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 彼が昼前に行き着いたのは、東の山奥――東方主都ラブグテットから距離およそ三百、北方領にも程近い連峰レルレン・モンターニにある山村の一つだった。

 寂れているというほどではないが、活気づいているというほどでもない。未だ発展の波が届ききらない田舎としては一般的な長閑さが漂っている。気温の上がってくるこの時期の常として、太陽が昇りきらないこの時間帯、村人たちの大半はせっせと労働に勤めていた。

 大荷物を背負った驢馬(ろば)を連れた男は通行証を門番に見せ、その様子を眺めてさも満足そうに笑った。次にコキリと肩を鳴らす。そして山の濃い空気を肺いっぱいに吸い込んで、歩みを再開しながら、声を張り上げた。

「やあ、〝運び〟ですよぅ。いつもの奴じゃあありませんが、下の町からの預かり物がございますんでね、皆様広場にいらっしゃいな!」

 履き古された靴底が乾いた地面を大股に蹴る。()()り色の裾がくるりと翻る。

 土を耕し、薪を割り、粉を挽いていた人々が声の方へと顔を向けた。

 薄手の外套に覆われた痩せぎすの体躯、顎を過ぎるほどまで伸ばされた灰色の髪、薄く白い肌。腰の帯は革製の杖帯で、夏の陽光を弾く銀色の棒が留められている。顔は平均よりは上という程度だが、目尻が垂れた瞳の色だけは銀を透かした上等の青硝子のような、美しい色だった。

 二十代中頃だろうか。まだ若い男は薄い布手袋を嵌めた手で驢馬の背から手紙の一束を掴み、頭上に翳す。

「門横のロドルフ、メイツァーニのボードレイル氏から! 三本杉裏のシモーヌ、ルイ・ジョルジュ氏から!」

 よく通る声が、包み紙や、畳まれた便箋にそのまま書かれた宛名を読み上げる。読み上げると言っても、彼の涼しげな色の目は手元の字を追っていない。記憶をなぞっている。

 そこでようやく、ぽかんとしていた村人の一人が、山の下から便りを届ける運び屋の到着だと気づいた。眩しいほどの笑顔を浮かべて家へと駆け込むのは、鶏を追い掛け回していた少年だ。

「母さん、〝運び〟が来た!」

 報告を合図にしたかのように、村人たちは持っていた(すき)や籠を放り出し、男に駆け寄る。その勢いとくれば凄まじく、

「私! シモーヌは私!」

「なあ、瓶詰めがあるはずなんだ。ラブグテットからさ!」

「〝運び〟さん、てがみちょうだい!」

 大小、太いも細いもある日に焼けた手が何本も伸びて、荷を掴もうと殺到する。市場での大安売りに似た競争の勢いだった。

 しかし、その勢いの矛先が向く中心に立たされた男の顔は、目の色同様涼しいものだった。握り潰す強さで伸ばされた誰かの手からひらりと手紙を逃し、革帯から銀色の棒――繊細な蔦模様が彫られた、誉れ神サーディンの持ち物を模した杖――を引き抜く。それでもって腕の群れをさっと押しのけ、制した。

 一連の動きにあるのは荒々しさではなく、手際のよさ。村人は一時、呆気にとられたようにしんと静まる。

「ほらほら落ち着きなさいな、品物壊れちまうでしょうや。ちゃんと順番に渡してさしあげますから。呼んだらいらして」

 その様子にも肩を揺する笑いを交え、勢いに怯えて嘶いていた驢馬の首を擦りながら、〝運び〟の男は言う。

 ね、と押した彼の声色は、他人を御すことに慣れた響きだった。


「おお、どうもどうも。ご苦労さん。いっつもの、ハイメーさんはどうしたんだい?」

「荷を分けている最中に腰痛めたんですってよ。……ああ、ご心配には及びません、って本人が。町中の仕事はどうにかなるけど、こうも山奥じゃ行かれないってんで、私に回しただけですや。次はまた誰か別の奴かも分かんないけど、二月もすればまた来るでしょ」

 山間に疎らに展開する畑と民家。広場に呼び寄せることの出来なかった人々に残った手紙や荷を配り歩く〝運び〟の男は、街へ出た娘からの手紙を受け取って破顔する男を前に、もう十数回目になろうかという説明を淀みなく、面倒臭がらずに舌に乗せる。

 ――山の下の町にある小規模な〝運び〟組合(サンディカ)の長で山村付近を仕事の担当としている運びのハイメーは、男が説明したとおり、荷の仕分け中に腰を痛めて仕事がままならなくなった。しかも今年は目の回るような忙しさで、同じ組合の者は誰も手が空かない。隣町の組合に支援を要請するにしてもこれからでは遅れは必至、違約金沙汰になる、と困り果てた彼のところに読んだようなタイミングで現れたのが……

「難儀なことです。ま、組合にはまだ若い奴が残ってるみたいですから、どうにかなりましょうよ。私も助けてやりましたしね」

 組合に所属していない〝運び〟である、この男だ。ハイメーは幸いにも、彼と知り合いだった。

「ねぇ、貴方」

 閑談の間に、若い女特有の高い声が割って入る。声は離れたところから放たれたもので、その分か、強く、きつめに響いて聞こえた。

 運びは振り向き、村の男と顔を見合わせ、その表情から呼ばれたのは彼ではないと結論付けた。

「これもアンタ様の。――私ですかぁ、お嬢さん(フィユータ)。なんか御用?」

 分厚い手紙を持った村人の手に干魚の包みも押しつけて、彼は体ごと女へと振り返った。口元を緩めて笑いながら、木立の横に立った女へと歩み寄る。

 背まである長い髪は黒く波打ち、光の下で艶々としている。肌は張りがあり()()細やか。細い顎とすらりとした鼻梁の、二十歳前に見える美しい娘だ。ただしその顔や、薄着の下晒された手や足首は、今の時期の村人にしては白過ぎる。外から現れた運びといい勝負だった。

 彼女に近づいた運びは、すぐにその理由を察した。

 女の青い目は薄く濁り、焦点を定められずにゆっくりと瞬いている。

「貴方、〝運び〟なのよね? 人は運べる?」

 自分に近づく足音が止まったところで、女は先程と同じ調子で切り出した。その年頃の娘が男に話しかけるにしては甘えや媚びの見られない、挑むような声だった。

「ええ。お代さえ頂けるんでしたら、何だって。……割に合わなきゃお断りもしますがね。何処か、行きたい場所でもおあり?」

 少なくともまともには目の見えていない女に対しても愛想笑いを絶やさず、彼女のきつさを受け流すように、男は紡いだ。

 言葉は軽薄にもとれるが、含まれているのは嘘偽りの類ではなく、多くの仕事をこなしてきた者の自信だった。女の問いには何十回も答えてきたとでも言うような。

 首を傾いだ〝運び〟を見えぬ目で見つめ、女は深くしっかりと頷いた。

「魔女の家に行きたいの」

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