クェザリンの工房では、どうあがいても要求水準を満たすバネ鋼と要求条件に届くコイル式バネを作れなかったため、見切りをつけたのだ。
なので、従来通りの板バネで挑戦することになった。
が、バカにした物ではない。現代地球の一部車種は板バネ(精確にはリーフ型サスペンション)が現役なのだから。要は要求水準を満たす高性能な板バネを作れば良いのだ。まあ、それはそれで嫌気がさすほど苦難の道だったが。
問題の『アレ』はこの板バネ作りの最中に発生した。
板バネは鉄でも良いが、やはり鋼がよろしい。しかし、産業革命前のこの近代初期に鋼の量産は地獄への片道切符。ならば、モンスター素材などから試す方が無難であろう。
というわけで、板バネ素材作りに四苦八苦していた今年の晩春。
手当たり次第の試行錯誤の一つとして、小鬼猿の皮を魔素性薬品で処理し、外洋領土産の植物系モンスターの樹脂で加工した。その結果、炭素繊維強化プラスチック(CFRP)素材に近い剛性と靭性を発揮する繊維製素材が誕生したのだ。
この小鬼猿由来の素材は、製造が高コストで加工がヒジョーに難しい超難削素材というCFRP同様の問題を抱えていたが、その性能はこの時代に到達しうる生体性有機強化繊維の極北だった。
『ゴブリンファイバー』と名付けられた代物の価値は、技術関係に疎い者ですら理解できた。
こんなヤベェ物は一代官所で扱いきれない、と。
『ゴブリンファイバー』がもたらす影響は改良疑似ゴムの比ではない。CFRPはそれこそ釣り竿からロケット部品まで使い回せる代物なのだ。今後、世界にどんな影響を及ぼすか、才児レーヴレヒトでも想像すらできなかった。
かくして、ゼーロウ男爵はレーヴレヒトの勧めでヴィルミーナへ早馬を出したのだった。
※ ※ ※
一報を受けたヴィルミーナは仰天した。
まず、捨て値同然のゴブリンの皮を加工したらカーボンファイバーモドキが生まれた事実に驚愕。
(ファンタジー世界は出鱈目やな)
続いて、そんな突飛なアイデアを実現させた人物がいたことの衝撃。
(天才っちゅうのはどこの世界にもおるんやなぁ……)
そして、事の重大さに慄然した。
(ヤバいヤツやん。これ、激ヤバなヤツやん)
ヴィルミーナはすぐさまレーヴレヒト達に『王国府へ詳細な報告書を提出し、さらに緘口令を敷いて秘匿を徹底しろ』と命じた。スポンサー権限のフル行使だ。
『下手をすれば、関係者一同を死ぬまで軟禁はもちろん、情報漏洩したら関係者の御家断絶もあり得る』と添えて。
関係者の誰も彼もが目を覆った。レーヴレヒトだけは「まあ、そうなるな」と冷静だったが。
ゼーロウ男爵が主要関係者を伴って王国府へ直行。王国府のお偉方に報告した(この時、王妹大公屋敷にも訪れ、ヴィルミーナとユーフェリアにも改めて詳細を説明した)。
報せを受けた王国府も仰天した。
すぐさま機密指定して専属研究チームを結成。クェザリン郡の『ゴブリンファイバー』製作所から一切合切、それこそゴミ箱の糸クズに至るまで王国府の研究所へ運び込んだ。研究開発に当たっていた職人や技師達は一人残らず王都の研究施設に雇用、という形で囲い込まれ、家族揃って王都へ移住させられた。
で、この騒動の原因――発注者であるヴィルミーナも御上から何度も事情聴取と聞き取り調査を受け―――あれこれと案出ししていたのもバレてしまった。あー、めんどい。
『現状の馬車だとお尻が痛いから、もっと乗り心地の良い馬車が欲しかった』と情けない発注理由を何度言わされたことか……。まあ、その都度「気持ちはわかる」と言われたけれども。皆、乗り心地に不満があったんだね。
はあ……巡り巡って税務局の注意も引いちゃったし……参ったわぁ。
御上は『ゴブリンファイバー』の開発経緯を調べる一環として、ヴィルミーナの身辺調査をし、その資産状況を把握して驚いた。これに伴い、税務局が熱い視線を送るようになった。搾るぜぇ搾るぜぇ超搾るぜぇと言わんばかりの熱視線を。
ほとぼりが冷めるまで大人しくしてるかな。
―――とはいかなかった。
〇
昼休み。ヴィルミーナが学生食堂で食後の御茶を啜っていると、
「聞きましたよ、ヴィーナ様。なにやらとても面白そうなことをしていたようですね」
守銭奴仲間のメルフィナがヴィルミーナの隣に腰を下ろし、すべすべお肌の頬を突く。
「酷いです。酷いです。ビジネスパートナーの私に隠れて面白そうなことするなんて」
「今回の件は完全な予想外よ。私はただ乗り心地が良い馬車が欲しかっただけなんだから。それを新素材の開発とか……びっくりよ。これからどうなるのやら……頭が痛いわ」
ヴィルミーナは甘えるようにメルフィナの肩に頭を預ける。メルフィナが驚いたように身を固くするが、微笑みながらヴィルミーナの髪を撫で始めた。取り巻き達が羨望と嫉妬と憧憬の眼差しを向け、一部が『貴い……』と意味不明なことを申す。
「税務局にも目ェつけられちゃったし……しばらくは大人しくしてるわ」
「サロンの方はどうなさるので?」
「経営自体は軌道に乗ったし、ここらでメルへ完全に譲っても良いかな」
「えー? 私はヴィーナ様ともっと一緒に続けたいです」
まだまだ遊び足りないと言いたげなメルフィナに、ヴィルミーナは微苦笑をこぼして姿勢を正した。身を離したヴィルミーナにどこか惜しげなメルフィナと一部取り巻き。
「じゃあ、当分は相談顧問として居座るけれど、事業自体はメルに任せるわ。好きにおやり」
「むー……仕方ないですね。それで手を打ちましょう」
メルフィナは不服そうに頬を膨らませて了承した。可愛い。
「それにしても、なぜ馬車作りで新素材が開発されたのです?」
「こっちが聞きたいわよ」
ヴィルミーナは自分の過剰な要求のせいだとは露ほども思っていなかった。
「ヴィーナ様、御歓談中失礼します」
背の高い青年が声を掛けてきた。
レーヴレヒトの兄、ゼーロウ男爵家嫡男アルブレヒトだ。三歳年上の彼は既に高等部生で、涼しげな優男である弟と違い、実直そうな偉丈夫だった。面立ちは父親のゼーロウ男爵にそっくりだ。
ヴィルミーナはゼーロウ弟とは『秘密の共有者』でビジネスパートナーで盟友であるが、兄アルブレヒトとはさほど親しくない。彼の方も弟が親しくしている関係か一歩引いた付き合い方をしていた。
ただ、ヴィルミーナはアルブレヒトのことを評価している。サイコパス気質でギフテッドなゼーロウ弟に対し、ゼーロウ兄の方は良くも悪くも普通だった。が、誠実で篤実で真面目な人柄は信用性という意味では弟よりも『人物』と言える。
ちなみに、一つ年下の伯爵家御令嬢と大恋愛をされているという。やるな、ゼーロウ兄。
「これは、アル様。ごきげんよう」
ヴィルミーナは腰を上げ、礼儀正しく一礼。次いで、メルフィナ達へ告げる。
「ごめんなさい、中座するわね」
メルフィナ達が了承の首肯を返す。
「こちら(初等部)に来られるのは珍しいですね。どうされました?」
「昨日、実家から報せが届きました」
アルブレヒトは言った。
「件のことで父が再び王都に参ることになりました。その際、弟が同道するそうで、ヴィーナ様に御挨拶の機会をいただきたいと。よろしいでしょうか?」
ああ、『ゴブリンファイバー』絡みの説明と今後の相談ね。
「レヴ君は刎頸の友です。喜んで歓待しますとお伝えください」
「御厚情有難く。王都に到着したら、その旨を伝えます。日取りの方はまた後日に」
「御足労、感謝しますアル様。ありがとうございました」
去っていくアルブレヒトを見送り、ヴィルミーナはメルフィナ達の元へ戻る。
「何やらとっても良いことがあったようですね、ヴィーナ様。吉報ですか?」
「地方に住んでいる友達が王都に来ると聞いてね」
ニコニコ顔でヴィルミーナが答えると、メルフィナは目を細めた。
「幾度か話に聞いたゼーロウ男爵家御次男様ですね?」
「察しがいいわね」
メルフィナはくすりと一笑し、告げた。
「よろしければ、私にもご紹介いただけませんか?」
「……んん?」
訝しげに片眉を上げたヴィルミーナに、メルフィナは苦笑いして、
「そう警戒なさらなくても、横恋慕したりしませんよ。私、ヴィーナ様との友誼を損なうつもりはありません」
「横恋慕も何も、私は彼に懸想してないんだけれど……」
「え?」と目を瞬かせる。
「え?」
メルフィナの反応にヴィルミーナも困惑を覚える。
「「え?」」
二人は揃って相手を訝り、小首を傾げた。




