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大陸共通暦1768年:ベルネシア王国暦251年:初夏。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
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自室のソファで、ヴィルミーナはレーヴレヒトに抱擁されながらキスをした。
先ほど呑んだ珈琲の味がする。ヴィルミーナは唇を重ねながら、レーヴレヒトの口腔内へ舌を滑りこませた。舌先に火傷しそうなほどの熱を感じつつ、レーヴレヒトの絞られた身体へより強く密着し、淑やかなDカップの胸を押し付ける。
レーヴレヒトの右手がヴィルミーナの腰から臀部へ滑り、ヴィルミーナは満足げに体をしならせた。
脳味噌が急速にピンク色へ煮えていく。このままレーヴレヒトを脱がせ、自分も服を脱いでしまおうかとヴィルミーナが気分のまま一線を越えかけた、矢先。
レーヴレヒトがヴィルミーナを優しく引き離し、無情に告げた。
「はい。ここまで」
欲情気分を蹴り飛ばす事務的な言い草に、ヴィルミーナは眉目を吊り上げた。
「そのサービスタイム終了みたいな物言いは止めろぅっ!」
「何を言っているのか分からないけれど、これ以上はダメです。苦情は受け付けません」
レーヴレヒトはヴィルミーナの乱れた前髪を指で梳き直しながら、容赦なく言った。
「辛いっ! 婚約者が理性的過ぎて辛いっ!」
ヴィルミーナはソファに身を放り、べちべちとソファを叩く。
「久し振りに会えたのよっ! もっと愛情たっぷりこめて甘えさせてっ!」
全力で訴えるヴィルミーナ。大好きな御主人にかまってもらいたくて仕方ないワンコのようである。
これが各方面から魔女とか怪物とか畏怖されている娘っ子です。
レーヴレヒトは破顔し、ヴィルミーナの引き締まった腰に両手を回して抱き抱え、薄茶色の髪を撫でる。
「俺が君に甘えるのはダメなのかな?」
「ダメ」
満足げに唸りつつ、ヴィルミーナはレーヴレヒトの胸板に顔を埋めた。
「まずは私が甘えてから」
“醜態”を晒しているヴィルミーナを擁護するなら、ここ数日はチョー大変だったのだ。
クレテアからは非常に面倒な融資と投資の話を持ち込まれ、
アルグシアからは後々に政治問題化しそうな事業提携話を持ち込まれ、
イストリアからは先の協働商業経済圏と南小大陸案件の密談を持ち込まれ、
グウェンドリンとメルフィナから訳の分からない面倒事を持ち込まれ、
婚約者のレーヴレヒトには研修出張で中々会えなかった。
バカバカしいほど忙しく、バカバカしいほどストレスフルだった。
癒されたい。甘えたい。羽を伸ばしたい。
胸元に顔を埋めたままヴィルミーナが長々と愚痴をこぼすと、レーヴレヒトは眉を大きく下げた。
「ヴィーナは仕事が趣味だから、その仕事が楽しくない時に息が詰まっちゃうんだよ。何か簡単な息抜き用の趣味を持ったら?」
正しい指摘だった。
ヴィルミーナは仕事を達成し、成功し、勝利し、利得と利益をもぎ取ることが大好きだ。いわば、仕事でカタルシスを得ることが趣味。これは前世でも言えることだった。高級エステクラブの会員だったりもしたが、たまの娯楽で趣味ではない。
こんな生活を送っていたから、晩年にサブカルへドハマりしたとも言える。
ヴィルミーナはレーヴレヒトの胸元から顔を挙げ、怪訝そうに眉根を寄せた。
「息抜き用の趣味……て何?」
「そこからか」
レーヴレヒトは聡明で狡猾で業突く張りの愛しい婚約者の髪を撫でながら、言った。
「俺は出征していた頃、ちょっとした小物作りとかしてた。本腰入れてやるようなことじゃなくて、あくまで気分転換の息抜きにね。気分を変えることが目的だから、簡単なものだよ」
「……庭弄りとかそういうの?」
「まあ、そうだね。庭弄りも人によっては本腰入れるけど。ああ、それと君は周囲から東方品の収集が趣味だと思われてるよ」
「ああ……それ誤解なんだけどなあ」
ヴィルミーナはこてっとレーヴレヒトの胸元へ顔を埋めた。
日本食の再現を試みて食材を集めたり、東方生地を色々購入したり、とあれこれやっていたから、周囲が『王妹大公令嬢は東方産物を収集している』と誤解している。
別に趣味でも何でもないのだが、そうした誤解により、贈り物に東方産物が届けられることが多い。この時代の東方貿易品は高いだろうに。
「レヴ君と一緒に出来ることが良いな」
「森歩きする?」
「それやったら、とんでもないバケモンと遭遇したじゃないっ!」
「良い体験だったね。鹿角狼獣を目にする機会なんて稀だよ」
楽しそうに振り返るレーヴレヒトに、ヴィルミーナはげんなり顔を浮かべた。そのうえで、『息抜き用の趣味』とやらを考えてみる。何かを収集する? 切手とかコインとか食器とか? あかん。全然興味が湧かへん……収支報告書を読む方がぜったい楽しい……
せや。なんかこまい事業しよか。や。これはきっと趣味ちゃう、て言われる……え? ひょっとして、私、無趣味のつまらない人? え? え? 私が、つまらない人!?
百面相を始めたヴィルミーナを見つめながら、レーヴレヒトは思う。
何を考えつくのか楽しみだなあ。
〇
この日、『白獅子』は側近衆に各主要事業の代表と重役達を集め、大会議を催した。
クレテア・アルグシア・イストリアの三国案件について、組織内の情報共有と今後の方針を話し合うため。ヴィルミーナは組織運営を一般的なトップダウン式、言い換えるなら家父長制的運営をしていたが、その一方で下の意見を汲み上げる場を必ず用意していた。
大組織で下部組織のボス達を軽んじるのは、離反と裏切りの種を植え、肥料と水を撒くようなものだ。少なくとも、彼らが忠誠を尽くすための配慮を欠かせない。
ヴィルミーナはまずクレテア案件から話を始めた。
「クレテア側はいくつかの国有事業へ大口投資や融資を要請してきた。この是非について皆の意見を聞きたい」
各事業の重役達があれやこれやと話し合う。
「どうやらクレテアはベルネシア資本を受け入れることで、国家財政の回復を図るつもりらしいな」
「思い切った手を打ってきましたな。外資に国内産業を潰されるとは思わんのでしょうか」
「それよりも国家再建を重視してるんだろう。昨年の冬は酷いことになったからな」
「税制優遇などこちらに配慮してますが、雇用条件や技術移転など譲れないところはしっかり定めてますね」
唯一の男性側近衆オラフ・ドランが手を挙げた。
「ヴィルミーナ様の御意見を窺えますか?」
「君達の意見を聞いたうえで判断すると約束するが、」
そう前置きしてから、ヴィルミーナは言った。
「私は正直に言って、非常に警戒している。これは後のアルグシア案件についても同様だ」
「警戒、ですか?」
旧デルフィネ閥のエステルが目を瞬かせた。
「クレテアにしても、アルグシアにしても、根っこは“敵国”だ。連中が方針を変えたら、投資が無駄になり、融資を踏み倒され、現地資産を一方的に差し押さえられかねない。金は稼ぎ直せばいいが、人員を押さえられて人質とされたら目も当てらない」
敵性外資を差し押さえるのは常套手段である。
ヴィルミーナは淡々と続ける。
「クレテア人がこのまま黙って我々の蚕食を甘受するとは思えない。どこかの時点で逆襲を企図するはずだ。それが民間の市場原理に基づくものならともかく、国家政策として行われることが怖い」
「そのようなことをしますかね? 信用を完全に失いますよ? 今後、外国からの投資が一切見込めなくなりますが……」
「それは我々の論理だよ。彼らが我々のルールに従う保証がない」
重役の疑問にヴィルミーナは小さく肩を竦めた。
「南小大陸の独立戦争にしても、鉄貨2枚の課税を課したら入植者が本国と袂を分かつと言いだすなんて予想できたかな?」
「では、この件は見送りですか?」とドラン。
「そこが難しいところなのよ。クレテア市場は大きい。非常に魅力的だ。しかも国有事業を請け負える。よほどのことがなければ、莫大な利益が見込めるからね」
ヴィルミーナが渋面を浮かべた。
「リスクをどう避けるか、が肝ですな」
「どれだけ金を投じるか、もだ。我々の予算は莫大ではあるが無尽蔵ではない」
「やる気ですか? ここで冒険する必要はないと思いますが……」
「同感だ。我々は既に多くの事業を抱えている。無理をする必要はない」
重役達が賛否を論じる。
側近衆達も意見が割れた。
「クレテアの連中が差し押さえに動くかもしれないなら、常に先行決済したらどう?」
「空手形渡されて終わりだと思う。他社と合弁会社をこさえて、窓口を一本化してはどうかしら。それならリスクを他社に分散できるし、いざという時の損失を押さえられる」
「でも、それはそれで面倒よ。『鉄』の時の苦労を忘れた?」
ヴィルミーナは特に意見を言わず、皆のやり取りを見守る。
ふむ。先の仕手戦で大儲けして増長しとる奴が一人くらい居るかとも思うたけど冷静やな。結構結構。
「保険を用意しましょう」ドランが言った。「連中が差し押さえた時、我々も差し押さえられるようにするんです」
「面白い。具体的には」
ヴィルミーナに促され、ドランは続ける。
「連中の外洋領土です。大陸の南方と東南方には、我が国と競合している地域があります。連中が我々の事業を差し押さえたら、その地域を我が国に併合させましょう。で、差し押さえを受けた企業に同地事業を分配する」
「それは政治案件よ。我々がどうこう出来ることじゃないわ」とテレサ。
「どのみち、クレテアが差し押さえになった時点で国家間政治問題になります。最初から御上にケツ持ちしてもらいましょう」
「ふむ……為るかどうか別にして、敵国に大金を投じるなら、それくらいの担保があっても良いわね。分かった。クレテアに展開中の他社とも協議して、合同意見として王国府に出す。クレテアの方針に対しては、ひとまずここまで。具体的な事業展開は王国府の反応を見てから、再度、話し合いましょう」
会議は淡々と進む。
この手の会議にありがちな『何も決まらない』とか『誰かの独演会』とか、そういうことにはならない。とは言い切れない。
アルグシアの事業提携に関しては完全にグダッた。
というのも、クレテア側の申し入れは『とにかく金を引っ張りたい』という明確な意思があった。
しかし、アルグシアの方はさっぱり分からない。戦時交易で多少仲良くなったが、本来、アルグシアとベルネシアは敵だ。
アルグシアに言わせれば、ベルネシア東部――アルグス系メーヴラント人の領域をベルシス系が勝手に占有している。ということらしい。
まあ、この物言いは全く理がないわけではない。
ベルネシア独立戦争の際、旧神聖レムス帝国の辺境貴族を引き込んだし、9年戦争のどさくさにまぎれて、東部の国土をちっとばっかし分捕った。
で、ベルネシアはこの掠め取った地域にベルネシア人をがんがん入植させ、同化させてしまった。その悪辣さときたら、『ベルシス系とアルグス系の住民が結婚して子供を儲けた場合、補助金を支給する』とまで言ったあたりに窺えよう。
というわけで、アルグシアにとってベルネシアは許し難い領土強奪者なのだ。
それがちょっと交易しただけで、事業提携まで申し込んできた。ヴィルミーナ達が『何度かデートしただけで恋人面されちゃった』みたいな戸惑いを覚えたとしても無理はない。
まぁ、ヴィルミーナ達には『アルグシアがベルネシアの経済攻勢を懸念して融和的になっている』とか想像しようがないわな。
「どこか適当な場所に商館立てて、物産を売るだけで良いでしょう。これ以上は無理ですよ。そもそも国交も正常化してないんですから」
リアの提案に、ヴィルミーナは苦笑い気味に同意した。
そして、本日最大の爆弾。
イストリア案件である。
ヴィルミーナは釘を刺した。
『この話題は極めて繊細な話だ。絶対に他言無用であり、水漏れしたならば、諸君の家族にも累が及ぶことを理解して欲しい』
そして、協働商業経済圏構想と南小大陸の戦争市場化工作案が語られた。
反応は劇的だった。
協働商業経済圏構想は前向きに捉えられたが、戦争市場化工作は反対多数だった。特に、ナンバー2たる侍従長アレックスとデルフィネの反対が激烈だった。その激昂振りは百戦錬磨の重役達が思わず黙り込むほどだった。
「我々はそこまで手を汚さずとも十分に稼げますっ! そこまで品性を貶める必要などありませんっ! 戦争を利用するなとは申しませんっ! ですが、火のないところに爆裂魔導術を打ち込むような真似は人倫にもとりますっ!」
一気にまくしたてるデルフィネ。彼女は先の戦で三人も側近衆を失った。その悲しみと苦しみと痛みを忘れたことなど一度もない。
それはアレックスも同じだ。
「私は、敬愛するヴィーナ様がそのような振る舞いをすることを、断じて許容できません。クレテアに対する冷酷な仕打ちは分かります。国境を接する脅威に対し、非情になることは、十分に理解できますから」
でも、とアレックスは続けた。今にも泣きそうな顔だった。
「大冥洋を隔てた遠国で戦を起こし、現地の人々を食い物にする所業にどのような理解を見出せばいいのです。お願いです。ヴィーナ様。そのような恐ろしいことは止めてください」
他の側近衆も大なり小なりに多様な面持ちだった。信奉者のニーナでさえ、困惑顔を隠せずにいる。
それでええ。私に反対できることが重要やからな。
「繰り返すけれど、この案はあくまで想定段階。実際に行うかどうかは不透明よ」
ヴィルミーナは全員の顔を見回しながら言った。
「イストリアが私の提案したことを考慮するとは限らないし、連中の気質を考えれば、受け入れないでしょう。仮に受け入れても、私の提案を危惧し、工作を許容しない可能性が高い。思っていた以上に入植民への同胞意識が強いようだからね」
ただし、とヴィルミーナは目を鋭く細め、
「最悪のケースとして、叛徒共が完全勝利した場合、南小大陸入植地域の4割が独立勢力に化ける。連中が大陸の論理に準じて領土拡張を始めたら、真っ先に我が国の南小大陸領土が狙われる。先の戦のように、我が国の入植民が危険に晒されるわ」
ふ、と息を吐いた。
「確かに私の計画は唾棄すべき邪悪な代物だけれど、金銭的利益のためだけではない。そのことは理解して」
言い訳めいとるな。ヴィルミーナは内心で自虐的に呟く。まあ……実際、言い訳やな。この子らを納得させるための“方便”やし。
イストリアの入植民と南小大陸の現地人がなんぼ死のうが知ったことやない。ベルネシアが富んで貧困層を減らせるなら、路地裏で身体を売る女子供やドブ沿いで餓死してる孤児が減らせるなら、喜んで奴らの血肉を食らったるわ。
ま、この件は南小大陸の情勢次第や。すぐに答えを出さんでええ。
「皆の意見はよく分かった。南小大陸の情勢がどう動くかは不鮮明だけれど、議題にあげた工作案を私が独断で進めることはしない。それは約束するわ」
ヴィルミーナは全員を見回していった。
「それと、もう一つ言っておく。私の方針に不満がある時は隠さずに言いなさい。私は貴方達の意見を軽んじるほど狭量ではないし、貴方達の意見は聞く価値があり、考慮すべきと思っている。そこを決して忘れないで」
そして、最後の議題―――グウェンドリンとメルフィナのアレだ。
「これさあ、本当に私達がやること? ねえ、私達がやることなの?」
ヴィルミーナは先ほどまでのシリアスを放り出して、ぼやく。
側近衆も重役達も苦笑いを禁じ得ない。
「元々はヴィーナ様がメルフィナ様と起こした事業でしょう。現責任者ではないにしろ、最も通暁している一人なんですから、逃げられませんよ」
ニーナがくすりと微笑む。
ヴィルミーナの表情筋が美しいまでのしょんぼり顔をこさえた。皆の笑みが大きくなる。
「そうは言うけれど、こんなのどうすれば良いの? 王宮内にエステルームを作って人を常駐させるの? そんな予算請求、絶対に通らないわよ。無理よ。絶対に無理。それに、イストリア支店? 現地のことも知らないのにどうしろと?」
「王宮の方はともかく、イストリアには出先商館でも作ります? その中にエステサロンの店を置くとか」
さらっとドランが重要な意見を言った。
複合商業施設か。悪くないな。でも、これも結局、方々と交渉しないとあかんやん……
ヴィルミーナは頭を抱えてぼやく。
「なんかもう苦労の多い計画ばかりね。どうしてこうなった」
皆が顔を見合わせ、大きく笑う。”侍従長”アレックスが言った。
「ま、一つ一つ確実に進めていきましょう」
たしかに、それしか無いわな。
ヴィルミーナは仰々しく溜息を吐いた。
10章は迷走状態。もうちょっと続くんじゃ。




