私刑は死刑よりもおそろしい。
「私刑」とは、個人や集団が法律によらずに罰を加えることを意味する。最近では「私刑」という名の下に、悪を成敗したい生真面目な人間が、気にくわない対象に悪口を書いたり、個人情報を晒したりする。タイトルは、あくまでも個人的な感想です。私刑のおそろしい点は「恣意的」な罰の行使にある。
そもそも罰は、法律を守らなかった違反行為に対してなされる行為であろう(私は法律家でも弁護士でもないですが)。法律は、これこれの違法行為をすれば、これこれの罰が与えられるとあらかじめ決まっている。つまり、手続き的な正しさがここにはある。
たとえば高等学校の校則で、未成年の飲酒が発覚すれば、一度目は停学で、二度目は退学という決まっていれば、それは手続きによって決められた正しさである。簡単に言ってしまえば、すでに決まった通りのルールがあるのだから、それに従うことが正しいということになる。
法律は、話し合いで作ったそういう決まりといえる。それゆえ、法律は少数の私的なものではなく、公的なものだといえる。それに対して私刑は、大勢の人に求められた正しさを持たない。そこで使われてる私刑の「刑」は、一部の人間に認められたものにすぎない。だから私刑によって行われる暴力や暴言、個人情報の漏洩は、認められたものではない違法行為である。
ここからわかることは、法律の外に法はない。そして、公的な法律の外に、法も罰も刑もない。だから、「私刑」というのは、「死刑」よりもおそろしい。「私刑」は、個人の勝手になされる違法行為にすぎないからだ。さらにタチが悪いことに、「私刑」を行う者はそれを正義だと思っている。その行為が間違っていると指摘しても、自分が正しいと思う人間は対立するものを敵だとみなす。
それでも僕は、桃太郎に次のように言わなければならない。「僕からすれば、君も鬼にみえる」と。




