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大陸共通暦1768年:ベルネシア王国暦251年:冬。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
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秋を経て、ヴィルミーナとレーヴレヒトは関係が一気に進展していた。
白獅子が本拠地移転に向けて開発中の田舎町クレーユベーレへ2人で視察旅行に赴き、クレーユベーレ近郊の泥炭湿地林へ御泊りキャンプをしたのだ。
以来、レーヴレヒトは非番休日を王妹大公家で過ごす。その間の寝泊まりは客室ではなくヴィルミーナの部屋だ。つまり……そういう仲に至っているわけだ。まあ、いずれ詳しく語る時が来るだろう。
さて、ヴィルミーナはベッド上で気だるそうに身を起こす。『さくばんはおたのしみでしたね』だったため、すっぽんぽんだ。
疎ましい倦怠感と疲労感を覚えつつ、ベッド上をぼんやりと見つめた。
隣で寝ていたはずのレーヴレヒトがどこにもいない。それと、就寝前に切っていたはずの円筒型魔導ストーブが火を点しており、部屋を暖めていた。
……こういう気遣いより、おはようのキスの方がええなぁ。
欠伸をこぼしながら、ヴィルミーナはベッド周りを見回す。昨夜に脱ぎ捨てた夜着と下着は奇麗に畳まれ、サイドボードに置かれていた。メモ書きも添えてあった。
『朝の鍛錬に出てきます。朝食は先に摂っていてください』
ヴィルミーナは全裸のままベッドを出て体を大きく伸ばす。濃厚濃密な営みを交わした翌日は、体がだるい。ただし、心身の欲求が満たされたおかげか気分は華やいでいる。
ぶるりと体が震えた。
気分が華やいでいても、ストーブが暖めてくれていても、流石に全裸は肌寒い。サイドボードに置かれた服をてきぱきと着込み、椅子に掛かっていたストールを羽織る。
ストーブの前にぺたんとトンビ座りし、ヴィルミーナはしばし暖を取った。
「はぁあああああ……ぬくぃ……」
と、ドアがノックされ「御嬢様。起きてらっしゃいますか?」
御付き侍女のメリーナだ。幼い頃からメリーナはヴィルミーナの起床の気配を察するのが上手い。
「おはよう」
ヴィルミーナの返しにドアが開き、メリーナが着替えとティーセットを乗せたワゴンを押して入室した。
「おはようございます、御嬢様」
「レヴは外で鍛錬してるの?」
「先ほどまでお屋敷の外周をランニングしてらっしゃいましたけど、今頃は筋トレしていらっしゃるかと」
レーヴレヒトは雨でも雪でもトレーニングを欠かさない。起床後は必ずランニングと筋トレをする。バカ広い王妹大公家の敷地外周を走り、それから筋トレをする。決してサボらない。
ヴィルミーナも気が向いた時はトレーニングに付き合うが、『おたのしみでしたね』な朝は熟睡してしまい、まず起きられない。
「勤勉だなあ……」
しみじみと呟くヴィルミーナ。メリーナはストーブの前から動かないヴィルミーナの許へ歩み寄り、抱きかかえるように立たせる。
「さ、早く着替えてくださいな」
「ぅあああ……まだあったまってたいのにぃいいい……」
そんなこんなで。
王妹大公令嬢らしく隙のない装いを整え、ヴィルミーナが暖房の効いた食堂で新聞に目を通していると、レーヴレヒトが姿を見せた。浴室で汗を流してきたらしく、仄かに湿った髪から石鹸の香りがした。
「おはよう、ヴィーナ」
「おはよう、レヴ君」
レーヴレヒトはヴィルミーナの頬に軽くキスをし、隣に腰を下ろした。
「ユーフェリア様は?」
「今日は寒くてベッドから出られないって」
「ユーフェリア様は自由だなあ……」
苦笑いするレーヴレヒト。
壁際に控えていた古参侍女が小さく嘆息をこぼす「もっと真面目な性質になるよう御教育すべきでした」。
王妹大公でありながら、一切の官職に就いていないユーフェリアは、亡夫の大遺産を頼りに自由気ままに生きている。出戻りして20年。貯えも怪しくなってきた……なんてことはない。信用できる家人達とヴィルミーナが資産管理と運用をしている関係で、一生涯分は困ることがなさそうだった。
気を取り直し、古参侍女がヴィルミーナへ問う。
「朝食をご用意してもようございますか?」
「お願い」とヴィルミーナは古参侍女へ応じた。
「まだ食べてなかったの?」
「レヴと一緒に食べようと思ってね」
ヴィルミーナはニマッとレーヴレヒトへ微笑みかけた。
元々ヴィルミーナは朝からしっかり食べるタイプだが、レーヴレヒトも同様だった。2人が揃うと、料理人が「作り甲斐がありますなあ」と楽しげに笑う。
朝食を食べ進めながら、2人は本日の予定を話し合い、あれやこれやと雑談する。テレビはおろかラジオもない時代だから、雑談の話題は新聞の内容に寄りがちだ。
「何か興味を引くものはあったかい?」
不思議なことに、王妹大公家に居る時、レーヴレヒトはユーフェリアやヴィルミーナが目を通すまで新聞を読まない。妙な気遣いだが、家人達は『レヴ様はよぅ分かっていらっしゃる』と満足気。
「まだ読みかけだけれど、目を通した限りはうちに影響を与えそうな話はないわね」
現状、ベルネシアは戦後不況の立て直しに没頭しており、派手な動きは見せていない。というか、出来ない。
協働商業経済圏構想と南小大陸案件は同盟国イストリア連合の動向次第。ああ、イストリアにはエリンを派遣した。エリンは「うちの弟に”奴ら”を近づけないでください。絶対ですよ絶対ですからね」とヴィルミーナに念押しして発っていった。
対クレテア関係はいざという時、御上にケツ持ちをしてもらう関係で『クレテア振興事業協会』なるグループが創設されることになった。
このことでクレテア国内を食い散らかしていたベルネシア人達も頭が冷えた。無秩序に食い荒らすことをやめ、より冷酷冷淡によりシビアにクレテアから毟り取る方向へシフトしている。
アルグシアに関しては御上の許諾の下、アルグシア国内に出先商館をこさえ、アルグシアにベルネシア物産を売り込んでいるし、逆にアルグシア物産を調達している。市場開放させた関係もあるから、一応クレテアも小口ながら噛ませた。クレテア人達は当初警戒していたが、今は『金が稼げるなら』と前向きになっている。
白獅子に関して言えば、各事業を粛々と進める時期に入っており、目立った大きな動きはない。物語的な見せ場に乏しい、と言えよう。
せいぜい、動力機関を搭載した試験船の建造と将来のパッケージ・ビジネスの準備――PMCの創設くらいだろうか。
既に警備会社は持っている(各施設の警備や組織要人の警護に当たっている)が、それらを一段推し進めて武装組織化させる予定だ。
前者はともかく、後者の方は政治的慎重さが求められるだろう。
魔導技術文明世界のこの時代、列強諸国には既に勅令会社が存在していて、積極的に活動している。
地球史で言えば、外洋進出期から植民地拡大期に移り、帝国主義へ変化していく過程で、勅令会社は組織を肥大化させ、好き放題に暴れ始める(主にイギリス東インド会社が)。
この世界でも同じことが言えた。本国との即応的連絡手段が無いから、どうしたって現場に権限を委ねて任せざるを得ない。まあ、これは勅令会社だけでなく、現地統治府や派遣軍にも言えることだが。
特に、大陸東南方では、現地勢力VS西方の白人列強VS東方の黄色人種列強VS南方の宗教勢力という大混戦状態だったため、強い権限を与えられた勅令会社や統治府が自儘に振舞い始めている。
さて、その勅令会社だが、ベルネシアでは既に店じまいしていた。
獲得した外洋領土の統治経営は国が行い、商業は民間が主役になっている。勅令会社だけに独占させるより、そっちの方が政治的にも経済的にも軍事的にも、効率的かつ都合が良かったからだ。
というのは表向きの話。
本当のところは、外洋進出と現地開発が進むにつれ、権益を肥大化していく勅令会社に、王家と王国府が強い不安と不審を抱いたこと。何よりも、官民貴賤を問わず各方面から『あいつらだけズルい』という実にストレートな反感と嫉妬が湧いたことが、ベルネシア勅令会社を鍋行きの走狗にした。
白獅子がPMCを抱えて勅令会社に準じた存在になれば、行く末も勅令会社の二の舞になる可能性は充分にある。ましてや、白獅子の場合はトップが王族であるから、猜疑心が強い奴などは『クーデター』とか『簒奪』とか被害妄想を抱くかもしれない。そうなったら……怖いことになる。
隷下警備会社のPMC化は慎重に取り扱わねばならない。
今は主要事業が抱えてる各案件に注力した方がええね。戦争前からこっち、せかせかやり過ぎたわ。ここは一旦ペースを落として足腰を強くしとくべきや。
食後の珈琲を嗜みながら、ヴィルミーナは新聞の続きに目を通す。
「あらま。なかなか愉快なことが起きてるわね」
言葉とは裏腹に分かり易いほどの仏頂面を浮かべるヴィルミーナへ、レーヴレヒトは面白そうに尋ねる。
「何かあった?」
「ルダーティン商会と金象社が婚姻合併ですって」
政略結婚は王侯貴顕の専売特許ではない。民間にもある。
ルダーティン商会は“会合”に加わっている平民大商会。
金象社はプロドーム子爵家の平民化した傍流筋が起こした大資本会社。
ルダーティン商会御曹司の許に金象の社長令嬢が嫁ぐ形で両社が合併、新たな組織を起こすらしい。
「気に入らなそうだ」
「この情報を事前に掴めなかった。ルダーティンと金象の婚姻合併となれば、どうしたって情報が洩れるものよ。それに、双方のトップを知ってるけど、典型的なお山の大将気質。利があろうと合併なんかするタイプじゃない。何かしら裏話がある。それを全く掴めていないことが、ちょっとね」
ヴィルミーナは考え込む。
白獅子隷下の情報組織は優秀だ。でなければ、先の大規模仕手戦など出来ようはずもない。その情報組織をして、この婚姻合併の事前把握が出来なかった。面白くない。
「いや~な予感がするわ」
「やめてくれ。君の悪い予感は大概当たる」
「良い予感だって当たるわよ」
微かにふくれっ面を浮かべつつ、ヴィルミーナは新聞をめくる。
「外洋領土は……大陸東南方で東方勢力同士が衝突だってさ」
先ほどの勅令会社の話でも触れたが、大陸東方勢力もまた、西方や北方の勢力と同じく外へ向かって進出していた。そして、西方や北方の白人勢力同士が争うように、東方の黄色人種同士でも争いは起きていた。いやはや。欲の皮を突っ張らせた連中ばかりである。
「どこもかしこもドンパチだらけだな。この世界に平和な土地なんてあるのかね」
レーヴレヒトの厭世的なぼやきに、ヴィルミーナは小さく肩を竦めた。
なお、記録として確認できる地球有史において、世界全体が平和だったと定義できる期間は合計で約200年分しかないらしい。人類にとっては平和の方が異常な状態なのかもしれない。
続けて新聞をめくり、ヴィルミーナは眉をひそめた。
「例の殺人事件。二件目が発生したみたいよ」
事件欄には仰々しい見出しが載っている。
『悪魔崇拝連続殺人事件っ!!』。
前回の犠牲者はいまだ身元定かではないが、今度の被害者はすぐに判明したらしい。なんと教会の若い尼僧だったという。
新聞に掲載された似顔絵と名前を目にし、ヴィルミーナは片眉を上げた。
「なんか覚えがある顔と名前だわ」
「知り合い?」
案じるレーヴレヒトへ、ヴィルミーナは首を横に振りつつ、
「いえ。覚えがあるってだけ。たしか……あ」
目を丸くして驚愕顔をこさえる。
「この尼さん。アリスが良く通ってる教会の人だわ」
〇
アリシア・ド・ワイクゼル準男爵令嬢は充実した毎日を送っている。
聖王教会の準職員みたいな扱いで教会の仕事や偶にヴィルミーナの仕事の手伝いをし、交際を始めたラルスと少しずつ愛を育んでいる。仕事もあり、家族も友人も恋人もいる。素晴らしい日々。
正式に王太子夫妻となったエドワードとグウェンドリンには中々会えないが、これは仕方ないことだ。身分差を考えれば今まで親しく過ごせていた方が凄いくらいなのだから。寂しいけれど、グウェンドリンとは文通という形で友情が続いている。
距離が遠くなったのは、エドワードとグウェンドリンだけではない。
マルク達とも疎遠気味だ。彼らは立派な仕事に就いたからその関係で忙しいというのもあるのだろう。とアリシアは思っていた。これをラルスやリーンやパウルに言ったところ――
ラルス:まあ、うん。そうだな(引き気味)。
リーン:アリス……恐ろしい娘っ!(白目)
パウル:よく今まで刺されなかったなあ(驚愕)。
そして、親友コレットが今年の秋口に挙式し、夫方の実家がある王国南部へ行ってしまった。約束した通り、結婚式にはラルスを同伴させた。
「次はアリスの番だよ。ちゃんと招待してね」
アリシアは顔を真っ赤にしつつ、コレットと約束を交わした。もちろん、コレットとも手紙のやり取りを欠かしていない。それでも、親友と中々会えないことは寂しい……
寂寥感を覚えた時はラルスに甘え、リーンとパウルと戯れ、教会の馴染みと触れ合い、ヴィルミーナ達の許を訪ねる。
というわけで、アリシアは充実した毎日を送っていた。
今日も楽しい日だと思っていた。新聞を見るまでは。
アリシアの身体が凍り付く。
「―――うそ」
猟奇的な殺人事件二人目の犠牲者はアリシアの友人だった。
〇
アリシアは死が身近な外洋領土で生まれ育った。人死には初めてではない。友人の死も、初めてではない。ワーヴルベークで周りが親しい者を亡くして嘆き悲しむ中、アリシアは目尻から涙を一筋流しただけだった。
亡くなった尼僧カルナ・ベフォンの死を悼み、教会で冥福を祈った。
彼女との大切な思い出が脳裏をよぎり涙が溢れた。アリシアはひとしきり泣いて、ひとしきり悲しんで、ひとしきり怒って、それから――
友の仇討ちを誓った。
大冥洋群島帯に限らず外洋領土では大陸西方のルールも節度も尺度も通じない。現地には現地の流儀があった。
しかも多くの場合、現地人にとって西方人は祖国を滅ぼし、故郷を奪い、家財を盗み、肉親を殺し、辱めた邪悪な侵略者だから、勢い現地人達の復讐と報復は慄くほど凄まじいことがままあった。
そんな環境で戦い続ければ、嫌でも冷酷残酷になるし、そんな環境で生まれ育てば、大陸西方ではなく、現地の“テーブルマナー”を旨とする。
アリシアも同様だった。
大冥洋群島帯の“テーブルマナー”に則って犯人を捕まえる。大冥洋群島帯ならその場でぶち殺すが、ここは本国王都だから憲兵に突き出して縛り首にする。
「カルナちゃん。必ず仇を討つからね」
アリシアの目はガチだった。
教会の計画では癒光のロスト・マギカを発動させ、疫病から民を救う聖者になってもらうはずだったのだが……どうしてこうなった?
さて、仇討ちを誓ったアリシアは、至極自然に幼馴染三人組へ相談した。
「仇討ちっつってもどーすんだ? 群島帯みたいにそこら中探し回ってチンピラを片っ端からぶちのめすわけにもいかねーだろ」
パウルの指摘は正しい。
大冥洋群島帯で許されることも出来ることも、本国では許されないし出来ないことがある。“野蛮”な外洋領土と“文明的”な本国は違うから。
「チンピラ相手なら死人を出さなきゃ大丈夫じゃね? なんだかんだ言ってアリスは準男爵令嬢だし」
リーンの認識は甘い。貴族と準貴族の持つ特権は隔絶の差がある。
「犯人の捕り物なら俺達も手伝えるとは思うけれど、犯人探しは流石に無理だ。なんたって俺達は本国に転属してまだ一年経つかどうか。右も左も分からない田舎モンだからな」
申し訳なさそうにラルスは言った。右目尻の脇を走る傷跡を掻きながら続ける。
「俺としてはアリスに危ないことはして貰いたくないけど……友人の仇討ちを止めるわけにもいかない。頼りになる協力者を見つけた方が良いな」
ここで恋人に仇討ちを止めない辺り、ラルスもやはり大冥洋群島帯出身者である。
つまるところ、彼らのアイデンティティーはベルネシア王国人ではなく、『ベルネシアの群島帯人』なのだ。この国民意識の差異は後世において重大な問題に発展するが……現時点において彼らには関係ない。
ラルスの指摘と助言を受け、アリシアはムムムと唸りながら腕を組んで考え込む。
「すげー。アリスが頭使ってるよ。王立学園に通った甲斐があったね」
リーンがからかうも、“ガチ”のアリシアはじゃれ合わない。
「よし、決めたぞぉ」
アリシアは考えをまとめ、
「ヴィーナさまに手伝ってもらおっ!」
『名案だろ』と自慢げなドヤ顔を浮かべた。
パウルとラルスは顔を見合わせた。
「……ラルス。王妹大公令嬢様が手伝ってくれると思うか?」
「いや、流石にそれは……」
「大丈夫だってっ! 真剣に頼ん……お願いすればきっと手伝ってくれるよっ!」
アリシアは胸を張って言った。
「ヴィーナさまは友達だからっ!」




