3 過去と現が交わる刻
「お前は、自分が何をしたのか分かっているのか?」
突然耳に飛び込んできた声にメイビーナはキョロキョロと辺りを見回した……つもりだった。だが、体はメイビーナが望むように動いてくれない。まるで別の誰かの中に意識だけが入り込んでしまったような気もする。
メイビーナの中に強い怒りの感情が溢れた。目の前にいる男に向けるどす黒い想いに自分の中にある何かが浸食されていくかのような嫌な感じだ。
「煩い。お前に何が分かる」
ぎりぎりと手を握り締め、相手を睨みつける。メイビーナの口から出てきたのは聞き覚えの無い男の声だった。低く、ゆったりと心の中に響く声だ。知らないはずなのに、よく知っている声にも聞こえる。
「分からないさ。何も分からない。でも、お前がリアン様を追い出し、ノルイエを殺したんだ。何で……こんな事をする?」
「……力は一人が持てばいい」
メイビーナの目の前で男が目を見張る。強張った表情でメイビーナを……否、彼女が今あるこの体の主を睨みつけてくる。この強い目をどこかで見た事があるような気がした。どこでなのかは、わからないが。
「おまえ……何をしたんだ、クレイス」
「メルディウスには関係が無い」
メルディウスと言う名にメイビーナは大きく息を呑んだ。実際は体は言う事を聞かないのだが、それくらい驚いた。メルディウスは、賢者レティシアの弟で、メヒャーニク家の祖だ。これは、誰かの、否、何かの記憶なのだろうか。
「クレイス」
咎めるような声音。強い意志。彼から感じるのと似たような物をつい最近見た。
筆頭魔術師であるテルモに突き飛ばされた時、偶然抜いてしまった剣。アレから今のメルディウスと似たようなモノを感じた。
「神器……」
声にならない声がメイビーナの耳を打つと同時に体が何かに引っ張られた。強い手でクレイスの体から引き剥がされる。だが、目の前の光景は変わらない。唯一違うのはメイビーナが今いる場所だ。彼女は、向かい合うクレイスとメルディウスを少し高い位置から見下ろしていた。
メルディウスは手に大振りの剣を握っていた。緑色の宝石がはめ込まれている。剣であると同時に魔法石としての役割を担っているのだろう。
「あれ……は……?」
あの剣にも覚えがある。一瞬見ただけだが見間違えるはずも無い。それだけ強い存在感を放っていた。
「力は、一人でいい」
狂ったように繰り返すクレイスが手を振る。バキバキと言う嫌な音がして、建物が大きく傾いだ。その力をメルディウスが剣を一振りする事で凪いだ。
「クレイス、絶対的な力はいずれ滅ぶ。お前はやりすぎた」
悲しい声音で告げた言葉に答える声は無い。深々と剣に貫かれたクレイスの悲鳴が城を揺るがす勢いで響き渡る。びりびりと共鳴する音にメイビーナはビクリと体を引いた。これだけの空間にいながら自分の体には何の害も無い。だが、その恐ろしい声を耳にするだけで恐怖を感じる。
「俺は……負けない……」
強い力が弾け、クレイスの中から光を帯びた何かが側にある機械に吸い込まれていく。それと同時にメルディウスの中から溢れた光もまた、剣の中に吸い込まれていった。
突然の展開にメイビーナの頭がついていかない。一体何が起こったのだろう。
呆然とするメイビーナの視界一杯に、男の顔が現れた。さっきまでクレイスとやりあっていたはずのメルディウスがメイビーナの前に立っている。
「神を降ろしたあいつを止める事は出来なかった。あの頃の俺は単なる人でしかない。だが、今は違う。器さえあれば……今度こそ……」
吐き出すような言葉と共に手が伸びてくる。捕まったら終わりだ。逃げなければ。頭の中で何度も何度も警報音がなるが、まるで凍りついたかのようにメイビーナの体は動かなかった。
そんなメイビーナを前に、メルディウスが嗤った……ような気がした。
メイビーナはメルディウスに捕まる事を覚悟した。逃げ切れるとは露ほども思わない。それでも、例え相手が人外のものであったとしても、簡単に負けるのだけはごめんだった。メイビーナはそんな弱い人間では無い。
キッとメルディウスを睨みつけた。暗く、よどんだ瞳が酷く恐ろしいと思ったが、それでも目をそらす事はしない。
「私は……アンタの人形にはならない」
吐き出すような言葉は、やはり彼には届かなかった。彼の冷たく凍りついたかのような手がメイビーナに触れる。触れた先から冷たく凍えるみたいで、背筋がゾッとする。
ドンッ
凍りついたように固まったメイビーナとメルディウスを囲む空気が大きな音を立てて震えた。突然の事に目をパチクリと見開いたメイビーナの前で彼が苦悶の表情を浮かべる。さっきまでのような、死んだようなよどんだ目ではなく、今にも壊れてしまいそうな弱々しい表情を浮かべている。
再び空気が震え、メイビーナの目の前で真っ黒な視界が白に塗り替えられていく。まるで真っ黒のキャンパスに白い絵の具をぶちまけたみたいだなと、そう思った。
震えが収まると、辺り一面を覆っていた黒くよどんだ空気は、白く透き通ったものへと変わっていた。余りに違う雰囲気に、全く別の場所に来てしまったのではないかと言う錯覚に囚われたほどだ。何よりも、目の前にいる人が違う。姿かたちは同じなのに、浮かべる表情が、かもし出す雰囲気がここまで違うとまるで別人のようにしか見えない。
「あ……アンタ、本当にメルディウス?」
心臓がバクバクと鳴っている。恐怖とともに感じるのは強い安堵。もう二度とメルディウスのあの手に囚われる事は無いのだと思うと笑い出したくなるほどの安堵を感じた。
「ええ、メルディウス・メヒャーニクです。はじめまして、今代のレーセの対」
ニコリと笑みを浮かべているその表情は穏やかで、柔らかい。だが、その瞳は強く、人をひきつける魅力を持っている。
「メイビーナです」
いつも通り名乗ると、メルディウスは少し悲し気な表情を浮かべたが、すぐにその表情をかき消した。
「メイ、君に頼みがある」
強い強い瞳と口調で請われた頼みごとにメイビーナは否を唱える事はできなかった。何よりも、その頼みごとはメイビーナにとっても、そして彼女の周りの人間にとっても悲願だ。
「ありがとう、メイ」
メルディウスの言葉を最後に意識が遠くに引っ張られる。でも、彼女はそれを怖いとは思わなかった。
***
目を開いてすぐにメイビーナは傍らに転がる剣を手繰り寄せた。それだけが今の出来事が夢では無いのだと語ってくれる。剣を手にし、漸く辺りを見回す余裕が出来たメイビーナの目が唖然と見開かれる。
短い間に色々とあったせいですっかり忘れていたが、そういえばメイビーナは突き飛ばされる直前バラバラにされた遺体を見たのだった。当然今もその遺体はそこに転がっている……が、あの時感じた恐怖を今は感じない。どこか荘厳とし、厳かな雰囲気を感じる。目の前の光景は何も変わってはいないのに、この場所を包む空気がまるで別物のように感じた。
パチクリと目を瞬いたメイビーナの腕を柔らかな手が強い力で引いた。
「出ましょう。話は後で。穢れははらったとはいえ、見ていて気持ちのいい光景ではないもの」
「ソレーユ……?」
後ろにいる少女には見覚えがある。メイビーナの片割れが引き取り面倒を見ている異能者。何度か顔を合わせた事があるが、なぜだろう、なんとなく雰囲気が違う。
「質問は後」
ソレーユはメイビーナの疑問を無視し、彼女を引っ張って洞窟の外までやって来た。その間ところどころに転がる人の体だったものに、メイビーナの背筋が凍りついた。発狂せずにいられたのは傍らで手を握っていてくれるソレーユのお陰だ。
洞窟から出ると、ホッと安堵し、その場にへたり込んだ。
「洞窟の事は気にしなくていいわ。ところで、メイ。メルディウスに会ったのでしょう?何を託されたの?」
こちらを見下ろすソレーユの目は温かく、人を安心させる何かがある。これは誰だろう?本物のソレーユも悪い人では無い。むしろいい人間といえる。メイビーナも彼女に好意を持ってはいる。かといってここまで人を惹き付ける雰囲気を彼女が持っていると感じた事は無い。
「あなたは……誰?」
「私?私はリアン」
聞覚えの無い名前に軽く首を傾げる。どこかで耳にした事があるような気もするが、はっきりと思い出す事は出来ない。
「初代国王、よ。ユシテルの子供。イレウスの孫と言ったほうが通りがいいかもしれないけれど。……この体はソレーユのものよ。すぐに返すわ。ただ、彼女はあの光景に耐えられなかったの」
フッと笑うリアンにメイビーナは小さく頷いた。それはありえる。メイビーナだって、彼女がいなければ発狂していただろう。それだけの光景だ。思い出すだけで吐き気を覚える。あの状況を作ったテルモ・ヘクセレイは絶対に人間じゃない。
「ソレーユは、大丈夫なんですか?」
「ええ、大丈夫よ。さて、あなたはメルディウスに何を頼まれたの?」
メイビーナはメルディウスの魂が宿っているであろう神器をギュッと抱きしめた。彼の言葉を何度も、何度も反芻する。
「……私は、城に行きます。……クレイス・ブロックウェイを……一人目のレーセの対の魂を浄化するために」
きっぱりと答えたメイビーナにリアンは嬉しそうに笑みを零した。
「……やっと、何百年も止まり続けてきた刻が動くのね。……メイビーナ、あなたを城の最奥に送るわ」
リアンが軽く手を振るうと、メイビーナの視界に光が溢れた。光に埋め尽くされ、何も見えなくなる。
***
「……って、行かないで!!」
スルリ、とすり抜けてしまう何かを掴もうと伸ばした手が空を切る。焦ったような自分の声が耳を打ち、メルファンはバッと飛び起きた。体中にぐっしょりと汗をかいている。
最後に自分を見ていた冷たい瞳を思い出し身震いした。何故、今自分は生きている?何故彼は邪魔者であろうメルファンを見逃したのだろうか。
「メルファン・ブロックウェイ。気がつきました?」
静かな声音で問いかけられ、漸く右手に誰かの手を握り締めている事に気がついた。慌てて視線を動かしたメルファンはギョッと目を見張った。
目の前にいるのは漸く共にいる生活に慣れてきた少女、ソレーユだった。だが、普段の彼女とは似ても似つかない強く綺麗な雰囲気を持っている。
「リアン……様……?」
とっさに思いついた名前にリアンが小さく頷いた。
メルファンは背筋がゾッとするような寒気を感じた。以前リアンが表に出てきたのは、ユシテルを止めるときだけだ。今回彼が関わっていないのは確実だ。それなのに表に出ている事が怖い。ソレーユはどうしたのだろう。
「ソレーユは……」
「緑の丘の状況に耐えられなかったのよ。……以前の彼女なら気にもしない状況だったんでしょうけど、今のこの子には大切な物ができたから、大切な物が出来ると、心が豊かになるのね」
それはメルファンもなんとなく感じていた。この頃のソレーユは、ブロックウェイ家に初めて来た時のような死んだみたいな目をしていない。その顔に、目に、表情に感情を浮かべられるようになってきた。
「でも、無事よ。すぐにこの子に体を返すわ」
きっぱりと言い切ったリアンの言葉にホッと安堵した。たとえリアンが神の子であったとしても、その体はソレーユのもの。他の誰かが使っているのなんて見たくない。
「ありがとうございます……」
ペコリとお辞儀をし立ち上がる。打ちつけたせいか体中に感じる痛みに軽く呻いた。
「どこへ行くの?」
「もちろん、テルモ・ヘクセレイを探しにです。野放しには出来ません」
「無駄よ。あなたでは手も足も出ないし、彼を止める事も出来ないわ」
リアンの言葉にメルファンはキッと彼女をにらみつけた。そんなことは知っている。でも、だからと言って彼を見逃すなんて出来るはずが無い。
「止められる可能性のある人間が一人だけいるでしょう?」
リアンの言葉に呼び起こされるようにメルファンの脳裏に一人の女が浮かんだ。彼女は強い。力だけじゃなく心も。でも、それでも、師を追い落とすお願いなんて出来るはずが無い。
「彼も、止めてもらいたがっているわ。彼のためにも、そして、彼女のためにも、彼の事は彼女に任せるべきよ」
冗談じゃない、という想いとは裏腹に、それが最善だと感じる心も確かにある。リアンに言われるまでも無く、メルファンにもわかっているのだ。
彼を、テルモ・ヘクセレイを止められるのは、ミラ・メヒャーニクだけだ。




