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大陸共通暦1768年:ベルネシア王国暦251年:初夏。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
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初夏の好天の下、王都オーステルガムの沖合に小艦隊が姿を見せた。
戦列艦3隻、飛空戦闘船5隻、輸送船6隻からなる小艦隊の中心、旗艦の一等戦列艦トリスタン4世の上甲板で、
「はーるばるーきたぜーべーるねしあー♪」
暢気に歌うこのおっさんは、世界に冠たる大国イストリア連合王国王太子リチャードである。
クライヴ・オーウェン似のナイスミドルなリチャードは、ベルネシア国王カレル3世より年上ながら、その尊号が示す通り、まだ玉座に即位していない。
なんせ父である現イストリア国王が隠居する気ゼロであり、それどころか「不老不死になって永遠に玉座に座っていたい」とほざくジジイだった。
このため、王太子と王が度々「さっさと隠居しろジジイッ!」「嫌じゃあっ! 儂は絶対に玉座を離れんぞーっ!!」と親子喧嘩を始める。
そうして奸臣の類が王太子や王へそろそろと忍び寄り、暗殺や排除を仄めかすわけだが、その手の輩は一月以内に事故か病気でぽっくりとこの世を去る。要するに、イストリア王家親子は仲良しということだ。
イストリア王太子リチャードは7人の子供に恵まれていたが、今回の親善訪問には同行させていない。連れて来たのは奥方の王太子妃メアリーと愛人だけだ。なぜ愛人も、というと王太子妃メアリーが『7人も産んだんです。充分でしょう』と御褥御免を申し出ていたからだ。
なお、愛人を用意したのも王太子妃で、その言い分は『そこらの山猫との間に隠し子を作られては困ります』とのこと。
「随分とまあ上機嫌でらっしゃいますね、御前様」
王太子妃メアリーが呆れ気味に言う。
7人も子供を産んだとは思えぬほど、すらりとした体型に金髪翠眼の美熟女だ。
リチャードはムッハハハと野武士のように笑う。
「エリザベスに再会できるし、甥姪と初めて会えるっ! それに何と言っても、他国の街を訪ねるのは久しぶりだっ! そりゃ浮かれもしようぞっ!!」
「私は国外に出るなんて恐ろしうございます。もしも、ベルネシア人達がよからぬことを企んだらと思えば、食も喉を通りませぬ」
愛人のモーリス男爵夫人がぼやく。
こちらは20代後半で金髪翠眼のむっちむちした美女だ。胸元と臀部の圧が凄い。
モーリス男爵夫人は常に王妃から一歩引いた辺りに立っている。愛人としての分をよく弁えているらしい。ちなみに、彼女は出立してから一日とて食が細くなっていない。
「ベルネシアが襲ってきた時は、素直にとっ捕まって親父が何とかするのを待とう」
事も無げに言い切るリチャード。
「御前様は踏ん切りが良いというか、投げやりというべきか」
王太子妃メアリーが小さく頭を振り、
「絶対に後者ですよ、メアリー様」
モーリス男爵夫人がこそこそと告げる。
周囲の侍従や護衛、海軍将校達も苦笑いを浮かべるが、そこに嘲りや蔑みはない。誰もがこのバカっぽいおっさん王太子を敬愛している。
このおっさんは若かりし頃、海軍将校として戦場に立ち、燃え盛る船にギリギリまで残って将兵を救出し続けた漢だった。イストリア人は勇気を示した者を蔑むことはない。決して。
「上空より入電。ベルネシア海軍飛空船の出迎えです」
海軍将校の報告を耳にし、リチャードは目線を空にあげる。
晴天に浮かぶ白雲を背景に、有機的な形状の飛空船が三隻ほど見えた。まるで気流を裂くように空を泳いでいる。ザトウクジラのような姿はグエルディⅣ型だ。
ベルネシア人め。相変わらず良い飛空船を作る。
リチャードは海軍将校としての感想を胸に抱く。イストリアは海洋帝国であるから、造船技術は高い。産業革命開始後は動力船の研究開発も推進している。そうした背景があってもなお、飛空船の開発に関してはベルネシアの後塵を拝していた。
ふん、と鼻息をつき、リチャードは傍らにいた艦隊司令官へ告げた。
「提督。信号を送れ。出迎え御苦労とな。それから入港の際、礼砲を撃つことも伝えておくように」
「はい、殿下」
ドワーフのようなナリの艦隊司令官が大きく頷き、部下達へ指示を出す。
リチャードは空を泳ぐベルネシア軍の戦争鯨を見つめながら、ムッハハハと笑った。
「はーるばるーきたぜーべーるねしあー♪」
〇
「御嬢様。もう少し上げて寄せましょう」
準熟女に突入した御付き侍女メリーナが、ヴィルミーナの着付けを手伝いながら言った。コルセットのカップの位置を修正し、乳房を上げて寄せる。
強調された谷間を見つめ、メリーナが嘆息をこぼした。
「御嬢様は容姿の均整が取れてらっしゃいますけれど、胸回りが物足りませんね」
「これで不足と申すか」
ヴィルミーナは美しく淑やかなDカップを弄りつつ、不満顔を浮かべた。だが、メリーナは鼻で笑うように告げる。
「メルフィナ様やデルフィネ様と比べますと……ねえ?」
確かに、エロいメルフィナの胸や、グラビアアイドル染みた肢体のデルフィネの胸と比べると、Dカップ程度では……
「ぐ、ぬ。や、グウェンとは同じくらいだしっ! アレックスよりは大きいしっ!」
「おやおや。いつも上ばかり見ているお嬢様が下と比して自己満足を得るとは」
「……嫌み言葉が増えるのは、歳を食ったあか、ヴふっ!」
瞬間。メリーナはコルセットの締め紐をぎゅっと絞り、ヴィルミーナを黙らせた。
「ドレスは如何なさいます?」
「……東方生地の物を。髪留めもそれでお願い」
鮮やかな友禅を用いた和ドレスに合わせ、髪を結い上げてかんざしを挿す。東方趣味バリバリだが、適時、金を持っているところをアピールしないとならないのも大資本家の立場だ。
金持ちが質素な格好でウケるのは漫画の中だけだ。もしもヴィルミーナがジャージ姿で屋台で飯を食っていたら……
余所や取引先は『白獅子のトップが“まとも”な格好もしないで粗末なもん食ってた。見栄を張る頭もねェのかよ』
身内は『ウチのボスは俺達に恥を掻かせてることにも気づかない。あんなんじゃ忠誠を尽くしても意味がねえな』
……となってしまう。
ちなみに、人目を気にしないでそこらのボロい飯屋に入る金持ちもいるが、これは周りが気を遣うレベルの金持ちか、周囲が気に掛けない小金持ちなら成り立つ。現代地球の成金共が同じことをしたらSNSで晒され、コメント欄で扱き下ろされるだろう。
「スリットはどの辺りまで入れた方がいいかな?」
この和ドレスにはスリットが入っており、美しい編み紐で開き具合を調整できる。
「膝辺りでよろしいでしょ。御嬢様のふくらはぎなら十分に効きます」
「ふくらはぎで十分なら、膝上まで開けばイチコロね。お持ち帰りされちゃったらどうしようかしら」
くすくすと笑うヴィルミーナへ、メリーナが嘆息をこぼす。
「お願いですから、成婚前の妊娠だけは勘弁してくださいよ」
「また生臭いことを……」
「御嬢様ももう二十歳ですからね。遠慮しませんとも」
そんなこんなで準備を終えたヴィルミーナが、リビングに向かうと、先に着付けを終えた母ユーフェリアと軍礼装姿のレーヴレヒトが談笑していた。
「お待たせしました。随分と楽しそうですね」
「聞いて、ヴィーナっ! レヴ君てば、バッタやトカゲを生で食べたんですって! もーおかしくて。ふふふ。だめ、また込み上げてきた」
ユーフェリアは楽しそうに思い出し笑いを浮かべた。
あ、その話ね。ヴィルミーナは聞かされた時にドン引きしたが、ユーフェリアにはツボだったらしい。目尻に涙を浮かべて笑っている。
話を披露したレーヴレヒトはいつも通りに涼しげな面持ちを保っていたが、ぐっと手を握って見せた。ウケたのが嬉しいらしい。
婿と姑が円満で大変よろしい。話題はアレだが。
ヴィルミーナはレーヴレヒトの格好を見回し、手を伸ばして襟元を調整した。
「たまには私服のカッコイイとこ見たいな」
「俺の給料じゃ、君のドレスに釣り合う服なんて買えないよ」
四年分の給与とインセンティブの獲得金がほぼ手付かずで残っているが、ヴィルミーナクラスの金持ちが着るドレスや装飾品と釣り合わせようとしたら、レーヴレヒトの財産なんてたちまち尽きてしまう。
「買ってあげようか?」
「それは切ない気分になるから遠慮する」
「あら。男性を自分の好みに着飾らせるのは、女の楽しみよ」
「その通り」
娘の意見に母も同意する。
「ちなみに、その着せ替えごっこに当人の趣味は反映されるので?」
レーヴレヒトの問いに対し、ヴィルミーナとユーフェリアは明言せずに思わせぶりな微笑みを返した。つまり、そういうことだ。
小さく鼻息をつき、レーヴレヒトはさらっと告げる。
「それにしても、君は会う度に奇麗で驚かされるな」
「そういうことはもっと、こう。雰囲気を作って言ってほしいわぁ……」
ポッと照れるヴィルミーナ。
そんな2人をニヨニヨと満足げに眺めるユーフェリア。
私はまだ出ないから先に行きなさいな、とユーフェリアに勧められ、2人は王妹大公屋敷を出る。
レーヴレヒトのエスコートの下、ヴィルミーナは馬車に乗りこむ。
次いで、ヴィルミーナは高度な計算の下、続いて乗りこんだレーヴレヒトに身体を預けた。寄せて上げた胸の谷間を強調しつつ、優美な脚線美がスリットから覗くよう足を組む。
この“強襲”の効果は、
「今日は寄せて上げてるな。気合い入ってるね」
レーヴレヒトに通じませんでした。
ヴィルミーナは無言でレーヴレヒトの脇腹をつねった。
そんなこんなで2人(と車外に護衛)を乗せた馬車がエンテルハースト宮殿へ向かう。
今夜はイストリア王太子夫妻歓迎パーティが催される。
もちろん、歓迎パーティの裏では、王太子夫妻の随行者達――外交官や政治家、通商団などの接触が行われ、後日の会談や交渉へつながるのだが。
ヴィルミーナは王族の一員たる王妹大公令嬢としてイストリア王太子夫妻に挨拶し、『白獅子』の総帥としてイストリアの御歴々へ挨拶する。婚約者という立場上、レーヴレヒトもその挨拶周りに同道する。
「田舎男爵次男坊の俺が両陛下や大国の王太子夫妻に挨拶する日が来るとはなあ……」
しみじみと呟くレーヴレヒト。
その秀麗な顔は感慨に耽っている、というよりは心底面倒臭ェと言いたげだった。軍務の関係で今年の春先に催された諸侯御機嫌伺へ出席していないため、今夜が婚約者として国王一家と接する最初の機会だった。
「きっとあれこれたっぷり弄られるわよ。覚悟しておいてね」
「戦場でドンパチしてる方が気楽そうだな」とぼやくレーヴレヒト。
「すぐに慣れるわ」
ヴィルミーナはくすりと喉を鳴らし、レーヴレヒトの頬を突く。
「これから何度も経験するしね」
「戦場に送られる方が気楽そうだな」と嘆くレーヴレヒト。
馬車はエンテルハースト宮殿へ向け、魔導灯が照らす夜道を駆けていく。
〇
アリシア・ド・ワイクゼル準男爵令嬢は王太子歓迎パーティに招待されなかった。そもそも家格で言えば、準男爵家の娘がこれまで王族や大貴族のパーティに参加できていた方がおかしい。
王太子エドワードの特別扱いが無くなった今、アリシアがそうした舞台に姿を出すことは難しい。が―――
本人はまったく気にしていなかった。気にする必要もなかった。
今夜のアリシアは気楽な装いで、王都内の大衆酒場に出向いていた。テーブルにはラルスとリーンとパウルがいる。群島帯の幼馴染が一堂に会し、酒と料理を楽しみながら思い出話と与太話に花を咲かせる。気の置けない友人同士の楽しい時間。
アリシアはふと思い出したようにラルスに尋ねた。
「ラルス。今夜は王宮でパーティがあるんでしょ? 行かなくていいの?」
軍人なら招待されるのでは? と誤解したアリシアの問いに、ラルスは首を横に振る。
「今回は貴族方だけだよ。平民将校に用はないさ」
「あたしは出たかった。豪華なもん食えたろうからね」
「俺も。タダ飯食いたかったな」
ぼやくリーンとパウルへ、アリシアが言った。
「しょうがないなあ。今日は私が奢ってあげる」
「うっひょーいっ!! 好き好きアリス大好きっ!!」
「うぉおおっ!! おねーちゃん、注文取りに来てくれっ!」
喝采を挙げるリーンとパウル。
「良いのかい? こいつらは遠慮なんてしないぞ?」
「ダイジョブ。この間、ヴィーナさまの御手伝いしてお金貰ったから」
案じるラルスへ、アリシアは得意げな笑みを返した。
「ヴィーナ様って手紙に書いてた王妹大公令嬢様か」
「そ。すっごい人なんだよ。もうね、毎日がんがん働くの。それで、すっごいお金持ちで、あとなんかチョー痛い技使ってくる」
かつてコブラツイストを食らったことを思いだしながら、アリシアが言った。
「なんだ。そのチョー痛い技って」訝るラルスに、
「えっとね。あ、リーン。ちょっと立って?」
「んー? なになに?」
アリシアは立ち上がったリーンの背後に立ち、
「たしか、こうして、こうして、こうっ!」
アリシア式変形コブラツイスト発動っ!
「いぃいいいった、いったいっ!? なんんんっだこれええええっ!? ちょ、ありす、まって、まっいいいいいったいっ!! ありすーありすーっ!?」
こうかはばつぐんだ!
リーンの悲鳴に店内の注意が集まり、パウルがゲラゲラと笑い、ラルスは眉間を押さえた。
楽しい夜は続く。
〇
エンテルハースト宮殿大ホールで催された歓迎パーティは和やかに進んでいる。
イストリア王太子リチャードはエドワードのことを、生真面目な青年と見做した。
その生真面目さゆえに独り善がりな思考と行動に走りがちになるだろう。周囲の助けがあれば、そうした生真面目さを良い方向へ向けられるだろうが、周囲に人がいなければ、そのうち自滅するだろう。
将来のベルネシア王と見た場合、やや不安の残る同盟国君主だ。しかし、可愛い妹の息子、血のつながる甥と見做した場合、嫌うことの難しい好青年だった。
特に、ワーヴルベーク市街戦において、自ら戦って民を守ったことは素晴らしい。
イストリアでは中世期に王権が制限され、貴族と富裕平民の議会が力を持った。今や王権神授説など鼻で笑い飛ばされる有様。
そのうえで、イストリアに王が存在しているのは、民と貴族が王を必要としたからだ。自分達を結束させ、連帯させ、手を共に携えさせる象徴として。
王が王足り得るは民の恩寵なり。民を愛さぬ王に正義なし。
ゆえに、リチャードは民を守るために戦ったエドワードを、甥として誇らしく思い、イストリア王族の血が流れていると確信できた。嫌うことなど出来ようはずがない。
「滞在中は伯父と呼んでくれ。俺もエドワード君と呼ぼう」
リチャードは親しみを込めて言った。
「分かりました、伯父上」
エドワードは和やかに微笑んで答えた。
ちなみに、リチャードが最も意気投合した相手は―――
「おお。貴方が王弟大公フランツ殿下か。貴方の冒険譚は我が国にまで届いておりますぞ」
「なんのなんの、私もリチャード殿下の御噂はよう聞きました。イストリア王子は海の勇者だとっ!」
ムッハハハ、ガッハッハと二人のおっさんが野武士のように高々と笑う。
ひじょーに濃い空気を醸すおっさん達から目線を動かしてみよう。
王妃エリザベスは王太子妃メアリーと話し込んでいた。それこそ実兄であるリチャードとの再会以上に喜んでいる。愛人モーリス男爵夫人には当初こそ眉をひそめたものの、その事情と人柄を知るに至り、急遽グウェンドリンを呼び寄せて話を聞かせた。
なお、モーリス男爵夫人の手元には大量の料理が並んでいたという。
さて、ヴィルミーナとレーヴレヒトは王女達を中心とする若い世代の貴族女性達に捕まり、完全包囲されていた。令嬢方は“あの”ヴィルミーナとレーヴレヒトの馴れ初めを知りたくてしかたなかったのだ。
ある意味で腹をすかせた魔狼よりも獰猛な令嬢方の激しい激しい追及に晒され、レーヴレヒトは内心で『ここは地獄だ』と嘆いた。
血祭りに上げられていたヴィルミーナとレーヴレヒトが這う這うの体でテラスへ退避し、シャンパンで渇きを癒しながら揃って嘆息を吐いた。
「君と結婚生活を送る自信が無くなったよ」
がっくりとうなだれるレーヴレヒト。最精鋭とは思えぬ衰弱っぷり。
微苦笑を湛えたヴィルミーナはレーヴレヒトの頬を慈しむように撫でる。
「どうして欲しい? お願いを言ってみて」
「癒されたいです」
レーヴレヒトは深々と溜息を吐きながら言った。本当に弱っているらしい。
母性本能と愛情をキュンキュン刺激され、ヴィルミーナはレーヴレヒトの耳元へ口を寄せて、
「じゃあ、後でギュッとしてあげる。なんならキスも――」
「それより森の中で独りになりたい」
「婚約者に甘えるより、森歩きの方が良いのかぃっ!」
憤慨してレーヴレヒトの脇腹をべしべしと叩く。
「や、すいませんでした」




