8. 友情
友香の家には、人の気配が全くなかった。
呼び鈴を鳴らしても、誰も出てこない。
僕は力が抜けて、玄関ドアの前にへなへなと座り込んでしまった。
「……アル?」
名前を呼ばれて、僕はパッと顔を上げた。
僕をこう呼ぶのは、友香しかいない。
案の定、そこには、どこかで見たようなブレザーの制服を着た友香が立っていた。
「友香……、おかえり。出かけてたんだ」
「アル、どうしたの? 体調でも悪い?」
「ううん。ただ、友香がいなかったから、なんだか急に怖くなって……」
僕は照れながら立ち上がった。
「怖い?」
「なんだか、もう友香に会えなくなったような気がしたんだ」
「……ああ、そうか、ごめんなさい。私が、いつでも遊びに来てって言ったせいね。最初に会ったのは夜だったし、この前来てくれたのは土曜日だったから、アルは分かっているものだと勝手に思っていたけど、私は高校生だから、平日の昼間は学校に行っているの」
おそらく友香にとってはごく当たり前のことなのだろうが、僕の様子を心配してか、優しく説明してくれた。
友香は悪くないのに、謝らせてしまって申し訳ないな、と思う。
「学校……、そうか。友香も高校生なんだね。その制服、理桜も着てた」
「リオ?」
「うん。たしか、景山理桜って言ってたかな。知ってる?」
「同級生に、そういう名前の子がいるわ。隣のクラスに。多分、他に同じ名前の人はいないだろうと思うから、その子かな」
「へえ。世間は狭いね。理桜は僕が昔、願いを叶えたことがある子なんだ。この前偶然再会してさ。随分変わってたんで、驚いた」
「そうなの……。アルは、景山さんともお友達になったの?」
「え!? いや、どうだろう……。友達かは分からないけど、仲良くはなったよ」
「そうなんだ……。私も、景山さんとお話してみたいな……」
ぽつり、と友香が呟いた。
「じゃあ、一緒に理桜の家に行ってみる? それとも、理桜をここへ呼ぶ?」
「え、そんな、急に……。景山さん、迷惑でしょう」
「大丈夫だと思うよ。行こう」
僕が誘うと、躊躇いながらも友香はついてきた。
同じ学校に通っているだけあって、理桜の家は友香の家から意外と近かった。電車で一駅ほどといったところだろうか。
だが、友香の家の近所では比較的広めの敷地の一軒家が並んでいるのに対し、理桜の家辺りは狭い家やアパートが立ち並んでいる。
理桜の家が近づくにつれ、友香は不安そうな表情になってきた。
「や、やっぱり、急に親しくもない私が遊びに行ったりしたら、景山さんが変に思うよ……」
「そこは僕がちゃんと説明するから、友香は心配しないで」
ちょっと強引かなとも思うが、僕は友香に、ちゃんとした人間の友達も作ってほしいのだ。
僕は友香と友達にはなったけれど、友香と同じように年を取って、大人になっていくということはできない。
成長していく友香を見守る僕はもちろん、一人で先に老いていく友香も、いつかきっと寂しさを感じる時が来るだろう。
その時、一緒に変わっていける人間の友達がいれば、慰められるだろうと思う。
理桜はいい子に育ったし、多分、友香とも仲良くなれるだろう。
理桜の家の呼び鈴を鳴らすと、
「はーい」
と返事があって、ドアが開いた。
私服に着替えてエプロンを着けていた理桜が、僕の顔を見て少し驚いた顔をする。
「アルペジオじゃない。どうしたの? 叶えてほしい願いでも思いついた?」
「願いというか、ちょっと会ってほしい子がいまして」
僕が視線を向けると、下がって待っていた友香が、こちらへ進み出てくる。
「え、杉本さん? どうして……。何、アルペジオと知り合いなの?」
理桜が目を丸くした。僕は説明する。
「友達なんです。さっき理桜の話をしたら、話してみたいって友香が言ったから、連れてきました」
「そう。まあ立ち話もなんだし、上がって。狭い家で悪いけど」
理桜に促されて、僕達は家へ上がった。
「あ、あの、ごめんなさい。急に来て、迷惑だったよね……?」
友香が頬を赤くしながら言った。
「いや、迷惑ってほどでもないけど、今わたし夕飯の支度してて、ちょっと手が離せないんだ。むしろせっかく来てもらったのに、あんまりおもてなしできなくてごめん」
「え、そんな、とんでもない。私達が予告もなく押し掛けたんだから、気にしないで。……やっぱり、帰った方がいいかな? それとも、何か手伝おうか?」
「本当? じゃあ手伝ってほしいな。一緒に料理でもしながら話そうよ。うち、母親がいないから、料理と洗濯は大体私の担当なの。ちなみにお父さんが洗い物と掃除の担当ね」
そう語る理桜に導かれて入った、リビングとくっついているキッチンには、じゃがいもと人参が並べられていた。
じゃがいもの一部は既に、一口大に切られて水にさらされている。
「凄いなあ。うちもお母さんが……いなくなっちゃったけど、料理は、危ないからって、あまりさせてもらえないの。手を怪我するといけないから、包丁とか火を使うことは禁止されてて。普段は家政婦さんが作ってくれてるの」
「あ、そうなんだ……。家政婦かあ。さすがだね」
「役に立てないかな……?」
友香が恐る恐る訊くと、理桜は腕を組んで、少し考える様子を見せた。
「今日、夕飯はカレーにしようかと思ってるんだけど」
「ええと、付け合わせのサラダくらいなら作れるよ。……たぶん」
「なるほど。じゃあそれ、お願いしようかな」
理桜はテキパキと話を進めていく。
手伝ってもらうことについては特に遠慮しない。働いている人がいるところで何もせず座っているのも気が咎めるものだということを分かっているからだろうと思う。
「で? アルペジオは何ができるの?」
「え、僕?」
急に話を振られて、僕は戸惑った。
「そう。包丁を持ったことは?」
「ないです……」
「だろうね。というか、今更だけどアルペジオって、ごはんとか食べるの? 前にお茶は飲んでたよね?」
「食べなくても生きてはいけますが、食べることはできますよ」
「うーん……。試しに人参の皮むきでもしてみる? ピーラーでいいから」
「やってみます」
「それが終わったら、冷蔵庫から玉ねぎを出して皮むいてね。あ、無理だったら言って」
そんな風に理桜の指示に従いながら、僕達は協力して夕飯を作った。
そうしながら、約束通り話をする。
「それで、二人は結局何しにうちへ来たんだっけ?」
「あの、アルと話してたら景山さんの名前が出たから……その……」
友香は少し口ごもった後、意を決したように言った。
「私、景山さんとお友達になりたいと思って」
「ん、いいよ」
理桜は至極あっさりと頷いた。
「じゃあとりあえず、その『景山さん』っていうの、やめない? なんか他人行儀だし。『理桜』でいいよ。えーと、友香……トモって呼んでもいい?」
「うん! ぜひ!」
おそらく同級生から初めて愛称で呼ばれたのだろう。友香は嬉しそうににっこり笑った。
「そういえば、アルペジオのことは『アル』って呼んでるんだね。……あ、もしかしてアルペジオの名付け親って」
「私だよ。正直に言うとね、アルっていう愛称の方が先に思い浮かんで、そこから名前を付けたの」
「そこは普通アルバートとかじゃないの? まあいいけど」
理桜は笑った。
「そうだったの?」
驚いたのは初耳だった僕だ。
だったら名前はただの「アル」でも良かったのではないかと思ったが、友香にとっては「愛称で呼ぶ」というところが重要だったのかもしれない。
僕も友香のことを「トモ」と呼んだ方がいいのか……?
「あれ、アルペジオってトモにはタメ口なの? なら、わたしにも同じでいいのに。この面子でわたしだけに敬語って、おかしくない?」
理桜がふと気付いて言った。
「そう、かな? 分かった。じゃあそうする」
「ところで、トモはアルペジオに何を願ったの? あ、もし言いづらいことだったら、無理に言わなくてもいいけど」
「あ、私は、アルに友達になってってお願いしたの」
「何それ、もったいない!」
「かげや…じゃなかった、理桜は?」
「わたしはねえ、すぐに決められなくて。アルペジオと同じ、願いを叶える力が欲しいって頼んだの」
「凄い。そんなこともできるのね。それで、その後に何か願ったの?」
「まだ。わたし貧乏性なのかな。ここまで来たら、いざという時のために取っておこうかなって」
「ふうん」
理桜は、刻んだ野菜を炒めてから鍋に水を加え、煮込み始めた。
友香は、手でちぎったレタスの上に、慣れない手つきでミニトマトを乗せている。
「……あのさ、トモ、別にアルペジオに願わなくたって、学校で友達作ったら?」
「友香って、友達いないの?」
気になったのでつい、僕は口を挟んだ。
「え? いや、むしろ人気がある方だと思うな」
理桜はそう答えたが、友香は悲しげに首を振った。
「そんなことないわ」
「……本人は気付いてないみたいだけど、トモは人気者だよ。美人だし、ピアノがすごく上手だし、言葉遣いとかも、いかにも『お嬢様』って感じだから……ああ、だから逆に、みんなちょっと距離を置いてるってところはあるのかなあ。でも悪い意味じゃないんだよ。雑に扱っちゃいけない人だと思われてるんだよ。憧れの人、というか」
理桜が力説すると、友香は自信なさげに首をかしげた。
「そうなのかしら……」
「大丈夫。みんなにトモから話しかけてみなよ。きっと喜ばれるよ」
「……ええ。分かった。頑張ってみるわ」
その会話を聞いて、僕はホッとしていた。
やっぱり、友香を理桜と合わせたのは正解だった。
きっとこれから、友香の友達は増えていくだろう。
僕は友達には笑っていてほしい。
友香の笑顔がもっともっと見られればいいな、と思った。




