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でも、どうしても、
聞きたいという衝動を
止められなかった。
「─…じゃあ、逆に聞くけど、楓ちゃんはどうして『私なんか』っていうの?」
「っ」
雨音を切り裂くように真っ直ぐと、言葉を発した矢島 圭介。
その言葉が私の心に深く入り込み、歪みを作り出す。
──どうして?
「…だって、」
言葉が上手く出てこない。喉がカラカラに渇いていく感覚がする。
『私なんか』
それはもう無意識に言っていた言葉で、
…それに実際、私とコイツを比べたらどうしても私の方が劣ると思う。
勉強とか運動とかそういうものじゃなくて、もっと重要で、根本的な部分。それが違う。
けしてそれだけが違うというわけではないけれど、
コイツにあって、
私に無いもの。
「─…私には、何もないから」
人を惹きつけて、
愛される
誰からも必要とされる魅力なんだ。
それは努力とかでどうこうできるようなものじゃない。
持って生まれた一種の才能のようなものだろう。
(…私は、空っぽだ)
何もない。誰もいない。
胸を張れる程素晴らしい事を成し遂げたわけでも、心の底から信頼できる人も、私にはいない。
「─…。」
『…楓』
脳裏にアイツの顔が浮かぶ。こんな私のことを、好きだと言って愛してくれた唯一の人物。
何も持っていなかった私に人を好きになることを教えてくれた。
幸せがどんなものか、泣きたい位相手のことを想う気持ちとか、
私に欠け替えのないものをたくさんくれた。
手を伸ばして、抱き締めて、必要だと言ってくれる。
それがあんなにも満たされるものだと初めて知った。
『好きって言ってみ?』
そして同時にその幸せが永遠に続くと思ってた。
『顔真っ赤にするとか、お前、可愛いすぎ』
でも、今ではもう
君は居ないから
私の全てだった君は、
居ないから
「私には何も…」
だったら何もいらない。
誰も欲しくない。
アイツ以外の存在なんて、私には何の価値も意味もないから。
私には
何もなくていいんだ。
「何もなくなんかないよ」
ハンカチを持っている私の手がコイツの手によってグッと握り締められる。
指先から伝わるコイツの熱に、私はハッとした。
(…しまった。喋り過ぎた)
コイツの突然の問い掛けに動揺してしまい、流せばいいところを馬鹿正直に答えてしまった。
油断してた。
コイツに心の隙を見せるなんて。
私は自分自身に対して舌打ちをしそうになったが、クッと堪える。
「何も持ってない人間なんていない」
「…何を根拠に」
真っ直ぐなのはいいけれど、何を根拠にそんなことを言うんだ。
無責任な言葉なら、言わないでほしい。
「例えばこうして、俺が風邪ひかないようにしてくれたり、俺のことしつこいって思っててもシカトしないでくれたり、
それって楓ちゃんの持ってる優しさなんじゃないの?」
(やさしさ…?)
「─…違う」
私は首を左右に降り、その言葉を否定する。
違うよ。そんなの。
ハンカチで肩を拭いたのだって、シカトしないのだって、そんな些細なこと優しさのうちに入らない。
優しいっていうのは、
「違うことないよ。俺がそう感じてるんだし……楓ちゃんは本当は優しいんだって」
そうやって笑う
アンタみたいな奴を言うのよ。
何もなくていいのに。
確かにそう思っているのに、そんな風に優しくされると揺らぎそうになる。
…だから、嫌なんだ。
コイツと居ると、癒やされていくのが分かるから、安心してしまうから。
コイツにはそういう不思議な力があるから。
癒やされるなんてそんなこと、望んでなんかいないのに。
私は、傷だらけのままでいたいのに。
「…ね、楓ちゃん」
矢島 圭介が私の手を自分の頬へと擦り寄せるように動かして
私の手のひらにそっと唇を落とす。
「─…っちょ、」
私は慌てて、手を振り解こうとするが、ビクともしない。
それどころか、さらに数回口付ける矢島 圭介。
「俺と、付き合ってよ」
「…え?」
心臓が嫌な音を立てて暴れ出す。鼓膜を振るわせたコイツの言葉が、私を追い詰めるかのように胸に突き刺さる。
警報が、鳴り響いて止まらない。
危険だと、これ以上ここに居ては駄目だと、私に知らせる。
(─…逃げなくちゃ)
そうは思うけれど、足が動かない。私の言うことを聞いてくれない。
聞いてはいけない。
そう思うのに、
「好きなんだ、楓ちゃん」
私のそんな思いとは裏腹に私の耳はその言葉をしっかりと捉えてしまっていた。
「じょ、冗談…」
「本気だよ」
そう言って矢島 圭介は唇を私の手首へと移動させる。
「っちょ…」
手首に走る鈍い痛み。
今、手をどけることができたのなら、そこには間違いなく痕ができているだろう。
誰かのモノだと証明する鬱血痕。
「は、はなして…」
「いやだ」
明るい髪の間から覗くコイツの眼が、私を鋭く突き刺す。その瞳は一見、静かに揺れているように感じるが、奥底に熱い想いが込められていることに気付く。
瞳に湛えられた静かな激情、獰猛な視線、唇の熱さ。
普段のコイツからは想像もできないその全てが、私に男を感じさせた。
知らない。
こんなコイツ、
私は知らない。