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「っ」
幸いにも、タイミングよく現れたバスに、私は慌てて乗車する。
早く、ここから居なくならなくちゃ。
彼から、離れなくちゃ。
これ以上弱い私をさらけ出す前に、一刻も早く早く。
「っ、楓ちゃんっ!」
矢島 圭介の叫び声と共に、扉が閉まりバスが発車した。
慌てて乗り込んできた私のことを訝しげに見てくる乗客も居たが、そんなの気にする余裕もなく、私は一番奥の座席へと腰かける。
窓に雨粒が伝い落ちていく様を上手く働かない思考の中、ただボーっと見つめた。
どうして、アイツとキスなんかしてしまったんだろう。
どうして、一時でも流されてしまったんだろう。
私の頭を占領するのは、そんなどうしようもない疑問たちと、遼に対する謝罪だけ。
後悔しても遅い。
なんて言葉、嫌って言うほど痛感してきたのに、私はまったく成長できていない。
そんな自分が悔しくて、悲しくて、苦しくて、涙が出る。
「─…っ」
遼、会いたい。
今すぐ、会いたい。
幻でも、幽霊でもいいから、会って私を抱き締めて、私を好きだと言って。
会いに、来て。
──矢島 圭介が残した唇の熱さが、腕の温もりが、遼を思わせ私をどうしようもない気持ちにさせた。
知っているのに、何度こうやって願おうが、何度こうやって泣こうが、遼が会いに来てくれないことを、遼と会えないことを、私は十分知っているのに
(それでも、)
願わずにはいられなかった。
頬を伝い流れ落ちる涙が染みる。
その涙の温かさを感じる度に、自分は今ここで生きているのだと、ここに存在しているのだと、実感させられて、私にはそれが痛くて、堪らない。
そして、遼と私は違う世界に居るのだと、思いしらされる。
その度に、私の心は絶望に踏み潰され、泣き叫ぶように悲鳴をあげた。
そうして、跡形もなくグチャグチャにされた心は、どうすればいいんだろう。
絶望を通り越したその先には、一体何があるんだろう。
それ以上の苦痛か、
それ以上の悲しみか、
何なのか分からない。
…でももう、
どうだっていい。
私はもうとっくに、『私』を諦めている。
人生を、未来を、自分を、諦めてしまっている。
だってこの先、私を待っているのは暗くて長い道だけだから。
遼が居ない人生なんて、私にとっては何の価値もない。
遼が居なくなったあの日に、私はもう、何もかも捨ててきた。
遼を想う、
その気持ち以外を、
私は捨ててきたんだ。