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緑の丘  作者: 白雪
第5章 動き出した刻
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1 真実のありか

 館中に響き渡るチャイムの音にメイビーナは慌てて扉を開けた。

 あの事件の日から約一週間、城からは何も言われず、メイビーナはメヒャーニク家から外に出ないこと以外はいつも通り過ごしていた。それを許してくれるミラとジーンに深く感謝する。館の外に出られないだけじゃなく、部屋に閉じ込められでもしたら今頃発狂しているだろう。

「メヒャーニク伯爵はいるだろうか?」

 騎士服に身を包んだ三人の男の姿にメイビーナは軽く目を見張る。陛下の側近であるハルクと王弟殿下の側近であるバルレ、そしてミラの友達のアルシャーク。とんでもない組み合わせだと思う。それだけであの事件が平時では無いのだと告げてくるかのように感じた。

「はい、あちらの応接室でお待ち下さい」

 すっと視線を下にずらし、深く礼をする。普段そうする事が少ないから、と言ってそう接する事が出来ない、と言うわけではないのだ。

 すると、頭上からブッと噴出す音が聞こえた。それも一つではなく三つ。顔を下に向けたまま視線だけで上を見ると(睨んでいるようにしか見えないかもしれないが、別に睨んでいるわけでは無い)、三人が三人とも肩を震わせて笑っていた。アルシャークは分かる。許せないし、後で報復決定だが、それでも、普段とのギャップから笑っている事はわかるが、ほかの二人は何故か分からない。メイビーナはこの二人の名前を聞いたことはあるが、顔を見た事さえないのに。

 暫く待っても笑いがやまないらしい三人に、メイビーナの決して大きくない堪忍袋の緒が切れた。

「いつまで笑ってるんですか!!」

 言葉はかろうじて敬語だが、すぐさま近くにあった靴で三人の頭を叩いた。笑いはやんだ、が、唖然とした三つの顔がメイビーナに向いた。

 メイビーナの手の中にあるのは、男物の靴。それも土足だ。外を歩いて汚れきった靴の裏で雲の上の存在であるはずの二人の事もひっぱたいたのだからその驚きも当然のことといえよう。

 初めに衝撃から立ち上がったのはメイビーナの事を良く知るアルシャークだった。

「メイ……お前ね、近衛隊長たちに何やってんだよ」

「うるさい、仕事しただけなのにげらげら笑うそいつ等が悪い。ミラ、呼んでくるからそこで待っててもいいよ」

 明らかな上から目線の尊大な態度にバルレもハルクも衝撃から立ち直る事が出来ないらしいが、そんなことメイビーナの知ったことでは無い。初めに殊勝に使用人として接してあげたのに、それを無にしたのは向こうなのだ。気にしてやる必要がどこにあるだろう。

 ぷりぷりと怒ったような様子で奥に引っ込んでいくメイビーナの様子にバルレの口元がヒクヒクと震える。衝撃から立ち直り、再び笑いの波が来そうになるのを懸命にこらえているというような顔だ。

「……聞いていた通りの人物だな」

 それはハルクも変わらないらしく、声が震えている。

「誰にでもああですけど……ジーンの前ではおとなしいですよ。借りてきた猫みたいです」

 クスクスと笑うアルシャーク。彼等三人は結局勝手に入るわけにもいかず、ミラが出てくるまで玄関先に立たされることとなった。

 彼女の所業を知ったミラの雷がメイビーナに落ちるのはまた、別の話。






「……ラ、ミラ」

 何度か名前を呼ばれ、ミラは漸くメイビーナの方を振り向いた。死んだ様な目をしたミラにメイビーナの表情が悲しげに歪んだ。誰の前でも感情を隠し表情を繕えるという自信がミラにはあるが、それでもメイビーナやメルファンのような幼馴染の前では簡単に仮面を外されてしまう。

「メイ……私……」

 ポツリ、とメイビーナの名前を呼び俯いたミラの頭に優しく掌が載る。これはよくジーンがメイビーナやメルファン、そしてミラにするのと同じだ。単調なリズムにミラは心の奥にある濁った何かが流れていくような不思議な感覚を感じた。

「ミラ、私……今でもあの光景を夢に見るよ」

 ポツリと呟かれた言葉にミラがハッと目を見開く。メイビーナは魔術師でもなければ異能者でもなく、当然そういう汚れた部分を見る事は殆ど無い。そんな彼女がテルモにより見せられた光景は、異能者であるソレーユでさえ躊躇させるようなものだったのだ。今ここで、ミラが落ち込んでいてはいけない、そう思うのにどうしても気持ちを立て直す事が出来ない。穏やかな、でも血にまみれた師の最後を忘れる事が出来ない。ミラは師を殺した。たとえどういう状況であったとしてもその罪は消えない。

「でもね、私……テルモ様を恨めないの」

 再び振ってきた声にミラはバッと顔を上げた。そこには困ったような、とても悲しそうな表情で微笑むメイビーナがいた。

「メ……イ……?」

「あれだけヒドイ事をした人なのに、それ以前の、ミラやジーンの師匠としてここに出入りしていた頃のあの人を知っているからかな。……でも、その死を悲しむ事はできない。だから……アンタくらい悲しんであげないと可愛そうだよ」

 殺した事は消えない。でも、ただ悲しめばいい……とはとんだ言葉だ、と思うのに、メイビーナの言葉が素直にミラの中に入ってくる。

 ポロポロと涙を零すミラを慰めるかのようにメイビーナが抱きしめてくれる。それがとても嬉しくて、ほっとした。

 どのくらいそうしていただろうか、ミラはふと顔を上げた。この頃落ち込んでいるミラを気にしてか、メイビーナは必要最低限の時以外はこの執務室に近づかない。おかげで、ぐるぐる考えることになったが、その少しの空白の時間があったからこそ今、メイビーナの言葉を素直に聞く事ができた。幼馴染は本当に偉大だ。ミラよりもミラの事をよく知っている。

「メイ、あんた何しに来たの?」

 涙声で問いかけたミラに返って来た答えは予想外のものだった。

「ああ、下に王城からのお使いが来てるんだけど」

「……あんたがここに来てからどのくらいたったっけ?」

 正確な時間は分からないが、結構長い間ここにいたような気がする。

「一時間くらい、かな」

 それは、さっきまでの悲しい気持ちや涙さえ引っ込んでしまうほどの衝撃だった。

「あ……あんた……そういう事は早く言いなさい!!」

 ミラの怒鳴り声が部屋中に鳴り響き、メイビーナは小さく肩をすくめた。







 ミラが急ぎ足で下に降りて行くと応接室ではなく玄関口で三人の騎士が待っていた。それにミラは再び顔面蒼白になる。相手が誰か、というのは大した問題では無いが、お客様を玄間で一時間待たせるなんて伯爵家としてとんでもない汚点だ。後でメイビーナにきっちりと言い聞かせなければならない……が、彼等は一体メイビーナに何をしたのだろうか?いくらなんでも何の理由もなしにそんなことはしないはずだ。

「申し訳ございません」

 深く頭を下げたミラの頭上から苦笑したような声が返ってきた。

「いえ、怒らせてしまったらしいですからね」

「笑ったのがまずかったみたいだ」

「でも、殊勝に使用人然としているのは可笑しいでしょう?」

 クスクスと笑う声音にミラは理解した。彼等はメイビーナの陛下に対する暴言を知っていた。そして、使用人として接する彼女がおかしくて仕方が無かったのだろう。

「今日はどういった御用件で?」

 応接室に通して、問いかける。とはいえ理由は一つしかない、ということで、普通ならばすぐに出て行くメイビーナを背後に控えさせた。

「ご存知の通り、あの事件についてです。メイビーナ、あなたも座ってください」

 ハルクの言葉を受け、メイビーナはふてくされたような表情でミラの隣に腰を下ろした。未だ機嫌が直っていないらしい。素直なところはいいとは思うが、もう少し繕って欲しい。

「何があったのか、を聞くつもりはありません。ミラにもメイビーナにも」

「どういう意味ですか?」

「城としては一つのストーリーを国民に知らせはしますが、それは真実である必要がありませんから。そして、あなた方が口を噤んでいるという事は、公にしたくは無い事実。ミラが師であるテルモを殺したことに何の理由も無いとは思えませんから、恐らくは、彼が犯人だったと予測はつきます……が、それを公にするつもりもありません」

 ミラはつめていた息を吐き出した。たとえ真実そうであったとしてもテルモが犯人として認知されるのは嫌だった。もちろんミラの気持ちと城の決定には何の関係も無いだろうが、それでも、感謝したいと思う。

「それなら、何をしに来たのですか?」

「メイビーナに聞きたい事があります。あなたが消滅させたのは異能者を支配していた機械ですね?」

 問われ、メイビーナは小さく頷いた。誰も何の説明もしてはくれなかった。それなのに、メイビーナはあの機械についての知識を得ていた。何故、なのかはわからないが、あの時メルディウスと意識が交錯した時に得たのだから、神器が持っていた知識なのかもしれない。

「あれが壊れたらもう、異能者を従える事はできないんですね?」

 これにも頷く。アレが壊れた以上異能者の持つ印は、呪われた印ではなくただの刺青みたいなものだ。

「わかりました。確認したかったのはそれだけです」

「王は、異能者をどうするつもりなんですか?」

 ずっと気になっていた事。当然ミラも、他の人も同じだろう。

「それはこちらが決める事。これ以上深入りしない方が身のためですよ」

 脅しのようにも聞こえる言葉に反論しようとしたメイビーナをミラが止めた。余り深追いしない方がいいというのは彼女自身も感じていた事だ。放っておけばメイビーナはどこまでも暴走する。それを止めるのは幼馴染である彼女の仕事だ。


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