集中力はないけど、分散力ならばある
僕はぜんぜん集中力がない。この1ページのエッセイを書き終わったら、間違いなく僕はPCの前から離れ違う作業をする。そのくらい集中力がない。同じところにいたくない、と思ってしまうのだ。
読書もそうだ。一冊の本を読み始める。しかし、20~30ページほど読み進めるともう嫌になってくる。その本が面白くないわけではない。ただ、少し気分を変えたくなる。そこで、僕は異なった種類の本を手に取り、また20ページほど読み進めたりする。最大で合計50ページほどを読了したことになるが、一冊の本をいきなり50ページ読むことはできない。どうしても途中で嫌になってくるのだ。飽き性なのかもしれないし、単に集中力がないからすぐに気分を変えたいのかもしれない。なにせずっと同じ場所で、同じ姿勢、同じ事柄というのが耐えれなくなる。
どうしてもやらなければならないことであれば、その作業を20分程度したら、違う作業で10分の休憩を挟む。1時間の作業で、30分の休憩となる。自分でも休憩しすぎだと感じているが仕方がない。10分程度の休憩を挟んでもやる気がでないときは、おもいきって1時間ぐらいゲームをすることもある。そうやって、集中力ではなく分散力を使って、メインの作業を進めている。
僕のメイン作業は、読書である。身分の都合で、哲学に関するものばかり読んでいる。だから、ずっと家に引きこもって本をめくっている。「こんな生活でいいのか」と二日に一回は自問自答する。でも、これ以外に自分が満足する生活が思いつかないから、これを続けている。この生活は、惰性的な生活なのか、それとも何かのための積み重ねなのかよくわからない。
でも、たまに抱くドキドキ感を期待してまた哲学書を読む。その感覚を抱くと、哲学書を読んでいていよかったと思う。これを求めて、また新しい本を読み始める。僕の最近は、この繰り返しである。で、また「こんな生活でいいのかな?」と思い始める。この問いに対する納得いく答えは、見つかっていない。ただ、「これでいいか」と言って、疑問を解決したつもりでいる。




