正直者の四月一日(わたぬき)さん
エイプリルフール用短編です。嘘がメインテーマなわけではありませんが。
どちらかというと日付ネタと言ったほうが近いですね。
四月一日椿。〝四月一日〟という珍しい苗字を持つ彼女は、僕の幼馴染である。アンダーフレームの眼鏡を愛用していて、性格は静かで真面目。窓際の席で読書をしている凛とした姿がクラスの男子たちの間で密かな人気を博しているということは、椿にはまだ知られていない。
幼い頃に隣に引っ越してきた四月一日家とは、同じ年の子供がいることとお互い珍しい苗字であるということで、すぐに仲良くなったらしい。事実、幼い頃のアルバムを見れば僕たち十月一日家だけで撮った写真よりも、四月一日家と一緒に撮った写真のほうが多い。
両親がそうなのだから、当然のように僕と椿も仲良くなった。幼稚園の頃からインドア派になりつつあった僕と椿はいつも一緒に行動していた。当時を振り返ると、そんな僕たちをからかう声に表だって反論していたのが僕ではなく椿だったということも思い出して、男である僕はその度に少し落ち込むけど。
そうして小中高と同じ学校に進学した僕たちは、今でも一緒に登校している。ここまでくれば周囲のからかいも、もはや気にせず流せるようになった。……少なくとも僕は。
椿はどう思っているのだろうか。それを聞いたらいまのままではいられなくなりそうで、僕はずっとそれを聞けないでいる。
いつの間にか窓からは朝日が差し込んでいた。考え込んでいたら朝になっていたらしい。
「椿……」
「……ゆう君、呼んだ?」
「おわあっ!?」
ベッドの上に寝転がって呟いた言葉に、いままさに考えていた人物の声が返ってきたことに驚き思わず身を起こす。勢い余ってベッドから落ちそうになったけど、なんとかこらえた。
少しだけ開いた扉からそんな僕を見ていた椿は、くすくすと笑いながら扉を開け部屋に入ってくる。いつも愛用している眼鏡を外してコンタクトをつけ、金髪のウィッグを被っている椿。ショートパンツ姿なので全開の太ももが目に眩しい。
もう見慣れたけど、いつまでも見慣れない姿。普段の椿ならば絶対にしないその格好を見て、僕はどうして椿のことを考えていたのか思い出した。
「今日はエイプリルフールか……」
「そうだよ! 四月一日だよ! ほら、出かける準備しよう?」
四月一日。エイプリルフール。どうしてかは知らないけど、お隣さんの四月一日家は一家そろってこの日にはっちゃける。家族の誰かがその日に誕生日というわけでもなく、ただ自分たちが四月一日家だからというだけの理由で。
それを初めて目の当たりにしたときは僕も両親も驚きすぎて何も言えなかった。なにせ一家そろって真面目な人たちだと思っていたのに、人が変わったようにはしゃいでいるのだから。別の人が成り代わっているんじゃないかと本気で疑ったこともあったくらいだ。
ちなみに我が十月一日家が十月一日にはっちゃけるとか、そういうことはない。
それよりも、もともと黒髪美人な椿が、いつもとは違う雰囲気でニコニコしながら迫ってくるのはなんというか心臓に悪いからやめて欲しい。僕だって健全な男子高校生なのだ。
椿を部屋から追い出し、服を着替えてから一階に下りれば、そこには両親の姿は既になかった。
「……椿、父さんと母さんは?」
「私が来る前にお父さんとお母さんが連れて行ったよ。今日は四人で出かけるんだって」
「まだ7時前だぞ……。今年も張り切ってるなあ……というか僕の朝ごはんは」
「あ、私が作るよー」
パタパタと台所へ駆けていく椿を見送る。今まで椿が料理している姿なんて見たことが無かったから戦々恐々としながら待っていたが、特に何事かあるわけでもなく、出された朝食は美味しかった。
「じゃあ早速……」
「まて椿、いま出かけてもどこもまだ開いてないから。それとも何か行きたい場所でもあるのか?」
「えっ? ええっと……」
椿は僕がそう言った途端に目をうろうろさせ始め、金髪のウィッグの毛先を弄り始めた。髪の毛の毛先を弄る仕草は、椿が言いたいことを誤魔化す時の癖だ。
先を促せば、椿は少し言いにくそうにしながらも話し始めた。
「えーっとね、ほら、三日テーマパークって、最近できたでしょ? あそこに行ってみたくて」
「なんだ、そんなことなら全然かまわないよ」
「……少しは嫌がるかと思ってた」
「椿は僕をなんだと思っているのさ」
「出不精?」
「否定はしないけど、せめてインドア派って言ってくれないかな」
変わらないじゃん! と言う椿を流しながら、僕は脳内で時間を計算する。確かに、そろそろ出ないと混み合う時間帯にぶつかりそうだ。いったん部屋に戻ってすぐに準備を整え、ご機嫌な様子の椿と一緒に家を出た。
***
三日テーマパークは三日駅から専用バスで20分ほどの場所にある、遊園地に動物園と水族館とが併設された超巨大複合型テーマパークだ。ここ三日市に建てられていることと、「全てを体験するには三日かかる」というキャッチコピーのダブルミーニングになっているらしい。そのキャッチコピーの真偽はともかく、国内最大規模と銘打たれるだけあって来場者も非常に多い。特にオープン直後の日曜日なんてなおさらだ。
つまるところ僕はチケットを買って入園ゲートに並ぶまでに、既に人酔いを起こしていた。椿が嫌がると思っていたと言ったのも、この前情報を入手していたからだろう。
「ゆう君、大丈夫?」
「……まあ、なんとか」
「中は広いからそこまで混むことはないみたいだって。入園ゲートをくぐるまでの辛抱だよ」
椿も少しは申し訳なく思っているのか、先ほどまでの勢いがなくなっている。その様子を見て、僕は少し無理矢理に笑顔を作って椿に大丈夫だともう一度言った。今日は四月一日なのだし、椿には元気なままでいてもらいたいのだ。
入園ゲートの人捌きも早いもので、僕たちはあっという間に中に入ることができた。入ってすぐに見えるのはテーマパーク内を循環するバスの停留所だ。右回り、左回り、そして中央を通る、反対の西側ゲート直通のバスがそれぞれ数分間隔で運行されているらしい。
「広すぎてどこから行けばわからないな……。椿、どこに行きたい?」
「お化け屋敷!」
パンフレットに書かれた地図を見ながら話を振れば、椿は間髪入れずにそう答えた。……そんなにお化け屋敷が好きなのだろうか。
「お化け屋敷かー……。あ、ふたつあるのか」
このテーマパークのアトラクションの多くは二種類用意されている。それは混雑緩和のためと、アトラクションの難易度が違うためだ。例えばお化け屋敷なら、アトラクション的に楽しむものと、本格的に怖がらせることが目的のものの二種類である。
椿にどちらがいいか聞いてみれば、少し考えた後に本格的なほうを希望してきた。
「椿ってお化け屋敷が好きなの?」
「うーん、入らないからわからないかなー」
「……じゃあ簡単なほうから始めたほうがいいと思うけど」
「いいの! ……それとも、ゆう君は怖いのかな?」
「む、そんなわけないだろ」
「じゃあ問題ないね! いこう!」
売り言葉に買い言葉。椿の挑発的な笑みについ乗ってしまった。昔から僕はホラー系には強いから、純粋に椿の心配をしていただけなのだけど。
ぐいぐい腕を引っ張る椿にドキドキしながら、目的の場所へと向かう。
循環バスから降りれば、目の前にはいかにもお化け屋敷ですとでも言うような、おどろおどろしい建物があった。まだ午前の早い時間帯だからか、並んでいる様子もなくすぐに入れそうだ。
僕たちがお化け屋敷に近付けば、スタッフであろう女の人が近づいてきた。
「いらっしゃいませー、と言いたいところですがー、カップルにはあまりここはオススメできませんよー。本当に怖いんでー」
「だってさ。どうする?」
「……入るよ!」
注意を受けて椿を見れば、どこか緊張した顔で頷いてくる。これは、椿の意固地な部分が悪い方向に作用しているようだ。やっぱりやめたいなら正直に言えばいいのに、後に引けなくなっているらしい。
僕は椿のために助け船を出すかどうか一瞬だけ逡巡し、出さないことに決めた。この時点から既に僕の腕を離さない椿がそれに関係しているのかどうかは黙秘事項だ。
***
結果として、お化け屋敷を出るころにはぽろぽろと涙を流していた椿を見かねて、スタッフが控室を貸してくれた。僕としても椿が泣くほどに怖がるとは思っても見なかったので、正直助かっている。
泣いている椿に上手くかける言葉なんて見つからない僕は、ただ隣に座って頭を撫でるくらいしかできない。
しばらくすれば椿も涙が収まってきたらしく、呟くように僕に話しかけてきた。
「……ゆう君」
「……落ち着いた?」
「うん……ごめん」
椿が小さな声で呟いたごめんには様々な意味が込められている気がした。その全ての意味を図れるわけじゃないけれど、僕はそれへの返答として、先ほどまでとは打って変わって椿の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。
「わっわっゆう君、ウィッグずれちゃうから! もう!」
「その調子だよ」
「?」
「落ち込んでるのはらしくないってこと。それに謝られることじゃないし」
「……じゃあ、ありがとう」
「ならよし」
赤い目をしながら笑う椿に、僕も笑い返す。そして、椿がよし! と気合を入れて立ち上がった。その姿に先ほどまでの落ち込んだ気配は感じられず、僕もそっと胸をなで下ろす。幼馴染として、男として、椿を泣かせてしまったのは紛れもない失態だ。もうそんなことは犯さないと、僕は心に刻んだ。
「ありがとうございました」
「いえいえー。彼氏ー、もう彼女泣かせちゃだめだよー?」
「ええ、もちろん」
「……もうっ、いいから早くいくよ!」
僕が控室に案内してくれたスタッフのお姉さんにお礼を言っていると、恥ずかしいのか椿が僕の手を引っ張って急かしてくる。僕はお姉さんと揃って苦笑いをし、もう一度お礼を言ってから手を引く椿に従った。
椿はしばらく無言で僕を連れて早足で歩いていたが、少ししたところで普通の歩調に戻った。いつもと違うのは、椿がつないでいる手を離さないこと。
もう会わないであろう他人に訂正するのも不毛だからしないだけで、僕と椿は恋人どうしではない。だから僕も椿も、手を繋いで歩くような、そういう行為はしないようにしてきた。
いま手を繋いでいるのはまだお化け屋敷の恐怖が抜けきっていないのか、それとも――
「ゆう君? どうかした?」
飛びかけた思考は、椿の声によって中断された。いつの間にか歩くスピードが落ちていたらしい。落ちていた視線を前に戻せば、椿が僕の顔を訝しげに覗き込んでいる。
「なんでもないよ。ほら、近くに水族館があるみたいだ。見ていこうよ」
「……そうだね!」
考えを頭の隅に追いやって椿に笑いかければ、椿もそれ以上を聞くことはなかった。
僕はそのまま立ち止まっている椿の手を引いて歩き出す。椿は一瞬きょとんとした顔をして、すぐに笑顔になって僕の隣を歩き始めた。
***
「んー……! 今日は遊んだねー!」
隣で椿が軽く伸びをする。時刻は午後5時過ぎで、あと一時間もしないうちに太陽は沈むだろう。本当に一日で全てを回ることは出来なかったと、僕はこのテーマパークの広さに改めて感心した。周囲を見れば、ちらほらと帰路につく人たちが増え始めている。
僕たちも帰ろうか。そう口にしようとしたところで、ひとつのアトラクションが目に留まる。この三日テーマパークの中心に位置し、テーマパーク全体を一望できるという観覧車だ。
椿を見やれば、同じことを考えていたらしい。目がばっちり合った僕たちは笑い合って、観覧車のほうへと歩き出した。
観覧車の中は、外とは違って静かな空気が流れていた。乗るまでははしゃいでいた椿も、いまは静かに窓の外を眺めている。僕もそれに倣って、夕陽に照らされるテーマパークを黙って眺めていた。
僕が今日歩いた順に沿って景色を見ていれば、不意に椿の視線がこちらを向いた気がした。目を向ければ、椿は改まった姿勢で僕を見ていた。
僕たちの乗るゴンドラはもうすぐ頂上というところまで上がっている。その中で椿の顔もテーマパーク同様夕陽に照らされ、赤く染まって見えた。
「ゆう君、今日はありがとうね」
「な、なんだよ、急に改まって」
お礼を言う椿の顔はいままでの表情の中で一番美しくて、気恥ずかしいやら照れるやらで、思わず動揺した声になってしまう。
「今日誘うまでは、もしかしたら断られるかもしれないって思っていたの」
「そんなことあるわけないだろ」
僕は憮然とした声で返す。断るなんて、そんなことはしない。むしろ僕は、もっと椿は自分の望みを言ったほうがいいと思っているのに。
「うん。こうして今日一日ゆう君が付き合ってくれてすごく楽しかったし、その、やっぱり私はゆう君のことが、好きなんだなって思ったの」
言い切った椿の顔は真っ赤だった。相対する僕の顔も赤くなっていくのがわかる。夕陽で誤魔化せているといいんだけど。
それよりも、返事をしなければ。僕はこほんと咳払いをして、改めて椿に向き直る。
「あー、椿。その、僕も、椿のことが」
「わああっ待ってっ、まって!」
「……なんでだよ」
「ほっほら、今日エイプリルフールだから。明日になって、全部嘘でしたとか言われたら私耐えられないし」
「そんなことしないって。……それに椿はもう言ってるじゃないか」
「……私は四月一日だからいいの!」
僕の返答は、しかし椿によって遮られた。滅茶苦茶な理論だけれど、ようは真面目な椿が恥ずかしくて耐えられなかったのだ。……明日は全力で告白することにしよう。
そのまま両手で僕の口を塞ごうとしてくる椿とじゃれ合っていれば、観覧車は一周して、僕たちは地上に戻ってきた。言葉がだめならせめて態度で示そうと、僕はゴンドラを降りる椿にそっと手を差し出す。
椿は赤い顔で、おずおずと僕の手を握った。その手を握り返して、僕たちは手を繋いだまま帰路についた。
***
四月一日。エイプリルフール。四月一日家ではその日に何らかの意味を見出している。彼らは普段の様子が嘘のように活動的、行動的になって僕たち十月一日家を振り回す。
だけどそれは四月一日につく嘘なんかではなく、彼らがもともと持っているものにすぎないのだ。活動的になっても彼らは真面目だし、真面目で冷静な普段の様子の中でも行動的になることだってある。
僕はそんな少し変わった彼らが好きだし、きっとこれからも変わらず仲良くやっていけると思う。
四月一日はともかく、十月一日と三日市は架空のものです。