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長くなったので二分割です。本日中に続きを上げます。
大陸共通暦1768年:ベルネシア王国暦251年:冬。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
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ギイ・ド・マテルリッツは王都港湾部のスラムに居た。
まずその経緯をご説明しよう。
押し込めが解かれて家を飛び出した後、ギイは執着心の赴くままアリシアの許へ向かおうとした。が、彼は着の身着のままであり、ひと季節の押し込め生活で酷い有様だった。
水溜りに映った自分の姿を見て、ギイは『恥』を覚えた。
自尊心を軸に「闇落ち」した彼は、自尊心ゆえに自身の惨めな姿を目にした瞬間、思考が明後日の方向に飛んだ。
それはひと季節続いた虐待同然の押し込め生活も原因かもしれない。
ともかく、ギイはその瞬間に『こんな姿をアリスには見せられない』と考えた。
次に、友達――マルクやカイ達に助けを求める選択肢も生じたが、実家の手が伸びているかもしれないという疑念が湧く。押し込め中に受けた暴力が脳裏をよぎり、ギイは友に助けを求める選択肢を捨てた。
そこらの町行く人や人家を襲って金品を巻き上げ、恰好を整えるという選択肢もあったものの、ギイはその選択肢を採らなかった。正気より狂気が勝る状態の中で、ギイの節度は不思議と機能していたのだ。まあ、この不可解さこそ狂気ゆえかもしれない。
消去法的に、ギイは王都港湾部のスラムへ流れていった。
近代のスラムは大概の場合、警察すら迂闊に立ち入れない都市内無法地帯だった。辻や側溝に娼婦や浮浪者にチンピラの死体が転がる光景が日常茶飯事になっている。近代ロンドンなどは、切り裂きジャックと同時期に少なくとも数人の殺人鬼がいたという。どうなってるのロンドン。
そんなスラムに、ギイのような弟系カワイイ美少年(二十歳)が落ちてくればどうなるか。
至極当然のように、そのケツを狙われる。
運が悪ければ、ギイは男性としての自尊心が粉砕されるまで弄ばれ、雌犬のように尻を売って生きていくようになっただろう。
しかし、ギイはただの美少年ではない。魔導術の天才であり、実戦経験があり、次兄にぶっ飛ばされた時に『近接白兵戦になる前に勝敗を決すべし』と学習していた。
そして、貴族的価値観において、スラムのチンピラなど小鬼猿と大差がない。いや、モンスター素材が剥ぎ取れる分、小鬼猿の方がマシだった。
ギイはケツを狙ってきたチンピラ共を躊躇なく魔導術の先制攻撃で半殺しにし、金品を奪った。完全な追剥だが、相手も善良な市民とは違う。これはギイの倫理観にも道徳心にも反しなかった。
ただ、ギイがぶっ飛ばしたチンピラ達の中に、立ちんぼ達から上前をハネる悪質なポン引きがいたことが、ギイの運命を大きく変えた。
スラムのルールに則れば、ポン引きを血祭りに挙げた以上、ポン引きの抱える娼婦達はギイの物になった。というか、娼婦達にしてみれば、ギイにケツ持ちをしてもらう必要がある。ポン引きは女衒であると同時に、用心棒を兼ねているからだ。
むろん、そんなことを露とも知らぬギイは、娼婦達に勧められるまま、ボロアパートに入り、そこで寝た。自分が娼婦達の元締めになったことも知らず、寝床を得られたことを幸運に思いながら。
ギイにとっての不幸は、この時代には世界各地の都市部に阿片などの薬物が流入していたことだ。またベルネシア軍が使用しているような神経刺激剤も娯楽目的で密売されていた。
現代同様、過酷な生活を余儀なくされる娼婦達はこうした薬物を使っていたし、この時代の薬物に対する危機意識はとても低かった。
娼婦達は押し込め中の悪夢を見てうなされるギイに、酒と薬物を分け与えた。
“善意”から。
彼女達にしてみれば、薬物は自分達の置かれた残酷で悲惨な現実を忘れさせてくれる“救い”だったし、決して安い物でもなかった。それをギイに分け与えたことに、悪意などあろうはずもない。善意で舗装された道路が、地獄へ直通していただけだ。
現在、ギイは幻想と現実の狭間に身を置いていた。
自分に良くしてくれる娼婦達をチンピラ達から守り、薬物と酒のもたらす快楽に耽る。時にその快楽には娼婦達も加わった。
薬物と酒と肉欲がギイの『闇落ち』した精神と思考に、ギイの望む幻想を与えている。
徐々に記憶が飛ぶことも増えた。自分が何をしたのか分からないことも多くなった。
意識がクリアになった時、両手や着衣に血がこびりついていたこともあったが、ギイは気にもしていなかった。
気にする必要性も感じなかった。
〇
犯罪捜査は5W1H、
いつ。どこで。誰が。何を。なぜ。どうやって。
あるいは、『八何の原則』で捜査される。
犯人。共犯。日時。場所。被害者。動機。手段。結果。
そして、これら犯罪捜査は現代でも近代でも同じだ。犯罪立証のため、証拠集めと確固たる事実検証が欠かせない。被害者周辺を調べ、犯行現場を調べ、関係者に聞きこみ、証拠を辿り、目撃者や証言者を探して回る。現代地球の科学捜査はこの作業をより正確に、より効率的にしただけに過ぎない。
それに、推理物の解決編みたく犯人がべらべらと何でも明かしてくれるとは限らない(そういう奴がいないわけでもないが)。『弁護士を呼べ』としか言わない犯人も大勢いるし、裁判で結審するまでひたすら抵抗を試みる者も山ほどいる。
よって古今東西、犯罪捜査は地道な調査活動であり、どうしたって労力と時間が掛かるものだ(この苦労を厭った結果、拷問という手法が蔓延ったともいえる)。
問題は被害者やその遺族、上層部や社会が常に早期解決を求め、捜査関係者にプレッシャーをガンガン掛けてくることだろう。猟奇殺人事件、それが連続殺人事件なら凄まじいものとなる。
ベルネシア王国王都オーステルガムで起きた『悪魔崇拝連続殺人事件』も例外ではなかった。
王都オーステルガムの民衆の反応は概ね三通りに分類できる。
A:草の根分けてでもこの邪悪な殺人鬼を見つけ出して火炙りにすっぞっ!
B:なんて恐ろしい……憲兵隊はこのおぞましい事件を早く解決してよっ!
C:うっひょー。いったいこの犯人はどんな腐れ外道なんだっ?
最後のバカはともかく、AとBは問題で、声高に王立憲兵隊へ早期解決を要求し、今にもオーステルガム内で魔女狩りを始めそうな物々しさだった。
こういう時、聖王教会が社会に冷静さと秩序を訴えてくれるのだが、今回は違った。
此度の事件は、ただでさえ度し難い猟奇殺人に加え、その亡骸を教会の門前へ悪魔崇拝的に遺棄するなど、断じて許容しがたい暴挙の極致であり、教会ひいては自分達の信仰への冒涜、共通道徳や社会規範への挑戦だった。
そこへきて、第二の事件発生。しかも被害者は若い尼僧。
聖王教会自身がブチ切れている。
「やっぱり大変なことになってきたな……」
キネ憲兵大尉は頭を抱え、嘆息をこぼす。
捜査責任者の役割は、部下の捜査官達に適切な指示を与え、効率的かつ正しい情報と証拠を集めさせる――だけではない。
上からの圧力やら鬱陶しい連中からの横やりを防ぎ、捜査官達を仕事に集中させることも含まれるし、捜査官達の仕事がし易いよう方々に掛け合って根回しや協力を要請することも多い。
要するに、捜査責任者とは中間管理職だ。
「大尉殿。大佐がお呼びです」
来たか。キネは滅入る気分を奮い立たせ、王都犯罪捜査部・捜査一課課長のカールスネーゲ憲兵大佐のオフィスへ向かう。
神経質そうな痩身の壮年男カールスネーゲ憲兵大佐は挨拶もそこそこに、執務机の前に立つキネを睥睨する。案の定ご立腹らしい。
「上からたらふく叱責されたよ。第二の犠牲者を出すとはけしからん、ちゃんと仕事をしとるのか、とな。むろん私も部下達も全力で当たっていますと答えた。そうだよな、大尉」
「もちろんです、課長。被害者の足取り調査に交友関係を調査、証拠の分析と追跡調査、聞き込み情報の精査と裏取り、やれることは全部やっています」
キネは努めて平坦に告げたが、それがカールスネーゲの苛立ちに輪をかけた。
「それでは新たな犠牲者が生じたのは、貴官と部下達の能力不足が原因かね? 私は君を更迭し、事件を他の連中に回すべきか?」
「引継ぎの間に第三の事件が起きたなら、また別の者に回しますか?」
「生意気な口を利くなっ!!」
カールスネーゲはキネを怒鳴りつけ、立派な椅子の背もたれに痩せぎすの身体を預けた。大きく息を吐く。
「頭のおかしい異常者の仕業だろう。何をそんなに手こずってるんだ?」
「おっしゃる通り、犯行現場はかなり常軌を逸しています。しかし……その異常性を抜きにすると、極めて巧妙かつ狡猾な犯行です」
キネはカールスネーゲへ報告する。
1)最初の被害者シャルロット・ホーゼルトは町の魔導装具士で自身にも交友関係にも、怪しい人物がいないこと。第二の被害者カルナ・ベフォンの調査は途中だが、同様の結果が出るだろうこと。また今のところ両者の間に接点はないこと。
2)死体の遺棄時間が深夜のため目撃者がいない。少なくとも、現場付近で死体らしき物を担いだ人間を誰も見ていないこと。
3)また死体周辺に足跡もなく雪上の隠蔽痕跡もない。おそらくは魔導術によって雪を創造し、足跡を抹消したのだろうこと。
4)死体に残された痕跡――体に刻まれた紋様や顔に掛けられた布の術式など魔導学院に問い合わせたが、犯人特定につながる情報がないこと。
5)遺棄現場に残された遺留物――花と小鬼猿の頭蓋の出所は特定できなかったこと。
「この犯人は頭がおかしいかもしれませんが、バカではない。手強いクズです」
「つまり逮捕への道程は長く険しいわけだ」
キネの説明にカールスネーゲ憲兵大佐はこめかみを押さえて唸り、
「良いか、大尉。悪魔崇拝的であることに加えて尼僧が犠牲になった。聖王教会は町の騒ぎを抑えるどころか、我々に早期解決を求める圧力をかけている。今この瞬間にもな」
言った。
「上は特捜体制を組む準備を始めてる。そうなれば、分かるな? 事件は私と貴官の手を離れるし、そのうえでもしも未解決となったら、初動捜査が悪かった、と我々が詰め腹を切らされる。貴官と私は定年までド田舎勤務か備品倉庫管理だ」
気にしている点はそこか。キネは内心で笑う。たしかに将官を目指しているカールスネーゲにとっては大問題だ。
「課長にお願いがあります」
「魔導学院に圧を加えて貰えませんか?」
「? 魔導学院に? なぜだ?」
訝るカールスネーゲへキネは説明した。
「遺体の紋様と証拠品の術式。アレの調査のために魔導学院へ赴いた時、連中は小一時間ばかり調べただけで『自分達にも分からない』なんて抜かしたんです。魔導術狂いオタク共が、ですよ」
「何かを知っている、と?」
「というより、外に漏らしたくない情報につながる、と言ったところですかね。アレを深く突くと、不味いことが露見する、みたいな……あの特殊性を考えると、あの紋様と術式を辿ることが解決への突破口だと思います」
カールスネーゲは少し考えてから、メモ書きにペンを走らせていく。
「……親戚が宮廷魔導術士をやってる。紹介してやるから調べて貰え」
「宮廷魔導術士ですか?」
「知らんのか。宮廷魔導術士は魔導学院の教授連と仲が悪い。連中の顔を潰せると言えば、喜んで手伝ってくれるだろうよ」
ベルネシア魔導術士界の上層はその大多数が魔導学院卒者である。その中で、魔導学院教授連と宮廷魔導術士達が二大筆頭派閥で、当然の如く仲が悪い。
魔導学院教授連は宮廷魔導術士達を『魔導術を立身出世の道具にしか考えない利己主義者』と見做す。
宮廷魔導術士達は魔導学院教授連を『いい年してモラトリウムにこもってマスを掻いてる奴ら』と見下す。
紹介状を書き終えると、カールスネーゲは言った。
「時間はないぞ、キネ大尉。三人目の犠牲者が出れば、即時間切れ。そうでなくとも二週間は持たん。不利な戦いだ。肝に銘じておけ」
「いつものことですよ」
キネ大尉は疲れた顔で紹介状を受け取った。
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