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砂の棺  作者: 天海六花
鎮魂歌
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   鎮魂歌レクイエム


     1


「私はアイセルなんて名前じゃないわ」

 シーアには夢という形でアイセルとしての記憶が断片的にある。ゆえに、シーアはアイセルの生まれ変わりなのだ。

 そう考えた俺は、カルザスを介してシーアと話をしてみようと考えた。シーアがアイセルであるならば、俺が幾度もエルスラディアの夢を見た事にも合点がゆく。夢という形で過去を思い出し、そしてアイセルを今度こそ救ってやれるようにと、そうアーネスは考え、何らかの形で自らの形を残そうとしたのではないか。俺がアーネスなのだとすれば、現在の俺の置かれた状況も辻褄が合うのではないか……そう思うのだ。

 シーアにどれほどの記憶が残っておるのか知りたいと思い、俺はシーアにアイセルの名を問いかけてみた。しかし返ってきたのは否定の言葉。俺の思い込みだったのだろうか……。

「そんな名前は聞いた事もないし、私にはちゃんと別の本名があるわ。レ……」

 そう言い掛け、シーアは慌てて唇を押さえる。

「シーア。ええ、シーア・ティリよ」

「本来の、男性としてのお名前はまだ秘密ですか?」

 ムッとした表情を浮かべ、シーアはカルザスの額を小突く。

「あっちの名前は、あいつの付けた名前なのよ? そんな名前を名乗ってたら、いつまで経っても私は暗殺者のままよ。シーアの名前をもらった時に、昔の名前なんて捨てたわ。ティリ姓を名乗ってるのは、本物のシーアとの区別のためってだけよ。私とシーアは共にあるけど違う人間なの。名前に関しては一生偽って生きていくつもりだから、私」

 カルザスの隣へと腰を下ろし、ため息混じりに両腕で膝を抱えるシーア。

「……その名前の暗殺者はね……罪悪感なんてものが麻痺するくらい、数え切れない命を奪ってきた。素顔を見られて、自分の身を護るために生きるべき人の命まで奪ってしまった事もある。血を吸い続けた手は、もう誰にも触れる事はできない。触れれば誰かを汚してしまう。もう決して綺麗に洗い流せないから。血で汚れた手で触れたって、そのものの本来の色や形は分からなくなってしまうから」

 膝を抱えたまま、シーアは両手を広げてじっと見つめる。

 色が白く指が細い、しなやかな手だ。この手でハープの弦を弾き、美しい調べを奏でる。それと同時に、狂気の刃を握り、他者の人生の幕を強制的に引き摺り下ろす。

 シーアが生まれ変わりだとして……あのアイセルに他者を殺めるという事ができるのだろうか? ふと、そんな疑問が脳裏をよぎる。

 ふいに、カルザスはシーアの手を掴み、両手で挟み込む。驚いて顔を上げたシーアに、カルザスはにこりと微笑み掛けた。

「汚しちゃったものは元に戻りませんけど、それ以上汚れないようにする事はできるんですよ。それにシーアさんが触れられなくて見ただけじゃ分からない物があれば、僕が代わりに触れて考えて、どんなものだったか教えてあげます。そこから推測できるものだってあるでしょう?」

「カルザスさん?」

「僕が今触れてるのは、温かくって、ハープの演奏で人を幸せな気持ちにしてくれる人の手ですよ。僕、凄く音痴ですから素敵な演奏する事ができる人って尊敬します。シーアさんが触れられなくて分からないもの、どんなものか想像できましたか?」

 甘えるかのようにカルザスの肩に額を乗せ、シーアは小さくうんと返事をした。

「今の、セルトさん? カルザスさん?」

「僕ですって言いたいですけど、両方です。ね、セルトさん?」

 ──あ、ああ……。

「じゃ、セルトさんだけじゃなく、カルザスさんも私のお兄さんだわ。たった一人の、ううん、二人かな。信頼できる兄さん」

 兄……兄か。

 シーアにアイセルとしてのはっきりした記憶はないようだ。むろん俺にも、アーネスとしての記憶はない。

 アイセルとしての記憶を断片的に覚えておるからといって、シーアをあの者の生まれ変わりだと断定し、なおかつ度々エルスラディアの夢を見るからと、俺の正体はアーネスではと仮定するには、少々強引な理論で性急過ぎたかもしれん。俺は反省し、もっと情報を集めなくてはと、気持ちを切り替える。

 今、シーアがアイセルではなく、シーアとして兄と呼んだのは今の俺、セルトだ。アーネスではない。

 幾度も見たあの夢の事は気になるが、所詮、夢でしかないと言えばそれまでだ。シーアは今のカルザスと、セルトとしての俺とが自分の味方だと満足しておるのだから、それでもよい……か。

 ──シーア。つまらん事を聞いて悪かったな。

「シーアさん。セルトさんが、つまらない事を言ってすみませんって、仰ってますよ」

「別にいいわ」

 雨音が小さくなってきた。もう間もなくあがるのだろう。

「人を幸せな気分に……か。歌ってる間だけ私は暗殺者じゃなくなるから……好きで歌っていただけなのにね」

「何かを好きである事はいい事ですよ。ご自分が好きな事をして、それが人に褒めてもらえるのって素晴らしい事だと思います。誇れるものがあるのって、羨ましいですよ。僕は何の取り柄もないですから」

「……そんな事ないけどなぁ……でも……シーアにも言われたな……」

 目を細めて、硝子細工の耳飾りに触れるシーア。声のトーンが言葉の途中から、素の状態に戻っている。器用なものだ。

「シーアはね。おれの歌も、この容姿も、本当の名前も全部好きだって言ってくれたんだ。だから自分で自分の事、卑下しないで誇っていいんだって」

「それじゃ、ですね」

 カルザスが片目を瞑って指を立てる。

「どこか小さい酒場を探して、今日だけこっそり詩人さんのお仕事しましょう。シーアさん、最近歌ってくださらないんで、ちょっと寂しいです」

「え? でもラクアじゃ、あんまり目立った行動は……」

「今日は雨が降ってるんですよ。雨に慣れてないウラウローの民は、あまり出歩かないに決まってます。だから悪い人たちだって、外出は控えると思うんですよ」

 シーアは眉を寄せて考えていたが、小さく笑みを浮かべる。

「……シーアも……喜ぶと思う?」

「はい。絶対嬉しいに決まってます。空の彼方で聞いているセムさんのために歌ってあげてください」

「うん……それじゃ、行く」

 シーア・セムのためにか。

 奴がアイセルではなかったという事実は少々残念な気もするが、ほっとしたというのも正直な感想だ。これは俺自身があの仮定に揺らいでいたという事になる。

 俺の記憶探しは、ふりだしに戻ったな。しかしそれでもよい。俺にはカルザスとシーアという、心強い仲間がいるのだからな。

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