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向こうから一方的にやってくるものたち2

 小学生や中学生のとき、学内で募金をする機会があった。それは、毎年の行事となっていて、三日間ぐらい学校の入り口で募金箱をもった生徒が登校する生徒を待ち受けている。事前に先生から募金があることを知らされるが、忘れることがしばしばあった。そうなると、募金箱をもった生徒たちの横を通ることになる。何か気まずい雰囲気がながれる。募金しなければらないという、暗黙の雰囲気が校門には漂っていた。

 

 その雰囲気が嫌いだった。慈善行為を強制されているみたいで嫌だった。とはいえ、募金自体は決して悪い行為ではない。むしろ、すばらしい行為であるし、批判する余地が見当たらない。だけど、なんだか募金というのが苦手である。ただ、子供のときに抱いた押し付けがましさから、募金をする気にならないでいた。コンビニのレジに置いてある募金箱、募金をもとめる番組などを見るたびに、あの嫌悪感を思い出す。

 

 最近わかったこと考えたことだが、あの嫌悪感は相手から来る圧迫感だけに由来するものではなかった。募金を手段にしたイメージアップに対する嫌悪感だと最近気づいた。コンビニの募金箱は、コンビニのイメージアップ、テレビの募金はテレビ番組や出演者のイメージアップに利用されている。


 しかし、これは考えすぎかもしれない。「イメージアップのために募金をして何が悪い?」と言われたら、なんと答えることができるだろうか。そういうつもりはなく、必要性から訴えている人々もいるだろう。


 人の行き来が多い駅で、ホームレスと思われる人が服を求めていた。「近づいて来る冬のために、余った服をください」と街頭で協力をもとめていた。そのときに心は動いた。「いま、何も余分に服をもっていないなぁ」と思った。あのとき、いつも感じる嫌悪感を抱かなかった。


 しかし、今思う。なぜ、家に帰って服を取りに行かなかったのか。たしかに家とその駅を往復するだけで2時間はかかる。でも、それはたんなる言い訳である。もしかしたら、たいして心が動かされなかったのではないか。そう考える、錆びついてしまった自分のこころに嫌悪感を抱いた。



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