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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第2部:乙女時代

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117/336

11:4

大陸共通暦1768年:ベルネシア王国暦251年:冬。

大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。

―――――――――――

 その時、ギイの世界は極彩色に満ちていた。


 ボロアパートの寝室にある全て――大気、湿気、温度、天井、壁、窓、ベッドなどの家具、散乱するゴミ、部屋の隅をこそこそ動くネズミ。視界に映るあらゆる物が乱数的多色に染まり、魔導術式と魔導言語をまとっていた。

 ギイにまたがり肉悦をもたらしている若い娼婦も、極彩色と魔導術表記に塗れていた。体の動きに合わせて色調の濃淡と明暗が蠢き、魔導術表記が躍る。


 湿気と寒気の音色が鼓膜を叩く。体温と肉悦と星灯りの味が舌に広がる。血流と神経信号の匂いが肺胞の一つ一つまで染みる。光源色の刺激が肌と粘膜と神経を焼いていた。


 大量の酒。ダウナーな阿片と鎮静剤。アッパーな刺激剤と興奮剤。感覚を刺激する情交。頭の毛先から足の爪先まで脳内分泌物に漬かり、神経系が絶え間なくめちゃくちゃな信号を発し続けている。

 今やギイの知覚と認識は肉の檻から飛び出し、霊の世界へ解放されていた。


 そして、絶頂に伴う血流の変化と脳内分泌物の一斉大量放出がギイの知覚を激変させる。


 瞬間。

 視界いっぱいに広がる極彩色と光源色の乱流が、幾何学模様の羽を持つ巨大な蝶へ位相変化した。大きく広げられた羽と胴体部にある環状模様が、ぎょろりと目玉のように蠢き、ギイを見下ろす。


 ギイは見る。

 蝶が向けてくる三つの目玉を通し、魔導の深奥を覗き見る。

 多種多様な極彩色で染まった魔導術理と魔導言語の渦がとぐろを巻き、渦の深奥には――


 ギイの上に沈み込んできた娼婦の温もりが、ギイを超感覚世界から引き戻した。

 現実に引き戻されたギイは、体の芯で衝動の激しい沸騰を感じる。脳に刻み込まれた魔導の深奥を表現する欲求に突き動かされる。他のことはもう何も考えられない。


 ギイは娼婦を乱暴に振り払い、薬物と酒に漬かり切っているとは思えぬほどしっかりした挙動で衣服を着込み、部屋を出ていく。

 頭の中にインプットされた真理をアウトプットし、この世界を啓蒙しなくてはならない。

 奇妙な使命感を持って、ギイは進んでいく。


 その行為が一切記憶に残らずとも、ギイは気にしない。部屋に戻って正気に返った時、手や着衣に血が付いていても、ギイは気にしない。

 今のギイは現実を超越した世界を生きている。


      〇


 アリシアは張り切っていた。

 ウルフボブをキャスケットで覆い、パンツルックに防寒コートを着込んだ姿は、アクティブなアウトドア派そのものだ。なお、腰にヴィルミーナから支給された小型拳銃を下げている。背負ったバッグには自称『捜査キット』が収まっていた。


 マリサはどこか楽しんでいた。

 髪をショートポニーに結い上げ、真っ赤なケープコートを羽織り、特注義足を晒すようにスリットの深いロングスカートを穿いていた。左腰にヴィルミーナの小型拳銃を、右腰に私物の口径の大きな回転式拳銃を下げている。


「マリちゃん、がんばろーねっ!」

 握り拳を作って鼻息を荒くするアリシア。既にブレーキが外れそうな予感。

「今更ながらにコレットの重要さを痛感するわ」

 マリサは眉を大きく下げつつ、言った。

「ほんじゃ行くか。まずは教会に行って関係者に話を聞こう」

「がんばるぞーっ!!」

 そういうことになった。


 2人は町馬車に乗り、若い尼僧カルナ・ベフォンが住み込んで勤めていた計画拡張区の教会へ向かう。

 道中、アリシアがバッグからメモ帳を取り出し、マリサと情報の共有と確認を図る。

「カルナちゃんが攫われる前のことも確認するの?」


「犯人は事件前から尼さんに目をつけて、生活習慣とか行動圏とか調べてたと思うんだよ。でなけりゃパパッと攫うなんて出来ないからさ」

「……私、犯人が傍にいたのに気づけなかったのかな」

 アリシアは沈痛な面持ちで下唇を噛む。


 その感情に覚えがあるマリサは、気遣うようにアリシアの肩を優しく叩き、話を進める。

「皆が気付かなかったんだ。アリスだけの責任じゃない。そもそも全て犯人が悪い。見つけ出して二度と固いもん食えないようにしてやろう」

「……うん。ぼっこぼこにする」

 ぎゅっと拳を握りこむアリシア。シリアスな場面でアレだが、女子としてこのやり取りはふさわしいのだろうか……はなはだ疑問である。


「ともかく、事件数日前から尼さんの行動を調べよう。そのうえで、尼さんを監視、観察し易い場所を順次調べる。そこに犯人の痕跡があるかもしれない。なんにせよ、ひたすら歩きまくることになるからな。疲れても泣き言垂れるなよ」

 マリサが不敵に微笑んで告げると、アリシアは唇を尖らせた。

「マリちゃんこそ義足なんだから、辛くなって泣き言を言わないでよ」


「おーおーおー、言ったな。先に泣き言抜かした方が晩飯を奢る。どうよ?」

「受けてたーつっ!」


     〇


 キネ憲兵大尉はハーベイ憲兵中尉を連れ、再び魔導学院を訪ねていた。

 その目つきは鋭く、面持ちは極めて険しい。応対した魔導学院側の職員が怯むほどの圧力を放っている。

「どうもそちらに誤解があったようなので、こうして再びお邪魔させていただきました」


「誤解、とおっしゃいますと?」

 職員がおずおずと問うと、キネは睨むように職員を見据えながら切り出す。

「今回の事件にはスタロドープの変形魔導術式と、古代魔導術の儀式的行為が深く関わっている可能性が判明しました。我々でも突き止められたことを、魔導術教育の最高峰たる魔導学院が知らないなんてことはありえないでしょう? だから、前回の知らないという回答は誤解だと思いましてね」


「それは、」

 回答に詰まる職員へ、キネは追い立てるように言葉を重ねる。

「あくまで魔導学院では分からない、というならば、それでも構いませんよ。ただまあ、その場合は魔導学院の知見が実はさほど大したことがない、といった類の記事が流れるかもしれませんな」


「脅迫するつもりですかっ!」と職員が思わず声を荒げた。

「こんなもの脅迫のうちに入るか。あんたは知っていた事実を伏せて捜査の妨害を図ったんだ。関係者を檻にぶち込んでもいいんだぞ。拘留期限いっぱいまでキンキンに冷えた留置場にぶち込んでやる。どうだ。これが脅迫だ。満足したか」


 凄みを利かせてまくし立てた後、キネは出されたお茶を口へ運ぶ。のどを潤してから多少態度を和らげ、顔を蒼くした職員へ語り掛ける。


「こっちは魔導学院の学内自治権をどうこうしたいわけじゃない。若い女性を嬲り殺してるクズを逮捕したいだけだ。犯人が専門的な魔導学に通じているとなれば、あんたらに情報を提供してもらう他ないだろう。それとも、あんたらは被害者が増えても構わないってのか?」


「私共も捜査協力を拒んでいるわけではありません。そこは誤解なさらないでください」

 職員は大きく息を吐き、額を押さえた。

「何をどうしろというんです?」


 キネは首肯し、礼儀を払って答えた。

「まずは魔導学院でスタロドープと古代魔導術を専攻している教職員に会わせて貰います。そのうえで、卒業生と職員のリストを提出していただく。場合によっては評価表なども」


「待ってくださいっ! 評価表は部外秘資料ですっ! 外には出せませんっ!」

 悲鳴を上げる職員。


 個人情報保護法があるわけではないし、そうした意識もまだない。ただし、成績を始めとして習得した技術や技能、当人の素養や素質などを記録した評価表はいろいろな意味で重要情報だから、魔導学院としても極めて厳重に管理している。当然、外には出せない。


「貴方が判断と責任を負えないというなら、それが出来る方を呼んでください。こちらは退く気はありませんよ」

 だが、キネは妥協する姿勢を見せない。この筋を事件解決の突破口と見做しているためだった。もちろん、既に舐めた真似をされたことも尾を引いている。

 お巡りさんを怒らせると怖いのだ。


        〇


 アリシア達と憲兵隊がそれぞれの突破口へ突き進む少し前のこと。

 王太子エドワードからギイ捜索命令を受けた便利屋カイは、数日に渡って情報を集め、ギイの足取りを追った。マテルリッツ家の捜索が及ばぬ場所は限られるし、既存の人間関係に頼らず姿を隠せる場所となれば―――


 スラムしかない。


 そして、スラムに小柄な若い魔導遣いが流れ着いたというネタを掴み、カイはギイがスラムに居ることを確信した。


 とはいえ、捜索の手がスラムに迫っていることをギイが知ったら、どこかへ逃げたり、またぞろ姿を隠したりしてしまうかもしれない。捜索はこっそりと行う方が良いだろう。


 ただし、スラムに潜り込むことは簡単なようで難しい。どれだけ小汚いボロをまとっても、スラムに入って10分もすれば、『偽装』がバレる。


 同じ人間でも、スラムの住人と一般人はそれほどに違う。

 髪と肌の色つや。手足や指先の汚れ具合。体臭。歩き方や姿勢。何より目つきが違う。

 スラムの人間の目は、自己憐憫と自己嫌悪、悲哀と憤怒、剥き出しの欲望と希望に対する飢餓、諦観と達観、絶望と虚無に満ち、自分と世界への失望に溢れている。


 だから、カイはスラムにこっそり潜入してギイを捜索することを早々に諦めた。

 代わりに『刺激を求めてスラムまで踏み込んできた貴族のバカボンボン』を装ってスラムの安酒場に入ると、まず店内の全員に一杯奢った。

 もちろん店主に『混ぜ物のない酒を出せよ? あるならな』と軽口を叩くことも忘れない。

 年増の娼婦達に『流石に母上より年上を抱く気にゃならないぜ』と悪態を吐いて、阿片や薬物は『そいつをやると勃ち具合が悪くなるっていうじゃないか。俺はまだ大砲を不発にする気はないぜ。要らねーよ』と断る。


 ギイの情報は率先して求めない。ただ『この辺り特有の面白い話はないか?』と言うだけ。スラムはワケアリが多いから、誰それを探している、という話の振り方は要らぬ警戒心を与えてしまう。あくまで相手方から出された情報に食いつくか、迂遠に誘導するしかない。


 安酒で悪酔いすること幾晩。予期せぬ手掛かりを掴む。

「落書き?」


「ああ。近頃、港湾部近くの建物に気味の悪い落書きが流行っててね」と日雇い人。


 近頃、港湾部近くのスラムで、幾何学模様の羽を持つ蝶の大きな絵が描かれているという。

 その蝶には見たこともない文字が書き連ねられていて、見る者の不安を掻き立てるとか(説明を聞く限り、魔導言語の類らしい)。


 ギイか? カイは慎重に探りを入れる。

「王都中が例の殺人鬼にビビっちまってるってのに、あんたらは落書きを怖がるのかい? 剛毅なんだか暢気なんだか」


 カイにからかわれ、日雇い人はムッとした。

「そうは言うがね、貴族の兄さん。ここらじゃあ人死になんて珍しくもないよ。それに憲兵隊だってろくに捜査してくれねェしよ」


 割とマジな話である。

 通報されれば、憲兵隊もスラムまで足を運ぶ。しかし、その捜査は実におざなりだった。


 なんせ事件発生率が一般地域より桁違いに高い。簡単に解決できそうなら捜査するし、手間がかかりそうなら打ち切りだ(お巡りさんは忙しいのだ)。

 酷い場合になると『捜査の結果、実は事故死/病死でした』で事件自体をなかったことにしたり、その辺の奴を適当に捕まえて無理やり『自白』させてしまう(お巡りさんは忙しいのだ)。


 現代地球ではありえない……と言いたいが、警察不祥事の報道を見るように、現代地球でもこの手のことは絶えない。

「殺人鬼より隣のパッパラパーの方がおっかないわね」と近くにいた娼婦が笑う。


「七丁目の辺りなら殺人鬼をやっつけられるンじゃねーか? あそこのポン引きは腕が立つからな」

 アル中の爺様が言った。


「腕の立つポン引き?」

 ポン引きが娼婦達の用心棒を兼ねていることはカイも知っている。もっとも、ある程度の稼ぎがあるポン引きは腕の立つ用心棒を雇ったりするが。


「おおよ。小柄でカワイイ面したガキなんだが、これがなんと魔導遣いだ」

「確かにあのポン引き小僧はやるぜ。前にぶっ飛ばされたボンクラが“道具”持ってお礼参りしたけど、ぱぱっと返り討ちにしちまった」

 別の席で安酒を飲んでいたチンピラが、右手でピストルを模しながら言った。


 ギイだ。

 カイは確信する。同時に内心で驚いていた。

 ギイがポン引き?


 が、チンピラの口にした言葉の続きに耳を疑う。

「でも、あの魔導遣いの小僧もかなりヤベーぞ。いつもバッチバチにキメてやがる。あんだけラリッた魔導遣いなんて歩く爆弾と変わらねェ。殺人鬼よりおっかねーよ」

「それならそれで殺人鬼もビビッて近づかねえさ」

 ははは~と笑う吞兵衛共。


 カイは驚愕を通り越して動揺していた。

 ポン引きになった挙句、ヤク中になってるのか? ギイ、お前どうしちまったんだ?


          〇


 犯罪捜査の多くの時間は地味な作業の積み重ねだ。漫画やテレビドラマなら描写カットの連なりで流されてしまうほどに地味だ。


 憲兵隊は魔導学院から引っ張り出したスタロドープと古代魔導術に関係する卒業生や職員のリストを基に、怪しい人間を絞り込んでいる。


 パソコンみたいに便利な電子情報機器のない時代だ。全てが紙資料であり、全てが手作業。根気と集中力、何より時間が求められた。


 アリシアとマリサは尼僧カルナ・ベフォンの足取りを粘り強く追跡した。教会関係者に話を聞き、教会周辺の住民やカルナの交友関係者から話を聞き、時系列を確認。カルナの行動を順に追っていき、その都度、カルナを監視し、覗き見られる場所を探して調べる。ひたすらに歩いて一つ一つ丹念に調べていく。

 これもまた、時間を食われる作業だった。


 そして、彼らにとって時間は敵だった。


 一線を越えた連続殺人犯は止まることがない。

 目的(殺人)を果たすと、連続殺人犯は欲望が満たされた充足感から行動を抑える。また、被害者から獲得した戦利品や報道によって犯行時を反芻し、遺族の苦しみや社会の恐怖を想像して悦に耽ることで、衝動抑制期間に入る。


 もっとも人間はどんなことにも慣れ、鈍感になっていく。快感を求めて犯行の間隔が短くなるか、快感を求めて犯行期間が定期性を持つ。

 連続殺人鬼は満足するまで(飽きるまで)止まることはない。あるいは、別件で逮捕されて刑務所に放り込まれるような事態が生じない限り、止まることはない。


 アリシアとマリサが犯人の痕跡を探して街を歩き回り、憲兵隊がリストの絞り込み作業と裏取り作業を進めていく。


 この時期、王都のそこら中に憲兵隊がいた。平時の巡邏に加え、武装憲兵もパトロールに参加。冒険者や一般平民の有志見回りもそこかしこにいた。

 王都内で空き巣や窃盗、スリやひったくり、喧嘩騒ぎなどの軽犯罪が激減したほどだ。


 街の状況を聞かされた宰相ペターゼン侯は『連続殺人鬼が怖いというのもあるんだろうが、不況の鬱憤を犯人探しで晴らしているのではないか』という推察を書き残している。


 この厳戒状況では、連続殺人犯も勝手が違ったらしい。


      〇


 薄暮時。

 冬の澄んだ空は夕日と夜が混ざり合っている。闇が広がり始めた街に、魔導灯や油灯がぽつぽつと点されていく。


 魔導学院生シャルロット・マジメルはアルバイトの先の魔導具店から帰寮中だった。


 うら若き16歳。学院の成績は下の中とパッとしない。学院制服を蓮っ葉に着崩し、校則違反の化粧(童顔には似合わない)をした見た目は、人種的事情と合わせて白ギャルっぽかった。

 そんな成績と見た目は劣等生のシャルロットだが、魔導適性だけはかなり高い。


「だーら、送ってくれなくてもぉ、ぜんぜん大丈夫っスからぁ」

 疎ましげに告げるシャルロット。


「遠慮すんなってよぉ。殺人鬼がうろちょろしてっしよぉ。送ってやるってよぉ」

 隙っ歯が目立つこのアラサー男はアルバイト先の魔導具店店長の弟だ。

 何かにつけてシャルロットに粉をかけている。態度と目線からこのおっさんの目的がシャルロットの若い身体であることは疑いようもなく、シャルロットもちゃんと気付いている。


 見た目と成績は緩く軽いが、脳味噌は別に軽くもないシャルロットは、こんなパッとしないおっさんを相手にする気は毛頭ない。そもそも、シャルロットには魔導学院に彼氏がいる。


 ただし、おっさんはしつこかった。彼氏がいるんでー、といっても全く諦めない。どうも、大人の魅力(笑)で小僧からシャルロットを寝取ってやろうとか企んでいるようだ。その自信はどこから来てるんですかねえ……


 これまでおっさんの鬱陶しさは店内に限られていたが、二件目の殺人が起きてからは送り迎えと称して、店外にまで及んでいた。飯を奢ってやるだのなんだの言ってくるが、誘う店舗が連れ込み宿のある街区とか、露骨すぎて笑えてくる。


 仕事が楽だしぃ給金も悪くなかったけどぉ、おっさんチョーうっぜーし、冬いっぱいで辞めんべ。

 シャルロットは内心で辞職を決めつつ、計画拡張区域海竜大通りから脇の小路へ入る。


 近道というほど距離を詰められるわけじゃないが、この小路には野良猫がちょろちょろいて、シャルロットはその猫達とちょっとした触れ合いを楽しんでいた。まあ、おっさんが付きまとう以上、その楽しみも控えざるを得なかったが。


 シャルロットと余計なお供は小路を進む。今日は猫ちゃん達が見当たらない。代わりに配送会社らしいマークが描かれた一頭牽きの幌馬車が停まっていた。


 馬車の脇を抜ける時、おっさんが肩を抱こうと手を伸ばしてきた。

 てっめ、おっさん。大概にしろやぁっ!

 シャルロットはおっさんの手を払い、イラつきながら一歩前に出て振り返り、

「いい加減に―――」

 見た。


 幌馬車の中から、巨大な蛭みたいな黒い影が襲い掛かってくる様を。


 シャルロットは劣等生だ。成績も生活態度も悪い。だが、反射神経は悪くなかった。即座に風圧衝撃で迎撃を企図する。


 しかし、ぼけらっとしたおっさんが邪魔で、シャルロットは魔導術の発動を躊躇。

 ぼけらっとしたおっさんは黒い影の動きも妨害した。

 黒い影が邪魔なおっさんをまず飲み込んだため、シャルロットを飲み込むまでに一瞬の間隙を生んだ。


「助けてぇっ!」

 小路に響くシャルロットの悲鳴。


 直後、黒い影はシャルロットを飲み込み、おっさん共々シャルロットを幌馬車の中へ引きずり込んだ。


 シャルロットの悲鳴は短く、その拉致は瞬く間の出来事だったが、その声は確実に小路の外まで届き、王都中に展開していた三人の巡邏憲兵の耳に届く。


 巡邏憲兵達は当然のように小路へ向かう。先頭の憲兵がカンテラで小路を照らす。誰もいない。一頭牽き馬車の御者席にも人はいなかった。それらしい痕跡も見当たらない。


 それでも、憲兵達は引き返したりしなかった。

 緊張した面持ちで右腰に下げた回転式拳銃の銃把を握り、馬車へ近づいていく。


 カンテラを持った憲兵が幌馬車の中を覗き込み、刹那、その首がすっ飛ぶ。

 次の瞬間、残り二人の憲兵達にも黒い鞭が襲い掛かり、一人が胸部で両断され、最後の一人も袈裟切りにされた。


 が、袈裟切りにされた憲兵は消える寸前の命の灯を燃やして警笛を力いっぱい吹く。

 その警笛の音色は街区中につんざいた。

 憲兵は命を懸けて義務を果たした。


 警笛の音色は憲兵達や自警団の耳にも、晩飯を食いに近くへ訪ねていたアリシアとマリサの耳にも届く。海竜大通りがにわかに騒がしくなっていく。


 一頭牽き馬車が慌てて駆け出し、ぐしゃりと憲兵の亡骸を牽いた。飛散した鮮血が車体や車輪を赤く塗った。海竜大通りに飛び出した馬車が血の轍を残していくことに誰もが気付く。


「おい、あれっ!」「あの馬車、血だらけだぞっ!」「誰か憲兵を呼べっ!」「大変だ、そこの小路で憲兵が殺されてるぞっ!」「馬車だっ! あの馬車っ!」「人殺しだーっ!!」


 悪魔崇拝連続殺人事件、第三の事件。

 海竜(サーペント)大通り(・ストリート)大追跡(アウトレイジ)の始まり。


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