1 大魔術師の行方
ソレーユと別れ、一人図書館に戻ってきたメルファンはぐったりとその場に座り込んだ。そのすぐ側にサラが寄りかかってくる。普段から側に感じるサラの存在をこれほどまでに意識し、嬉しいと感じた事は無い。
「サラ、メイの行方を追える?」
弱々しい問いかけに、サラが小さく首を振る。黒い、黒曜石のような瞳が悲しげに揺れているように見え、深く深呼吸をした。たとえ使い魔であっても姿はただのテディベアだ。瞳に感情が表れることなんてありえない。
片割れがどこにいるのか、メルファンには分からない。どうやって見つけ出せばいいのだろう。
「緑の丘……か」
やはりそこに行かなければならない。そこに、ヒントがあるはずだ。
「サラ、緑の丘に行くわ」
柔らかい体を抱き上げ、力をこめたメルファンの腕の中でサラの体がゆらゆらと揺れた。まるで、泣いているかのような使い魔の存在が嬉しい。サラはまるで、メルファンの想いを体全体を使って表現してくれる。
「大丈夫よ、サラ。私は大丈夫。メイを見つけないと……」
ギュッと目を瞑ったメルファンの周りが軽く光を帯びる。音もなく、彼女の体がその場から消えた。
ドンッと強い衝撃が体を貫き、男は地面に転がった。節くれだった体が強く叩きつけられる。
頭を強く打ったからなのか、キーーンという耳鳴りが聞こえ、顔を顰めた。だが、今はそれどころでは無い。早く神域から出て今の状況を確認しなければ。国が、王が認識を改める瞬間を見なければ。
まるで取り付かれたかのようにフラフラと神域から出た男の手元で赤い石が光を帯びる。
男の目に木々の向こうにある景色が見えてくる。神域近くでここまで力を使えるのが男が、筆頭魔術師の地位についた所以だ。
男、テルモ・ヘクセレイの目が驚愕に見開かれる。確かに男の思惑通り異能者は我を失い、暴れている。だが、それは異能者だけではなかった。魔術師もまた、同じように暴れている。それはほんの一瞬の事だった。すぐに彼等は意識を失い、バタバタと倒れていく。だが、その一瞬がテルモには物凄く長い時間のように感じた。
《緑の丘 神の剣が穢れし刻 闇の力を解放す》
テルモの頭にグルグルと伝承が浮かんでは消えていく。緑の丘にある神器は「血を吸い、穢れた時、闇の力(異能者)を解放する」というものだったはずだ。何故、光の力といわれる魔術師も我を失う。
違う、こんな事を望んでいたわけでは無い。ただ、異能者が危険だとわかってほしかっただけなのに。
ぼんやりと森に佇むテルモの足元に真っ白なうさぎがピョンと降り立った。まるでテルモを慰めているかのように彼に体を擦り付けてきた。
のろのろと見下ろしたテルモが呆然とした口調で呟く。
「ラパン。アレは何じゃ?何故、魔術師まで我を失……う……?」
言いながらテルモは突如口を噤んだ。そう、魔術師もまた我を失っているのに……
「何故、わしはなんとも無いんじゃ?」
その問の答えが彼の使い魔であるラパンにわかるわけが無くとも、誰かに問いたかった。そうしなければ、彼は壊れてしまうような気がした。何故、こんな事になったのだろう。
「わしは……こんなことを望んではいなかった……」
ただ、異能者を排除したかっただけだ。
光の渦から視界が戻ってきたメルファンは呆然と佇むテルモ・ヘクセレイの姿に軽く息を呑んだ。彼の顔はメルファンの方を向いているが、彼女を見てはいない。どこを見ているのか、分かったような気がした。
メルファンはサラを足元に下ろすと、軽く手を振った。パチンという音が響き、テルモの顔に正気が戻る。視線がメルファンを捕らえた。
「メルファン・ブロックウェイ。……そなたは無事なのか?」
「ええ、魔術師では私とあなただけみたいですね。テルモ・ヘクセレイ様。何故、神の剣に穢れを与えたのですか?」
ゆっくりとした動作で近づくメルファンを見るテルモの目に鋭い光が宿った。周りの全てを飲み込んでしまいそうなほどの彼の視線にメルファンが歩みを止める。恐怖が体を貫く。背にじんわりと嫌な汗をかいた。
老いぼれようとも、筆頭魔術師の地位に付き、次期筆頭魔術師といわれるミラ・メヒャーニクを育てたのは伊達ではない。どんなに逆立ちしても適う気がしなかった。
「陛下は、知るべきなのじゃ。異能者というのがどれだけ不安定で危険なものなのか。知らねばならぬ」
きっぱりと言い切った彼の目に迷いは無い。魔術師まで正気を失った時に感じていたであろう動揺は既に無かった。
「あなたは……異能者に偏見を持つな、とミラに教えたのではなかったのですか?」
ミラがあの環境にありながら、偏見を強く持つ貴族の次期当主として育てられながら、異能者に対しての偏見を一切持たなかったのはテルモ・ヘクセレイの教育のお陰だ。彼は異能者へ偏見を持つ事をミラにもジーンにも禁じた。ミラと違いジーンは偏見が無いわけではなかったが、それをはっきりと表に出す事は無かった。そんな二人を育てたはずのテルモが何故?メルファンにはその理由が全くわからない。
「フン、わしは異能者への偏見を表に出すなと教えたんじゃ。偏見を持つなと教えたつもりは無い。ジーンはその意図に気づいていたようじゃがな」
テルモが苛立たし気に舌打ちをする。よほど異能者が嫌いなのかもしれない。彼が、仕えている王が異能者だと知らないのが幸いなのか。知っていれば彼は本気でこのセレスティアを滅ぼしかねない。
「あなたは……セレスティアを滅ぼすつもりなのですか?」
「そんな気はサラサラ無いわ。異能者が暴れても魔術師が止める……はずじゃった」
「魔術師の力と異能者の力は大本は同じです。あの二つは使い方が違うだけです。どちらも、私たち人にとっては〝闇の力〟です。あなたは、やりすぎました」
ここで、彼を見逃すわけにも、許すわけにもいかない。メルファンがパッと腕を上げ、彼に向けて振り下ろした。だが、彼はそんな簡単な魔術が効く相手では無いし、メルファンのような王立学院の生徒が適う相手でも無い。
メルファンが魔術を使うのと彼の攻撃がメルファンを直撃するのはほぼ同時だった。強い力で吹き飛ばされ木々に体を思い切り打ち付ける。
遠退く意識の向こうで、彼が嘲笑する声が聞こえたような気がした。
「ミ……ラ……」
彼を止められる可能性があるのは、神の力で眠り続けている彼の弟子だけだ。他の人間では手も足も出ない。




