2:0:13歳はトラブル塗れ
大陸共通暦1760年:ベルネシア王国暦243年:晩春。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国北部:王都オーステルガム。
―――――
王立学園初等部に入って3年目。特別な事件事故は起きることなく迎えた3年目だ。
もっとも、細々とした問題は山ほど起きていた。
一つは派閥。ガキンチョの世界でも派閥はある。ましてや世襲貴族の子女ばかりが集まった王立学園だ。派閥が生まれない方がおかしい。というか、一種の伝統ですらある。
何かトラブルが生じても派閥があれば、派閥内で助け合えるし、他所と揉めても幹部やトップが仲裁したり、事態を収拾したりする。逆に派閥間のトラブルや揉め事でにっちもさっちも行かなくなることもあるが……
ヴィルミーナは派閥に入らなかった。単純に煩わしかったし、変に利用されることが面倒臭かったし、何より投資やら事業やら秘密のあれこれやらで忙しかった。
とはいえ、王妹大公令嬢で第一王子のいとこ、という肩書は神通力でもあるのか、人を呼び込む効果でもあるのか、放っておいても人が周りに集まってきた。なお、9歳の時の『茶会のビンタ事件』で労働体験を課せられた子女が中心だった。
――自分が派閥に入らないと、自分を中心に派閥が出来るのか(驚愕)。
ただまあ、それでもヴィルミーナは派閥を作ったりしなかった。が、傍に集まる人間を追っ払うほど狭量でもなかった。好きにすればよろしい、と放置した。
無論、派閥ではないから、面倒を見てやることはしないし、何かトラブルが生じても基本的に助けない(友人と見做した者には相応の友愛と道義心を示したが)。
そういう放任主義的なスタンスで過ごした結果、傍に居ても利得が無いと判断した者は去っていき、傍にいた者同士で仲良しグループを形成して距離を取った者達も居た。
そして、派閥関係抜きで接近してくる奴とかもいる。
その筆頭格がビジネスパートナーとなった、ロートヴェルヒ公爵家令嬢メルフィナである。
昼食時の初等部用学生食堂で食後の御茶を嗜んでいると、
「ヴィーナ様。今月の報告書に目を通しました?」
メルフィナは実に『いい笑顔』を湛えて言った。
渡された配当報告書に目を通し、景気のいい数字を確認したヴィルミーナも『いい笑顔』になった。
「メル。公爵令嬢として不味いくらい顔が緩んでるわよ」
「そういうヴィーナ様こそはしたないほど緩んでらっしゃいます」
ぐふふふふ、と守銭奴染みた笑いをこぼす数え13歳の御嬢様2人。
周囲の少女達が嘆くように顔を覆う。
メルフィナは実家ロートヴェルヒ公爵家の縁による派閥のドンだった。が、メルフィナは取り巻き達を引き連れてヴィルミーナの傍に入り浸っていた。
この状況に対し、メルフィナ曰く――派閥のことは派閥のことでしていますよ。でも、ヴィーナ様の傍にいる方が面白いのですもの。仕方ないでしょう?
何が仕方ないんだか分からないが。
とまれ、ビジネスパートナーと親しく付き合えることは望ましい。
『茶会のビンタ事件』後、ヴィルミーナはメルフィナと共にリラクゼーション業――現代式エステサロンのモドキを興していた。
※ ※ ※
学園に入学する少し前のある日――
エステサロンの説明を聞いてもイマイチぴんと来ないメルフィナへ、ヴィルミーナは身振り手振りを加えて力説した。
「貴族や平民富裕層の子女は嫁行き婿取りのため綺麗になる努力を惜しまない。彼女達の実家も娘の良い縁談のためなら投資を惜しまない。さらに、娘が美しくなる様を見れば、奥様方も乗り気になる。侍女や下女もお金を溜めて通うようになるわ。そして、その様子を知った平民中産階級の妻女達も通うようになる」
近代初期の大陸西方は貨幣経済が浸透して久しい。そして、ベルネシア王国は外洋領土から持ち込まれる富と資源を平民にも還元し、中産階級の育成を行っていた。
そのため、ベルネシアでは平民でもそれなりに小金を持っている。
「この世に女がいる限り、この商売は上手くやれば絶対に外れないのよっ!」
怒涛の勢いでまくしたてられたメルフィナは唖然としていた。
周りの取り巻き達は詐欺師を見るような目でヴィルミーナを見ていた。
「さらに、よ」
ヴィルミーナは紺碧色の瞳をきらりと強欲に輝かせた。
「この商売には多くの商材が要る。それらの開発製造量産は貴方達の地元へ委託するつもり。貴女達も自由になるお小遣いは困らないでしょう?」
う、と取り巻き達が仰け反る。
彼女達の中には、レーヴレヒトのように代官の子も少なくない。ベルネシア王国において多くの代官が領地の産業育成や開発開拓開墾などに頭を悩ませている。どの代官領も預かった領地を富ませる手段に飢えていた。小口でも継続的な商談を持ち帰ったとなれば、間違いなく小遣いが期待できよう。
「ヴィーナ様、商材は私やこの子達の地元で調達できるでしょうが、肝心のマッサージ師やサービスを担う人員はどうするんです? それに、現場を管理する支配人も」
マッサージの歴史は古い。
西洋では古代ギリシャで確認できる。古代中国でも按摩と呼ばれる指圧療法があり、日本でも行われていた(視覚障碍者の仕事として有名)。近代マッサージは16世紀のフランスで生まれ、現在のカイロプラクティックなどの起源となった(例によって、その必要性は戦争が原因だったりする)。
ちなみに、この提唱者は近代外科医療の医聖と誉れ高いパレ医師らしい。才人は様々な功績を上げるという一例であろう。
なので、この世界のこの時代でも、マッサージは手技療法として存在している。
「そこは当てがある」
ヴィルミーナは双眸を細め、口端を大きく吊り上げた。
メルフィナと取り巻き達は揃って同じことを思った。
――まるでおとぎ話に出てくる悪い魔女みたいだ。
※ ※ ※
「準備に時間と先行投資がかなり掛かりましたけれど、一度軌道に乗れば、ヴィルミーナ様の言う通りでしたね。今では予約でいっぱいだそうですよ」
メルフィナはにこにこしながら言った。
「それにしても、あんな方法で人手を調達するとは思いませんでしたよ」
取り巻きの一人が嘆息をこぼす。
「まさか娼婦を使うなんて」
そう、ヴィルミーナの当てとは娼婦だった。
「嫁入り前の娘が療法士とはいえ、男性に肌を見られたり触れられたりは嫌でしょう? かといって、女性の療法士は少ない。娼婦なら人肌に触れることに慣れてる」
もっとも、その人材調達と教育は簡単ではなかった。
そこらの街娼を集めるにはいかない。貴顕を相手にするのだ。相応の礼儀作法と、何より『粗相した時のヤバさ』をちゃんと理解できる人間でなくては意味がない。客の持ち物をくすねるとか、ヤバくなったらトベば良い、なんていい加減な人間では困る。
で、ヴィルミーナは王都内の娼館主と遣り手婆をある飲食店の個室へ招待した(流石にその筋の人間を屋敷へは呼べない。体面というものがある)。
※ ※ ※
呼び出しに応えた娼館主や遣り手婆達は一張羅に身を包み、戦々恐々としていた。
なにせ彼らのような立場の人間にとって、大公令嬢など祟り神に等しい。発言を誤って不敬罪に問われようものならば、物理的に首が飛びかねないのだ(実際、恐れて来なかった者も少なくなかった)。
ヴィルミーナは魔女のように冷笑し、彼らに告げた。
「貴方達の許にいる娼婦を提供していただきたい。代金は一人につき金幣10枚(日本で約100万円)、容姿と年齢は問わない。条件は病気でないこと。信用……客の持ち物や金を盗んだりしない人柄のこと。貴顕相手の礼儀作法に通じ、読み書き計数が出来る場合は、さらに金幣5枚を追加する」
「ま、まさかとは思いますが、大公令嬢様は娼館を始められるのですか?」
娼館主の一人が尋ねた。
貴族の中には娼婦や男娼の如く振る舞っている輩も少なからずいるし、屋敷が娼館や賭場の如き有様の者もいる。しかし、まさか王族が?
「誤解しないで欲しい。私は貴方達の縄張りに踏み込む気はない。あくまで女性向けの美容サービスを目的とした事業を始めるつもりだ。そこで働く人材として、人の肌に触れることに慣れた娼婦を使いたいと思っている」
ヴィルミーナは眼を柔らかく目を細めて、
「貴方達の“雇用”している女達の中には、年季明け近くで客のつかない年増もいるであろうし、器量が悪く売り上げの低い者もいるだろう? そういう女達で構わない。もちろん、先に告げた条件を満たすことが前提だが」
一同を見回してから不意に、
「それから、貴方達からその筋の方達に伝えておいて欲しい。私は貴方達やその筋の縄張りに踏み込むつもりはないし、このビジネスはそうしたものでもない。誤解して“不幸な事態”を招かないよう、よくよくしっかり説明を頼む」
冷厳な面持ちではっきりと告げた。
「私を小銭で懐柔できる木っ端役人と同一視するな。本物の権力を侮れば、火傷では済まぬと知れ」
一同が震えあがったことを確認し、ヴィルミーナは鷹揚に微笑んだ。
「私からはここまで、”サービス業”の専門家である皆さんの話を伺えるかしら。いろいろご教授してくださるとうれしいわ」
それから、各娼館から女達が寄こされた。半分は満足な教育を受けていない女達だったが、下手に齧っているよりもマシだろう。
マッサージ師を雇って女達に手技療法を学習させる。
次いで、あらかじめ技術を仕込んでおいた屋敷の侍女にフェイスマッサージとヘアエステの講師をやらせた(伊達に前世で会員制高級エステの会員をやっていない)。
そして、礼儀作法と読み書き計数、接客とモラル教育を含めた社員教育を実施。OJTとして宿泊所の受付係や掃除婦をやらせ、客の持ち物をくすねたバカをクビにし、モラル教育を再度徹底。
その間に大量の石鹸や精油や化粧水にタオル、諸々の設備器材等々を調達して王都内に店舗を作り、やっとこさ大陸西方初(多分世界でも初)の女性美容エステサロンが開店した。
開店記念の招待客として、王妹大公とロートヴェルヒ公爵夫人とメルフィナの姉、取り巻き達の母や姉達を招いた。
結果は……ロートヴェルヒ公爵夫人の言葉を借りよう。
「毎日でも来たい」
なお、ここまで至るのに約10か月と金幣800枚(日本円8000万)以上を要し、言い出しっぺのヴィルミーナが大半を負担した。躊躇はしなかった。なんせ一度始めてしまえば、投資額を回収することなど造作ないのだから。
事実、先行投資を回収するのに、一年も掛からなかった。
※ ※ ※
報告書に目を通していたヴィルミーナは片眉を上げた。
「あら、精油の仕入れ値が随分と上がってるわね」
「も、申し訳ありません。ヴィルミーナ様。精油の原料となる植物の採取が不調でして――」
精油の原料を調達している家の取り巻き娘が顔を蒼くして、声を上げる。彼女の実家は代官をしており、地元の冒険者達に委託して山林原野から原料の変異植物を採取させていた。
「原因は? 過剰採取による素材の減少? それとも、冒険者達が取引価格に不満で依頼を受けなくなった?」
「その、あの、両方です……」と取り巻き娘は声を震わせながら答えた。
「三月あげる。御家族とよく相談して解決策を模索なさい。素材の植物を栽培して安定調達する手段を探すか、取引価格で冒険者達と交渉するか、あるいは、冒険者への委託を止めて採取専門の人員を専属契約で雇用するか、まあ、もっと良い方法があるなら、それでも良い」
「私も相談に乗るわ」とメルフィナが口を挟む。
「あ、ありがとうございますっ!」取り巻き娘は深々と一礼した。
「気づいてたのよね?」
ヴィルミーナはメルフィナをじろりと一瞥する。
「ヴィーナ様のご判断に興味があって」
しれっと答えるメルフィナ。
ヴィルミーナは鼻息をつく。まったく油断ならないパートナーだこと。ま、この程度なら緊張感があって良いけどね。
「相変わらず、店舗で使用している石鹸や化粧水などを取り扱わせて欲しい、という要望が強いようね」
「販売していないことが余計に需要を高めています」
店で使っている石鹸や化粧水などは販売せず、会員客用のノベルティグッズ、あるいは、店員だけが規定量を貰えることにしていた。
これにより会員の特別感が増すし、店員たちも小遣い稼ぎできるし、横流しを可能な限り防げる。
「私としては一般販売しても良いですけれど、その場合は会員客用により高級感ある物を用意したいですね。平民でも手が届く物と高級志向の物に分けるんです。廉価品の方は色々な商会に卸しても良いでしょうから」
メルフィナのアイデアに、ヴィルミーナは大きく頷いた。
この娘は本当に聡い。もうこのビジネスを発展させる方向性を具体的に持っている。
「その辺りはメルに任せる。現物が出来たら確認だけさせて」
「わかりました」
ヴィルミーナの承認を受け、メルフィナは鼻息を荒くした。
どうやら既に色々案があるらしい。試したくてうずうずしていた、というところか。よくよく見れば、取り巻き達も何やらやる気に溢れている。なるほど、派閥あげてのプロジェクトというわけだ。結構結構。大いに結構。
君らの努力は私の利益にもつながる。頑張ってくれたまえ。
サロンも軌道に乗った。他の細々とした投資もトータルでは好調。レヴ君に任せてる各種モノ作りも今のところは問題なし。このまま万事が順調に進むと良いなあ。
ヴィルミーナはそんなことを考えながら御茶を上品に啜る。
この数日後、クェザリン郡のゼーロウ男爵家から早馬が届き、厄ネタが持ち込まれることになるが……そんなことを知らないヴィルミーナはただただ暢気にお茶を啜っていた。