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こんなにグチャグチャになるまで涙を流したのは、遼が死んだ時以来だと病室の椅子に座りながらそう思った。
「─…っぅ、く」
「か、楓ちゃ…泣かないで」
白いベット。淡い緑のカーテン。
そして目の前には、タオルで私の涙を拭う、情けないくらいに眉を下げた矢島 圭介。
コイツが再び意識を失ってすぐに、私達が転げ落ちるのを目撃した人が呼んだ救急車が到着し、私達はすぐさま病院へと運ばれた。
救急車に乗っている間も不安で仕方がなかった私は、コイツの手を握り締めながらずっと泣いていて。
重度の打撲、左足、右腕骨折、軽い脳震盪。
命に別状はなし。
コイツに対するその診断を聞いた安堵からも、また更に泣いて。本当にずっと泣きっぱなしだ。
「─…~っ」
「あぁぁ…。楓ちゃん、」
だって、本当に怖かったんだから。私のせいでまた誰かを失うのかと思って、本当に怖かったんだ。
ましてやそれが、私が好きになった人だったんだから。
余計に怖くなって。
「─…ねぇ、楓ちゃん」
「…っ?」
泣いている私を見て、オロオロしていた先程とは一変、矢島 圭介は真剣な瞳で真っ直ぐと私のことを見つめた。
あまりに真剣なその瞳に、あれほど止まらなかった涙も少しマシになって
「…俺と付き合ってくれませんか?」
彼が言ったその言葉に完全に止まってしまった。
「え…、」
「こんな時に卑怯だって、何言ってるんだって思うかもしれない。でも…」
私の頬からそっとタオル離し、矢島 圭介は動く左手で私の髪に触れ、
「もう、離れたくないんだ」
甘く切ない声で、そう囁いた。
その声に、その言葉に、甘い痺れが私を襲って鼓動が早くなる。
だけど、それと同時に、遼のことと先程の恐怖が私を支配して、
「…それは、」
頷くことなんて、できない。
遼が居ない世界に価値なんてないと、私だけが幸せになるなんていけないと考えていたけれど、それは私が勝手に思っていたことであって。
きっと遼なら、私が幸せになることを許してくれると思う。
そういう人だったから。
言葉はたまにキツいけど、凄く優しい人だったから。
でも、やっぱり怖いんだ。
不確かな未来が、どうなるか分からない将来が、怖くて。
また失ってしまうかもしれないと思うだけで、恐怖が私を動けなくする。
大切な人が死んでしまうのは…
「信じてよ、楓ちゃん」
「─…え」
「俺は楓ちゃんを残して、勝手に居なくなったりしないから」
「っ」
…なに、何言ってるの?
どうしてそんなこと言い切れるのよ。
未来なんて誰にも分からないじゃない。
どんなに生きたいと願っても、ある日突然死んでしまうかもしれないじゃない。
だって、『絶対』なんてものが無いってことを私はよく知っている。
『約束』がどれだけ儚いのかも知っている。
なのに、どうしてアンタは…
「楓ちゃんが俺を必要としてくれる限り、俺は側に居るよ」
そんなにも堂々と、『未来』を断言するのよ。
「俺を信じて?楓ちゃん」
「…っ」
───生きる意味が欲しくて。
遼だけを想って生きていくことにその意味を見出したつもりでいた。
遼が居ないのに幸せになんて、なってはいけないと思っていた。
でも、
『もう、幸せになってもいいんだよ…─』
そう言った矢島 圭介を見て、私に優しく手を差し伸べてくれた彼を見て、
もう一度、この世界で生きてみようと思った。
もしも遼が生き返ることができるのなら私は例え手がもがれようと、足がもがれようと、きっと迷わず差し出す。
でも、それは無理で、どんなに願っても時間は戻らないから、
遼が居ないことを嘆いてばかりいるのではなく、遼との幸せな記憶もツラい記憶も全部大切に胸に仕舞って、
ちゃんと生きていこうと思うの。
まだ失う恐怖は全然なくならなくて、遼の夢を見た後はきっと泣いてしまうだろう。
でもそんな日を何日も何百日も繰り返して、強くなる。
遼をちゃんと過去として受け止められるくらいに、強くなるよ。
だから、ねぇ、
「─…ん、」
「…えっ」
「信じて、みる」
そんな私を許してね。
そしてできれば、見守っていてほしい。
幸せになるために生きる、私を。
そして、叶うなら
「─…っありがとう!楓ちゃん」
そうやって明るく笑う、アンタに
ずっと側に居てほしい。
離れないように手を繋いで
ずっと、ずっと
共に生きてほしい。
───世界はこんなにも脆くちっぽけなのに、
どうして人は
何かを求めずにいられないんだろう────
その答えは、きっと…─
繋いだ手の温もりに、
幸せを確かに感じたから
END




