2 招待状
「お帰り」
誰もいないはずの図書館の入り口でハルク・ティフォーネとバルレ・ニュンフェの二人の騎士が待っていた。夫々が王、王弟に使えるトップクラスの騎士だ。彼等がそろってきたという事実が今の王城の状況を如実に語っているような気がする。二人はソレーユたちが連れている意識の無い人たちの姿を見ると小さく息を呑んだ。
「やはり、あなた方もですか……」
言いながら、普段と全く変わりがなさそうなソレーユとメルファンを見る。魔術師も異能者も例外なく正気を失い、今は意識を失っている。その中の例外二人をどこか疑うような眼差しで見つめてくる。
「……何故、私たちが平気なのかはわからないけれど……今正気な方は?」
ウィリアム達を図書館の奥にある部屋に寝せてから一息ついたメルファンから発せられた問にハルクが軽くかぶりを振る。
「騎士とどこにも属さぬ一般人だけです」
「それなら、今指揮権を持っているのはあなた方二人、と考えても?」
メルファンの問に二人が同時に頷く。ソレーユの脳裏に一度顔を合わせたレクスの姿が浮かんだ。炎を操る異能を使っていた。彼もまた、正気を保てなかったのだろう。
「テルモ・ヘクセレイ様は?やはり正気を?」
テルモ・ヘクセレイ。ソレーユでさえ知っている有名人だ。筆頭魔術師であり、セレスティアの魔術師の要でもある彼がほんの数分でも暴れていれば既にセレスティアは無いのではないだろうかと思ってしまうほどの魔術師だ。
メルファンの問いにハルクとバルレが互いに目を見交わした。そこに困惑した色を感じる。
「それが、あの方は現在行方知れずでして。彼も共に暴れていたら既にセレスティアは終わっていますから不幸中の幸いとも言えますが……もし……」
「状況は判りました。私はこちらで調べてみます。ソレーユ、手伝って。それと、アルシャークは彼等と共に城に。機能が停止しているでしょうけれど、だからこそ、恐慌状態の民を守るのが騎士の仕事でしょう?」
指揮権を持っているはずの二人を顎で使うメルファンはさすがと言おうか。呆れたようなソレーユを尻目に、彼等は夫々の仕事の為に図書館を飛び出していった。そこに残されたのはソレーユとメルファンの二人だけだ。
「メルファン?何をするの?」
「イレウス様に会いに行くわ。本来は私しか使えない鍵なんだけど……あなたも恐らく使えるから付いてきて」
ポンとメルファンが取り出したのは、小さな鍵だった。鍵には小さな青い石の飾りがついていて、その飾りが淡い光を放っている。魔術師が魔術を使う時に発する魔法石の光と似ているような気もする。
「何故、私も使えるの?」
ソレーユのその疑問に、メルファンが答えてくれる事は無かった。
「ここって、黒の塔に通じていたの?」
今まで一度も入った事が無かった戸を潜ったソレーユは、そこが見覚えのある場所だったことに驚いたような表情を浮かべた。絶対に入ってはいけないと言われていた場所が黒の塔に通じているなどどうして想像できるだろう。
「まさか、この鍵を使ったときだけよ。他は別の用途に使ってるから、私と一緒じゃないと入っちゃ駄目。いくらあなたでも発狂するわよ?」
冗談めかしたメルファンの言葉にソレーユの表情が凍りついた。冗談めかしているようにも見えるがその目は決して笑っていない。彼女が本気で言っているのだと、嫌と言うほど判った。
「ソレーユ、メルファン」
どこか不敵な笑みを浮かべ、何のためらいも無くソレーユの名を呼んだイレウスはやはり神なのだと、例えそう見えなくとも、この世界を見守る存在なのだと再認識した。
彼の隣に若い女性がいる。なんとなく見知った存在、マドンナだ。彼女がここにいる事に、もう驚かない。こんな事で一々驚いていたら外で生活なんて出来ないと思うくらいには、ここ数日でたくさんの経験をした。
「イレウス様、今の状況は?」
「緑の丘の神器に誰かが手を出したらしい。……神域は本来我が手を出せぬ場所。今の状況と成れば我に出来るのは、一時的に魔術師、異能者の意識を奪う事くらいだ」
「何が、起こったのですか?私にも知る事の出来ない何かが……」
言葉を濁すメルファンにイレウスが小さく頷いた。
「レーセは我が造りしもの。知る事の出来る事にも限界はある。緑の丘に眠る神器に何者かが血を与え、力を与え、穢れを与えた。穢れを流さねば、そなたの片割れは闇に囚われることだろう」
「……メイビーナが……?何故?」
「レーセの対は、神器に触れ、扱う事が出来る唯一。今の状況は神器が抜かれた事によるものだ。そなたの対が何かを知っているだろう」
絶句したメルファンの変わりにソレーユが口を開いた。
「穢れを落とすにはどうすれば?方法はあるのでしょう?」
「神器に赤の泉の水を与えてやればよい。本来神器は人を害するものにあらず。だが、穢れを得れば、神の道具は悪魔の道具へと変わる」
きっぱりと言い切ったイレウスはそこで口を噤んだ。それ以上語る事は無い、ということなのだろう。
「……ソレーユ、赤の泉をお願い。私は……」
苦しげに呻くメルファンにソレーユは小さく頷いた。彼女が何をするつもりなのかは聞かない。彼女の決意を、今、無にする事なんて出来るはずが無い。それだけの強い想いを彼女から感じた。




